子供には見せたくない風景,と題して少々屁理屈を述べさせていただく(例によってのブツブツ繰り言ではありますが)。
現在,私ども家族が住まっている土地は神奈川県北西部の山岳地帯の一隅,という言い方はちょっとオオゲサになるが,標高1,673mの蛭ヶ岳を盟主とする丹沢山塊南麓に拡がる金目川水系水無川扇状地が形成した秦野盆地,その開かれた盆地北側を流れる葛葉川河岸段丘の縁あたりに位置している。一方,秦野盆地の南側,すなわち我が家の二階の窓から南の方角を望見すると,渋沢丘陵という標高約200~300m程のなだらかな丘陵地が東西に走っている。丹沢山塊と渋沢丘陵に囲まれた“お盆の底"が秦野盆地というわけである。この渋沢丘陵の周辺一帯は緑豊かなハイキングコースとなっており,稜線沿いの道は開放的で眺望にすぐれ,眼下に秦野,渋沢の市街地を見下ろし,その先の北方には標高1,000mを越える丹沢表尾根が屏風のように連なっている。また,丘陵の北麓には第一級の活断層である渋沢断層が東西に通じている。
ところで,渋沢丘陵の一角には「震生湖」という名称の,今から約76年前の関東大震災により新たに出現した知る人ぞ知る小さな湖がある。もっとも湖というよりも単に「池」といった方が適当で,東西300m,南北50m程度のごく小さな自然のプールである。市が発行した観光案内パンフレットには次のように紹介されている。
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震生湖は,大正12年の関東大震災の時に,渋沢丘陵の一部が崩れて谷川をせき止めたためにできた,日本一新しい自然湖です。周囲は約1km。小さな湖ですが,深い緑色の湖水をたたえ,春には新緑,秋には紅葉が楽しめるところです。湖畔には,理学博士の故・寺田寅彦氏が地震調査に訪れた際に詠んだ「山さけて成しける池や水すまし」という句碑や,子どもが遊べる広場などがあり,観光ポイントとなっています。その隣には関東三大弁財天のひとつである「福寿弁財天」のお堂があります。
(『秦野―すぐ先にある“ふるさと"―』,1999年3月発行)
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かくのごとき誉れ高い「日本一新しい自然湖」であるが,その現状を率直に評価すれば,これがまたすこぶる汚い“水たまり"に過ぎないと断言できる。水質汚濁の進行が顕著であること自体は,人里近い閉鎖系湖沼の常なるゆえ多分に致し方ない面もある。また,心ないハイカーたちが残してゆくゴミの類が周辺に数多く散逸していることも,捨てる神多ければ拾う神間に合わず,これまた致し方ない(現実問題としては)。
そうではなくて,基本的・根源的にキタナイ原因は他にある。それは,池の周囲のあちこちに“へばりついている”釣り人たちから発散される雰囲気,とりわけ休日などに大挙して訪れる玉石混淆の釣り人連中が醸し出すオーラのごとき雰囲気の集積・蓄積・累積・堆積の有様が非常にキタナイのだ。何せ擦り鉢状に窪んだ地勢ゆえ,いったん澱んだ空気はなかなか拡散することがない。
震生湖の釣り人には「ヘラブナ釣り」と「ブラックバス釣り」という全く性格の異なる2系統が存在する。前者は中年オヤジ,後者は青少年が主体で,ある休日の午前に釣り人の数をざっと数えると,前者は30人,後者は70人ほどであった。勢力的にはほぼこの程度の割合を保ちながら推移しているものと思われる。
これらの二群は,表面的にはともに平静を装い上手く棲み分けているように見えはするものの,その実お互いを牽制し合うように,隙あらば敵陣地に侵入せんと企むように併存している。それはまるでギャングスター同士の水面下でのせめぎ合いのごときである。当然ながら社会的地位は前者が高く,後者は低い。しかるに大衆への浸透度,時代への適応度においては前者が逆に低く,後者が高い。
それらの力学的作用の結果として,少なくとも寺田寅彦の時代にこの「自然湖」が本来持っていたであろう落ち着いた情景,清澄な空気,神秘的な水(本当か?),加えて歴史的遺産としての存在価値,それらは現在見る影もない。すべては汚れ,また汚れを重ね,どこまでも汚れて朽ち果ててゆく。さらに注目すべきは,一般ハイカーや近所の散策者等を排除することにおいては,これらの二群は時に共闘すらするのだ。本来ならのんびりと周囲を散策したりボート遊びなどをするに相応しい小ぢんまりとした湖であるはずが,そして「貸しボート屋」も一応あることはあるのだが,それは実質的にヘラブナオヤジたちに牛耳られているようだ。一般の遊び客がボートに乗って漕ぎ出そうものなら,再び無事に岸にたどり着ける保証はどこにもない。いやはや,まったく理不尽な話である。
