先日,『川の生態系を探る』というテーマの市民講座を受講した。ワタクシ個人的な立場としては,その手の催事は一切スルーする(係わらない)ことを基本としているのだが,今回その催しにあえて参加したのは,たまたま会場となった場所が拙宅のごく近所であったこと,その日は何故かヒマをもてあましていたこと,講師として来られた方が県内では比較的名の知れた中堅どころの魚類研究者(or魚屋さん)であったこと,などの理由による。 さらに加えれば,こういった講座において,その道を究めた(or究めんとしている)専門家先生が,社会問題に対する関心が高いと思われる(or野次馬的好奇心の旺盛な)素人であるところの一般市民を前にしてどのようなスタイルの,どのようなコンテンツの「啓蒙的」講義を行うのか,話術のスキルや会場の反応等を含めてひとつお手並み拝見,といった些か下世話な興味もございました。
結果を先に述べると,午前中の講義,午後の河川実習を含めてほぼ一日近くを費やした割には,私的には得るところほとんどなく,はっきり言って時間の浪費depense inutileであった(もっとも,ヒマ潰しの機会を得たと考えればそれはそれで有り難いutileと思わねばならぬ)。 以下,後学の覚えとしてそのときの感想などを一寸記しておく。
受講者の数は約15名(女性が3名,残りは男),年齢層は40~70代(平均65才くらいか?),その多くは自然好き,鳥や植物好きの御隠居さん,所謂アウトドア老人と見受けられた。この年齢層の偏在ぶりにのっけから出鼻をくじかれた気分になりました。本来ならこのような催しには幼児からコドモ,青少年,20~40代の若・中年層,そして定番の老人を含めて広範な世代が参加するのが望ましいことであり,また当然主催者側もあらかじめそのように目論んでいたのではあろうが,彼らの思惑に反して実状かくのごとし。要するに,これは講座担当裏方さんのアナウンス不足ないし動員力不足だったのだろう。いかにもお役所的で,気合いを入れて仕事してなーい!などといえば言い過ぎになりましょうか。
講師の話自体も,そのような客層に対応して(だかどうかは知らぬが),ごく御座なりの河川環境概論,魚類生態系一般論の講話ないし漫談に終始した。話しぶりはそれなりに達者であったが,テーマの追求と盛り上げに欠け,結果として,身近な川や水辺の環境とそこに住む生き物に対する住民の興味関心を喚起するに至らず,ましてや特定地域レベルにおける「今そこにある危機」を見据えた問題提起などにはほど遠い講義であった。次々と繰り出される雑多な話題はすべて,まるで風のように会場の右から左へと,風上から風下へとサーッと素通りして消えてゆき,これじゃぁ後には何も残らないわなぁ,と感じたのは私だけであろうか。この川のほとりで開催する意味があるのかー!などといえば言い過ぎになりましょうか。
一応は魚の調査・研究・指導・啓蒙等をナリワイとする専門職公務員なわけだから,元々それなりの知識および意識は持っているだろうとは思う。おそらく県内各地のさまざまな団体のさまざまな類似の催しにしばしば招かれるのだろう(公僕とあらばそれは致し方ないことだ)。そして,そのような講義のためにアラカジメ仕込んでおくネタは,汎用を旨とすべし,中庸が無難なり,と考えているのだろう。けれどそれでは受講者の側からしてみれば「地域」がチットモ見えてこないし,自らの抱える問題として「環境」を捉えることができないのだ。繰り返すが,コンナモンデヨカンベ的お役所仕事が許される時代では既にないでしょうに! ここで私は,今から約20年以上も前に聴講した物理学者・槌田敦さんの「環境」に関する講座を思い出す。それもやはり某お役所が主催したものであったが,そこで槌田さんは「環境問題」を科学として哲学として,政治や経済との係わりを決して避けて通ることなく,ホーリズム的視点で正面から真剣に論じていた。それはまことに見事な講座であった。
それはさておき。 今回の講座における個人的なゆいいつの収穫といえば,午後に行った河川実習(魚や川虫の採集)において,この春生まれたウグイ稚魚を採捕確認出来たことくらいだろうか。それは体長約3cmのウグイで,孵化後1ヶ月に満たない個体であろうと推測された。採集場所を遠慮がちに示しておくと,そこは金目川水系の一支川で,緯度35°23’02”,経度139°13’03”(世界測地系)の地点,標高は約130mであった。河川形態的には典型的なBb型水域(中流域)の様相を呈し,ウグイが生息しても別段おかしくはない環境である。 ただし,私自身が過去に行った何度かの観察および採集経験を踏まえた認識としては,その付近の河川に生息する魚類は大部分がアブラハヤで,他にギンブナ,ドジョウ,シマドジョウ,ヨシノボリ類などがわずかに生息する程度であると承知していた。魚相的には実にアブラハヤの天下なのである。ウグイについては,金目川水系における主たる生息域は金目川本流の中・下流部,観音橋~土屋橋~南平橋にかけての水域であって,まれに少数の元気な個体が「索餌回遊」のためにさらに上流ないし支流へと遡上することはあるにしても,まさか「産卵回遊」のために親魚の群がここまで上ってきているとは思ってもいなかった。途中に手ごわい堰堤や落差工(=魚の生態などほとんど考えずに作られたコンクリの擁壁)が何箇所も存在するし,そもそも上流域にゆくほど流況は不安定になるし,また河床条件にしてもウグイの産卵に適した礫底の場所は少なくなるし... けれども現実にはウグイの稚魚をこうして採捕したわけであるからして,少なくとも今年の春に当水域においてウグイの産卵が行われたことは事実として認めねばならない。そのことは私自身にとっては意外かつ新鮮な驚きであった。また,客観的に考えても,ウグイが繁殖・再生産しているということは,当水域における「河川生態系」の特筆すべき構成要素として評価に値すると思えるのだが...
