ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

五條をごそごそ歩いた3

2017年09月20日 21時29分16秒 | ウォーキング

町屋内をずらっと歩いた後で、
先ほどの案内の女性と
また少し話をしました。

「どっから着てはるんですかあ」
と聞かれ
「泉O津ですよ」と答えると

「私は岸W田から嫁いできてます」
とのこと。

これから祭りやねえ
とか話をしながら
しばらく時間を過ごしました。

篤太郎さんのことなんかも
少し詳しく話を聞いたり、
五條のここから先の
案内なんかも
教えてくれはりましたね。

いやあ、とても親切なところでした。

次に入ったのが
「まちなみ伝承館」です。



ここも中に入ると、
女性の説明員がとても親切でした。
「doironさん、サインください」
ではなく、もう耳がマヒするほど
いろいろと説明をしてくれましたねえ。

いやあ、いろ男はつらい

まずここはお医者さんの
跡地だそうです。

奥の方には五條市の
文化財課があるそうですが、



その部屋の前に「手術室」の
看板が置かれています。



う~ん、五條の歴史や文化を
大手術するんでしょうか。

天井あたりには昔のかごや



ひな人形が行かれていました。



そしてdoironが建っていたところの
頭の上あたりに伊勢湾台風では
この線のところまで
水が来ていたそうです。



近所の吉野川が
氾濫したんですかねえ。

ここにはパネルで
いろんな説明があったり、





いろんな資料もたっぷり
おいてありましたね。



こういう施設に来ているのは
近所のおばさんなんでしょうが
とっても良く教育された
人たちでしたねえ。

ありがとうとしっかり
お礼を言っておきました。

さてだいぶこのあたりのことを
学んだあとで、







次に入っていったのが
「鉄道模型や」と銘打った



ジオラマ工房Y.Nです。



正式名称はこれでいいのかなあ。

写真ではそんな風に映ってました。

中に入ると、



え?これはこの地域のことですか?

「五條ら~」

急行名表示板や



駅の掲示板など



電車に関するグッズが
並んでいましたし、

店の片隅では模型電車が
ぴょこぴょこ走っていましたよ。

doironはいまアトリエ内に
こんな掲示板を飾っていることや
昔の線路を切り取った
文鎮なんかも持っている
という話をしてきましたよ。

こういう仕事をやっていると
テレビに出ることも多いし、



百貨店の鉄道店なんかも出品したり、
助けに行ったりもしているようです。

実は、この先に痕跡の残っている
鉄道の五新線のことも話をしました。

五新線は明治末期に
構想されました。

五條と紀州新宮をつなぐから
「五新線」です。

計画は何度か頓挫し、
昭和14年に着工されたのですが、
戦争などもあり、未完成のまま
配線となった線路です。

もしこの紀伊半島を縦断する
この鉄道があれば、
熊野もうでの様子も
大きく変わっていたでしょうねえ。

そんな話を聞かせていただいたうえで、
これまで大仏鉄道や
武庫川廃線あとなんかも見てきた
doironの話もチョロっと混ぜて置いたら、
楽しそうに話をされていましたね。

