☆ルイの頭突きにやられた
先週末、ルイを遊ばせていて右目に頭突きを食らってしまった。最初は、たいしたことないとタカをくくっていたが、やがて右目が飛蚊症を発症した。視界が曇り、糸くずのような映像が見える。といっても、しじゅう見えるわけではなく、ほんのときたまの幻覚である。
週明けに医者へいこうと思っていたが、症状が改善されているのでグズグズしたままでいる。土曜日から症状も変わった。糸くずの代わりに目じりに白い閃光が走るようなった。
気づいたのはクルマの運転中だった。雨の中だったのでルーフからドアのガラスにしずくが落ちたのだろうと思っていたら、閃光は目の中で起こっていた。
視力が確実に落ちたのと、目が疲れやすくなってしまった。会社での仕事に深刻な影響をおよぼすほどではないが、仕事以外はパソコンの画面も見ないようにしてきた。家でも、メールのチェック以外はパソコンやケータイを遠ざけている(この稿も少々無理して起こしている)。
☆カラーなんか平気さ
そんなわけで、ルイの抜糸のレポもすっかり遅れてしまった。
土曜日に抜糸というのはぼくの勘違いで、日曜日の予定だった。それでも、土曜日に見てくれるというので午前中にルイを連れていった。早いところエリザベス・カラーから解放してやりたかったからである。
ぼくが見たところ手術の傷痕はすっかり癒えているかに思えた。問題なく抜糸してもらえると確信していたのだが、院長先生の診断によると、「まだカサブタがあるので週明けの中ごろにしましょう」ということになり、カラーからの解放はお預けになった。
カラーがうっとうしそうだというのはぼくがそう思っているだけで、ルイはすっかりなじんでしまっている。散歩のときは外してやり、家に戻るとすぐに装着するのだが、じゃれついて邪魔はするものの嫌がるそぶりは見せない。つけていようがいまいがお構いなしに家の中を突進している。
ルイにとっても、われわれにとっても突進するルイのカラーは危険きわまりないので、外の散歩だけではなく家の中で遊んでやるときもカラーは外してやる。遊びに夢中だから手術の痕を舐めようとしたりしない。しかし、油断すると片足を上げて舐めはじめるから目が離せない。
☆きみのおかげだよ
日曜日は、久しぶりに晴れたので深大寺まで出かけた。元々、東京近郊の観光地として有名ではあったが、テレビドラマ『ゲゲゲの女房』でいまや全国区の観光スポットになった感がある深大寺である。ちょうど梅が見ごろだろうとの思惑どおり、梅の木の数こそ多くはなかったが、そこかしこで白梅紅梅の梅がきれいに咲きそろっていた。
シェラやむぎとは何度となく訪れ、蕎麦屋に入り、あるいは、テラス席のある喫茶店でくつろいだ。春には春の、秋には秋の、四季それぞれにたくさんの思い出がある。いまもぼくの脇にシェラがいてむぎがいるような錯覚に襲われそうになるが、ルイがかろうじてガードしてくれる。
たしか、むぎが鬼籍に入り、まだルイとめぐり合う前の去年の秋、紅葉の時期に一度シェラとだけきた記憶がある――と思ったが、それは間違いだった。ルイは9月にわが家の子になっていた。シェラとだけ訪れているなんてありえなかった。むぎが消えてしまい、シェラだけになった寂しさが晩秋の寂寥に重なり、幻影を頭の中に紡いでしまったらしい。
いまもし、ルイがいなかったら、その寂しさはいかばかりだろうか。毎日、こちらがくたくたになるほどやんちゃをして手こずらせてくれるルイだが、怒りながら、「ルイ、ありがとう。きみのおかげでどれだけ救われているか……」との感謝も忘れていない。
犬を失くした哀しみは、犬でしか癒されない――ずっと昔、この哀しみを経験した方から教わった言葉を、いまさらながら噛みしめている。
*追記=なぜか、ぼくは深大寺でルイの写真を一枚も撮っていなかった。無意識のうちにシェラやむぎの面影を追っていたからかもしれない。なんたる不覚。ここに使った下の2枚のルイの写真は、同じ日、家人が仕事場へ小一時間いっている間、ルイとふたりで散歩に訪ねた町田の芹ヶ谷公園である。
この公園にも、むろん、シェラやむぎのビジョンが濃密である。ルイのお尻のにおいを嗅いでいるむぎのような小柄のコーギーと出逢っただけで胸にこみあげてくるものがある。