ここ数年来,巷では「自転車ブーム」なるものが相も変わらず続いているようだ。そのブームを下支えしているのは,基本的には「中年男」であるように私には思われる(中年オバサンについては論外で,彼女らの大部分は自転車なんぞに全く見向きもしない)。もち論,自転車というものの存在自体は,昔も今も老若男女を問わず幅広い層に利用されている実生活上とても便利な乗り物であり道具なのではあろうけれども,それはいわゆるホモ・モーベンスとしての我々の現代社会の基層にしっかと根を下ろしたプラクチカル・ツール,言葉を変えれば必須基本装備品ということを意味しているわけであって,「ブーム」というのはそのこととは別次元の,あくまで一過性の,刹那的・皮相的な社会現象であるに過ぎない。要するに,ある日突然どこからともなく発生した原因不明のハヤリヤマイ,あるいは季節の変わり目に決まって訪れる不定愁訴みたいなモンだろうか(さて,いつになったら消えてゆくのかナ?) ちなみに,昨今のブームを盛り上げている立役者(お道具)は当然ながら立派で高価なスポーツ自転車,とりわけフラジャイルなロードバイクというわけであります。
で,私の考える件の中年男のプロフィールを今少し具体的に述べれば,それは「中間管理職の月給取り」が主体となっているのではなかろうかと思う。そんな彼らが日常のシガラミから束の間逃れるようにヒョイと飛びついた,というか,何の因果か彼らがベッタリ取り憑かれた「趣味の世界」の進化(深化)および拡大化(冗長化)が今般の自転車ブームの実情ではなかろうかと推察する。
ブームの牽引車,もとい牽引者たる中年男は,概ね高所得者階級に属している。いや,そういった決めつけ方はいささか不適切か。今少し正確に記せば,月々の手取り収入額うんぬんよりもむしろそれぞれの家計におけるエンゲル係数(Engel's coefficient)ならぬリンゲル係数(輪Geld coefficient)がかなり低い階層に所属しているといっておいた方が宜しいだろう。有り体にいえば,自転車という新しい趣味に日々投入する資金の多寡なんぞ,それこそ屁とも思わないヒトビトなのである。
そういったプロフィールの中年男を主体としつつ,それに加えて財政的に余裕のある自営業者だとか,老後安泰リタイヤ組だとか,あるいは元々資産家の家柄に生まれついた人士だとか,そのような階層に属する中・高年男も,やはり今般のブームを副次的に後押ししていると見受けられる(なおこの場合も,やはり中高年女というのは希少な存在でありましょう)。
かくのごときモロモロの自転車ブーム牽引者たちが拠って立つであろうところの盤石なる人生訓ないし確固たる処世術に思いをいたすにつけ,彼らと対極に位置する,まるでエルモンヒラタカゲロウEpeorus latifoliumのごとき儚くも取るに足らぬ存在であるところの私なんぞは,何やら一抹の淋しさというか「人生の隙間風」といったものをシミジミ感じてしまうのである(何言ってんだか~ぃ!)。特に彼らが集団で,離合集散して,群雄割拠して行動を起こしているシーンにおいては,そのような違和感はますます募るばかりである。同じ自転車を愛する者として,イタズラに風景や風土や環境を蹂躙している,まるで侵略的特定外来生物種のようなその有様にもどかしくも歯噛みするのである。ま,人それぞれのジンセイでありましょうから,同好の士とワイワイ楽しくやるのはまことに結構なことでしょうし,それについて傍から文句をつける筋合いの話でもない。ヨロシクやって下さい,としか言いようがない。ただ,そんな風に行動している自分らもまた環境風土や土地景観の一要素であるということを少しは自覚していただきたい。そしてまた自分らの高邁趣味が日本経済を回しているノダ,なんぞという不遜な思い上がりだけは努々持たないでいただきたい,と,そんなことを切に願っている次第でございます。
