最近つくづく思うのだが,他人と話をする機会がかなり少なくなっている。それどころか,ほんの一寸だけ言葉を交わすことすらめったにない。そのこと自体は別に苦にならない。むしろ「沈黙老人」から「仙人への道」を目指している身としては,諸々の煩わしさを避けることができて大変有難いことではある。ただ,自らの身体構造・機能というものを診た場合,発声器官が徐々に退化し,以前に比べて発語能力がかなり劣化しているのではないかという気がしている(いわゆる廃用性萎縮ってヤツか)。
例えば,ごくたまに急な用事があって現在大阪に住んでいる上の息子と長電話をする必要が生じるのだけれども,その際せいぜい10分程度の会話を続けるだけで,電話を切ったすぐ後でノドは嗄れるわアタマは朦朧とするわで全身ドット疲れてしまう。それどころか,話をしている最中でも,だんだんと自分の活舌が悪くなってゆき,ともすれば喉の奥が痞(つか)えてしまうのをハッキリと自覚することしばしばである。それはそれで老いゆく者の「まっとうな」退化現象として潔く受け入れるべきことなのかも知らんが,されども一方では踠き蠢くオロカナ自分を叱咤激励するもう一人のこれまた愚かなジブンが存在しているわけで。。。
ここ最近は,本などの「朗読」を意識して行うことで,自らの発語機能の維持を図るように努めている(空しくも涙ぐましい努力!などと笑うなかれ)。とりあえずはそこらに転がっているシンブンシの類を眺めてそれを端から音読してもいいのかも知らんが,そんな虚飾と誤謬に満ち満ちたツマンナイ新聞ガミなんかを読むくらいなら電話帳でも読んでた方がマシという意見も世間にはあるようだし(ボリス・.ヴィアンだっけか?),それが意味ある努力かどうかは当方の知ったことではないが,兎も角,どうせ読むならちったぁ気分のいいものを読みたい。。。 ということで,宮澤賢治Miyazawa Kenjiのテクストを朗読しているという次第です。
童話も詩も万遍なく読むけれども,どちらかというと詩の方が多い。それも『春と修羅』のうちでも,ともすれば才気が溢れるあまり感性が突っ走りがちな第一集とか,ともすれば実生活が充実するあまり理性が先走りしがちな第二集とかよりも,ただ只管(ひたすら)に淡々として,ただ一途に坦々として滋味深い第三集の方を最近ではより好むようになっている。例えば,次のような詩稿がある。
そもそも拙者ほんものの清教徒ならば
或ひは一〇〇%のさむらひならば
これこそ天の恵みと考へ
町あたりから借金なんぞ一文もせず
八月までは
だまってこれだけ食べる筈
けだし八月の末までは
何の収入もないときめた
この荒れ畑の切り返しから
今日突然に湧き出した
三十キロでも利かないやうな
うすい黄いろのこの菊芋
あしたもきっとこれだけとれ、
更に三四の日を保する
このエルサレムアーティチョーク
イヌリンを含み果糖を含み
小亜細亜では生でたべ
ラテン種族は煮てたべる
古風な果蔬トピナムボー
さはさりながらこゝらでは
一人も交易の相手がなく
結局やっぱりはじめのやうに
拙者ひとりでたべるわけ...
このような賢治独特の,宇宙的微塵拡散現象?ともいえる即興的かつ自虐的饒舌のかもしだすたまらなくも心地よいリズム感は,若年期の頃からとりわけ私の好むところであった。その気持ちは既に老年期となってしまった現在でも些か変わることはない。 このエルサレムアーティチョーク,イヌリンを含み果糖を含み,,,,古風な果蔬トピナムボー,,, そんな弾んだ詩句の連なりを改めて声に出して朗読しながら,現在自分がこの地に生きてあることの不可思議さ,この時を生きていることの不条理さをシミジミと感じたりしているのです。
けれども一方で,近年一層痴呆的となり仰せた我が老いさらばえたる精神嗜好は,多少なりとも別の方向に変質し様変わりしてきたような気もしており(あれ,言ってることが逆か?),例えば「作品1022番」などの詩作をより好ましいものとして受け止めているような次第だ。
一昨年四月来たときは、
きみは重たい唐鍬をふるひ、
蕗の根をとったり
薹を截ったり
朝日に翔ける雪融の風や
そらはいっぱいの鳥の声で
一万のまた千億の
新におこした塊りには
いちいち黒い影を添へ
杉の林のなかからは
房毛まっ白な聖重挽馬が
こっそりはたけに下り立って
ふさふさ蹄の毛もひかってゐた
去年の春にでかけたときは
きみたちは川岸に居て
生温い南の風が
きみのかつぎをひるがへし
またあの人の頬を吹き
