カッパのロードスター

幌を開ければFeelin`good。カッパーレッドの
路渡☆くんとの楽しいドライブ日誌。

姫路城、総攻め状態?

2010-03-31 22:41:55 | おしろ
先の日曜は朝から兵庫県の『姫路城』を目指しました。
京都はもう桜渋滞、西へ逃れることにします。
お城と桜、改修工事が始まり5年間見られなくなる天守閣もしばし見納め。
そんなこともあり多少、人出も多いかなと心配しつつ・・・



姫路城は超有名なお城で、ご存知の方も多いと思いますが、
日本で初の世界文化遺産となり、同じく世界遺産のピラミッド、ベルサイユ宮殿などと肩を並べる世界の宝です。
国宝8棟、重要文化財74棟を含む国の特別史跡で、日本の宝でもあります。
美しい白漆喰の城壁から「白鷺城(はくろじょう/しらさぎじょう)」と呼ばれ、現存天守をもつ国宝四城(姫路城・松本城・彦根城・犬山城)の一つです。

築城は1346年とも言われてますが、当時は城と呼べるような建造物は無かったようです。その後、幾度となく増改築、修築を繰り返し、1580年、織田信長の家臣として播磨に進駐した羽柴秀吉が中国平定を成し、ここを居城とした際に大改修を行い、天守を設け、城下町、石垣で囲む総構えの近世城郭に改め、山陽道まで曲げ姫路の城下を通るようにしてます。
その後、秀吉が天下人へ昇り詰めたところから「出世城」なんて呼ばれかたも・・・
さて、徳川家康が関ヶ原で勝利すると、その功績で池田輝政が城主となり、西国を牽制する拠点としての役割から姫路城は、またしても大改修を受け(1601~1609年)広大な城郭となった。天守も今の姿はこの時のものだろう。
しかしその後、城主はめまぐるしく替わる。西国に睨みを利かす必要も無くなったにもかかわらず、あまりにも立派な城故に15万石の姫路藩には負担が大きい。天守の重量に地盤、礎石が耐えられず沈み込んでいくので、たびたび修理を重ねなければならなかったのも財政を圧迫したようだ。
それでも幕末期は、西国の連合軍を威嚇する歯止めとして威光を放つ・・・思惑も、新政府軍に包囲されるや否や、落城を逃れるため(?)あっさり開城。城を明け渡した。
明治時代になり廃城令により、姫路城も競売に付される。落札したのは金物商で23円50銭(今の価値に換算しても十数万円?)で!瓦を売るのが目的だったようだが、解体費用がかさむという理由で断念、解体されずに済んだ。後、陸軍省に買い上げてもらい歩兵連隊の基地となる。
昭和に入り国の史跡に指定され大改修に着手、やっと平安が訪れるかと思えば、太平洋戦争勃発、またしても陸軍が駐屯。姫路大空襲で、城下は灰燼に帰したが城は奇跡的に難を逃れた。天守を直撃した焼夷弾も不発だった。
長々と書きましたが、この城は数奇な運命に晒されながらその都度、奇跡的な幸運に恵まれ現在までその姿を守ってきました。
「不戦の城」「奇跡の城」、「幸運城」と呼んでもイイのかも。

その幸運城に、はるばる着いたのに何やら不安的中?



お城がまだ遠くなのに、臨時駐車場。しかも満車の看板w
それでも何とか入ることができ、てくてく城を目指して歩きます。

なんなんですか、この看板・・・






あれ、あれッ? 最後尾は何処に・・・









城外までぐる~っと! 人、人、人。軍勢だったら一気に落城しそう。






入城するまで80分。城内でも将棋倒しにならないよう
順路どおりにこの調子で列を守って、出てくるまで3時間半はかかるとか・・・

諦めました・・・桜を飾った「しろまるひめ」の可愛い笑顔が
なんか虚しい。



桜もまだちらほら咲き。何でこんなに人が集まるねん!



4月の半ばにはすっぽり覆われてしまう天守、しばし見納めです。
つーか、もっと近くで見たかった・・・



ま、お城には入れなかったけれど嬉しいこともありました。

往きの高速で、岐阜ナンバーのギャラグレNCと遭遇。
挨拶を交わし、前になり後ろになり連れツーリング状態・・・
どうやら同年代のカップル。
前に出てSA(権現湖)に入ってみる。着いてこられるかなと思いつつ
予想通り、同行され、クルマを降りてご挨拶、
しばしミーティングとあいなりました♪





お話すると、歳も1学年違うだけ。楽しいお話を聞かせてもらい
最後は写真を撮りっこ・・・再会を願ってお別れしました。

改めてロドスタが紡ぐ縁を感じてしまいます。
同じクルマを乗っているというだけで、高速道路上で遭遇しただけで・・・
この連帯感というか仲間意識は、面白いものですね。
良い出逢いができたと思ってます。




2010.3/28、市立美術館より姫路城。