記念館のおばさん連中も
親切でしたが、
ここのおじさんもとても親切に
いろんな話を聞かせてくれました。

あ、よく見ると五新鉄道の
キーホルダーやポストカードも
作ってはりましたねえ。



まあ、さほどそんな深い
思い入れもないので
買わなかったけどね。

ま、ここでも楽しい時間を
すごしてさあ先に進みましょう。

すぐ近くにこんな
北山牛乳店もありました。



オリジナル牛乳もあるのかなあ。
あればそんな牛乳のふたが
気になりますねえ。

むかし息子がそれを集めていて、
遠くの大会なんかに行って
牛乳を買ってお土産に
持って帰ったら大騒ぎしてました。

まだ、きっとそんな牛乳のふたの
コレクションは持ってると思いますよ。

で、通りのずっと先の方を
見てみますと、おお街道の上を
こえていく廃線になった
五新鉄道の高架の線路跡が
目に入ってきました。



あそこまでもう少し。

頑張りましょう。


五條をごそごそ歩いた2

2017年09月19日 21時11分54秒 | ウォーキング

敬老祝いもいただいたので
話はまた五條に戻しましょう。

ーーーーーーー

この辺りは街道の呼び名がむつかしい。

むかし紀州の殿様が
参勤交代なんかで通った時は
「紀州街道」と呼ばれていたそうだが、



これは大阪人としては
大阪~和歌山の紀州街道と
ダブってなんか変だ。

最近doironがよく歩いた
街道の延長として
「大和街道」と呼ぶのが
いいのかもしれない。

和歌山から探り探り歩いてきて、
途中少し抜けて名手くらいまで
あるいたあのみちの
延長でありその東の終点
ということになる。

また残りを歩いて
完歩しないといけませんねえ。

で、その道となる新町通りは
茶色の着色の塗装がされていますねえ。



その雰囲気はよいのですが、
残念ながら道ぞいに
電柱が残されているのが
ちょっと残念ですねえ。

その辺がこの街道沿いの、
歴史的観光地として
踏み込み切れない
中途半端さを表している
ような気がしますねえ。

建物はすべて凝った作り
というか昔の街並みのつくりを
しっかりと継承していますねえ。



窓は多くが格子窓、
虫籠窓もいかしつつ
風情を保っています。



ここは酒屋ですねえ。



調べてみたら原料は山田錦で
仕込みの水は吉野川の
伏流水を使っているようで、
柿ワインも作っているそうです。

入り口あたりをきょろきょろ
確認しましたが、杉玉は
飾ってないようですねえ。

新酒がまだできていなくて
出していないのでしょうか。
よくわかりません。

で、新町通りはその先で
二股になっているようですが、
メインは左の通りですね。



右に行く道は河内長野の方へと
向かう「大澤街道」の始点です。

その分岐点にある鉄屋橋手前の
左側に雰囲気のある和菓子屋さんが
ありますねえ。



資料やネットなんかにも
必ず登場するお店ですが、
店の名前は何かわかりますか?

どちら向きに読んだらいいのか
わかりにくいのですが、
正解は右から左へ、
「餅商一ツ橋」と読みます。

あ、のれんで分かるか。

大正時代からやってる
和菓子屋さんだそうです。

あ、入り口の商品棚に
もちが飾ってあります。
ああ、これは買いたいですねえ。

中に入っていくと高齢者の方が
店番をしてはります。

あの前に飾ってるお持ちは
一個からでも買えるのかな?
と思い「お持ちは買えますかあ」と
まずは聞いてみました。

そしたらその高齢者は
「売るためにあそこに飾ってるんやで」
とのこと。

そりゃそうですな。
では普通の餅と揚げ餅を
ひとつずつくださいと注文すると、
袋に入れてくれました。

おばさんに、ここの店は
何年ぐらいからやってるんですか?
と聞くと

「私が嫁に来た頃にはもうやってたよ」

という返事でした。
あとで調べたら大正時代から
とのことでした。

おもちをリュックに入れて、
どこか休憩できるところで
食べることにしましょう。

周りには医者もあるようで、



こんな薬局を見ながら



進んでいくと、その先に
あったのが「まちや館」で、



昔の町屋の構造を見るには
ここに入るのがいい
とされています。



ここは、政治家であった
木村篤太郎の実家を
解放したところだ。



中に入ると、
親切そうな女性が近づいてくる。
doironを見て

「お兄さん、サインください」

ではなく、この家の説明を
してきはります。

それはそれはとても細かい説明で、
もうこの入り口にいるだけで
施設内を一周してきた感じです。

まあゆっくりとみていきましょう。

ここは江戸末期の建物で、
内部は結構広く、土間が台所、



中庭離れをつなげている。



ここが勉強部屋だったそうで、



こじんまりと学んでいはったんやね。

今を展示室にして
飾り物や手紙なんかを
並べていましたねえ。



これが政治家のポスターで



横の写真がファンだった
夢路いとしの写真です。

え?違う?本人?

失礼いたしました。

かなり似てますねえ。
とか言いながら見学していきます。

続く


敬老の日に

2017年09月18日 21時43分55秒 | 生活


五條を歩いたことを
書いていましたが
ちょっと一休み。
敬老の日の出来事を
お知らせしましょう。

・・・・・・・

今日は敬老の日。

ということは、岸和田まつりが
終わって
こっちの祭りが始まるころです。

今日は、接近していた台風に備えて
総ておろしていた献灯提灯を
再びつけなおすという
作業やら、
祭りの寄付をいただいたら
それを張り付けるための
ボードを設置するなど
我々世代の仕事が続いたのだ。

公民館の前あたりに座り込んで
つけていく提灯の順番なんかを
指示していくのが
doironの仕事だったりする。

台風一過、今日はとても気持ちいい
気候でありました。

提灯付けの作業を下から
見上げていたら
青空がとてもきれいでしたもんねえ。

朝から昼過ぎくらいまで
作業は続き、また町内には
献灯提灯が並びました。

で、そんな作業をしているときです。
知り合いの老人クラブの人が
村中を回っているのを見たのです。
そう、敬老の日の行事の一つとして
老人クラブに入っている人に
お祝いのカステラを配るという
取り組みだそうです。

