前回のエントリーで《ブログ僻地》なんてぇことを申したが,私のこの拙いブログには,日によってかなりのバラツキはあるものの 平均すれば だいたい1日あたり50人程度の訪問者がいるようだ。お出で下さる方々の氏素性は当然ながらこちらからは全く不明なれども,恐らくはネット検索によりタマタマ当ブログに辿り着いた人が大部分であろうと推察する。それが毎日毎日コンスタントに数10名おられるとは,まさにネット検索のチカラ恐るべし,である。
いわゆるリピーターと思われる方もごく少数ながらいらっしゃるようだが,何しろ最近では月に1,2回くらいしか更新していないものだから,それら御贔屓さんもそろそろ匙を投げようかと思っておられるのではないだろうか。はい,テキトウなところでスッパリ見切って下さいまし。
アクセス数で見ると,1日に100カウント前後だろうか。まれに500~600位になることもあり,また過去には,1日のアクセス数が2,000カウント(!)を超えた日も一度だけあった。さすがにそのときは目眩がしましたね。何かの事件ないし天変地異があったのか,単に偶然が重なった「特異日」であったのか,あるいは管理者サイドの不具合に過ぎなかったのだろうか?
現在ではコメント,トラックバックとも使えないように設定しているが,以前は承認制にしており,その時にはときどきコメントを頂戴した。大部分は『歌カテゴリ』のエントリーに対するコメントで,そのなかには世間的に著名な方も幾人かおられた。ただし,有名・無名を問わず,こちらからの返信はいずれも遠慮させていただいていた(御意見は有難く拝読しておりましたので,その節の御無礼は何とぞ御寛恕頂きたく存じます)。また,『アブク』や『こども』のカテゴリについても,ごくたまにコメントをいただいた。内容は,軽いツッコミのこともあれば,いささか重い御指摘のこともあり,当方の取るに足らぬ「生活と意見」に対する反応は千差万別でありました。ただし,こちらの方もやはり御返事を差し上げることは一切しなかったので,わざわざコメントして下さった方々にとっては恐らく味気ない壁打ちテニスの如きではなかったろうか。それもかなり老朽化して凸凹の多い壁打ち。。。 スイマセン,キタナイ壁で。
たった一度だけ『自転車カテゴリ』の記事にコメントが来たこともあった。それはかなりトンチンカンでキツイ意見で,有り体に申せば,高飛車に説教された感じ,あるいはシニカルに人格攻撃を受けたような気さえした(というのはチョット大袈裟でありますが)。さすがにそのトンチンカン氏の御高説については公衆の面前に晒してやろうかとも一瞬考えたが,それもまた大人げないと思い,公表して返信することはやはり差し控えた。
当ブログにおける実情は まぁこんな調子であるからして,今日びインターネット世界において大流行のTwitterだとかFacebookだとかいう新手の意思伝達ツールについては,例えばウチの大学生と高校生の息子らは結構利用しているようなのだが,少なくとも私自身に関しては,今後ともそれらに係わりを持つことはまずあるまいと思う。そのアカラサマな「時間泥棒」のような,しばしば不毛な対話ループを伴う情報共有というか情報暴露合戦,それらは本来であれば,育ち盛りの未熟なコドモや若者や あるいは社会の第一線で日々活動しているいい年をしたオトナなどではなく,むしろワタシのような年配者,引退者,ジジババの手慰みとして,老後のボケ防止の一手段として利用された方が社会的にはより有益かつ望ましいのであろうケレドモ。。。
そうはいっても,インターネット自体は,この先まだしばらくは利用してゆくことになるだろうと思う(とりあえずは死ぬまで,もとい「死に体」となるまで,かな?) とくに現在,テレビ(地上波)および新聞(大手紙)というマスメディア(=エセメディア)に対して基本的に拒否反応を示している私にとって,ネットの投稿動画《YouTube》や《ニコニコ動画》,あるいはwebラジオの《らじる・らじる》や《Nostalgie Chansons francaises》だとか,そういったストリーミング・メディアが,昨今における私の「カルチャー・ライフ」(あくまで括弧付きでアリマス)の一端を担っている,といっても過言ではないだろう。ただ《2ちゃんねる》だけは極力見ないようにしているが,それでも時々は「ニュース速報+」だとか「自転車」だとかの板をついつい覗いてしまう自分がいるわけでして,あぁ,まだまだ修行が足りません。あ,それから「臨時地震+」などの切迫した即時性も割と好きですけどネ。
そうだ。『歌カテゴリ』のエントリーに関してひとこと付け加えておくと,ずっと以前に当ブログに掲載したシャンソンの拙訳が,それから大分あとになって,どこかのウェブ・ページでちゃっかり引用されているのを見付けたことがあった。別にこちらとしては無断で勝手に使われたからといって一向に構わないと思っている(それもネットの効用,一種の社会貢献かな,というわけで)。 ただし,引用する場合は「まるまる引用・そのまま引用」していただきたい,というのが正直な気持ちである(たとえそれが稚拙な訳であったとしても,だ)。しかるに,件の無断引用においては,拙訳のなかで文節語尾のところだけをちょこっとイジッテあったりして,それがために,少なくとも私が見る限りでは,訳詩の全体イメージが かなり品のない,というかキタナイものに改変されてしまっていたのである。無断引用者の詩的センスを疑うとともに,実に腹立たしくもナサケナイ思いがした。だったら自分で全部を訳せ!と。
もしこれを読んでいたら(ホレ,そこのアナタのことだ),今からでも遅くはない,拙訳を無断引用した当該記事を是非とも削除して欲しいものだ。それが本来の「人の道」というものデハナイカ。ねぇ,ミッシェル? (ヤッパ,修行が足りません,って)
いわゆるリピーターと思われる方もごく少数ながらいらっしゃるようだが,何しろ最近では月に1,2回くらいしか更新していないものだから,それら御贔屓さんもそろそろ匙を投げようかと思っておられるのではないだろうか。はい,テキトウなところでスッパリ見切って下さいまし。
アクセス数で見ると,1日に100カウント前後だろうか。まれに500~600位になることもあり,また過去には,1日のアクセス数が2,000カウント(!)を超えた日も一度だけあった。さすがにそのときは目眩がしましたね。何かの事件ないし天変地異があったのか,単に偶然が重なった「特異日」であったのか,あるいは管理者サイドの不具合に過ぎなかったのだろうか?
