今回は、「色絵 山水文 小皿」の紹介です。
これは、平成12年に(今から21年前に)手に入れたものです。
表面
山水文部分の拡大
裏面
生 産 地 : 肥前・有田
製作年代: 江戸時代前期
サ イ ズ : 口径;15.0cm 高さ;2.2cm 底径;9.3cm
なお、この「色絵 山水文 小皿」につきましても、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中で既に紹介しているところです。
ついては、その時の紹介文を次に再度掲載することをもちまして、この「色絵 山水文 小皿」の紹介とさせていただきます。
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<古伊万里への誘い>
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*古伊万里ギャラリー164 古九谷様式色絵山水文小皿 (平成23年11月1日登載)
口縁は輪花形とし、周辺を菊花状に陽刻するなど、細工が細かく、厳しい造形である。
その菊花状の周辺部分に如意頭文をぐるりと巡らして額縁のようにし、その内側に山水文を描いている。
描かれた山水文は、あちこちの典型的な山水文の主題の良いところを寄せ集めたような感じではあるが、描き過ぎもせず、余白をたっぷりととり、「これぞ山水文!」といったところである。
遠景には山並みを描き、雁の群れまで描いている。上空には「月」か「太陽」を緑の点で表している。
近くには、左側の木立の中に2軒の家を配し、中ほどには橋を描いてその上を一人の人物が渡っているところを描き、その先には網干文まで描いている。
これらが細かな筆致でコンパクトに纏められているために、描き過ぎにならず、余白をたっぷりととった詩情豊かな表情となっている。
今、思うに、たかが食器に、ここまで手間暇かけて作る必要があるのだろうか!
現代からみると、鑑賞用に作られたとしか思えない!
昔、本当に食器として使われたのだろうか、どんな方が使ったのであろうか、等など、いろいろと想像してみたくなる器である。
江戸時代前期 口径:15.0cm 高台径:9.3cm
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*古伊万里バカ96 古伊万里との対話(古九谷山水文の小皿)(平成23年11月1日登載)(平成23年10月筆)
登場人物
主 人 (田舎の平凡なサラリーマン)
山 水 (古九谷様式色絵山水文小皿)
・・・・・プロローグ・・・・・
最近、主人は、押入れの中からアト・ランダムに取り出しては対話をしているようである。
でも、幸い、今回は、まぁまぁの物に出会ったようで、気を良くして対話をはじめた。
主人: 暫くぶりだね。お前のことはすっかり忘れていた。「こんなものが我が家に来ていたんだ!」と思ったよ。それで、「押入れ帳」の記載事項を読み直してみてやっと思い出したんだ。平成12年の12月に手に入れているから、もう11年近くなるんだね。
山水: 暫くぶりですね。でも、すっかり忘れ去られるようですから、私は影が薄いんですね(涙)。
主人: 悪い悪い。でも、言い分けがましいが、それにはそれなりの事情があるんだ。
山水: どんな事情ですか。
主人: うん。話は長くなるが、逐一説明していこう。
私が古伊万里のコレクションを始めた40年程前の頃は、「古九谷」なんていうものは、とんでもなく高価なものだった。また、こんな田舎にあっては、とんでもなく珍しいものでもあった。めったにお目にかかれなかったんだ。
骨董は身ゼニを切って買って勉強しないと判らない、とよく言われているが、そもそも田舎の市場(しじょう)には出て来ないんだから、どんなものが本物の「古九谷」なのかを身をもって勉強しようにもそのチャンスがなかったんだ。本や美術館で見て勉強するしかなかったんだよ。
山水: ご主人は古伊万里のコレクションをしていたのですから、「古九谷」のコレクションをする必要はなかったのではないですか?
主人: そうだよね。当時は、「古九谷」は「古伊万里」とは全く別の産地で作られたと考えられていたから、「古九谷」を「古伊万里」のコレクションの対象にする必要はなかったものね。
でもね、古伊万里のコレクターにとっては、「古九谷」は憧れの的だった。「古九谷」の大皿は無理としても、端皿の2~3枚は是非ともコレクションに加えたいものだと思っていたよ。「古伊万里」コレクターにとっては、なんとなく、「古九谷」は「古伊万里」の延長線上にあるように思えたのかな。潜在意識として、「古九谷」は広義の「古伊万里」に含まれるのではないかと感じられていたのかもしれないね。第六感から、「古九谷」は広義の「古伊万里」に属すると思われていたのかもしれないな~。
それが、だんだんと、「古九谷」というものは、どうやら古い九谷焼ではないらしい、本当は有田で作られたらしい、本当は「古伊万里」に属するらしいという見解が広まってくるにしたがい、少しずつ市場に出回ってくるようになり、値段も馬鹿みたいに高くはなくなってきた。私なんかでも頑張れば買えるような値段になってきた。これまでは需要があっても、極端に供給が不足していたが、それが少しずつ供給されるようになってきたので、需要と供給という経済法則が働き、価格が下がってきたのだろう。
それにしても、どうしてなんだろうね。「古九谷」の贋物が作られて、それが市場に出回ってきたのなら話はわかるが、真物が出回ってきたんだよね。それまでも存在はしていたのに、何処かにか隠れていたんだよ。何処に隠れていたんだろうね。大きな謎だね。
山水: 「古九谷」を巡る事情はわかりました。でも、それが、どうして、ご主人が私を忘れ去る理由になるんですか?
