Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

墓参

2022年08月15日 13時30分33秒 | 墓参・法事・葬儀

 昨日は、恒例の墓参に行ってきました。

 昨日の朝は、この辺は、台風一過の晴天とまではいきませんでしたが、まずまずのお天気で、曇り空でした。でも、その後は、やはり、“台風一過の、、”のとおり、だんだんと良いお天気となり、気温も上昇し、暑い夏となりました(~_~;)

 そんな状況でしたが、先ずは、例によって、朝、妻方のお墓へと向かいました。

 その墓前で焼香を済ませ、その脚で妻の実家に立寄りました。妻の実家の仏前で焼香し、しばし雑談を交わした後、次なる目的地の妻の叔母夫妻の眠る墓地へと向かいます。

 その後は、今度は、私の実家の墓へと向かいました。

 ただ、何時ものことですが、丁度、その途中で昼食時間となりますので、昼食休憩をとります。昨日は、暑くもありましたので蕎麦屋に立寄り、冷たい蕎麦をいただきました。

 ゆっくりと昼食を済ませた後は、私の実家の墓に向かい、そこで焼香を済ませました。

 何時もですと、この段階で墓参の行程の殆どが終了となるのですが、昨日は、最近、私の叔母が二人亡くなっていて、それぞれ新盆を迎えますので、それぞれの家へと向かいました。

 新盆見舞いの訪問ともなりますと、仏前で焼香を済ませてサッサと帰ってくるわけにもいきません。しばし、故人の想い出話などにも花が咲き、ついつい長居をしてしまいます。

 そのため、2箇所に寄りましたので、かなり時間が経過してしまい、遅くなってしまいましたが、最後に、私の姉の家にと向かいました。

 姉の家の仏前で義兄への焼香を済ませ、姉と雑談を交わし、家路へとつきました。

 昨日は、やはり、新盆見舞い2件を含む行程が厳しかったようで、帰宅したのは夜の7時半頃になってしまいました。


染付 花唐草文 小壺

2022年08月12日 13時55分34秒 | その他の古陶磁

 今回は、「染付 花唐草文 小壺」の紹介です。

 これは、平成22(2010)年に、今から12年前に、骨董市で買ったものです。

 これを見た第一印象は、「あれっ、これも伊万里といえるのかな~」でした。

 でも、「店主も伊万里と言ってるのだから、伊万里なのだろう。伊万里にはいろんな窯があったようだから、このような物を焼いた窯もあったのかもしれないな~」と思い、購入に及びました。

 しかし、その後、ブログで紹介しようと思って良く観察し、細部に亘って撮影していましたら、「胴継ぎ」されていることを発見してしまいました(><)

 それで、急きょ、ブログでの紹介は取りやめにし、再び押入れに戻ってもらったところです(~_~;)

 でも、この小壺につきましては、一度はブログで紹介しようと思ったわけですから、やはり、紹介してあげようと思い直し、今回、紹介することとしたわけです。ただ、ジャンルとしましては、「古伊万里」ではなく、「その他の古陶磁」のジャンルでの紹介といたします。

 また、「胴継ぎ」がしてありますので、「生産地:中国」として紹介いたします。

 

 

染付 花唐草文 小壺

 

立面(その1)

 

 

立面(その2)

立面(その1)から左に約90度回転させた面

 

 

立面の斜め上から撮ったところ

壺の内側に、何やら、白っぽい物が見えます。

 

 

壺の内側

「胴継ぎ」が見られます。

伊万里では「胴継ぎ」はしていませんので、伊万里ではないことが分ります。

「胴継ぎ」は中国物に見られますので、中国製の可能性が高いことになります。

 

 

底面

土も伊万里の土ではなさそうです。

 

 

生 産 地 : 中国 「中国南部~東南アジア」に訂正     

製作年代: 中国 明末~清初(?)