で、作業を終えて家に帰ると

おお~、届いていました

敬老祝いのカステラ
doiron分です。



そうなんです。
doironもついに村の
老人会に入会させられたんです。

でもまあ、みんなとの
旅行やカラオケ飲み会は断ろうと
思っていたのですが
こうして全員を対象とする
取り組みには弥が上にも
参加対象となりますね。

いやあ、生まれて初めての
敬老祝いをもらいました。
doironの敬老記念の日ですねえ。



午後から、村の人たちと
麻雀をしましたが
そこで分け合って食べました。



ああ~元気なように見えても
人はこうして少しずつ
年を取っていくんやねえ。

この取り組みには
市の敬老団体に対する
補助金なんかもおりてくるに
ちがいないだろう。

だからまあ、市民の皆さんの
暑い思いやりがこってり
しみ込んだカステラなのだ。

いやあみなさん、敬老祝い
ありがとうございましたです。


五條をごそごそ歩いた1

2017年09月17日 20時39分01秒 | ウォーキング

今度は奈良県に歩きに行きました。
行った先は「五條市」。

かつて吉野川マラソンなんかにも
よく行ったところですね。
ここには、昔の山手の紀州街道に
残っている昔の家々、
線路を作りかけて
すぐに配線となった
五新線の線路の痕跡などが
残っているそうです。

そもそも、古くより大和と
紀伊を結ぶ交通の要衝として
発達してきた町。

後村上天皇が、吉野を逃れて
南朝の本拠を置いたところでもあり、
そこに江戸になってから
松倉氏が町を築いたのです。

それと五條のことを書くときに、
注意しとかないといけないのが
その漢字です。

JRは駅の名前を「五条」とかきます。

でも市役所なんかは
「五條」と書きますよねえ。

では、どちらが正しいのでしょうか。
と書くとやはり「五條」となりますかね。

昔、市名を決めるときに
国に「五條」と送ったのに、
間違えて「五条」と書かれたそうです。

そのご訂正はされましたが、
むかしから「五条」と
書いてたところなんかの
固有名詞なんかは
そのまま治せないところも
あったそうです。

ではなぜ五條なのかといいますと、
むかしここに「五條代官所」が
あったところから
この名前は来ているそうです。

そんな場所を、今回は
車で訪ねて行って
歩いてみようと
出かけて行ったのでした。

コースはあの鍋谷トンネルを
こえていきます。
これだと昔の五條行に比べて
飛躍的に早くなりますねえ。

すぐに到着します。

今回車を止めたのは、
五條市役所。



ここでさらに資料を手に入れて、
五條の町のブログ宣伝かねての
歩きをすることにしたのです。
だから駐車は許してもらえるでしょう。

で、結局資料は手に入らなかったのですが、
開いてる場所に駐車は
きっちりとさせていただきました。

では、ナビをセットして
歩き始めましょう。

あ、さっそく五條のマンふたです。



市の花が「桔梗」なので
それをあしらっていますねえ。
こんな古いレンガつくりの
倉庫なんかも眺めながら



歩いていたら、すぐに
「本陣」という名のややこしい
交差点にさしかかりました。

車道でいうと五差路で、
歩き道を入れたら
なんと七差路という
まあややこしい交差点です。

信号はかなり考えて
つけられていますねえ。

ここは地下にも通路が
できていますが、



これはまあ目的のところに
出るのはむつかしいかったですねえ。

どの角をどう曲がっていくか
よく考えたうえで
地下道に入っていかなくては
なりません。

外に出てみると、
目標にしていた道標があります。

「左 高野 わかやま 四国 くまの道 



右 いせ はせ 大峰山上 よしの道」



とあります。
その狭い露地を入っていきましょう。
住宅街をくねくねと進んでいきますと、



「御霊神社」があり、



その横に古い家があります。

これが「栗山邸」です。



慶弔12年すなわち
1607年の棟札が
残っています。

徳川が瀑布をひらいたころですね。

建築年代がわかる
日本最古の民家といわれています。

ここはまだ個人の民家なので
内部は非公開だそうです。

トイレはどうなっているのかなあ、
お風呂はどうなっているのかなあ、
エアコンは?
アンテナもないのでテレビは
ケーブルかなあなどと
いろいろと連想してしまいますねえ。

重要文化財だから、
あちこちをいじるのも
大変でしょうねえ。

表札を見たら2枚が張られていて、
どちらにも「栗山」氏の
名前が書かれていました。



先祖代々引き続いてきた
お家なんですねえ。

頑張って残しておいて
もらいましょう。

その先にあるのが、
江戸時代からの町屋が並ぶ
昔の風景の見られる
「新町通り」の入り口である
「新町口」の交差点だ。



左側にも古い家がありますが



今日は右側のこの新町通りに
入っていきましょう。



続く


大人の三大病?

