詩人にとって春は実にツライ季節だ,などと嘗て歌ったのは,さて誰であったか。中原中也か,ウォルター・ホイットマンか,カール・ブッセか,中島ソノミか。いや,誰だって構わないんだけれども,ともかくそういった状況を現在の我が境遇に当て嵌めてみると,いい年をして,世間知らずの,高踏的な,タガの外れた,超カンチガイの,言ってみれば「萩原朔太郎的悲しみ」のようなものがフツフツと湧き上がってくる切ない季節のごとくに思われる。要するに,考え過ぎ,なわけで。
若干の事例を示そう。例えば未だ宵の口,夜の7時ないし8時台の東京駅始発の東北新幹線で北国へと向かうことが,しばしばある。当然それは仕事上の慌ただしい出張であり,味もソッケもない,喜びもホコロビもない,ゆとりもサトリもない,単なる効率第一主義の空間移動に過ぎない。列車が都心を少しずつ離れてゆき,やがてサイタマの郊外あたりを通過するとき,線路沿いに立地する比較的大きな工場の敷地の一角に,夜間照明に照らされたテニスコートが垣間見られたりする。そこでは恐らく,長く辛い一日の仕事を終えたであろう労働者諸君が全身開放感に溢れて楽しげにナイター・テニスに興じている。桜の季節はとうに終わり,葉桜の明るい緑がコートのカクテル照明に鮮やかに浮かび上がっている。
新幹線のひんやりとした窓に凭れながら,走馬燈のように過ぎてゆくそんな書き割り風景をボンヤリ眺めつつ,もし自分があのヒトビトだったら,などと,不覚にも愚かにも考えてしまう。今とは違う暮らし,今とは違う人生。此処じゃない何処かへ。けれどそれは30年前にも全く同様に考えていたことじゃないか,と即座に思いが至り,自らの思いッ切りの悪さ,狭量の狭さにつくづくナサケナクなってしまうのだ。イカン,イカン。やっぱ,考え過ぎ。
当時はその列車が中央本線だったり,上越線だったり,あるいは常磐線だったり,いずれも鈍行ないしせいぜい急行の,硬い垂直の背もたれに鎮座するボックスシートの乗客であったように記憶しているが,類型化された心象風景は時代を超えて不変である。新幹線のフンワカシートにだらしなく座りながら,マルク・ブロックいうところの「歴史をさかさまに読む」,そんなテーゼが突然浮かんできて思わず苦笑する。未知なるヒトビトとの失われた連帯感。結局,自分は何者にもなれなかったのだ。ホントニモウ,どうしようもなく,考え過ぎ!
我が敬愛する上野益三先生は,かつて次のように記された。
《....1925年,私が陸水学という新興の自然科学に足を踏み入れたとき,私の好奇心を満足させるにはあまりにも広い,そして,あまりにも多様の未知の世界が,眼前にひろがっていた。私は興味の赴くまま,陸水学をひととおり探求しておきたいという野心をもった。そこで,湧泉,渓流,河川,湖沼から地下水など,あらゆる陸水の研究に手をつけた。それによって,陸水や陸水生物について,多方面の知識を得るよろこびを味わったが,ついに,陸水学における一介のディレタントに終始した。今,省みて忸怩たらざるを得ないのである。》
齢七十を過ぎて謙虚にそう述べられてから以後の十余年にわたる見事な仕事ぶりは,不躾な言い方を許していただければ,いつだって我がココロノササエであった。ジリツしたジーサンになりたい! それが今では,ジリツしたジーサンでありたい,に変わっちまいましたけどネ。
春,それは一体どんな季節だったか知らん,なんて,いくら考えても詮無いことだ。《Ce n’est rien. Tu le sais bien le temp passe. ce n’est rien.》 時は過ぎゆく。ごく自然に過ぎてゆく。私に近しい別の事例を挙げれば,春は例えばオサカナが生まれる季節なのだ。現代日本における愛と憎しみのコンプレックスを一身に抱えながら,しかし春ともなれば全国各地の至る処,湖沼,溜池,水たまり,河川,入江,用水路などなど,さまざな水域でワラワラと無数に生まれくる鬼っ子であるところのブラックバス(Micropterus salmoides/M. dolomieu),彼ら彼女らもまた,おしなべて春という日を強く待ち望んでいるのである。要するに《生きるという病気》,ってやつでありまして。いづくも同じ春の宵闇。
