ひょんなことから,マルセル・ムルージMarcel Mouloudjiの古いライブ・レコードを入手した。年代不明のかなりボロボロの円盤ではあるが,何しろ大変安い値段だった(約1,000円)ものだから,ちょっと嬉しい気分になった(Mouloudji en Public/Vogue MDINT9209)。
LPジャケットには発行年が記されておらず,またライナーノーツなども付いていないので,これがどういう由来のレコードなのかは当方にはまったく不明だけれども,雰囲気からすると,恐らく1950年代中頃の録音ではないかと想像する。小規模なオーケストラがバックで演奏しているので,小さなダンスホールか,あるいはキャバレーとかでのステージなのかも知れない。もっとも,LPのなかでライブ録音なのはA面の6曲だけで,B面の6曲はすべてスタジオ録音だ。ライブの曲目は以下のとおり;
・小さなひなげしのように
・マリアッチを踊れ
・不実な女の嘆き歌
・恋,恋,恋
・いつの日か
・パリの郷愁
いずれも,当時の大ヒット曲ないし中ヒット曲といえそうな有名な歌ばかりだ。観客の拍手の様子からもそのあたりの人気ぶりがうかがえる。
ところで,私がこれまでに聞いたことのあるムルージのライブといえば,テアトル・ド・ラ・ヴィルでのステージ(1971年)が唯一のものだったが,その時の目一杯に元気な,50代に手が届こうとしているムルージに比べると,このLPでは随分とシャイな30代の若手歌手が,慣れないキャバレー回りをしながら「いのちき」としてのステージを淡々とこなしている,といったモノクローム的な雰囲気が色濃く感じられる。ひとことで言えば,悩み多き時代の,遠慮がちで大人しいムルージのイメージが思い浮かぶ。(逆に50才のムルージは,何かにハジケちゃったのか,大変に子供っぽい)。
今から50年以上も昔の1952年,パリのナイトクラブでムルージの前座で歌っていたという石井好子女史が,後年その自伝のなかで記していたが,その頃のムルージはいつも黒いセーター黒いズボンの地味な姿で,シロウトのようにはにかみながら歌っていたという。その姿は,物静かで目立ちたがらず,笑うときですら声をたてなかったし,いつも淋しそうに見えた,とも記されている。さもありなん。深夜,半世紀もの昔に演じられたそのライブをボンヤリと聞いていると,《L’amour, l’amour, l’amour》から《Un jour tu verras》へと続くいささか鬱々と屈折した,けれど真摯な訴えを含んだ抒情の流れなど,たまらなく心地よい。生きるための祈り,生きるためのメッセージ,これもまたひとつの「芸人魂」なのだろう。
そういえば,先月末,ジャック・ブレルJacques Brel没後25年の記念として出た3枚組DVDのなかに,ナイトクラブでのライブ・ステージが混じっていた。それは1962年,『クラブ・ドミノ』というところでのショーで,私にとっては彼の歌を最初に聞いて以来,実に30年目にして初めて見る「生ブレル」の映像だった。もう,ドキドキものだった。長生きはするものである。そのステージで,洗練された身なりのいかにも上流階級を思わせる客たちに囲まれてレパートリーを次々と歌ってゆく若き日のブレルは,歌の表現者としてひたすら手を変え品を変え全身全霊のドラマを演じてはいるのだが,その姿は(ある程度は予想されたように)十分すぎるほどにぎこちなく,その場には不似合いな無骨な田舎者の「地」,といって悪ければ,エキセントリックな本性が絶えず見え隠れしていた。それなりの上昇志向もあっただろう。精一杯のサービス精神もあっただろう。ムルージとは別の意味での悩み多き「いのちき」の場でもあったのだろう。私のドキドキはやがて「胸キュン」へと変わり,それはしばし持続した(毎度お恥ずかしい!)。
ブレルとムルージという対照的な個性。徒に齢を重ねながら自分という存在が未だ見えないイイカゲンな私は,そのどちらにも強く惹かれる。そうだ。ムルージのステージではフランソワ・ローベの楽団がバックで演奏しているのがあった。ローベといえばブレルの《言葉なき歌》であり《夜明け前の阿呆ども》ではないか! 「スマイリー小原とスカイライナーズ」みたいな人だったんだろうか?(知らないけど) 両人を結びつけているものは,やはり時代のカルマなのかな。
