「赤備えの鬼武者 井伊直政」(近衛龍春著 毎日新聞出版 2017年4月5日発行)を読みました。
内容は、彦根藩初代藩主となった井伊直政の生涯を記したものです。
直政は、幼くして城を追われ、命を狙われ、一度は一族が滅びる憂き目を味わいましたが、徳川家康の目に留まり、家康の小姓となりました。
その後、家康に可愛がられ、数々の武功をあげ、徳川家譜代の武将をも上回るようになり、徳川家随一の武将にのし上がっていきました。
家康は、直政の無鉄砲な武者ぶりだけでなく、彼に備わった、外交的な能力も高く評価したようです。
直政は、関ヶ原の戦いの際に負傷し、その傷がもとで慶長7年(1602)2月1日に42歳で亡くなるわけですが、本書では、彼の若かりし頃から亡くなるまでの波乱に満ちた生涯を、詳細に、かつ、生き生きと描いています。
徳川家譜代の大名をも越えて行くというのは相当な実力だったんでしょうね!(^^)
嘘か本当か容姿も淡麗だったという話もありますし、二物も三物も与えられた人物に思えました(^^)
pada自身は安政の大獄が、あまりにも有名過ぎて暗いイメージで、どちらかと言えば井伊家については避けている様な気がします。
実際には、ここの城下は綺麗で、いかにも「青春の城下町」に出てくるような感じです。
そう言えば、吉永さゆりさんの、青い山脈はここでロケしてます。
未だに、その時の面影が残っている、いい街ですよ。
その血は受け継がれてたようです。井伊直弼は有名ですが、曾孫の16代当主、直愛は水産学者にして、戦後、彦根市長を9期36年間つとめた人物です。
井伊家は、何かしら一本の血筋が通っていますね。
また、それだけに、嫉妬もされたようですけれど、それをも跳ね返していったようですね。
天は、二物も三物も与えたのでしょうね(^-^*)
私もそれにあやかりたいです。でも、もう遅いですけれど、、、(~_~;)
井伊家と言えば、井伊直弼の桜田門外の変がありますので、水戸とは、いまだにギクシャクしたものが残っているように感じます、、、?
そうですか、ここの城下は、いかにも「青春の城下町」というな感じの街ですか。吉永さゆりさんの、青い山脈はここでロケされたのですね。
私はまだ、この街に行ったことがありません。是非、一度は行ってみたいです(^-^*)
それにもかかわらず、家康は、井伊直政に島津との交渉をさせているんですものね。
やはり、家康は、直政の外交的な手腕を高く買っていたのでしょうね。
井伊直弼の曾孫の16代当主は「水産学者にして、戦後、彦根市長を9期36年間つとめた人物です」か。市長を9期36年間もつとめるような人物は希有な存在ですね。
確かに、「井伊家は、何かしら一本の血筋が通っていますね」。