若干の事例を示そう。例えば未だ宵の口,夜の7時ないし8時台の東京駅始発の東北新幹線で北国へと向かうことが,しばしばある。当然それは仕事上の慌ただしい出張であり,味もソッケもない,喜びもホコロビもない,ゆとりもサトリもない,単なる効率第一主義の空間移動に過ぎない。列車が都心を少しずつ離れてゆき,やがてサイタマの郊外あたりを通過するとき,線路沿いに立地する比較的大きな工場の敷地の一角に,夜間照明に照らされたテニスコートが垣間見られたりする。そこでは恐らく,長く辛い一日の仕事を終えたであろう労働者諸君が全身開放感に溢れて楽しげにナイター・テニスに興じている。桜の季節はとうに終わり,葉桜の明るい緑がコートのカクテル照明に鮮やかに浮かび上がっている。
新幹線のひんやりとした窓に凭れながら,走馬燈のように過ぎてゆくそんな書き割り風景をボンヤリ眺めつつ,もし自分があのヒトビトだったら,などと,不覚にも愚かにも考えてしまう。今とは違う暮らし,今とは違う人生。此処じゃない何処かへ。けれどそれは30年前にも全く同様に考えていたことじゃないか,と即座に思いが至り,自らの思いッ切りの悪さ,狭量の狭さにつくづくナサケナクなってしまうのだ。イカン,イカン。やっぱ,考え過ぎ。
当時はその列車が中央本線だったり,上越線だったり,あるいは常磐線だったり,いずれも鈍行ないしせいぜい急行の,硬い垂直の背もたれに鎮座するボックスシートの乗客であったように記憶しているが,類型化された心象風景は時代を超えて不変である。新幹線のフンワカシートにだらしなく座りながら,マルク・ブロックいうところの「歴史をさかさまに読む」,そんなテーゼが突然浮かんできて思わず苦笑する。未知なるヒトビトとの失われた連帯感。結局,自分は何者にもなれなかったのだ。ホントニモウ,どうしようもなく,考え過ぎ!
我が敬愛する上野益三先生は,かつて次のように記された。
《....1925年,私が陸水学という新興の自然科学に足を踏み入れたとき,私の好奇心を満足させるにはあまりにも広い,そして,あまりにも多様の未知の世界が,眼前にひろがっていた。私は興味の赴くまま,陸水学をひととおり探求しておきたいという野心をもった。そこで,湧泉,渓流,河川,湖沼から地下水など,あらゆる陸水の研究に手をつけた。それによって,陸水や陸水生物について,多方面の知識を得るよろこびを味わったが,ついに,陸水学における一介のディレタントに終始した。今,省みて忸怩たらざるを得ないのである。》
齢七十を過ぎて謙虚にそう述べられてから以後の十余年にわたる見事な仕事ぶりは,不躾な言い方を許していただければ,いつだって我がココロノササエであった。ジリツしたジーサンになりたい! それが今では,ジリツしたジーサンでありたい,に変わっちまいましたけどネ。
春,それは一体どんな季節だったか知らん,なんて,いくら考えても詮無いことだ。《Ce n’est rien. Tu le sais bien le temp passe. ce n’est rien.》 時は過ぎゆく。ごく自然に過ぎてゆく。私に近しい別の事例を挙げれば,春は例えばオサカナが生まれる季節なのだ。現代日本における愛と憎しみのコンプレックスを一身に抱えながら,しかし春ともなれば全国各地の至る処,湖沼,溜池,水たまり,河川,入江,用水路などなど,さまざな水域でワラワラと無数に生まれくる鬼っ子であるところのブラックバス(Micropterus salmoides/M. dolomieu),彼ら彼女らもまた,おしなべて春という日を強く待ち望んでいるのである。要するに《生きるという病気》,ってやつでありまして。いづくも同じ春の宵闇。