紺紙の雲には日が熟し
川が鉛と銀とをながし
楊の花芽崩れるなかに
きみは次々畦を堀り
人は尊い供物のやうに
牛糞を捧げて来れば
風は下流から吹いて吹いて
キャベヂの苗はわづかに萎れ
風は白い砂を吹いて吹いて
もういくつもの小さな砂丘を
畑のなかにつくってゐた
そしてその夏あの恐ろしい旱魃が来た
たどたどしくも能うかぎりに精一杯ハッキリと声を発してその詩を読みながら,切なさに知らず涙が溢れるのを止めることができない(グッスン)。わたくしの萎れた脳裏には,遥か遠く東北地方の鄙びた農村,その村での一風景がボンヤリと浮かんでくる。それは今から一世紀ほども昔の,質素で,貧しく、慎ましやかな田舎のありふれた心象風景だ。そしてそこで住み暮らしている名もなき人々の所作・振る舞いなどだ。なべての風景は涙に揺すれ。。。(グッスン)
けれども,それは何という明るく暖かい景色でもあるのだろう。最初の年の春,その若者はたったひとりで、額に汗して黙々と農作業に精を出していた。恐らく彼は賢治の教え子のひとりだったに違いない。荒蕪地を独力で開墾するという,過酷で労多き野良仕事が続く毎日だ。それでも季節は巡り,春が訪れ,和かに陽は照って,風は穏やかに吹き,雲はゆっくりと流れて,鳥は鳴き木々は翠に,そしてやがては家畜たちも活発に動き出す。なべて自然のなかでありとあらゆる生命が活動をはじめるのだ。そんな中で若く未熟な農夫の将来はどのように約束されているのか。。。 それからほどなくして彼は嫁さんを貰ったのだろう,その翌春に再び会ったときには,若い彼と彼女は,二人して楽しげに農作業をおこなっているのだった。季節はふたたび巡り,川沿いのヤナギが芽吹き,河水は流れ,雲は流れ,畑にはキャベジの苗が植えられ,そしてそこでは牛糞さえもが尊い供物となる。これから新たな生活を築こうとしている彼ら二人の前には,おそらく限りない未来が広がっていたに違いない。 風は下流から吹いて吹いて,,,風は白い砂を吹いて吹いて,,, 賢治先生が暖かい眼差しで見つめる人と風景は,あくまで優しくも愛おしい。
そんななかで,最後の一行が辛い。 そしてその夏 あの恐ろしい旱魃が来た というくだりを声に出して読むたびに,わたしは胸が詰まる。まるで賢治の「祈り心」にほんの一瞬でも寄り添い同化したかのように頗るセツナイ気持ちになる。メソメソジジイの弱い心はポッキリ折れそうになる。さはさりながら,賢治先生としては,この一行は是非とも記しておかなければならなかったのだと思う。キレイゴトで終わらせるわけにはいかない現実がそこにはあったのだ。時は流れる。時代は移りゆく。。。
ここで私は、ジャック・ブレルJacques Brelを思い浮かべる。それは彼の《ぼくの子供時代Mon enfance》という,こちらも胸がしめつけられる実にセツナイ歌だ。なお,賢治の読者におかれてはジャック・ブレルの歌など御存じないかも知れないので,その梗概を述べておくと以下のとおりである。
北欧はフランドル地方の片田舎での,古き良き時代,そこで過ごした遠く遥かな子どもの頃のさまざまな思い出,あんなこと,こんなことが,シミジミと唄われる。夏にはアメリカ・インディアンの格好をして野外で元気よく遊び,冬は家族みんなして大きな家のなかで閉じこもるように穏やかに暮らす。大家族,古いしきたり,奇妙なオトナたちの世界。女中らは中国人みたいに不思議な存在で,そして,年寄りがひとりまたひとりと静かに死んでゆく。ぼくはなすすべもなく子羊のようだった。けれども,そんな暮らしはやがて終わりをつげる。ぼくの初めての恋。美しい花,優しい娘との契り。子供から大人への旅立ち。ぼくは変わってゆくのだ!もう野蛮人なんかじゃない。扉を開けて,自由になり,ぼくは飛んだ!
そして最後にポツリとひとこと
Et la guerre arriva, Nous voila ce soir..
それから戦争が起こった そうして今夜ぼくらはここにいる
ああ,これ以上は今の私には上手く記すことができない。それどころか,言いたいことを素直に適切に書く技術,能力さえもが,はや失われてしまったみたいだ。まこと,老いるということは悲しいことだ。宮澤賢治とジャック・ブレルとの詩的アナロジー。洋の東西を問わず,また時代を超えた,同じ詩人の魂に心打たれて思わず泣けてきた,要はそういった話をしたかったんだケレドモ。 ひとの歴史って何だろうか,と思う。
あれ,朗読の話題はどうなった? 喉の不調はどうなった?
