「陶説」(公益社団法人 日本陶磁協会発行の月間機関誌)の№830号(令和4年8月号)を読んでいましたら、「著者が案内する、やきものブックガイド」というコーナーに面白い本が紹介されていることを発見しました。
このコーナーは、やきものに関する本が発行された際、その著者が、自ら自著を紹介するコーナーとなっているわけですが、そこに、著者の八條忠基氏(有職故実研究家/綺陽装束研究所主宰)が、自著の「宮廷のデザイン ──近世・近代の御下賜の品々」(平凡社 2021年11月12日刊行 2,420円(税込み) 126頁)という本の紹介をしているのを発見したからです。
古伊万里を収集していますと、たまに、江戸時代に宮中で使用されたであろうと思われる食器に遭遇することがありますが、果たして、それらが本当に宮中で使用されたものなのかどうかが分りませんでした。古伊万里に関する本で、その辺を取り扱って書いた本は見当たらなかったのです。
その点、この「宮廷のデザイン ──近世・近代の御下賜の品々」という本は、ズバリ、江戸時代に宮中で使用された古伊万里について言及していますので、古伊万里の収集にも大変に参考になると思いましたので、次に、この本の紹介文の一部を転載して紹介したいと思います。
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八條忠基著「宮廷のデザイン ──近世・近代の御下賜の品々」の表紙
(「陶説」№830号(令和4年8月号)から転載)

葦田鶴文皿(あしたづもんさら) 江戸時代 高2.0cm 径10.8cm
(「陶説」№830号(令和4年8月号)から転載)

亀甲合わせに群鶴文皿(きっこうあわせにぐんかくもんさら) 江戸時代 高3.6cm 径18.8cm
(「陶説」№830号(令和4年8月号)から転載)

葦田鶴文皿(あしたづもんさら) 江戸時代 高2.5cm 径12.2cm
(「陶説」№830号(令和4年8月号)から転載)
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自然を愛するデザイン
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「宮中の食器には菊花御紋章があるだろう」そこまでは誰しもが想像できることなのですが、江戸時代の宮中食器はそれに加えて自由闊達、そして何よりも自然の風情を大切にしたデザインを施したのです。
平安時代以来、天皇や公家たちは自然を愛し敬い、自然と同化すること、自然を身近に感じることを大切にし、生活の基本に置いてきました。食器のデザインもそうした感性から生まれたものでしょう。
自然とはアシンメトリーなものです。ですからそれを模したデザインは規律性・統一性を無視したものとなり、手描きによる染付の技法によって、有田の辻家(辻常陸)をはじめとする上絵師たちが自由に描いたのです。類似はしても二つとして同じものはなく、そこがまた宮中食器の魅力でもあるのです。
細かい瑕疵を気にしない
江戸時代の宮中食器を見ますと、近代以降の西洋食器では絶対に使用されないような窯疵のあるものが、わりと多いことに気がつきます。目跡は当然として、明らかに瑕疵となるであろう底割れ、ホツ、降りモノなども、さほど気にされることなく宮中で使用され、伝来しています。
現在の宮中のイメージからすれば決して許されないであろうこうした瑕疵も、江戸時代は瑕疵としては扱われなかったこと、これもまた時代を感じさせてくれるものといえるでしょう。その大らかさには少々驚かされ、当時の宮中内の精神が自由だった様子が想像できます。またそうしたことの背景には、食器たちが「使い捨て」であったこともあるのでしょう。
毎月遡日に総取り替え
江戸後期の宮中食膳を記した『禁裏御膳式目』に「御茶碗ハいまり焼也、尤御茶碗一ヶ月限毎月遡日ニ替り申候」とあるように、原則として食器の使用は一ヶ月限りで、毎月の一日にすべて新品に取り替えたのです。京都御苑の発掘調査でも大量の破棄された食器類が出土しますが、割れて使えなくなったというよりも、毎月割って処分したということです。いかにも勿体ない話に思えますが、今流行の「断捨離」とでも申せましょうか。伊勢の神宮の寝殿を二十年で建て替えるように、常に新鮮であることを大切にする「常若」の考え方も影響していたのでしょう。
食器の下賜
そうしたことから宮中において食器に対する執着心は薄く、陪膳の公卿や配膳係の女官たちに食器が下賜されることもしばしばありました。下賜された品は、公家たちが世話になった人や出入りの商人に下げ与えることも多く、頂戴した者は桐箱を拵えて家宝として大切に保存し、伝来しました。このため京都市内には数多くの宮中食器が出回るようになります。
近代の宮中祝宴においても、直接口を付ける酒盃はそのまま持ち帰ることが許されていました。これは他国には見られない風習で、明治二十年(1887)頃に宮中式部顧問をしていたドイツ人、O・V・モールは「ミカドの誕生日のすがすがしい思い出を家族一同の中に保持してゆくためにも、これは全く魅力的な風習であった」と語っています。この風習は現代においても受け継がれており、宮中諸行事で使用された酒盃は、宴席で食べ残した折り詰めと共に、持ち帰って良いことになっています。
このように江戸時代から現代にいたるまで大量の宮中食器が下賜されたのです。陶磁器は割れ物ですが、大規模な本格的空襲被害を受けることがなかった京都では、比較的多数が現代に遺ることになりました。そうした品々をコレクションすることは日本の伝統文化の一ジャンルを守ることでもあり、散逸・海外流出を防ぐことが大切であると考えております。
本書を制作する上で最も苦心したのは、いかに多様なデザインのバリエーションを確保するかということで、コレクションを心がける上での重要ポイントであったといえるでしょう。
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以上が八條忠基著の「宮廷のデザイン ──近世・近代の御下賜の品々」の紹介文の一部です。
この紹介文の一部を読んで、これまで、全く五里霧中の存在だった江戸時代の宮中食器のことが、少し分るようになりました(^_^)
また、これを読んで、私も、ささやかではありますが、宮中食器を、これまでに2点ほどコレクションしていたのではないかと思うようになりました。そして、それは、このブログでも既に紹介しているところです。1点は「染付 菊花帆掛舟図 中皿」で、もう1点は「染付 家紋文 小皿」です。
これら2点が宮中食器であるならば、私も、ささやかではありますが、「日本の伝統文化の一ジャンルを守ること」に貢献し、また、「散逸・海外流出を防ぐこと」にも貢献しているのではないかと自負しております(^-^*)