サ イ ズ : 口径5.0cm  胴径9.0cm  高さ8.3cm  底径5.2cm


色絵 鹿雲龍文 大皿

2022年08月08日 12時48分24秒 | 古伊万里

 今回は、「色絵 鹿雲龍文 大皿」の紹介です。

 これは、私が何時も行っている古美術品交換会で、平成25(2013)年に、今から9年前に、競り落としてきたものです。

 ただ、競り落とした当初から、これは「古伊万里」ではないので、「古伊万里」としては紹介しないものとして保管してきました。

 でも、前回、やはり、紹介しないものとして保管していた「染付 鹿紅葉・花唐草文 大皿」を紹介してしまったところです(~_~;) しかも、この「色絵 鹿雲龍文 大皿」は前回紹介した「染付 鹿紅葉・花唐草文 大皿」とは重ねて一緒に保管してあるものですから、この「色絵 鹿雲龍文 大皿」は、私の目には目障りで仕方がなくなりました(><)

 「さ~て、この色絵の大皿はどうしたものか」、「紹介すべきか、しないべきか、これは問題である」との心境に達しました(←大袈裟)。

 悩んだ結果、「既に、染付 鹿紅葉・花唐草文 大皿を紹介してしまったのだから、ここは、もう、破れかぶれで、このブログのレベルを下げることになっても紹介せざるを得まい」という心境に達したわけです(←これまた大袈裟。そもそもこのブログは当初からレベルの高いものではありませんよね)。

 もっとも、紹介するにしても、どのジャンルで紹介すべきかということになるわけですが、「その他の古陶磁」で紹介するにしても、この「色絵 鹿雲龍文 大皿」は古陶磁には属しませんので、そのジャンルで紹介することも出来ませんから、結局は「古伊万里」のジャンルで紹介せざるを得まいとの結論にも達したわけです(~_~;) このブログの「古伊万里」のジャンルも、ますますレベルが下がり、雑多な陶磁器の紹介コーナーの様相を呈してきました(><)

 愚痴と言い訳はこのくらいにして、それでは、次に、その「色絵 鹿雲龍文 大皿」を紹介いたします。

 

 

色絵 鹿雲龍文 大皿

 

表面

濃い赤は、ベッタリとした、いわゆるペンキ赤を使用していています。

 

 

中心雲龍文部の拡大

 

 

周縁牡丹唐草文部の拡大

 

 

周縁鹿文部の拡大

 

 

 

周縁鹿文部の拡大写真の右側の雌鹿の拡大

左側の雄鹿に「遊ぼ~」と近寄っていきました(^_^)

 

 

 

周縁鹿文部の拡大写真の左側の雄鹿の拡大

右側の雌鹿が「遊ぼ~」と近寄ってきたところを、「うるさい、あっちへ行け!」

と追い返しているようです(笑)。

 

 

 

側面

 

 

裏面

濃い赤は、ベッタリとした、いわゆるペンキ赤を使用していています。

 

 

裏側面部の拡大

 

 

高台部の拡大

高台は丸みを帯びています。

 

 

 この大皿が、何処で、何時頃に作られたのかは定かではありませんが、明治前期~中期にかけて石川県旧江沼郡大聖寺町内で作られた、いわゆる、れっきとした「大聖寺伊万里」とは違うようです。その後の大聖寺町内で作られたものなのでしょうか、、、?

 

生 産  地 : 不明

製作年代: 不明

サ イ ズ : 口径43.0cm  高さ7.5cm  底径24.7cm


染付 鹿紅葉・花唐草文 大皿

2022年08月06日 15時45分17秒 | 古伊万里

 今回は、「染付 鹿紅葉・花唐草文 大皿」の紹介です。

 先日(2022年8月1日)、「染付 鹿紅葉文 中皿」を紹介しましたが、この大皿は、先日紹介しました「染付 鹿紅葉文 中皿」の文様の周辺に花唐草文を巡らせたように作られています。つまり、今回紹介します「染付 鹿紅葉・花唐草文 大皿」の中心部の文様と先日紹介しました「染付 鹿紅葉文 中皿」の文様はほとんど一致するわけです。

