永遠のウソをついてくれ,って?

2010年05月09日 | 歌っているのは?
 中島みゆき,という当代きっての歌姫(ラ・シャントゥーズ・レーヌ,とでも云うのだろうか?)が放つ強烈なアウラAURAというかヴォルスポVOLUSPOというか,それらについては彼女の歌に魅せられた数多の人々がこれまで幾十年もの長きにわたって繰り返し飽くことなく,自らの思いの丈を熱意を持って語ってきたわけであり,そして現在でもなお絶えることなく語り続けられていることなのであるからして,今さら私ごときが屋上屋を重ねてどうこう申し述べるジョウキョウにないこと,それは実に明白である。そこで,(何がそこで,じゃ?),今から数ヵ月前のささやかなる私的体験,春の訪れにはまだ早い冬の季節にふと感じた,いささか頓珍漢かも知れぬエピソードを少しだけ,以下に覚えとして記しておきたい。

 ある寒い日の夕方,山中の見知らぬ小径を,私はひとりで歩いていた。仕事のようでもあり道楽のようでもある一件のヤヤコシ事案を何とか終わらせ,ひとまずホッとした後で家へと帰る途中のことだった。山麓の里にたどり着くまでにはまだ大分の距離があり,一方で昼間の作業による疲れがここにきて急に出てきたのか足取りはかなり重く,帰路の行程は遅々として進まなかった。何せ昨今では,町中,山中を問わず自転車による移動スピードが私にとってのデフォルトとなっているものだから,その緩慢でもどかしい山路の歩みは老いたる身にはいささか辛く,ともすればまるで夢の中でムーンウォークでもしているかのごときヨロヨロとした行軍となるのであった。 Mais, au suivant, au suivant!

 まったく,こんなとき自転車があれば楽なのになー!などと,ついつい考えが及んでしまう現在の自分は,さて,いったいいつの頃からか,知らず知らずのうちに自らの存在感,己が有する微弱パワーの実態,身体能力の低レベル具合等々を忘れてしまったのだろうか。たといそれが人動補助機械であれ,外的手段に安易に依存しながら日々を過ごす現在のライフスタイルを,ともすれば古来より自明であることのように受け入れてしまった,かくのごとき一見質素に見える暮らしぶりもまた,例えば純粋な宗教家などから見れば一種のダラクなのであろう。あらためて強く自戒を促すとともに,このことはいつかキッチリ自らの内で総括し,ケジメをつけておかねばならないゾ。 などといった相も変わらぬグダグダ話は,さておき。

 夕暮れが迫ってきて周囲の冬景色は徐々に薄墨色の紗幕でおおわれてゆき,それとともに凍てつくような冷気が,外界の風にじかに晒された我が脆弱なる頤や鼻骨や額部を執拗に刺激し,さらには何たることか,霧とも霙ともまがうような小雨も暗い空からパラついてきて,それらすべてが身体全体を包み込むようにして私の行く手を無理やり押し阻んでいるかのようだった。GPSで確認すると標高は約600m。里に下りるまで,あと1~2時間はタップリかかるだろう。まったくもってニッチモサッチモ,足取りはますますムーンウォーク状態になってゆく。それとともに,衰弱した思考回路も徐々に歪んでゆく。

 ああ,何だかこんな風にして歩き続けるのは,もうイヤになっちゃったなぁ。いつまでこんな暮らしを続けていくんだろうかなぁ。。。 いっそ何処かの大きな木の洞にでも潜り込んで冬眠でもしちまおうかなぁ。でもそれだと,この寒さの中じゃ冬眠というよりも永眠になっちまうかも知れないなぁ。。。 まぁ,それもまた,ひとつのジンセイ,ひとつの生命の締めくくり方かも知れないけれどなぁ。。。

 要するに,妙にナゲヤリに,というか弱気になっていたわけであります。

 と,その時,どこかでガマガエル(=アズマヒキガエル)の鳴き声を聞いたのである。それは私にとって今年の「初聞き」だった。薄暗いせいで場所ははっきり特定できなかったが,恐らくどこか路傍の繁みの陰に水たまりか細流でもあるのかも知れない。山中に断続的に低くこもったように反響する,それはまことに暗く,淋しげなガマの鳴き声だった。地鳴りのような悲しい声だった。いや,その声を淋しい,悲しいと受け取るのは当方の身勝手な思い込みに過ぎないことは重々承知している。彼らにしてみればごくアタリマエの恋歌,ずっと昔から子々孫々,はるかなる時を経て連綿と受け継がれ続けてきた生命連鎖の一形式,いわば季節的な通過儀礼ceremonie saisonniereを発信しているに過ぎないわけで,それを他人にどうこう言われる筋合いなど断じてありはしないだろう。ったくもう,ニンゲンなんてララーラーララララーラー。いや,失礼した。イカンイカン。やっぱ,かなりナゲヤリ気分になっているようだ。

 そして,これまたオカシナ話だが,そのとき私のアタマのなかで唐突に,中島みゆきの《昔から雨が降ってくる》と,ミスター・チルドレンの《HANABI》と,それから宮澤賢治の《雁の童子》,それら三つの詩的イメージがほぼ前後して交錯しながら浮かび上がってきたのだった。これには我ながら虚を突かれたように驚いた。

 はじめに,「みゆき姉御」の唄う,透明なフレーズが聞こえてきた。


   昔ぼくは この池のほとりの
   一匹のガマだったかも知れない
   遠い空へ手を伸ばし続けた
   やるせないガマだったかも知れない。。。



 つぎに,「ミスチルさん」による,すこぶる切ない思いの叫びをハッキリと聞いた。


   誰もがみな 問題を抱えている
   だけど素敵な明日を願っている
   臆病風に吹かれて 波風がたった世界を
   どれだけ愛することができるだろう。。。




 そうしてさらに,「賢治先生」の作中人物による,父子の対話が静かに語られるのを聞いた。


 そのとき童子はふと水の流れる音を聞かれました。そしてしばらく考えてから,

  - お父さん,水は夜でも流れるのですか?

 とお尋ねです。須利耶さまは沙漠のむこうから昇ってきた大きな青い星を
 眺めながら お答えなされます。

  - 水は夜でも流れるよ。水は夜でも昼でも,いつまでもいつまでも
   流れるのだ。。。


 それぞれの心象イメージは夕暮れの薄暗い闇の中で混交し,あたりの冷気に溶け込んで昇華してゆき,そしてそれらはまるで私の覚束ない足元を仄かに照しだすかのよう,ゆく先の小径のありか示しているかのようだった。ここでもし私をして瞬時コバヤシヒデオに成り代わることを許されるのであれば(何という喩えじゃい!),死んだおっかさんが私を導いてくれる,と思わざるを得ないのであった。

 ああ,春を迎えるまで,もう少しだけ頑張ってみようかな。その時,ふと思った。そうだ。この先しばらく春になるまで,丹沢山塊のアズマヒキガエルの産卵を追いかけてみることにしよう。それがどういう意味を持つか,そのことにどんな意義があるか,なんて知ったことじゃない。自転車に乗って,MTBを駆って,できるだけたくさん冬から春にかけての山中を走り巡るのだ! そう心に誓ったのである。もう一度言わせていただこう,バカバカしい話なら幾らでもございます。けれど,そんな風にして救われるジンセイもまた,決してないわけではないのですよ。あらためて,ガマガエルと,そして中島みゆきには深く感謝していることを,この場を借りて申し添えておきたい。

 そういう次第で,アズマヒキガエルの産卵の話題はエントリーを改めて次回持ち越しとなる(。。。ダロウカ?)
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