2017年09月16日 21時09分47秒 | 生活

なかなかねえ、
この歳になってくると
からだにあちこち
ガタが出てくるものだ。

まあ、心筋梗塞と脳梗塞という
人間の大人の三大病気のうち、
2つをこえた身としては、
もう世の中さほど恐ろしいものはない
というものだけどね。

でも、そんなdoironにも
半年くらい前から、あれ?と
思って気になっている
ことがひとつおこってきているのだ。

これまで夏と着たら、
練習で真っ黒に日焼けして、
服の袖からメラニン色素の塊が
動いているという感じだったのだが、
もう今は違っている。

まるでフランスの幼女の
腕のように白くなっているのだ。

「ああ~ぼくももう
白人になったんやなあ」
とそんな感想を抱いている。

そんな腕をしみじみと
眺めているときだ。
どちらかといえば背面の方に、
ちょっぴり大きなほくろ
のようなものが
できはじめているのに気が付いた。

これがねえ、
ほくろやシミのようなものなら
これまで酷使してきたからだろうな
と思うのだが、もう一つ考えられるのが
悪性の腫瘍のようなもの
だったらまた退治しなきゃなあ
というところなのだ。

これは様子を見ないとなあ
とおもいつつ、
本人的には大丈夫だろう
という変な安心感もあったし、
服の引っ掛かりや痛みもないので
ついつい忘れがちに
なってしまっていたという面もある。

で、先日この幹部の横を蚊に刺され、
かゆいかゆいと触っているうちに、
その幹部がまたまた
気になってきたのだ。

朝起きた時も、夜中に触っている
からなのかちょっとした
違和感もないではない。

これは一度やはりまずは
皮膚科で見てもらうかと決心し、
先日家の近くにある
ちょっと有名な皮膚科に
出かけたのだ。

そこは家の近所のお医者さんで、
村人もたくさん来ている。

いろんな人に声をかけられて、
実はこんなできものが
できていてねえと説明するのだ。

この日も三人知り合いがいて、
もう診察室に入る前に
問診をたっぷりしたような気分だ。

で「doironさ~ん」と呼ばれて
中に入っていた。

事前にはいろいろ考えていたよ。

「これは組織をとって検査しましょう」
といって、ちょっとメスで
切られたりするのかなあ。
痛いかなあ。
それとも、すぐに病院へ
行ってくださいと言って
紹介状を書かれたりするのかなあ、
うわーそんな時は
かかりつけの病院を
言わないといけないかなあ。

と頭の中をいろんな妄想が駆け回った。

じつはこれなんです。



と医者に見せた途端、
すぐにこんな返事が返ってきた。

「あ~イボですねえ。
焼きましょう」

え?組織検査しなくて分かるの?

「先生、そしたらこれは
そんな気にしないと
いけないようなものじゃないの」
と重ねて聞いたら

「ああ、単なるイボですよ」

と簡単な返事だ。
いつも湿疹でさえも、
水虫かどうか調査しましょう
というような慎重な先生が、
まるで
「おならが臭いのは、
腹の黒い人間だからですね」
と言うて聞かせるような
気軽な感じで「イボですよ」
と告げてきたのだ。

あんなに心配したのになあ、
なんじゃこれ「はあ~」
といってる間に液体窒素で
「冷たいですよ~」とか
言いながら治療をし始めます。

「冷たいのはあんたじゃないのか」
といいそうになりましたが、
まあもうその言い分を
信用せざるを得ないですね。

なんかこういう幹部って
見た目で簡単にわかるんですかねえ。

だったら、これこれこういう理由で
と説明してほしいなあ。

で、最後にもう一度、
これってそんなに明らかに
イボなんですか?て聞いたら、

「ああ、表面がイボイボしてるしねえ」
という返事。

うひゃー、よくわかりませんが、
そういうものなんですかねえ。

まあでも軽くてよかったです。

これで大人の三大病気の兆し
といわれることを思ったら、
喜ばなくちゃねえ。

とまあ、こんなイボのブログに
よくぞ付き合ってくれました。

すいません。


地蔵盆は講で大騒ぎ

2017年09月15日 21時17分45秒 | 生活

地元の地蔵さんを
みんなで信仰しようという、
地元地蔵講に入ってもう5年がたつ。
早いものだ。

講は村のはずれにある地蔵を、
地域の神様として信仰し
自分らの幸せを守ろうとする
ほぼ60歳以上の地域の人々の集まりだ。

今年は3歳年下の男性が
頭屋を務めた。

頭屋というのは地蔵盆に
関することを一人でまとめ、
村の人々におにぎりを配って、
今年から地蔵講に入りますよ
というのを知らせる役である。

用意して買わないといけないもの、
手配しないといけないもの、
村人たちにお願いしないといけないこと
がたくさんあって、
それらは一冊、いやもう3冊くらいの
ノートになってずっと引き継がれてきている。

普段からどれくらい村の中で
いろんなことに貢献しているか
ということがこんな時に現れるのだ。

しっかり普段からやっている人だと、
あああのひとあれをするのを
忘れてるんちゃうか
というようなことがあったら、
知らないうちに誰かが
処理しといてくれるけど、
普段からええ加減な人間だと

