今回は、「金銀彩 山水文 変形小皿」の紹介です。
なお、この「金銀彩 山水文 変形小皿」につきましても、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところですので、次に、その時の紹介文を再度掲載することをもちまして、この「金銀彩 山水文 変形小皿」の紹介とさせていただきます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー235 伊万里金銀彩山水文変形小皿 (平成29年12月1日登載)
表面
裏面
銀彩を施すことなく、染付に金彩と赤のみを施したものも「金銀彩」というようである。
この小皿は、文様としては染付のみで十分に完成していると思われるのに、蛇足的に「金銀彩」を加えている。装飾過剰なのだが、当時は「金銀彩」がいかに人気が高かったかを立証する証拠品といえよう。
また、この変形皿の形もよく見かけるものであり、当時は、この形も人気が高かったのであろう。
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代前期(万治~寛文前期)
サ イ ズ : 長径;17.3cm 短径;12.3cm 高さ;3.1cm
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*古伊万里バカ日誌163 古伊万里との対話(山水文の変形小皿)(平成29年12月1日登載)(平成29年11月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なご隠居さん)
紅 溶 き 皿 (伊万里金銀彩山水文変形小皿)
・・・・・プロローグ・・・・・
主人は、今回も、主人の所にやってきた古伊万里の順番にしたがって対話をするつもりなようである。
そこで、さっそく、該当する古伊万里を押入れの中から引っ張り出してきて対話をはじめた。
主人: お前のことは、平成25年の10月に、或る骨董市から買ってきたんだ。少し前に買ってきたような気がするんだが、もう丸4年が経過したんだね。久しぶりだね。
紅溶き皿: ご主人の所に来てから、もう、4年が経過したんですね。お久しぶりです。
ところで、私には銀彩は施されていないと思うんですが、それでも金銀彩と言うのですか。
主人: そうなんだ。染付のうえに赤と金彩だけを施したものも金銀彩と言っているようだね。また、金銀彩は、作られた年代が割りと限られているので、安心して買える古伊万里ではあるね。その辺のことについて、『[伊万里]誕生と展開─創成からその発展の跡をみる─』(小木一良・村上伸之著 創樹社美術出版 平成10年10月1日刊)には次のように書いてあるよ。
「 絵文様としては染付のみで十分完成されているのに、何故多量の金銀彩を加えたのか、その意図が判りにくいほど金銀過剰装飾品が多い。当時は金銀彩がよほど人気が高かったものと思われる。
伝世品類、生産窯出土陶片、及び消費地遺跡出土品などからみる限り、金銀彩は明暦初期頃から始まっていると考えられ、その多くが万治、寛文前半期の頃に集中しているように思われる。 (同書232ページ) 」
この文章からも判るとおり、お前は、染付のみで十分に完成されているのに、その上に、更に、蛇足的に赤と金彩が施されているわけで、典型的な金銀彩と言えるだろうね。それに、お前のような形の変形皿は、その頃の作品によく見られるんだよ。当時は、お前のような形も大変に人気があったんだろうね。そんなところから、お前は、万治、寛文前半期の頃に作られた典型的な金銀彩と言えるわけで、安心して買えたわけだ。
紅溶き皿: でも、典型的なものであればある程、その特徴を掴むのが容易ですから、それに似せて作ることも容易と思われますので、最近作った偽物と言えないこともないですよね。ご主人は騙されたのではないですか。
主人: いたいや、それはないな。自信をもって本物と言えるね。それは、次のような理由からだ。
幸か不幸か、お前は甘手で、全体にわたって細かな貫入が入っているよね。そして、見込み部分には、「紅」のようなものがその貫入の中に染み込んでしまっていて、ちょっと汚らしいよね。それで、私は、その、貫入に染み込んでしまった「紅」のような汚れを消そうと思って、お前を漂白剤の中に何日も浸けておいたんだ。でもね~、いくらやっても、その汚れは消えなかったよ。ついには諦めた。ということは、お前は最近作られたものではないという証拠だね。最近作られたもので、最近その貫入に染み込んだ汚れならば、漂白剤に浸けると簡単に消えるからね。お前の汚れは、長い年月をかけて深く貫入に染み込んだ汚れだということが分かったんだ。
紅溶き皿: なる程。そうでしたか。了解です。
ところで、私の見込み部分に「紅」のようなものが染み込んでいるということは、私は「紅皿」だったんでしょうか。
主人: いや、お前は「紅皿」ではないようだね。
「古伊万里再発見」(野田敏雄著 創樹社美術出版 平成2年12月25日発行)という本の中に、「第八章 江戸女性の化粧美を演出した化粧用具」という項目があるんだが、そこに、「紅皿」や「紅猪口」のことが書かれているんだ。そこには、
「 古代での赤色顔料は、主に水銀朱=硫化水銀(辰砂)と鉄朱=酸化第二鉄(ベンガラ)が使用されたが、藤の木古墳(奈良県)の石棺内から赤色顔料として紅花が発見されたので、六世紀頃には紅花存在の裏付けがされた。そして爪紅化粧の赤色は、平安時代では鳳仙花の赤い汁、江戸時代では紅花(別名呉藍・燕脂)の花冠からとった紅で爪を染めたようである。この紅花は全国各地で栽培され、とくに良質紅の産地は山形県で、当時は紅花百匁から一匁しかとれないために「紅一匁・金一匁」といわれるほど高価なもので、紅餅(花びらを洗い発酵させて餅状にして干したもの)にして江戸や京都に出荷された。