それらに追い打ちをかけるような生態学的混乱として,湖内には誰が放ったかハクチョウ,カモ,アヒルなども泳いでいる。むろん,彼女らも例外なく汚れており,それなりに釣り人連中との戦いに日々明け暮れているゆえか,いずれも結構シタタカである。一方,陸の方に目を転ずれば,これまた誰が放ったか捨てられたニワトリの集団がコッコ,コッコと山中を駆け回り,実にニギヤカである。
ちなみに,湖畔には一応次のような看板が掲げられてはいる。
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◆釣りをする人へ◆
震生湖は釣堀ではありません。にもかかわらず,最近,自分本位の釣人が増え,ハイキングの人やボート遊びの人に暴言をはく人まで出ています。ルアーによる事故も増えています。 震生湖は,みんなの公園です。他の観光客のことも考え,楽しく過ごせるよう協力をお願いします。
秦野市観光協会
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当然,こんな看板はとうの昔に形骸化し有名無実化してしまい,今では誰も読みやしませんけれどね(少なくとも釣り人は)。
それにしても,だ。一度ノダ・トモスケとかシーナ・マコトとか血の気の多いユーメージンがこの湖にやって来たりすれば,きっと面白いことになると思う。何しに来るんだって? もちろんカヌー教室をやるに決まってるでしょ! ついでにイトイ・シゲサトなんかもロッド担いでノコノコやって来れば更に上等だ(いわゆる社会的還元,ってやつですかな)。
かくのごとき“悲しい風景"を,私はやはり子供には見せたくない。とか何とかブチブチ言いながら,時々は家族を連れて震生湖へと出掛けてしまう,相変わらず駄目な父親である。
現在,私ども家族が住まっている土地は神奈川県北西部の山岳地帯の一隅,という言い方はちょっとオオゲサになるが,標高1,673mの蛭ヶ岳を盟主とする丹沢山塊南麓に拡がる金目川水系水無川扇状地が形成した秦野盆地,その開かれた盆地北側を流れる葛葉川河岸段丘の縁あたりに位置している。一方,秦野盆地の南側,すなわち我が家の二階の窓から南の方角を望見すると,渋沢丘陵という標高約200~300m程のなだらかな丘陵地が東西に走っている。丹沢山塊と渋沢丘陵に囲まれた“お盆の底"が秦野盆地というわけである。この渋沢丘陵の周辺一帯は緑豊かなハイキングコースとなっており,稜線沿いの道は開放的で眺望にすぐれ,眼下に秦野,渋沢の市街地を見下ろし,その先の北方には標高1,000mを越える丹沢表尾根が屏風のように連なっている。また,丘陵の北麓には第一級の活断層である渋沢断層が東西に通じている。
ところで,渋沢丘陵の一角には「震生湖」という名称の,今から約76年前の関東大震災により新たに出現した知る人ぞ知る小さな湖がある。もっとも湖というよりも単に「池」といった方が適当で,東西300m,南北50m程度のごく小さな自然のプールである。市が発行した観光案内パンフレットには次のように紹介されている。
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震生湖は,大正12年の関東大震災の時に,渋沢丘陵の一部が崩れて谷川をせき止めたためにできた,日本一新しい自然湖です。周囲は約1km。小さな湖ですが,深い緑色の湖水をたたえ,春には新緑,秋には紅葉が楽しめるところです。湖畔には,理学博士の故・寺田寅彦氏が地震調査に訪れた際に詠んだ「山さけて成しける池や水すまし」という句碑や,子どもが遊べる広場などがあり,観光ポイントとなっています。その隣には関東三大弁財天のひとつである「福寿弁財天」のお堂があります。
(『秦野―すぐ先にある“ふるさと"―』,1999年3月発行)
