Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

「志田窯の染付皿」

2020年08月05日 11時02分41秒 | 古伊万里

 「伊万里 志田窯の染付皿 ー江戸後・末期の作風をみるー」(小木一良・横粂 均・青木克巳著 里文出版 平成6年10月25日発行)を読みました。

 

 

 

 といっても、この本を読んだのは初めてではありません(-_-;)

 多分、この本が発行されて間もなくの平成6~7年頃には一度は読んでいるはずです。でも、その時は、読んでみて、「なんだ、伊万里の江戸後・末期の染付皿に関する本か! あまり興味ないな!」ということで、一度読んだきりで、そのまま書棚の奥のほうに追いやってそれっきりにしていたものです(-_-;)

 しかし、最近(2020年7月30日付けで)、「伊万里 染付東屋山水文小皿」を紹介しましたところ、肥前陶磁器に非常に造詣の深い森川天さんから、「これは、志田窯のものではないでしょうか」とのコメントいただき、「あれっ! これは志田だったのか! これまで、古伊万里を買ってはきたけれど、志田窯のものを買ってきた記憶がないけれどなぁ、、。もう一度、志田窯について勉強しなければな~」と思い直したところです。

 その後、まだこの本を再度読み始まらないうちに、その翌日に(2020年7月31日付けで)、「伊万里 染付墨弾き梅花文輪花小皿」を紹介しましたが、江戸後・末期の染付皿については、それが古伊万里なのか志田窯のものなのか全く分からなくなってしまい、その時は、取り敢えず、「これも、志田窯のものかもしれません。」として紹介したところです(><)

 ということで、これから、江戸後・末期の染付皿を紹介していく自信を失ってしまいましたので、慌ててこの本を読み直した次第です。

 

 読み直してみましたら、一度は読んだことがあるのに、この本の内容をほとんど忘れていることに気付きました(><)

 

 私は、これまで、「古伊万里」を、概略、有田周辺で作られ、伊万里港から出荷された磁器と理解してきましたが、この本を読み返して、この志田窯製品も、おおむね、その製品の範疇に属していたことを認識した次第です(-_-;) 

 これまで私が「古伊万里」と思っていたものには違いはなかったんですね(^-^; 志田窯のものは、平戸藩の製品の平戸焼(三川内焼)や大村藩の製品の波佐見焼のように、佐賀藩のものとは関係のない、有田皿山とは関係のないものと思っていたのが間違いであったことに、まず気付かされました。

 

 まず、それを知ったところで、この本を読み進めたところですが、概略、次のようなことが書かれていることを知りました。

 

① 志田窯は、佐賀県嬉野市塩田町所在の窯で有田内山から東南東へ約17kmの地点にあること。また、志田窯は、鍋島本藩領に属する東山と鍋島支藩の蓮池(はすいけ)藩領に属する西山があること。

② 幕末期志田皿山の登り窯数は、蓮池藩領内の西山に3基、鍋島本藩領内の東山に2基、合計5基あったこと。その合計の窯規模は、伊万里全山の20%近くを占めていたと思われること。

③ 東山は鍋島本藩領の有田皿山代官所管轄で、西山は鍋島藩の支藩の蓮池藩領の吉田皿山代官所管轄であったこと。従って、内山、外山、大外山という有田皿山代官所の分類によれば、東山は、大外山に属すこと。いっぽうの西山は、有田から見れば、鹿島藩等の窯と同様、私領の窯、或いは支藩の窯ということになり、大外山ではないこと。

④ ただ、東山窯と西山窯は、江戸後期になって磁器を焼き始めてはいるが、仲違いをしていたわけではないこと。両窯は、白化粧の技術や、発色、絵柄の雰囲気等、ほぼ同一のもので東西間の差異は認めにくく、中には全く同一の製品も認められること。磁器製品では、江戸期の最後までには東西が合体したような姿になっていったこと。

⑤ 志田では、文化年間に、各方面にわたって大きく変貌していったことが見てとれること。現在、古伊万里として紹介される志田製品のほとんどは文化以降のものと思われること。

⑥ 志田染付皿は、その知名度の低さにもかかわらず、後期染付皿としての普及度は極めて高く、骨董店、骨董市などの店先には必ずといっていいほど志田製品を見かけることが出来るところであり、大量に生産されていたことの証であること。

 

 また、志田窯の製品の特徴としては、

① 染付の発色効果を上げるため、素地に白化粧(エンゴベー)を施している場合が多いこと。

② 主文様のみを絵画調に大胆に描き、主文様の他に他の文様を添えない場合が多いこと。

を挙げていました。

 

 

 そこで、この本に書かれていた、志田窯製品についての特徴から、先に紹介した「伊万里 染付東屋山水文小皿」と「伊万里 染付墨弾き梅花文輪花小皿」が、それぞれ、志田窯製品であったのかどうかを検討してみますと、「伊万里 染付東屋山水文小皿」のほうは、上記①及び②の特徴を具えていますので、志田窯の製品であったものと思われます。しかし、「伊万里 染付墨弾き梅花文輪花小皿」のほうは、上記①及び②の特徴を具えてはいないようですので、志田窯の製品ではなく、普通の有田窯の製品であったものと思われます。


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2 コメント

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Dr.kさんへ (遅生)
2020-08-05 18:16:27
確かに、1と2の特徴で見分けられますね。
そういう目で見ると、あの二つの皿も、伊万里は全体が白くきれいなよく精製された生地ですし、志田の方はボテッとしていますね。裏側に模様の無いのも、昔習った江波の特徴そのものです。
確か、色絵が入った江波皿(伝)があったようにも(^^;
探してみます(^.^)
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遅生さんへ (Dr.K)
2020-08-05 18:48:07
これまで、志田窯については興味がなかったものですから、勉強もせず、買いもしなかったものですから、志田窯については全く知りませんでした。
ところが、実際には、志田窯のものも紛れ込んでいたことを知り、慌てました(-_-;)

この本に依りますと、①と②の特徴を具えているかどうかで、概ねは判断出来そうですね。
「伊万里 染付東屋山水文小皿」のほうは、光線をかざしたりして、よ~く観察してみますと、裏面の口縁近くに白化粧をした痕跡が認められました。また、文様も主文様の山水文のみですものね。
「伊万里 染付墨弾き梅花文輪花小皿」のほうは、白化粧はしていませんし、文様も、幾つか組み合わされていて、何が主文様なのか分かりませんものね。

色絵が入った江波皿(伝)をお持ちなんですか。
江波焼のほとんどが志田窯に移籍されてしまった現在では、今となっては、数少ない、本歌の江波焼の皿なんでしょうか、、、。
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