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水辺に暮らす人々

2002年06月07日 | 川について
 それは東京都の江戸川区内を流れる川での出来事だそうだ。ずっと以前から河川敷の土地を自分らで勝手に耕して野菜畑や果樹園などを作っている地元住民に対して,再三の警告にも耳を貸さないことに業を煮やした行政側が,とうとう河川敷内に点在する作業小屋等の不法工作物を重機使用による強制撤去に踏み切った,というニュースが昨日TVで報じられていた(ただし,肝心の畑と農作物の除去については「お上の情け」でもう少し先送りになるらしい)。

 確か数ヵ月前だったか,最初にそのニュースの第一報を見聞したとき,報道する側(TV及び新聞)の論調は「別にそんなに悪気はないようだし,庶民のささやかな楽しみとして,そこそこ黙認してもいいんではないの?」といった感じで,不法者たちに対して幾分肩を持つようなスタンスであったように思う。多分,彼らジジババ(=弱者)に対する遠慮があったのだろう。しかるにその後,河川流域一帯にどんな風が吹いたのか,あるいは江戸川区内の地域社会にどのようなパワー・オブ・バランスが作用したのか,畑作りをしている連中は徐々に「コソ泥」ないし「居直り強盗」的な扱いを受けるようになってきた。一方でマスメディア各社は,日和見的報道機関に特有の免罪符として,行政側の優柔不断ないし怠慢を指摘する声なんぞをチャッカリと載せることも忘れない。まぁ,耕作者たちにしてみれば支援者に突然裏切られて逆転敗訴した被告のような気分に違いあるまい。同じような河川利用に係るトラブル・メーカーとして,運河や水路にクルーザーやプレジャーボートを不法係留している連中がいる。前者と後者とでは身分・階級やモチベーション・メンタリティーが正直かなり異なっているとは思うが,為政者の側からすればしょせん同じ穴の狢であろう。

 私事になるが,先日,相模川の中流域一帯で生物調査を行った。その際,河川敷に沿って車あるいは徒歩で移動する機会が多くあり,相模川における河川敷土地利用の現状を垣間見ることができた。河道幅が数100mもあり,かつ低水路(流路)はキッチリと固定されているものだから,その水裏部には安定した高水敷(河川敷)が広い範囲で形成されている。公共的な用途として,運動公園として利用されている場所が多い。しかし,所有者も由来も不明な耕作地なども未だ数多く存在しており,のみならず河川敷を生活の拠点とする人々(=)もあちらこちらに少なからず棲息分布している。そして,彼ら河川依存生活者たちの多くは野宿生活,テント生活,穴居生活をしているわけでもなく,大地に根をしっかりと張った生活をしている。実にさまざまな「邸宅」が拝見できる。家を形作る素材は様々だが,生活するための工夫は随所に見られる。廃車になったワンボックス・ワゴンをそのまま利用しているもの,材木・ブラスチック・ステンレスなどの廃材を上手く組み合わせたもの,さらには,立派な垣根を巡らせた雰囲気の良いコテージ風の邸宅まである。そんな邸宅のうちの1軒のすぐ前をゆっくり歩いて通り過ぎていったとき,門の傍らにいた犬に急に吠えられ少々面食らった。番犬までいるんですね(いくぶん痩せ気味の雑種犬だったけれど)。

 かくのごとくに,我らがアルベール・ラングロワの水辺暮らしは,例えば拙宅の周辺に最近とみに増えつつあるアーティフィシャルなショートケーキハウス,恐らくは高額な住宅ローン負債と引き替えに築き上げたであろうチマチマしたコンペイトウハウスなどに比べると,よっぽど人間味に溢れたナチュラルな住まい,ナチュラルな暮らしぶりであるなぁ,などと思った次第であります。 シアワセって,何だろうか?
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