今年滋野小学校創立140周年です

2015-01-03 21:01:42 | プロフィール
今年は地元の滋野小学校の140周年です。今年から来年にかけて記念事業が行われます。区の新年総会でも区長さんから寄付金への協力要請がありました。そこで地元住民の小学校にかける思いについてお話しようと思います。


これが滋野小学校の全景です。


これが昭和50年、100周年の滋野小学校です。校舎は2階建てで3棟あり、真ん中の林の中に講堂があり、その右側は保育園がありました。私が学んだのもこの校舎でした。


それから30年後、平成17年、130周年の時の校舎です。校舎は2棟となり、真ん中には体育館、その奥にプールがあります。そして体育館の右に建替えられた保育園が見えます。

こうしてみると歴史の移り変わりがうかがわれます。ところで同じ市内の田中小学校は一昨年130周年でした。それに引き替えわが滋野小学校は140周年です。こうしたことから私は滋野小学校の歴史は田中小学校よりも古いんだと思っていました。

ところが調べてみるとおかしなことに気がつきました。資料によると滋野小学校の創立は明治19年(1875)となっています。「村内にあった学校を統合し、精業学校の地に滋野小学校が発足する」とされています。これだと今年は130年にしかなりません。

それでは140年前には何があったのか見てみると、資料には「明治9年、糠地、井子、原口、別府、中屋敷、片羽、赤岩、芝生田、大石、桜井の10ヶ村が合併して滋野村となる」と書いてありました。すなわち滋野小学校の創立は滋野村と同じ年になっていたのです。

なぜこんな間違えがあったのでしょうか。いやそもそも間違えだったんでしょうか。ここからは私の推測でしかありませんがみんなそんなことは分かっていたんだろうと思います。そこには滋野の子供たちを教える学校の起源をあえて滋野村の創立にしようという村人の強い思いがあったのではないかと思います。

この地域はもともと子供たちの教育には並々ならぬ努力をはらってきた伝統があります。滋野小学校ができた時、すでに精業学校(赤岩・片羽・中屋敷)、明盛学校(桜井)、大石学校(大石)惇信学校(井子・糠地)、滋野学校(原口・別府。新張)の5つの学校がそれそれの集落にできていました。ですから滋野小学校ができた時もあらためて学校ができたという感覚ではなく、これまでの学校が統合されただけだという認識ではなかったのでしょうか。

学校の創立とはたんに建物ができた時のことを指すのではなく、村として子供たちの教育に責任を持つにいたった滋野村創立の時がふさわしいと思ったのではないでしょうか。学校はそれぞれ分かれていても、滋野の子供たちは村が責任を持つという決意の表れではなかったのではないか思うのです。それが10年の意味だったと思います。

そんな思いの中で育った私は幸せでした。

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