つい先ほど,NHK・TVで小椋佳の特番を見た。『生前葬コンサート』なる催しの様子をダイジェストにして放映した音楽ドキュメントだ。テレビを見るなんて,それもリアルタイムで見るなんてぇことは私にとってまったく久しぶりのことなのだが,正味50分間の番組まるまる,それもNHKゆえCMが挿入されることもないので,終始ずっとテレビに釘付け状態だった。
画面に映し出された御本人の風貌外観,その表情や仕草,さらには実際に歌っているときの声質,声量,音程のビミョーさ加減等々については,ここではあえて何も申しあげるまいと思う。ましてや番組の構成や演出に係わる巧拙云々といった些細なことなどは全くドーデモイイことだ。
小椋佳。御年70才。実直かつ誠実なロマンチスト。その終生にわたって絶ゆることなく誠実な,それも極めて誠実なロマンチストだった。まるでトコトン生真面目な銀行員みたいに(あ,ギンコーインだったか)。継続は力なり。夢はどこまでも追い求めるものなり。憬れは希望であり,希望は光明である。それらは総じて人生行路の道標となり,欠くべからざる糧となるのだ。何やらハズカシイようなムズガユイような,それは嬉しくも安らかなるひとときだった。ジーサンがジーサンに励まされる。それも超有名なジーサンに一介の無名ジーサンが,おおきなジーサンにちっぽけジーサンが励まされる。人知れぬ荒蕪地を日々あてもなく彷徨うゴミムシのごとき我が身なれども,ついつい幾多の妄想をかきたてられてしまったわけでございます。良きかな。有難きかな。
せめてあと10年くらいは,市井のアタリマエの好々爺として,フツーに誠実なオジイサンとして生きながらえていただきたいものだ。テレビ出演とかコンサートとかはもういいですから,気ままに歌を作ったり,文章を綴ったりするなどして,ごく細やかでも構わないから,外界に向けて夢や憬れを発信し,世間の一隅を照らしつづけていただきたいものだ。その誠実さは祈りなのです。
何をいっているのか我ながら曖昧模糊,支離滅裂,魂魄流転,正体不明ではありますが,ああ,そんなこんなで今年もやがて暮れてゆく。はや何十回目になるのかも忘れてしまった毎度毎度の年の暮れが,こうして静かに音もなく過ぎてゆく。グッスン。