もうひとつ余計なことを言わせていただければ,「健康のためにロードバイクに乗る」なんてぇ言い草,あれは当然ながら単なる詭弁でありましょう。ロードバイクのどこが健康なものか。道路交通インフラ整備の極度に立ち遅れた国道,県道などの主要街道において,その劣悪な道路の端っこを,絶えずクルマの圧力に怯えながら時速30キロ以上のスピードで何時間も走り続けるなんてぇことは過度のストレス蓄積以外のなにものでもないだろう。それによってまっとうな健康を損なうであろうこと明らかである。安保理論によるところの解糖系システムを助長させミトコンドリア系システムを収縮させ,それは中高年層に対する発ガン確率を高めることに寄与するであろう。ま,ソレナリの肉体改造にはなるんでしょうけどネ(しかし改造してドースルのだ?)。それだったら,毎日,早起きして,ラジオ体操して,近所を散歩して,家の回りを掃除したりしている方が,よっぽど健康のためには宜しかろう。いや,ホント余計なことでありました。
ところで,このエントリーを書き起こすきっかけとなった出来事を最後にチョットだけ述べておきたい。実は先週,そのような自転車ブームを象徴するようなシーンに偶然遭遇したのでアリマス。
それは彼岸中日のことだった。当盆地内の街中のアチコチに高級ロードバイクを駆るレーパン軍団が大挙して押し寄せたのだ。数にして約20台ほどの大仰な隊列であった。ヤビツ峠へ通じる県道70号などであれば週末などには時折お馴染みの光景ではあるけれども,そんな御一行様が盆地内の市街地各所をニョロニョロと行列走行するのはなかなかに珍しいことだ。自転車で一寸近所まで外出した折に,私はその軍団を源実朝公御首塚の近くでチラッと目撃したのであるが,その有様はまるで一昔前のパナウェーブ研究所(=白装束軍団)のごときでありました。裏道の路傍ですれちがった御高齢のジジババなど,一瞬顔を引きつらせたのではないかと思う。
で,遅ればせながら昨日になって,件の連中の幾人かが物しているブログ絵日記を拝見・拝読させていただいた。皆様じつに無邪気で脳天気で,享楽的で愉悦的で,傍若無人で手前勝手で,まさに「中間管理職の束の間のガス抜き」といった御様子がうかがえました。見知らぬ街の裏道・脇道・ヘンテコ道を所構わずウネウネと大勢で走り回ったりしてのハッピー・ホリデー,軍団を引率するパイロット(水先案内人)はそれこそ得意マンメンチだったのでありましょうが,一方,地域住民の側にしてみれば,そのような招かれざる訪問者の行動生態はレ・コンキスタドールのそれ以外のナニモノでもないわけですよ。当盆地内ではよく知られた保育園児集団の元気いっぱいの野遊び行進(@若木保育園)などとは比べるべくもない。
ブログ絵日記のなかで,彼らが葛葉川渓谷に架かる「くずはの吊り橋」を自転車に乗ったままで列をなして渡ってゆく絵(写真)があった。これなんぞ,私を含めた地元民からすればまさに顰蹙モノとしかいいようがない。当人たちは嬉しくて楽しくてタマラナイのだろうが,実にイヤな光景である。たとえその時は散策者がいなかったとしても,公園内は自転車押し歩きするのが当然の礼儀でしょうが! 恐らく現代ニッポン社会において,かくのごとき傍若無人な市中行軍が許容されている(=市民権を得ている)のは,自衛隊(=愛国的軍人)か,若年性単車暴走族(=DQN連中)か,新興宗教(=狂信者)くらいのものだろう。ま,彼らが新興宗教の一変種であると見れば,その宗教に帰依した者として,結局は何でもアリなんだろう。そうです,こんなのが座敷ボッコ,いや違った,自転車ボッコの実態です。
当地の桜もほぼ満開に近づき,これからますます「花追い自転車軍団」なるものがそこかしこを繁く徘徊するであろう季節となった。本来ならば身も心もウキウキする春だというのに。。。 あぁ,花なんて早く散ってしまえ!
(つづく?)