その夢は,我が心を仄かに揺らし。。。

2014年08月11日 | 歌っているのは?
 あいかわらずショーモナイ夢の話である。それは昨日だか一昨日だかに見た夢だ。息子のアキラを連れて電車に乗って二人でお出掛けした。どうやら新宿駅周辺の盛り場に行くようだった。何の用事があったのかはどうもよくわからない。手を引いているのは幼稚園児のアキラである。本人はしきりと本屋に行きたがっている。新宿と言えば紀伊国屋書店だなぁ。絶えて久しく行っていないが相変わらず繁盛しているのだろうか? なんて思いながら小田急線の急行電車を終点で降りた。

 休日昼間の新宿の街中はお祭り状態だった。そこは昔も今もいつだってそんな風だ。少なくとも50年前もそして恐らくは50年後も変わりはしないだろう。私の知ったことではないが。

 移動の途中でペデストリアン・デッキのような所から通じるゴチャゴチャした工事現場のなかを通り抜ける必要があった。建設中のビルの骨組足場の一隅に急ごしらえに設置された仮階段を下る。アキラの手をしっかり握り足元に十分気をつけながらゆっくりゆっくり降りてゆく。ところで意外や意外。その夢の中のアキラは実生活とはまったく逆で「高所恐怖症」だった。パイプ骨組みのあいだからはずっと真下の地上付近までを見渡すことができる。高さは約10mほどもあろうか。当人はすっかり足がすくんでしまって本当にオソルオソルといった感じで不安定なステップを一足一足おりてゆく。その歩みはまるで牛歩戦術をやっているウスノロ議員の如くだ。なかなか先へと進まない。

 そうこうしているうち。移動する人々の列のなかで私共のすぐ後ろについているどこかのオバサンらしきがこちらに向かって小声でブツクサ呟いているのが聞こえてきた。どうやら モタモタしてないで早く降りなさいヨ! あるいは 小さなコドモをこんな所に連れてくるんじゃないヨ! などと文句を言っているようだ。かなり耳障りな声色でしかもアカラサマでシツコイ物言いだった。さすがにこちらもムッとして後ろを振り向いた。そこには浴衣を着た室井佑月がいた。いや室井佑月に瓜二つのブスッとした顔付きのオバサンと言い換えた方が適切かな。かなりキツイ化粧をしている。年齢は50才くらいか。全体にイヤーな感じがした。 何ですか? とその室井風ブスット・オバサンに対して私は問うた。我ながらドスのきいた低音の渋い声だった(ハイ夢ですから)。しかしながら当のオバサンは一向に怯む気配を見せることもない。逆にこちらに対して目をつり上げ顔を引きつらせながら強くにらみ返してきた。ただし口はモゴモゴ動いてはいるものの五十女の激情が言葉として直に発せられることはなかった。瞬時お互いの間にデンパが飛び交った。反発する情念と感性。対峙する理念と思想。磁力と重力の拮抗。不毛な対立。不幸な現実。願わくばそれが夢であればいいのにと思った(ん?)。けれどもオバサンの睨み面は硬直したままだ。しばし時間は停止し沈黙がその場を支配した。我々が現在置かれている周囲の状況を勘案すれば斯くのごとき膠着状態は決して良い結果をもたらすことはないであろう。こりゃ困ったゾ。その閉塞感を打破すべく私は再度オバサンに問うた。言葉により力を込めながら。 何ですか! 言いたいことがあるならハッキリと言いなさい! すると室井風ブスット・オバサンは口をキリリと結んだまま私ども父子からプイッと目を逸らしてしまった。今日はこれくらいにしたるワイ! とでも言いたげに。ヲイヲイそれで一件落着とするのか。私らは招かれざる客か。新宿という都会の森に出没した厄介者の親子グマか! 

 時間にすれば1分にも満たないくらいの束の間の出来事だったように思う。けれどもそれはアキラにとっては非常に長い時間と感じられたに違いない。その間ずっと私の手を強く握りしめたままだった。小さな手がジワリ汗ばんでいるのを感じた。そうだ。私自身にも遙か昔のコドモ時代に似たようなイヤーな経験があった。小学校5年生のとき友人と二人で都内の某盛り場(新宿にあらず)に出掛けたときのことだ。数人の不良に「喝上げ」をくらったのだ。路地裏に連れ込まれてネチネチと因縁をつけられた。蹴られたり殴られたりすることはなかったけれども結局所持金をあらかた没収されてしまった(分散保管していたため少しだけ手元に残ったのがせめてもの幸いだった)。そのときの過ぎゆく時間の長かったこと長かったこと。磁力と重力の拮抗。不幸な現実。ああツマラヌことでアキラを余計に怖がらせちゃったかな。ゴメンゴメン。それにしても盛り場の人混みのなかを歩くってのも大変だなぁ。