ああ,それにしても,多分に手前勝手な空想を交えた意味のない感想をまた晒してしまった。最近はこんなことしか思い浮かばないんだから,フントニモウ。
LPジャケットには発行年が記されておらず,またライナーノーツなども付いていないので,これがどういう由来のレコードなのかは当方にはまったく不明だけれども,雰囲気からすると,恐らく1950年代中頃の録音ではないかと想像する。小規模なオーケストラがバックで演奏しているので,小さなダンスホールか,あるいはキャバレーとかでのステージなのかも知れない。もっとも,LPのなかでライブ録音なのはA面の6曲だけで,B面の6曲はすべてスタジオ録音だ。ライブの曲目は以下のとおり;
・小さなひなげしのように
・マリアッチを踊れ
・不実な女の嘆き歌
・恋,恋,恋
・いつの日か
・パリの郷愁
いずれも,当時の大ヒット曲ないし中ヒット曲といえそうな有名な歌ばかりだ。観客の拍手の様子からもそのあたりの人気ぶりがうかがえる。
ところで,私がこれまでに聞いたことのあるムルージのライブといえば,テアトル・ド・ラ・ヴィルでのステージ(1971年)が唯一のものだったが,その時の目一杯に元気な,50代に手が届こうとしているムルージに比べると,このLPでは随分とシャイな30代の若手歌手が,慣れないキャバレー回りをしながら「いのちき」としてのステージを淡々とこなしている,といったモノクローム的な雰囲気が色濃く感じられる。ひとことで言えば,悩み多き時代の,遠慮がちで大人しいムルージのイメージが思い浮かぶ。(逆に50才のムルージは,何かにハジケちゃったのか,大変に子供っぽい)。
今から50年以上も昔の1952年,パリのナイトクラブでムルージの前座で歌っていたという石井好子女史が,後年その自伝のなかで記していたが,その頃のムルージはいつも黒いセーター黒いズボンの地味な姿で,シロウトのようにはにかみながら歌っていたという。その姿は,物静かで目立ちたがらず,笑うときですら声をたてなかったし,いつも淋しそうに見えた,とも記されている。さもありなん。深夜,半世紀もの昔に演じられたそのライブをボンヤリと聞いていると,《L’amour, l’amour, l’amour》から《Un jour tu verras》へと続くいささか鬱々と屈折した,けれど真摯な訴えを含んだ抒情の流れなど,たまらなく心地よい。生きるための祈り,生きるためのメッセージ,これもまたひとつの「芸人魂」なのだろう。
そういえば,先月末,ジャック・ブレルJacques Brel没後25年の記念として出た3枚組DVDのなかに,ナイトクラブでのライブ・ステージが混じっていた。それは1962年,『クラブ・ドミノ』というところでのショーで,私にとっては彼の歌を最初に聞いて以来,実に30年目にして初めて見る「生ブレル」の映像だった。もう,ドキドキものだった。長生きはするものである。そのステージで,洗練された身なりのいかにも上流階級を思わせる客たちに囲まれてレパートリーを次々と歌ってゆく若き日のブレルは,歌の表現者としてひたすら手を変え品を変え全身全霊のドラマを演じてはいるのだが,その姿は(ある程度は予想されたように)十分すぎるほどにぎこちなく,その場には不似合いな無骨な田舎者の「地」,といって悪ければ,エキセントリックな本性が絶えず見え隠れしていた。それなりの上昇志向もあっただろう。精一杯のサービス精神もあっただろう。ムルージとは別の意味での悩み多き「いのちき」の場でもあったのだろう。私のドキドキはやがて「胸キュン」へと変わり,それはしばし持続した(毎度お恥ずかしい!)。
ブレルとムルージという対照的な個性。徒に齢を重ねながら自分という存在が未だ見えないイイカゲンな私は,そのどちらにも強く惹かれる。そうだ。ムルージのステージではフランソワ・ローベの楽団がバックで演奏しているのがあった。ローベといえばブレルの《言葉なき歌》であり《夜明け前の阿呆ども》ではないか! 「スマイリー小原とスカイライナーズ」みたいな人だったんだろうか?(知らないけど) 両人を結びつけているものは,やはり時代のカルマなのかな。
ああ,それにしても,多分に手前勝手な空想を交えた意味のない感想をまた晒してしまった。最近はこんなことしか思い浮かばないんだから,フントニモウ。