 そんなこともあり、この「染付 鹿紅葉・花唐草文 大皿」の生産地と制作年代についても疑義がありましたので、ブログでの紹介は控えていたわけですが、「染付 鹿紅葉文 中皿」を紹介してしまいましたので、それに連動してこの「染付 鹿紅葉・花唐草文 大皿」も紹介することといたしました(~_~;)

 

 

表面

中心部の文様は、先日(2022年8月1日)紹介した「染付 鹿紅葉文 中皿」と殆ど同じです。

その鹿紅葉文の周辺をグルリと花唐草文が取り巻いています。

 

 

中心部の文様の拡大

 

 

中心部の文様の更なる拡大

 

 

周辺部の拡大

 

 

側面

 

 

裏面

 

 

裏側面の一部の拡大

 

 

生 産 地 : 不明

製作年代: 不明

サ イ ズ : 口径31.2cm  高さ6.0cm  底径18.7cm


宮廷のデザイン ──近世・近代の御下賜の品々

2022年08月03日 19時01分10秒 | 古伊万里

 「陶説」(公益社団法人 日本陶磁協会発行の月間機関誌)の№830号(令和4年8月号)を読んでいましたら、「著者が案内する、やきものブックガイド」というコーナーに面白い本が紹介されていることを発見しました。

 このコーナーは、やきものに関する本が発行された際、その著者が、自ら自著を紹介するコーナーとなっているわけですが、そこに、著者の八條忠基氏(有職故実研究家/綺陽装束研究所主宰)が、自著の「宮廷のデザイン ──近世・近代の御下賜の品々」(平凡社 2021年11月12日刊行 2,420円(税込み) 126頁)という本の紹介をしているのを発見したからです。

 古伊万里を収集していますと、たまに、江戸時代に宮中で使用されたであろうと思われる食器に遭遇することがありますが、果たして、それらが本当に宮中で使用されたものなのかどうかが分りませんでした。古伊万里に関する本で、その辺を取り扱って書いた本は見当たらなかったのです。

 その点、この「宮廷のデザイン ──近世・近代の御下賜の品々」という本は、ズバリ、江戸時代に宮中で使用された古伊万里について言及していますので、古伊万里の収集にも大変に参考になると思いましたので、次に、この本の紹介文の一部を転載して紹介したいと思います。

 

 

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八條忠基著「宮廷のデザイン ──近世・近代の御下賜の品々」の表紙

(「陶説」№830号(令和4年8月号)から転載)

 

 

葦田鶴文皿(あしたづもんさら) 江戸時代 高2.0cm 径10.8cm

(「陶説」№830号(令和4年8月号)から転載)

 

 

亀甲合わせに群鶴文皿(きっこうあわせにぐんかくもんさら) 江戸時代 高3.6cm 径18.8cm

(「陶説」№830号(令和4年8月号)から転載)

 

 

葦田鶴文皿(あしたづもんさら) 江戸時代 高2.5cm 径12.2cm

(「陶説」№830号(令和4年8月号)から転載)

 

 

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自然を愛するデザイン

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  「宮中の食器には菊花御紋章があるだろう」そこまでは誰しもが想像できることなのですが、江戸時代の宮中食器はそれに加えて自由闊達、そして何よりも自然の風情を大切にしたデザインを施したのです。

 平安時代以来、天皇や公家たちは自然を愛し敬い、自然と同化すること、自然を身近に感じることを大切にし、生活の基本に置いてきました。食器のデザインもそうした感性から生まれたものでしょう。

 自然とはアシンメトリーなものです。ですからそれを模したデザインは規律性・統一性を無視したものとなり、手描きによる染付の技法によって、有田の辻家(辻常陸)をはじめとする上絵師たちが自由に描いたのです。類似はしても二つとして同じものはなく、そこがまた宮中食器の魅力でもあるのです。