「ああ適当に誰かが処理するやろ」

みたいな感じで
放置されていたりすることもある。

そんな感じで村社会は、
微妙にごそごそと育っているのだ。

今回の頭屋がどんな人間だったか
なんてことは書きませんが、
まあそこそこ皆さんの協力を得て
仕事を終えたんじゃないですかねえ。

doironの今年の仕事の一つが
「たくわん洗い」である。



おにぎりに入れるたくわんを
50本、樽で買うのだが
これを一本ずつ洗って行かないといけない。

ビニール手袋をはめているが、
汁は飛び手なんかは
ぬかみそ臭くなるし、
下手すると服のあちこちに
黄色い塗料が飛んでいたりする。

水溶性なんで洗えば取れるけど、
下手にその服を着たまま
ほかの作業をしていると、
自分ではもうわからないのに
みんなに

「臭いから着替えておいで」

といわれたりするのだ。

準備はおにぎりを握る公民館に
飛びちったゴマを集めるために
シートを引いて、テーブルとかを配置する。

一方で地蔵さんの周りには
テントを張ったり、供物を並べる
場所を作ったりとバタバタするよ。

そしてようやくあたふたあと
動き回っておにぎりもできたら
やっと準備完了。

周りを夕方からのお参り分だけを
整理し終えて、そこから
地蔵講の宴会が始まるのだ。

頭屋が振る舞うお弁当をつつきながら、
ワイワイと大騒ぎ。

ああ、こういう大騒ぎが
昔は貴重な癒しのひと時
やったんやろねえ。

そして夕方、和尚さんが現れて
度胸が始まるのだ。



般若心経も唱えていたなあ。

地蔵さんの前に座る女性連中は、
町内の大御所おばさんたち。

われらは周辺の交通警備や、
ほかの訪れてきた人たちの
お相手などに従事する。



そしてお参りが終わったら
配るおにぎりがこれ。



子どもは一人一個、
大人は2個までとして配りまくるのだ。

で、一方でお参りのお供えを
くれた人たちへ、
お供えのお返しを作成し
配布も手配する。

そんなのがすべて終わったら、
今度はテントの片づけと
地蔵さん周りの整理をし、
ようやく地蔵講の一日が終わる。

1週間後に地蔵の周りに
張り付けた提灯用の配線を外して、
頭屋はやっと地蔵講の一因となるのだ。

いやあ、アフリカの集落の中にある
なんか一定の儀式みたいなものやなあ。
バンジーを飛び降りて
初めて大人になるみたいに
わが町では地蔵講頭屋を終えて、
無事地域の年寄りになる、
みたいなねえ。

地域ではこの後、
村の最大行事である祭りを迎える。

地元で一庶民として
生きていくのはなかなか大変なのだが、
こうしていろんなルールも守って、
その逆に地域の人々に
いろんなことに守られながら
生きていくっていうのが
大事なんだろうなと最近は思っている。


神戸の美術館

2017年09月14日 21時36分24秒 | お絵かき

夏休み期間だからどうか知らないが、
いろんなところの美術館・博物館が
子供も喜ぶかもしれない
というような展示を
今年は精力的に開催していた。

そういう美術館のチケットなんかを
回してくれるありがたい友達がいて、
8月にぐるりんと回ってみたのだ。

まず最初に行ったのが、
兵庫県立美術館で9月18日まで

「怖い絵」展

が開かれました。
中野京子という作家が
西洋美術の絵に含まれる恐怖を
題材にとりあげた展示会です。

怖い絵、恐怖というとどんな姿かというと、
やはり人間の命をテーマにしたもの、
宗教的に理解をこえたもの、
何でもない絵が当時の社会情勢の
中ではとてつもなく怖い絵であったもの
など様々です。

別に鬼太郎と妖怪の戦いとか、
国会議員と秘書との争いとかではありません。

背筋が多りついたり、
寒イボの出そうなそんな怖さかな。

暑い日の続いたそのころですので
冷房の効いた涼しい美術館で、
さらに涼しさを味わってみようと思い
車でちょろちょろと出かけていったのでした。

この美術館の周辺道路は、
「神戸の街歩き」でよく通るところです。
またここは以前に
「だまし絵展」のあったところなので、



それも超楽しく見に行ったので
場所は分かっていたため
車で迷わず一直線です。

2時間400円の駐車場に車を入れ、
さあでは中へと入っていきましょう。

美術館の中の絵は絶対撮影禁止ですが、
中には宣伝に使われている
絵なんかもあります。

これも怖い絵ですねえ。



こわい殺気に満ちています。

またこれは、自分の首を切り取られる女性が
目隠しをされて、
ざん首台を探している絵です。



横にいる女性の身内の顔が
すごい顔になっています。

ほかにもパッと見ただけでは
こわくないのに、
背後の宗教の絡んだところを見ると
飛び上がったりと、
静かな鑑賞でしたが
体の内部の方でドキドキが続きましたね。

まあ、こんな怖い絵は描けないですね。
doironの絵はせいぜい
かぼちゃが地球になっているくらいの
穏やかさなので
(あ、カレンダーのない人にはわからんか)
安心してご覧ください。