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江戸時代になると、磁器製の紅皿が製作され、回船問屋の隆盛により西回り、東回りの航路が開発されて、全国の流通機構は円滑になった。その当時婦女の憧れの土産物であった「京紅」の代替りとして、船乗り達の使用した伊万里染付豆皿に塗ってもらった紅皿が北海道、東北地方の網元の物置から今も発見されるのである。
紅餅から抽出した化粧紅は、磁製の皿に塗った紅皿、猪口に塗った紅猪口(紅碗)、薄い磁製・金属製・象牙製・蒔絵製蓋付容器に塗った紅板として売出され、指や筆を水でしめらせ、容器にぬりつけてある紅を唇につけたのである。 (前掲書204~205ページ) 」
と書かれているね。
大きさについては、例えば、初期伊万里の白磁紅皿は、口径が1~7cm、高さ1.5cm前後の無文円形の小皿だったらしい。江戸中期以降の白磁紅皿になると、口径が5~6cm、高さ1~2cm前後で、平坦なものと浅い盃形のものが多いらしいね。お前のように大きく(長径:17.3cm、短径:12.3cm、高さ:3.1cm)、しかも変形の紅皿というものはなかったようだね。
そうそう、「紅皿」、「紅皿」といっても、本物の紅皿というものがどんなものなのか分からなければ「紅皿」のイメージが湧かないだろうから、ここで、前掲書に載っている「紅皿群」の一部を紹介しておこう。
前掲書の「紅皿群」の一部の「図219」を転載
なお、「紅皿」よりも深い盃形をした口径5~6cm、高さ3cm前後の磁器のことを紅猪口(紅碗)というようだけれど、これにも内側に紅を塗って販売されたようだね。
また、紅猪口(紅碗)の中には、「高貴な方が使用したと思われる裾から直線的に開いた朝顔形の紅猪口は、内側面にのみ瀟洒な色絵模様が描かれ、外側面は無文である。勿論内面に紅は塗られず、必要ある毎に猪口内で紅を溶かし、指ではなく紅筆を用いて唇に紅を塗られたのであろう。(前掲書206ページ)」というような特殊な紅猪口もあるようだね。
前掲書の「図214」(右)、「図215」(左)を転載
お前の場合は、この特殊な紅猪口(紅碗)とも違うが、用途としては、この特殊な紅猪口(紅碗)のような目的のために使われたんだろうね。紅皿や紅猪口(紅碗)に塗り付けられた紅を、水でしめらせた筆で少量こすり取り、それを一旦お前の見込み面で溶かし、それを紅筆を使って唇に塗ったんだろうね。
お前の貫入に染み込んだ紅のシミは汚らしく、鑑賞にはマイナスではあるけれど、当時、どんな目的のために使用されたかを示す歴史資料としては貴重だね。
<追 記>(平成30年9月15日)
上の紅皿群の画像にも見られますように、紅皿の裏面に染付で笹文が描かれている場合が多いようです。
「肥前平戸焼読本」(野田敏雄著 創樹社美術出版 平成元年5月20日発行)にも、紅皿や紅碗の裏面に染付で笹文が描かれている写真が登場します。
更に、この本には、紅碗の裏面に、染付で、「大坂新町於笹紅」とか「大坂新町玉笹紅」というような文字文が描かれている場合があることも紹介されています(下の画像の右側)。
私は、これらの写真を見ていて、「大坂新町」は、江戸時代の三大遊郭であった「江戸・吉原」、「京都・島原」、「大坂・新町」のうちの一つだったので、紅皿や紅碗に「大坂新町」という文字を書き入れたことは納得できましたが、何故「笹文」を描いたのかな~、何故「笹紅」とか「玉笹紅」と書き入れたのかな~と、長いこと疑問に思っていました。
ところが、先日、nokiさんのブログ「nokiのブログ~歴史好きnokiの骨董・資料コレクション~」の「紅板」という記事(平成30年9月8日の記事)(注:現在、このブログは閉鎖されています)を読んで、長い間の疑問が氷解しました(^-^;
そこには、次のような、「紅板」の写真と紅板についての解説があったからです。
写真:
解説: 紅というと、当然、赤だと思うのだが、紅を何層にも塗り重ねると、このような笹色(光を当てると玉虫色に光る)になる。これを水で溶くと、なんと、赤い紅になるのだ。
紅を何層にも塗り重ねると笹色になるんですね!
そして、そこに光を当てると玉虫色に光るんですね!
これを読んで、何故「笹文」を描いたのか、何故「笹紅」とか「玉笹紅」と書き入れたのかが分かったわけです。
nokiさん、ありがとうございました(^-^;
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この辺の所をまともに研究したら面白いと思います。
江戸後期に緑色の唇化粧が、女性の間で流行っていたことは知っていましたが、玉虫緑が笹紋とつながっているとは知りませんでした。
故玩館にも、下唇が緑色の女性が描かれた屏風(能『砧』の一場面)がありますので、いずれまた紹介します。
そうですか。江戸後期にはそのような流行があったのですね。
紅花の紅を幾重にも塗り重ねると緑色になるので、「緑色の唇化粧」というのは贅沢の象徴を意味していたからなのでしょうか、、、?
故玩館には、下唇が緑色の女性が描かれた屏風があるのですか!
いずれ紹介されることを楽しみにしています(^-^*)
これは、この手の皿の中でも、絵付けと古格からして、名品に入りますね。
染付だけでも十分に成り立っていますが、金銀彩を施したくなる気もわかります。
空に銀の雁などが飛んでいれば最高ですね。
金はどこに施されていたのでしょうか。
ただ、見込面の赤いシミが、鑑賞陶磁器としては欠点になりそうですね(~_~;)
そうですね、空に銀の雁などが飛んでいたら最高ですね(^-^*)
金は、左側に描かれた木の右根元と木の下の赤で囲まれた岩(?)の中に施されています。