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かくのごとき誉れ高い「日本一新しい自然湖」であるが,その現状を率直に評価すれば,これがまたすこぶる汚い“水たまり"に過ぎないと断言できる。水質汚濁の進行が顕著であること自体は,人里近い閉鎖系湖沼の常なるゆえ多分に致し方ない面もある。また,心ないハイカーたちが残してゆくゴミの類が周辺に数多く散逸していることも,捨てる神多ければ拾う神間に合わず,これまた致し方ない(現実問題としては)。
そうではなくて,基本的・根源的にキタナイ原因は他にある。それは,池の周囲のあちこちに“へばりついている”釣り人たちから発散される雰囲気,とりわけ休日などに大挙して訪れる玉石混淆の釣り人連中が醸し出すオーラのごとき雰囲気の集積・蓄積・累積・堆積の有様が非常にキタナイのだ。何せ擦り鉢状に窪んだ地勢ゆえ,いったん澱んだ空気はなかなか拡散することがない。
震生湖の釣り人には「ヘラブナ釣り」と「ブラックバス釣り」という全く性格の異なる2系統が存在する。前者は中年オヤジ,後者は青少年が主体で,ある休日の午前に釣り人の数をざっと数えると,前者は30人,後者は70人ほどであった。勢力的にはほぼこの程度の割合を保ちながら推移しているものと思われる。
これらの二群は,表面的にはともに平静を装い上手く棲み分けているように見えはするものの,その実お互いを牽制し合うように,隙あらば敵陣地に侵入せんと企むように併存している。それはまるでギャングスター同士の水面下でのせめぎ合いのごときである。当然ながら社会的地位は前者が高く,後者は低い。しかるに大衆への浸透度,時代への適応度においては前者が逆に低く,後者が高い。
それらの力学的作用の結果として,少なくとも寺田寅彦の時代にこの「自然湖」が本来持っていたであろう落ち着いた情景,清澄な空気,神秘的な水(本当か?),加えて歴史的遺産としての存在価値,それらは現在見る影もない。すべては汚れ,また汚れを重ね,どこまでも汚れて朽ち果ててゆく。さらに注目すべきは,一般ハイカーや近所の散策者等を排除することにおいては,これらの二群は時に共闘すらするのだ。本来ならのんびりと周囲を散策したりボート遊びなどをするに相応しい小ぢんまりとした湖であるはずが,そして「貸しボート屋」も一応あることはあるのだが,それは実質的にヘラブナオヤジたちに牛耳られているようだ。一般の遊び客がボートに乗って漕ぎ出そうものなら,再び無事に岸にたどり着ける保証はどこにもない。いやはや,まったく理不尽な話である。
それらに追い打ちをかけるような生態学的混乱として,湖内には誰が放ったかハクチョウ,カモ,アヒルなども泳いでいる。むろん,彼女らも例外なく汚れており,それなりに釣り人連中との戦いに日々明け暮れているゆえか,いずれも結構シタタカである。一方,陸の方に目を転ずれば,これまた誰が放ったか捨てられたニワトリの集団がコッコ,コッコと山中を駆け回り,実にニギヤカである。
ちなみに,湖畔には一応次のような看板が掲げられてはいる。
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◆釣りをする人へ◆
震生湖は釣堀ではありません。にもかかわらず,最近,自分本位の釣人が増え,ハイキングの人やボート遊びの人に暴言をはく人まで出ています。ルアーによる事故も増えています。 震生湖は,みんなの公園です。他の観光客のことも考え,楽しく過ごせるよう協力をお願いします。
秦野市観光協会
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当然,こんな看板はとうの昔に形骸化し有名無実化してしまい,今では誰も読みやしませんけれどね(少なくとも釣り人は)。
それにしても,だ。一度ノダ・トモスケとかシーナ・マコトとか血の気の多いユーメージンがこの湖にやって来たりすれば,きっと面白いことになると思う。何しに来るんだって? もちろんカヌー教室をやるに決まってるでしょ! ついでにイトイ・シゲサトなんかもロッド担いでノコノコやって来れば更に上等だ(いわゆる社会的還元,ってやつですかな)。
かくのごとき“悲しい風景"を,私はやはり子供には見せたくない。とか何とかブチブチ言いながら,時々は家族を連れて震生湖へと出掛けてしまう,相変わらず駄目な父親である。