「怖い絵」展、よかったですねえ。
体温を2度ほど下げて
もらったような気がします。

で、この日はこれで終わりかというと、
そうではありません。
あともう一館、神戸市立博物館にも
行くことにしました。

ここは、9月24日までは、
神戸の「開国への潮流」と
いう展示をしています。



ここんところ神戸には
よく来ています。

神戸市内を歩くリボン通りも
まだ途中だし、神戸のなぎさ海道シリーズを
歩く予定にもしており、
開港150年を迎える神戸港の歴史を
眺めておこうと行くことにしたのです。

あ、もちろん入館券も
いただいてましたのでね。

では三宮の公園駐車場に
車を止めてぶらぶらと
歩いていきましょう。

あ、でもお昼ですねえ。
ちょっと食堂で飯にでもしましょう。

ちいさなお店でハヤシライスが
うまそうなお店があったので入りました。

ここのお店のママさんが
まるで常連さんみたいに
親切にしてくれましたね。

「ハヤシライス、大盛にしといたから~」
とか言って出してくれます。

うん、うれしいけど、
ダイエット考えたら悲しいな。



でもこれくらいの量ですから
いいかな。

飲みに来たらかなり
賑やかそうなお店のようです。
博物館はもうこの店の近くです。



ここは以前北斎展をしていたので
来たことがありますね。
あの時は大混雑でした。
こんかいは比較的すいていて、
昔の資料や写真をじっくり
見せてもらえました。

勉強という意味では
こちらはよかったですね。



神戸で2館の美術館・博物館を
見学した1日。

まあたまにはこんな
静かなひと時もいいでしょう。


明石を歩いた証7

2017年09月13日 22時22分50秒 | ウォーキング

さあ、明石の街中歩きも
順調に進んできました。

暑くって大変でしたが、
水分をよく取り汗をかきかき
歩き続けましたよ。

まあこの辺で約11キロほどを
歩きましたねえ。

歩きの最後にずっと期待していたのが
商店街のお店で明石焼きを
食べながらの生ビールでした。

さあでは商店街に入っていきましょう。



途中はあまり観光客はいませんでしたが、
この辺はさすがに多いですねえ。
昔一度ここへ来たことがあります。
結構魚のお店が多く、
ちょっと生臭い感じがした
記憶があるんやけどねえ。
いまはすっきりとお店が並んでいます。

鮮魚はもちろん、干し魚、平天、



かまぼこから精肉、果物、酒屋なども



並んでいます。

中でもすごいのがやはり
明石焼きのお店ですね。

商店街の中にいくつかあるのですが、
どこも超行列です。

店の外に席の開くのを
待つ人がずらーっと並んでいます。

え~こんな行列の中で待つの?