例えば,ごくたまに急な用事があって現在大阪に住んでいる上の息子と長電話をする必要が生じるのだけれども,その際せいぜい10分程度の会話を続けるだけで,電話を切ったすぐ後でノドは嗄れるわアタマは朦朧とするわで全身ドット疲れてしまう。それどころか,話をしている最中でも,だんだんと自分の活舌が悪くなってゆき,ともすれば喉の奥が痞(つか)えてしまうのをハッキリと自覚することしばしばである。それはそれで老いゆく者の「まっとうな」退化現象として潔く受け入れるべきことなのかも知らんが,されども一方では踠き蠢くオロカナ自分を叱咤激励するもう一人のこれまた愚かなジブンが存在しているわけで。。。
ここ最近は,本などの「朗読」を意識して行うことで,自らの発語機能の維持を図るように努めている(空しくも涙ぐましい努力!などと笑うなかれ)。とりあえずはそこらに転がっているシンブンシの類を眺めてそれを端から音読してもいいのかも知らんが,そんな虚飾と誤謬に満ち満ちたツマンナイ新聞ガミなんかを読むくらいなら電話帳でも読んでた方がマシという意見も世間にはあるようだし(ボリス・.ヴィアンだっけか?),それが意味ある努力かどうかは当方の知ったことではないが,兎も角,どうせ読むならちったぁ気分のいいものを読みたい。。。 ということで,宮澤賢治Miyazawa Kenjiのテクストを朗読しているという次第です。
童話も詩も万遍なく読むけれども,どちらかというと詩の方が多い。それも『春と修羅』のうちでも,ともすれば才気が溢れるあまり感性が突っ走りがちな第一集とか,ともすれば実生活が充実するあまり理性が先走りしがちな第二集とかよりも,ただ只管(ひたすら)に淡々として,ただ一途に坦々として滋味深い第三集の方を最近ではより好むようになっている。例えば,次のような詩稿がある。
そもそも拙者ほんものの清教徒ならば
或ひは一〇〇%のさむらひならば
これこそ天の恵みと考へ
町あたりから借金なんぞ一文もせず
八月までは
だまってこれだけ食べる筈
けだし八月の末までは
何の収入もないときめた
この荒れ畑の切り返しから
今日突然に湧き出した
三十キロでも利かないやうな
うすい黄いろのこの菊芋
あしたもきっとこれだけとれ、
更に三四の日を保する
このエルサレムアーティチョーク
イヌリンを含み果糖を含み
小亜細亜では生でたべ
ラテン種族は煮てたべる
古風な果蔬トピナムボー
さはさりながらこゝらでは
一人も交易の相手がなく
結局やっぱりはじめのやうに
拙者ひとりでたべるわけ...
このような賢治独特の,宇宙的微塵拡散現象?ともいえる即興的かつ自虐的饒舌のかもしだすたまらなくも心地よいリズム感は,若年期の頃からとりわけ私の好むところであった。その気持ちは既に老年期となってしまった現在でも些か変わることはない。 このエルサレムアーティチョーク,イヌリンを含み果糖を含み,,,,古風な果蔬トピナムボー,,, そんな弾んだ詩句の連なりを改めて声に出して朗読しながら,現在自分がこの地に生きてあることの不可思議さ,この時を生きていることの不条理さをシミジミと感じたりしているのです。
けれども一方で,近年一層痴呆的となり仰せた我が老いさらばえたる精神嗜好は,多少なりとも別の方向に変質し様変わりしてきたような気もしており(あれ,言ってることが逆か?),例えば「作品1022番」などの詩作をより好ましいものとして受け止めているような次第だ。
一昨年四月来たときは、
きみは重たい唐鍬をふるひ、
蕗の根をとったり
薹を截ったり
朝日に翔ける雪融の風や
そらはいっぱいの鳥の声で
一万のまた千億の
新におこした塊りには
いちいち黒い影を添へ
杉の林のなかからは
房毛まっ白な聖重挽馬が
こっそりはたけに下り立って
ふさふさ蹄の毛もひかってゐた
去年の春にでかけたときは
きみたちは川岸に居て
生温い南の風が
きみのかつぎをひるがへし
またあの人の頬を吹き
紺紙の雲には日が熟し
川が鉛と銀とをながし
楊の花芽崩れるなかに
きみは次々畦を堀り
人は尊い供物のやうに
牛糞を捧げて来れば
風は下流から吹いて吹いて
キャベヂの苗はわづかに萎れ
風は白い砂を吹いて吹いて
もういくつもの小さな砂丘を