 ところでその室井風オバサンには連れがいた。同じような浴衣姿の綾瀬はるかだった。いやこちらも正確を期すために綾瀬はるかに瓜二つのノホホンとした顔付きのオバサンと言い換えておくべきか。年齢はやはり50才くらい。若い頃はさぞかし別嬪さんだったろうと思わせる顔立ちなれども歳月による細部の衰えは如何とも隠しきれない(残念!)。その綾瀬はるか風ノホホン・オバサンは室井佑月風ブスット・オバサンと私との険悪なやりとりを傍らでずっと見守っていたのである。幾分オロオロしながらも一言も口出しすることなくじっと黙って両者を交互に直視していた。相撲の行司のようにソレナリに分をわきまえた毅然とした風情が感じられた。ブスット・オバサンが目を逸らしたときには心底ホッとした表情を浮かべた。連れにしとくのはモッタイナイくらいだ。それにしても人と人との付き合いってのも大変だなぁ。

 。。。と,そのときである。室井佑月が,それじゃ,あたし先に行くからネ!,と傍らの綾瀬はるかに言い残すと,その工事現場の仮階段から,地上に向かってヒョイとばかり一気に飛び降りたのだ! それはごく自然な仕草で,スッと前方に足を踏み出すや,まるで高飛び込みの選手がプラットフォーム先端から垂直落下するように,まことに気持ち良さげにス~ッと落ちていった。回転やヒネり技は入れなかったが,浴衣の鮮やかな模様が,まるで琉金がヒラヒラ泳ぐように揺れていた。ビルの階数にして3階くらいだったと思うが,落下先の水面,もとい地面は見えなかった。なぜか着地音も聞こえなかった(地面に吸い込まれて一体化したのか?)。あー,それじゃあ点数の付けようがないナ  。。。って,それがアンタの幕引きだったのかぃ!

 あまりといえばあまりの事態の展開に,私は戸惑いながら思わず綾瀬はるかとお互い顔を見合わせてしまった。はるかオバサンの方ときたら,困ったような顔をしながらも,ちょっぴり苦笑いしていた。スミマセン,いつものことなんです,とでも言いたげに。そして,私は何となく得心した。室井佑月,もとい室井風ブスット・オバサンはどうやらコドモが嫌いだったようだ。いやそれ以上に,「幼児と親とのペア」というものの存在が理屈抜きで大っ嫌いだったに違いない。はいはい,それもひとつの行き方でありましょう。アナタにはアナタの生き方がある。

 さて,元々の火種の主であるアキラの方であるが,すこしだけ私の手を握る力を緩めたようだ。その顔をのぞき込むと,常日頃は「笑わん小僧」であるアキラが心なしか微笑んだような気がした。緊張の糸が多少ともほぐれたのだろう。不毛な争いに幕が下ろされたことを幼いなりに理解したのだろう。そりゃ結構。状況はどうやら良い方向に向かっているゾ,とひとまず安心した。 ところで,ねぇ,アキラ君。生きるってことは,こうした理不尽さと絶えず闘ってゆくことなんだよ。見ての通り,世の中は戦場なんだ。それは,幼稚園でも学校でも会社でもそうだし,また田舎でも都会でも知らない盛り場でもウチの近所でも,どこだって全く同じように戦場なんだ。そのことだけは,よぉ~く覚えておいたほうがいいよ 。。。なんてことを,まるでオタメゴカシのように,その夢の最後で幼い息子に対して講釈する私なのでありました。適当に纏めているような気がするが,終わりよければすべてよし,ということか。

 ガブリエル・フォーレ《夢のあとに Après un rêve》という美しい小品がある。奇妙な夢から目覚めたのち,未明のまどろみのなかで,その甘美で物悲しい旋律が,我が老いたる体躯を包み込むように微かに流れていた。演奏しているのはおそらくポール・トルトゥリエだ。いつの時代のものかは判然としないが,人の悲しみは万国共通だ。とまれ,しょせんは夢ですから,あまり余計な解釈は不要というものだろう。すべては自らの抱える宿痾のタマモノなのだ,ムラカミハルキじゃないが,その異次元の世界においては,何があってもおかしくはない。 ああ,ジンセイは一炊の夢。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 老人たち,それぞれのシアワ... | トップ | 親のココロ,子のココロ (... »
最新の画像もっと見る

歌っているのは?」カテゴリの最新記事