現在ではコメント,トラックバックとも使えないように設定しているが,以前は承認制にしており,その時にはときどきコメントを頂戴した。大部分は『歌カテゴリ』のエントリーに対するコメントで,そのなかには世間的に著名な方も幾人かおられた。ただし,有名・無名を問わず,こちらからの返信はいずれも遠慮させていただいていた(御意見は有難く拝読しておりましたので,その節の御無礼は何とぞ御寛恕頂きたく存じます)。また,『アブク』や『こども』のカテゴリについても,ごくたまにコメントをいただいた。内容は,軽いツッコミのこともあれば,いささか重い御指摘のこともあり,当方の取るに足らぬ「生活と意見」に対する反応は千差万別でありました。ただし,こちらの方もやはり御返事を差し上げることは一切しなかったので,わざわざコメントして下さった方々にとっては恐らく味気ない壁打ちテニスの如きではなかったろうか。それもかなり老朽化して凸凹の多い壁打ち。。。 スイマセン,キタナイ壁で。
たった一度だけ『自転車カテゴリ』の記事にコメントが来たこともあった。それはかなりトンチンカンでキツイ意見で,有り体に申せば,高飛車に説教された感じ,あるいはシニカルに人格攻撃を受けたような気さえした(というのはチョット大袈裟でありますが)。さすがにそのトンチンカン氏の御高説については公衆の面前に晒してやろうかとも一瞬考えたが,それもまた大人げないと思い,公表して返信することはやはり差し控えた。
当ブログにおける実情は まぁこんな調子であるからして,今日びインターネット世界において大流行のTwitterだとかFacebookだとかいう新手の意思伝達ツールについては,例えばウチの大学生と高校生の息子らは結構利用しているようなのだが,少なくとも私自身に関しては,今後ともそれらに係わりを持つことはまずあるまいと思う。そのアカラサマな「時間泥棒」のような,しばしば不毛な対話ループを伴う情報共有というか情報暴露合戦,それらは本来であれば,育ち盛りの未熟なコドモや若者や あるいは社会の第一線で日々活動しているいい年をしたオトナなどではなく,むしろワタシのような年配者,引退者,ジジババの手慰みとして,老後のボケ防止の一手段として利用された方が社会的にはより有益かつ望ましいのであろうケレドモ。。。
そうはいっても,インターネット自体は,この先まだしばらくは利用してゆくことになるだろうと思う(とりあえずは死ぬまで,もとい「死に体」となるまで,かな?) とくに現在,テレビ(地上波)および新聞(大手紙)というマスメディア(=エセメディア)に対して基本的に拒否反応を示している私にとって,ネットの投稿動画《YouTube》や《ニコニコ動画》,あるいはwebラジオの《らじる・らじる》や《Nostalgie Chansons francaises》だとか,そういったストリーミング・メディアが,昨今における私の「カルチャー・ライフ」(あくまで括弧付きでアリマス)の一端を担っている,といっても過言ではないだろう。ただ《2ちゃんねる》だけは極力見ないようにしているが,それでも時々は「ニュース速報+」だとか「自転車」だとかの板をついつい覗いてしまう自分がいるわけでして,あぁ,まだまだ修行が足りません。あ,それから「臨時地震+」などの切迫した即時性も割と好きですけどネ。
そうだ。『歌カテゴリ』のエントリーに関してひとこと付け加えておくと,ずっと以前に当ブログに掲載したシャンソンの拙訳が,それから大分あとになって,どこかのウェブ・ページでちゃっかり引用されているのを見付けたことがあった。別にこちらとしては無断で勝手に使われたからといって一向に構わないと思っている(それもネットの効用,一種の社会貢献かな,というわけで)。 ただし,引用する場合は「まるまる引用・そのまま引用」していただきたい,というのが正直な気持ちである(たとえそれが稚拙な訳であったとしても,だ)。しかるに,件の無断引用においては,拙訳のなかで文節語尾のところだけをちょこっとイジッテあったりして,それがために,少なくとも私が見る限りでは,訳詩の全体イメージが かなり品のない,というかキタナイものに改変されてしまっていたのである。無断引用者の詩的センスを疑うとともに,実に腹立たしくもナサケナイ思いがした。だったら自分で全部を訳せ!と。
もしこれを読んでいたら(ホレ,そこのアナタのことだ),今からでも遅くはない,拙訳を無断引用した当該記事を是非とも削除して欲しいものだ。それが本来の「人の道」というものデハナイカ。ねぇ,ミッシェル? (ヤッパ,修行が足りません,って)