主人: まっ、そう慌てなさんな! 話は最後まで聞いてくれ!
そんなことで、「古九谷」がポツリ、ポツリと市場に出てきて、それを買うことが出来るようになった時には本当に嬉しかった。最初の2~3点を買う頃までは天にも昇るような気分だった。「私だって「古九谷」を持ってるんだぞ!」と言えるからね!
それが、だんだんとポツリ、ポツリと買い進むうちに、「古九谷」を買ってもそれ程の感激がなくなってしまった。「古九谷」を買っても、上手の「古伊万里」を1点追加購入した、という程度にしか感じられなくなってしまった。お前を手に入れた平成12年の頃はもうそのような心境になってしまっていたんだ。ちょっと気に入ったものがあるとヒョイと買ってきては間も無く押入れに入れ、ヒョイと買ってきては間も無く押入れに入れ、というような状態になってしまっていたので、お前を手に入れた際の感激もあまりなかったわけで、お前のことも間も無く忘れ去ってしまったわけさ。
山水: それでわかりました。「古九谷」を見慣れてしまったということですね。
主人: そうだね。見慣れたというか、見飽きたということだろうね。
ところで、見慣れたとか見飽きたということに関して、お前を見ると思い出すことがあるんだ。見慣れているとか見飽きているということで、ジックリと真剣に見もしないでパッと安易に買うと、と言うか、慢心して安易に買うと、思いがけず、贋物に引っ掛ることがあるから気をつけねばならないということを・・・・・。
それはこういうことなんだ。
お前を購入したのは平成12年12月17日なんだが、それから間も無くしてのこと、「古伊万里赤絵入門」(中島誠之助著 平凡社 平成12年6月21日刊)という本を読んでいたら、その中に、
「 少し気になることは、かつて古伊万里や鍋島の目利きとして腕をならした「赤絵屋」のご主人たちの数人が、1960年代の前半頃、自分の所蔵していた古伊万里赤絵の名品の複製品を製作して、知り合いの好事家たちに頒布したり贈物にしたことです。それらは大変に上手な作品で、現在もしこれらの「写し」が巷間に出回った場合、よほどの目利きでなければ、時代の真贋を見分けることが困難と思われるのです。私は現にそれらしい品物が色絵古伊万里の展覧会などに、一流の名品にまじって古伊万里として展示されている事実を目撃したことがあります。」 (同書33ページ)
という文章があったんだよ。
それを読んでドキリとしたね。お前を買う際、よくも見もしないで買い、間も無く押入れに入れてしまったからね。それで、「あれっ、先日買ってきた「古九谷」は本当に古いものなんだろうか?」と慌て、急いで押入れから出し、再度じっくりと点検したよ。
山水: それでどうだったんですか?
主人: うん。でもね~、骨董品の時代の真贋の見分けなんていうものはなかなか難しい。新しいと思って見れば新しく見えるし、古いと思って見れば古くも見えてくる。迷い出したらきりがないな。結局、第一印象が第一ということにして、お前はやっぱり真物ということにした。
山水: 時代の真贋の判定というものはそんなものなんですか・・・・・。
主人: そんなもんさ。今のところは、長年の経験と勘で判断するしかないね。精密な複製品など作られたら、見破るのはかなり難しいよ。
そのうち、すごい機械が発明されて、古伊万里をその機械にかけると、「はい、この古伊万里は江戸時代の延宝です。」とか「はい、この古伊万里は江戸時代の元禄です。」というような回答が得られるようになるかもしれないね。
山水: そうなると助かりますね。皆さんも安心出来ますね。
主人: しかしね~、骨董品のコレクターなんてものは、本当はそんな機械の出現を歓迎してないかもしれないな。
身銭を切って骨董品を買って勉強し、時代の真贋の判別能力を高めようと努力するところに骨董の醍醐味があり、そこに喜びを感じるものだよ。間違って新しい物を買ってしまった場合は悔し涙に濡れ、授業料と思って諦め、リベンジを誓うというところにも或る意味での喜びを感じるものだよ。
山水: そんなものですか。
主人: コレクターにはそんな心理が働くな。損な性格なのかどうかは知らないが、まっ、本人が楽しけりゃそれでいいんだろうよね。
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私は華麗な五彩手よりこういった古九谷が好きです。
(五彩手の優品は絶対に買えないので・・・)
牧歌的な絵柄と緑を中心とした色使い、そして凝った成形
「渋右衛門」ならぬ「渋古九谷」といった雰囲気がある魅力的な品です。
これ、普通の「赤」を使っていないんですよね。紫色っぽい赤なんです。変わってますよね。
全体の雰囲気が寒色系なんですよね。
それで、普通の古九谷様式のものとはちょっと様相が違っていますので、もしかして新しいものなのかなと悩みました。
でも、多分、古いものなのだろうと思っています。
なるほど、「渋古九谷」といった雰囲気ですか(^-^*)
雁も効果的です。これで、雄大さがさらに増していますね。
この皿を見ていると、緑手という新たなネーミングが浮かんできます。(^.^)
青手古九谷から五彩手古九谷への過渡的な様式のようにも思えますよね。
なるほど、「緑手古九谷」ですか(^-^*)
ネーミングとしてはピッタリですね(^_^)