☆まぶたから離れないシェラの瞑目
シェラを送ってきょうで1か月になる。
シェラはもういないという実感とともに、ふと、いないことが不思議に思えてしまう瞬間がある。17年間、ずっと一緒に生活してきたから、シェラの姿がないことが不思議に思える。むぎのときもそうだった。
そんな空白をルイが埋めてくれる。寝ている以外はいたずらのしほうだい。ときどき、隠れてオシッコもしてしまう。休まるヒマがないと家人は嘆くが、相手をしてもらおうと手当たりしだいなんでもくわえて逃げていく姿が愛しくて、ぼくは本気で怒ったりしない。むしろ、振りまわされている現在(いま)がこよなくうれしい。ルイがおとなしくなってしまったら寂しくて寂しくて、「おい、なんでもいいからパフォーマンスやってくれ!」と頼みたくなるだろう。
そんなルイから目を離すと、いつも真っ先に浮かぶのが、病院で麻酔薬を打たれながらシェラが二度と開かないまぶたをゆっくりと閉じた情景である。家人とせがれの肩越しにぼくはシェラの顔を見つめていた。
ひと晩添い寝し、痛みに耐えるシェラの身体を撫でいたので、最期のときはふたりにゆずった。あまりにもおだやかに、やすらかに眠りについたので、ぼく同様、家人もせがれもシェラの目の前の死を落ち着いて受け容れることができた。むしろ、痛みや苦しみから解放されたことでホッとしていただろう。
☆まだ写真を見ることができない
そして、きょうひと月目を迎えた。
この間、ルイのおかげで家族の全員が救われてきたが、家人は休日に出かけた先ざきで待ちかまえているシェラとむぎの思い出に悲しみを新たにして涙ぐむ場面がしばしばあった。ぼくはというとシェラとむぎの思い出を追っている。彼らのさまざまな面影をしのぶことができないような場所ならいくつもりはない。
家人はシェラやむぎの写真をまだ見ることができないでいる。悲しさがこみあげてくるからだという。一方でぼくはシェラやむぎの写真を見て悲しみから逃れている。だが、最近、シェラが病魔におかされてからの写真を避ける自分に気づいた。
むぎが突然逝ってしまったとき、たくさんあったはずの写真なのに、気に入った写真は数えるほどしかなくてショックを受けた。なぜ、もっとたくさん撮っておいてやらなかったのだろうかと悔やんだ。それはシェラについても同じだった。
シェラが病魔に侵され、短くかぎりある命だと知ったときから、ぼくは狂ったようにシェラの写真を撮り続けた。きっと異常なほどのぼくの姿だったのだろう。散歩に出かけて公園で、ぼくがシェラの写真を撮り続ける理由を家人から聞いた方が事情を知って涙ぐんでくれたこともある。
どれだけシェラを撮っただろうか。毎朝の散歩、夜の散歩、週末の散歩、そして、家でも、ひたすらカメラのシャッターを切り続けた。シェラがいなくなってしまったあとでも、シェラにいつでも会えるようにと……。
☆半世紀を経ても風化しない悲しみ
このブログでも写真の一部を載せてきた。だが、いざ、シェラが逝ってしまうと、ぼくはそんな写真を見ることができなくなった。病魔に魅入られた痛々しいシェラの肖像を冷静にながめることができる余裕はまだない。もしかすると、これから先も同じかもしれない。元気だったころ、むぎがいて、ふたりでいきいきとしている写真しか見たくないのである。
昨夜、たまたまiPadに保存してあるシェラとむぎの写真を見た。この数年のふたりが元気だった姿に出逢った。のぞきこんだ家人も引き込まれ、涙ながらに世が更けるのも忘れて見入ってしまった。
「やっぱりまだ飾ってはやれないわ」
ため息まじりに家人がいった。
シェラの写真をあわてて飾るにはおよばない。瞑目してぼくの腕に抱かれたむぎと、覚めない眠りについた瞬間のシェラの映像はぼくのまぶたに鮮明である。きっと死ぬまでこの情景を忘れない。
ぼくが中学生のときに実家で飼ったペルというオスのテリアのわんこは、ジステンバーにかかり、たしか1歳になるやならずで死んでしまった。息を引き取る寸前、寝床の箱から這い出し、ぼくの前に座って自分から二度、三度とお手をして、そのままぼくの膝に崩れ落ちて絶命した。きっと、毎日、母からもらった500円札を握りしめて病院へ連れていったぼくへ「兄貴、ありがとう」といいたかったのだろう。
大量のよだれをたらし、苦しげに呼吸しながらぼくに別れを告げたペルの姿は半世紀を経たいまもぼやけることはない。思い出すたびにペルのけなげさにいまも涙がにじんでくる。愛するものを失った悲しみはたやすく枯れはしない。シェラとむぎへの愛惜もそんなひとつである。