それに中に入っても
一人で生ビール飲みながら
明石焼きつつくなんて
落ち着いてでけへんやん。

これくらいやったら電車で帰って、
近所のお店でたこ焼き買って、
家で飲む方が落ち着くで~
とか言いながら、
横筋なんかも眺めてみます。

でも明石焼き屋はいっぱいです。

どうしようと悩みましたが、
まあ明石やったら商店街の中で
なくてもいいやんと思い直し、
歩いてきたコースをちょっと
戻ってみます。

するとちょっと離れたところに
ある劇場の横に店が
あるのを見つけました。



見ると席はいくつか
開いているようです。

外のメニューを見ても
高くもないし、いい感じです
入りましょう。

「こんちは」と入っていきますと、

「あ、劇団のスターは楽屋に届けますよ」
と返事があるかと思ったのですが
「開いてるとこにどうぞ」
と案内してくれます。

ちっちゃなテーブルに座って、
注文したのはビールと
明石焼きとタイ飯です。

まあ、とりあえずビールを先に
頂戴といって歩行終了の
乾杯をしました。



コースを振り返りながら
待っていると、おお~
やってきました。

これが明石焼きです。



スープにつけつつ食べるのですが、
焼き立てで熱いこと。

最初はハフハフ言いながら
食べました。

汗をかいた体はクーラーで
冷えてきていたのですが、
今度は中から温められます。

それにしても歩いている途中にあった
小さな明石焼きの店も
いっぱいでしたね。

大阪の人がみんな家に
タコ焼きセットをもっているように、
明石の人も家で作ったり
するんですかねえ。

出ないとどこもこんな感じで
いっぱいだったら
大変でしょうからね。

こちらでは明石焼きのことを
「玉子焼き」というそうで、
市民に愛されているような
感じですもんね。

一通り食べましたが、
やはりもう少し足りませんので、
明石焼きだけもう一人前追加。
お店のおねいさんと
話をしていると、
この明石焼きが最終なんだそうです。

「いつももっと店は開けている
のですが、今日はねえ急に思い立って
京都にある親父さんの墓に
参るためにもう閉めよう
と思っているねん」

とのこと

「やあ悪かったね。
追加して悪かったね」
というと
「いえいえ全然大丈夫ですよ」。

ああ、さすがに8月15日の
お盆の出来事でした。

店を出て、再後に駅から少し
離れているところにある、
明石公園の入り口と



織田家長屋門を見に行って、



明石見学は終わりです。



全部で13キロくらいの
旅でしたが、いろいろと
みるところもあって、
結局ブログも7話に
なってしまいました。

帰りの新快速はビールの
眠気もあってかなり居眠りを
してしまいました。

よくぞ京都や滋賀まで
行ってしまわなかったことです。

子午線にしっかり
触れてきましたので、
時間を大切にしつつ
もっと遊ぶぞ~と誓った
doironなのでした。

終わり


明石を歩いた証6

2017年09月12日 22時21分15秒 | ウォーキング

明石川を、嘉永橋、





JR神戸線、明石大橋とこえて
歩いていきます。



ああ、このつるはもしかして
マメダオシ?
だったらとっても希少ですねえ。



鳥は結構いますねえ。





川の向こうではテントを
立ててなにかイベントを
しているようです。
お盆やもんなあ。
そして最後の橋である
大観橋をこえたところで



河川敷を上がっていきます。



ここから住宅街の方へ入っていきます。

この辺りは、源氏物語の
ゆかりの地として知られます。
もう海がすぐそこなんですけど、
昔からこの地域は人のいる
所だったんですねえ。

無量光寺というお寺は、
光源氏が月見を楽しんだ寺
といわれています。お

寺の縁側で女性にもたれかかられながら、
月を見る。
ふむふむ、いいですねえ。
こうして光源氏がお寺に通ったり、
ウロウロと歩いた道は



「蔦の細道」という名で
今も保存されています。



それにしてもこの光源氏の物語は、
まあその当時週刊誌なんかがあったら、
取り上げられ方はすごいでしょうねえ。
それを文化とみるなら、
もうあんな風にぐちゃぐちゃに
政治家の男女関係をとりあげて、
ああじゃない、こうじゃない
といつまでも騒ぎ立てるのは
もうやめたらいいのにねえ。

と、そんなことを考えながら
歩き続けます。

狭い住宅街を抜けていきますと、
ちょっと広い公園に出ました。
その公園の片隅に、
さきほど明石川の対岸に
見たようなテントが
建っているではないですかあ。



ああ、この辺では今の時期に
なにかイベントごとが
あるのかなあと思い、
ジュースを買ったお店のおばさんに
聞いてみたら、ああそうかあって
感じでしたね。

この日は8月15日。

あちらこちらで
こんなテントを立てているのは、
お盆の精霊流しを
しているんだそうです。

実際に川に精霊を流すと
環境汚染になるので、
こうして一か所に精霊を集めて
流しごっこをしているんだそうです。

ああお盆ならでは光景だったんですねえ。



ここには町の風呂屋さんがありますよ。
名前は名月湯。
きっと光源氏の月見から
来ているんですかねえ。

この先のところで看板を見てたら、
明石焼きのお店があるようです。
そこがねえ、
「うひゃー、ここは元祖明石焼きかなあ」
というくらい、
もうたくさんの客で
いっぱいになっています。

