地球と生きるYOGA  「Union Yoga japan」

京都を中心に活動を続けている Toshiの活動記録
生きたヨーガを伝える ちょっと真面目なあるヨギのブログ

サットサンガという言葉

2015年06月11日 | その他
さて、今年もスワミジによるサットサンガが東京&京都で行われますが、
改めて、サットサンガという聴き慣れない言葉について、ちょっと説明させてもらいます。



そもそもサットサンガというのはインドの古典語であるサンスクリット語の単語です。
二つの単語がくっついた連語でサット と サンガ という言葉がくっついて
サットサンガとなっています。

そして、サットとは、「存在する、聖なる、真実の」というったような、
神聖なものに対してあてがわれる言葉です。
サンガとは 「くっつく」という意味合いがもともとあって、そこから「集まり、繋がり、関係を持つ」
といった意味へとなりました。
なのでサットサンガといった時には、「聖なる集まり」といったような意味合いになります。

これがインドではどういう意味で使われるかというと、例えば お客さんが来て、
ただ世間話をして、みんなで歌を歌いだして、おいしいものを食べる、
なんていう時はサットサンガとは言いません。
でもその主題が、神や不変の真実、自信を成長させてくれるような精神的な話になると
されはサットサンガとなります。もちろんヨーガを扱った話なんかもそうです。

そして、そこで語られたり歌われたりするのは自身の真実についての智慧や、執着や嫌悪といったような
自分を苦しみにとどめておくものからの離別などが主題となります。

そしてそれは結局どこに繋がっていくかというと、欲や、執着を超えたところにある「幸せ」、
「至福」というとてもシンプルなものへと辿りつきます。
なので、一気にジャンプしてしまえば、「サットサンガ」とは「至福の追求」に他なりません。

インドという国では、そのサットサンガというのはヨーガのような霊性の修練には
欠かせないもので、それがあってこそ、修練が進むと考えられています。
やはり師というものが絶大な効果を発揮するんですね。

今日は最後にシャンカーラチャーリア「バジャ・ゴーヴィンダム」から抜粋して、
サットサンガの詩をお届けします。


「サットサンガがあれば、限りのあるものに執着することが減り、

執着が無くなれば、現実に関する混乱が減り、

現実に関する混乱が無くなれば、理解がぶれずに定着し、

理解がぶれない時、その人は生きながらにして全ての制限から自由である。」


それでは、今日もサットな一日を^^

Union Yoga japan
児玉俊彦(Toshi)
earth_living_yoga@yahoo.co.jp
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