 

細かい瑕疵を気にしない

 江戸時代の宮中食器を見ますと、近代以降の西洋食器では絶対に使用されないような窯疵のあるものが、わりと多いことに気がつきます。目跡は当然として、明らかに瑕疵となるであろう底割れ、ホツ、降りモノなども、さほど気にされることなく宮中で使用され、伝来しています。

 現在の宮中のイメージからすれば決して許されないであろうこうした瑕疵も、江戸時代は瑕疵としては扱われなかったこと、これもまた時代を感じさせてくれるものといえるでしょう。その大らかさには少々驚かされ、当時の宮中内の精神が自由だった様子が想像できます。またそうしたことの背景には、食器たちが「使い捨て」であったこともあるのでしょう。

 

毎月遡日に総取り替え

 江戸後期の宮中食膳を記した『禁裏御膳式目』に「御茶碗ハいまり焼也、尤御茶碗一ヶ月限毎月遡日ニ替り申候」とあるように、原則として食器の使用は一ヶ月限りで、毎月の一日にすべて新品に取り替えたのです。京都御苑の発掘調査でも大量の破棄された食器類が出土しますが、割れて使えなくなったというよりも、毎月割って処分したということです。いかにも勿体ない話に思えますが、今流行の「断捨離」とでも申せましょうか。伊勢の神宮の寝殿を二十年で建て替えるように、常に新鮮であることを大切にする「常若」の考え方も影響していたのでしょう。

 

食器の下賜

 そうしたことから宮中において食器に対する執着心は薄く、陪膳の公卿や配膳係の女官たちに食器が下賜されることもしばしばありました。下賜された品は、公家たちが世話になった人や出入りの商人に下げ与えることも多く、頂戴した者は桐箱を拵えて家宝として大切に保存し、伝来しました。このため京都市内には数多くの宮中食器が出回るようになります。

 近代の宮中祝宴においても、直接口を付ける酒盃はそのまま持ち帰ることが許されていました。これは他国には見られない風習で、明治二十年(1887)頃に宮中式部顧問をしていたドイツ人、O・V・モールは「ミカドの誕生日のすがすがしい思い出を家族一同の中に保持してゆくためにも、これは全く魅力的な風習であった」と語っています。この風習は現代においても受け継がれており、宮中諸行事で使用された酒盃は、宴席で食べ残した折り詰めと共に、持ち帰って良いことになっています。

 このように江戸時代から現代にいたるまで大量の宮中食器が下賜されたのです。陶磁器は割れ物ですが、大規模な本格的空襲被害を受けることがなかった京都では、比較的多数が現代に遺ることになりました。そうした品々をコレクションすることは日本の伝統文化の一ジャンルを守ることでもあり、散逸・海外流出を防ぐことが大切であると考えております。

 本書を制作する上で最も苦心したのは、いかに多様なデザインのバリエーションを確保するかということで、コレクションを心がける上での重要ポイントであったといえるでしょう。

 

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 以上が八條忠基著の「宮廷のデザイン ──近世・近代の御下賜の品々」の紹介文の一部です。

 この紹介文の一部を読んで、これまで、全く五里霧中の存在だった江戸時代の宮中食器のことが、少し分るようになりました(^_^)

 また、これを読んで、私も、ささやかではありますが、宮中食器を、これまでに2点ほどコレクションしていたのではないかと思うようになりました。そして、それは、このブログでも既に紹介しているところです。1点は「染付 菊花帆掛舟図 中皿」で、もう1点は「染付 家紋文 小皿」です。

 これら2点が宮中食器であるならば、私も、ささやかではありますが、「日本の伝統文化の一ジャンルを守ること」に貢献し、また、「散逸・海外流出を防ぐこと」にも貢献しているのではないかと自負しております(^-^*)