畑のなかにつくってゐた
そしてその夏あの恐ろしい旱魃が来た
たどたどしくも能うかぎりに精一杯ハッキリと声を発してその詩を読みながら,切なさに知らず涙が溢れるのを止めることができない(グッスン)。わたくしの萎れた脳裏には,遥か遠く東北地方の鄙びた農村,その村での一風景がボンヤリと浮かんでくる。それは今から一世紀ほども昔の,質素で,貧しく、慎ましやかな田舎のありふれた心象風景だ。そしてそこで住み暮らしている名もなき人々の所作・振る舞いなどだ。なべての風景は涙に揺すれ。。。(グッスン)
けれども,それは何という明るく暖かい景色でもあるのだろう。最初の年の春,その若者はたったひとりで、額に汗して黙々と農作業に精を出していた。恐らく彼は賢治の教え子のひとりだったに違いない。荒蕪地を独力で開墾するという,過酷で労多き野良仕事が続く毎日だ。それでも季節は巡り,春が訪れ,和かに陽は照って,風は穏やかに吹き,雲はゆっくりと流れて,鳥は鳴き木々は翠に,そしてやがては家畜たちも活発に動き出す。なべて自然のなかでありとあらゆる生命が活動をはじめるのだ。そんな中で若く未熟な農夫の将来はどのように約束されているのか。。。 それからほどなくして彼は嫁さんを貰ったのだろう,その翌春に再び会ったときには,若い彼と彼女は,二人して楽しげに農作業をおこなっているのだった。季節はふたたび巡り,川沿いのヤナギが芽吹き,河水は流れ,雲は流れ,畑にはキャベジの苗が植えられ,そしてそこでは牛糞さえもが尊い供物となる。これから新たな生活を築こうとしている彼ら二人の前には,おそらく限りない未来が広がっていたに違いない。 風は下流から吹いて吹いて,,,風は白い砂を吹いて吹いて,,, 賢治先生が暖かい眼差しで見つめる人と風景は,あくまで優しくも愛おしい。
そんななかで,最後の一行が辛い。 そしてその夏 あの恐ろしい旱魃が来た というくだりを声に出して読むたびに,わたしは胸が詰まる。まるで賢治の「祈り心」にほんの一瞬でも寄り添い同化したかのように頗るセツナイ気持ちになる。メソメソジジイの弱い心はポッキリ折れそうになる。さはさりながら,賢治先生としては,この一行は是非とも記しておかなければならなかったのだと思う。キレイゴトで終わらせるわけにはいかない現実がそこにはあったのだ。時は流れる。時代は移りゆく。。。
ここで私は、ジャック・ブレルJacques Brelを思い浮かべる。それは彼の《ぼくの子供時代Mon enfance》という,こちらも胸がしめつけられる実にセツナイ歌だ。なお,賢治の読者におかれてはジャック・ブレルの歌など御存じないかも知れないので,その梗概を述べておくと以下のとおりである。
北欧はフランドル地方の片田舎での,古き良き時代,そこで過ごした遠く遥かな子どもの頃のさまざまな思い出,あんなこと,こんなことが,シミジミと唄われる。夏にはアメリカ・インディアンの格好をして野外で元気よく遊び,冬は家族みんなして大きな家のなかで閉じこもるように穏やかに暮らす。大家族,古いしきたり,奇妙なオトナたちの世界。女中らは中国人みたいに不思議な存在で,そして,年寄りがひとりまたひとりと静かに死んでゆく。ぼくはなすすべもなく子羊のようだった。けれども,そんな暮らしはやがて終わりをつげる。ぼくの初めての恋。美しい花,優しい娘との契り。子供から大人への旅立ち。ぼくは変わってゆくのだ!もう野蛮人なんかじゃない。扉を開けて,自由になり,ぼくは飛んだ!
そして最後にポツリとひとこと
Et la guerre arriva, Nous voila ce soir..
それから戦争が起こった そうして今夜ぼくらはここにいる
ああ,これ以上は今の私には上手く記すことができない。それどころか,言いたいことを素直に適切に書く技術,能力さえもが,はや失われてしまったみたいだ。まこと,老いるということは悲しいことだ。宮澤賢治とジャック・ブレルとの詩的アナロジー。洋の東西を問わず,また時代を超えた,同じ詩人の魂に心打たれて思わず泣けてきた,要はそういった話をしたかったんだケレドモ。 ひとの歴史って何だろうか,と思う。
あれ,朗読の話題はどうなった? 喉の不調はどうなった?