おいしいかもしれませんが、
まだdoironは歩き続けないといけません。
駅近くの商店街

「うおんたな」

まで我慢しましょう。
広い道路沿いをしばらく
歩いていきますと、
今度は岩屋神社に到着します。



毎年海の日あたりに
おこなう「おしゃたか舟」という
海洋神事が有名なところです。



この岩屋はあの淡路島の
「岩屋」を表すんですね。
淡路の岩屋の神を
明石の6人衆がお迎えする
という神事です。

「ここにおっしゃったか
(おいでになったか)」

というところから、
この「おしゃたか神事」でにぎわい、
今は明石市の無形民俗文化財に
指定されているのです。

ああ、doironもこの地域の人間だったら、
絶対に6人衆になったことも
あるでしょうねえ。

いずれにしてもこの地域は
海に関するところですね。

しばらく歩くと漁港に出ていきます。



明石の漁港といえば、
まず最初に浮かぶのが「蛸」ですねえ。

ここで捕まえられたのが、
明石焼きにもなっていくのですねえ。
どっかその辺を
蛸が歩いていたりしませんかねえ。

その漁港の端っこにあったのが
「築港の灯台」(旧波門崎燈籠堂)です。



木で出来た灯台で、
1657年に明石藩主の
松平家によって作られたもの、
旧灯台としては近畿では
二番目に古いといわれています。

では一番目はというと、
きっと堺のあの灯台でしょうねえ。



さあそんな灯台を見ながら、
歩くコースも終盤になってきました。
港を進んでいきますと



舟のたまりがありました。







奥まで行くと
狭いところに船がびっちり
止められています。

むむ~一番奥の船を
出すときはどうするんやろうねえ。

続く


明石を歩いた証5

2017年09月11日 22時19分43秒 | ウォーキング

ここから道はお墓の中を通っていきます。

たまに墓の中には、
大阪とは違った形の墓もありますねえ。
よく見ると舟型のお墓があると、
資料には書かれてありましたが
見つけることはできませんでした。
まあ、あんまりお墓ばかり
集まっているところで
写真もどうかなとか思いますしね。

さあここで明石神社の方に
入っていきます。



ここではこれが有名です



「ときうち太鼓」というのが
置かれています。



昔、明石城の門のところで
時を打っていた太鼓だそうです。

あれ?城ってどこも
そうしてたんでしょうか?

いやあ、その辺はよくわかりませんねえ。
ネットで調べてみたら、
明石城はやはり有名でしたが、
ほかにも弘前城や土浦城なんかも
していたようです。
でも、明石城の太鼓はやはり
一番先に出てきますねえ。

今でこそ子午線の町を
うたっている明石なのですが、
こんな昔から太鼓で時刻を知らせる
というような取組にしっかりと
向き合った町を送ってきたんですねえ。
ちょっと奇遇です。



え~っと、「じかん」に厳しい町は
「ちかん」にも厳しい町となっています。
あ、痴漢にやさしい町はありませんね。
それにしても
立派な看板が立っていますねえ。
え~doironは決して何も
悪いことはしていないんですよ。

でももしどこでも、
こういう看板を各地にあげられたら、
おっさん一人歩きも、
警戒されまくりになってしまいますねえ。
世の中のひとりで歩くおっさんの
純朴ぶりを、doironはもっと
はなっておかないといけませんね。

え~では純粋なおっさんの顔になって、
明石市立文化博物館は過ぎて、



明石公園の中に入っていきましょう。



ここは都会の中にあって、
たくさんの緑に囲まれた
オアシスのような存在。



「日本の都市公園100選」

「桜名所100選」にも
選ばれている。

緑が気持ちいいです。



そしてこの公園の中にある
明石城が阪神淡路大震災後に



修復されて、その塀なんかは
中から明石の町が見下ろせる
ようなしっかりした展望台に
なっています。



ああ。こちらが駅の方ですねえ。

魚の棚、俗称「うおんたな」は
こっちの方かなあ。

あとで明石焼き行くから
待っててね~とサインを
送っておきました。

ここから、明石公園のマンふた見ながら



剛ノ池の方に行きます。



あ、途中戦争関係の
明石空襲碑がありました。
建てられたのは、後のこの日
8月15日ですねえ。
イベントもなにもされていなかったです。

さてこの公園内の池は
乗って遊べるボートなんかがあるそうです。
よく見ると、アベックなんかが
乗って楽しんでいるようですね。

むむむ~、石投げるよ
なんて言いながら
ぐるりんと回っていきます。
ふん、行かない方が
よかったかもしれません。

公園内の陸上競技場なんかも



眺めながら、公園の出入り口に
さしかかると、ちょっと
高齢者の集団が見えます。



しかもなんか楽しそうですねえ。

そこはなんと将棋クラブでした。

正式名所は「明石公園将棋同好会」で、
そこには年会費とか書いて
貼ってありましたね。
あの藤井四段の将棋事件で
きっと盛り上がっているんでしょうねえ。

では、doironの将棋はといいますと、
駒の動かし方のルールしか知らない
ミセスには何とか勝てそうな感じです。へへ。

さてそこからはコースはもう
一般道に出ていきます。

市営住宅の団地の中を抜けて
西へ向かって行きますと、
明石川の川に沿った道に出てきます。





この川は二級河川だそうです。
河川敷はそこそこきれいに
していますがねえ、
もう一つ整備に対する
思い入れはたりないですねえ。

ちょっと時計を意識したような
作り物も草に覆われていたり、



ところどころにごみもありますねえ。

これだったら、泉大津の河川敷の方が
うんときれいですね。

今月の23日に行われ、
doironもスタッフで参加する、
市民主催の3時間走のような大会が
以外に河川敷の活用を
活性化させてていいのかもしれませんね。

大津川はきれいやもんなあ。
興味のある方見に来てください。

続く