そのようなことを講師先生にちょいと意見すると,残念ながら(あるいは当然ながら?)反応はイマイチであり,というか,この場所でウグイが産卵しているという実態などにほとんど興味を示して下さいませんでした(別に珍しくもなんともなーい,とでも思っていたのだろうか?) 何度も繰り返すが,この川のほとりで「お勉強会」を開催する理由があったのかー! (シツコイですね)
以上,覚書としての感想をざっと記しておいたが,読み返してみて我ながら何とも嫌味な書き様であることよと呆れる。不満があれば主催者に,あるいは講師に直接述べるのがスジではないか,との指摘も当然ございましょう。けれども実際のところワタクシに不満など何もないのであって,時折こういったブツブツを無性に書いてみたくなるのは単なる因果な性分に過ぎないのであります。 ま,しょせん研究者のレベルの低さなど,その当事者の所属するエリアにおけるサポーター(支持者)ないしフォロワー(追従者)のレベルの低さの反映に過ぎないのでしょう(一般論ですけど)。自戒の意を含め今後の課題としたいと存じます(ウソですけど)。
結果を先に述べると,午前中の講義,午後の河川実習を含めてほぼ一日近くを費やした割には,私的には得るところほとんどなく,はっきり言って時間の浪費depense inutileであった(もっとも,ヒマ潰しの機会を得たと考えればそれはそれで有り難いutileと思わねばならぬ)。 以下,後学の覚えとしてそのときの感想などを一寸記しておく。
受講者の数は約15名(女性が3名,残りは男),年齢層は40~70代(平均65才くらいか?),その多くは自然好き,鳥や植物好きの御隠居さん,所謂アウトドア老人と見受けられた。この年齢層の偏在ぶりにのっけから出鼻をくじかれた気分になりました。本来ならこのような催しには幼児からコドモ,青少年,20~40代の若・中年層,そして定番の老人を含めて広範な世代が参加するのが望ましいことであり,また当然主催者側もあらかじめそのように目論んでいたのではあろうが,彼らの思惑に反して実状かくのごとし。要するに,これは講座担当裏方さんのアナウンス不足ないし動員力不足だったのだろう。いかにもお役所的で,気合いを入れて仕事してなーい!などといえば言い過ぎになりましょうか。
講師の話自体も,そのような客層に対応して(だかどうかは知らぬが),ごく御座なりの河川環境概論,魚類生態系一般論の講話ないし漫談に終始した。話しぶりはそれなりに達者であったが,テーマの追求と盛り上げに欠け,結果として,身近な川や水辺の環境とそこに住む生き物に対する住民の興味関心を喚起するに至らず,ましてや特定地域レベルにおける「今そこにある危機」を見据えた問題提起などにはほど遠い講義であった。次々と繰り出される雑多な話題はすべて,まるで風のように会場の右から左へと,風上から風下へとサーッと素通りして消えてゆき,これじゃぁ後には何も残らないわなぁ,と感じたのは私だけであろうか。この川のほとりで開催する意味があるのかー!などといえば言い過ぎになりましょうか。
一応は魚の調査・研究・指導・啓蒙等をナリワイとする専門職公務員なわけだから,元々それなりの知識および意識は持っているだろうとは思う。おそらく県内各地のさまざまな団体のさまざまな類似の催しにしばしば招かれるのだろう(公僕とあらばそれは致し方ないことだ)。そして,そのような講義のためにアラカジメ仕込んでおくネタは,汎用を旨とすべし,中庸が無難なり,と考えているのだろう。けれどそれでは受講者の側からしてみれば「地域」がチットモ見えてこないし,自らの抱える問題として「環境」を捉えることができないのだ。繰り返すが,コンナモンデヨカンベ的お役所仕事が許される時代では既にないでしょうに! ここで私は,今から約20年以上も前に聴講した物理学者・槌田敦さんの「環境」に関する講座を思い出す。それもやはり某お役所が主催したものであったが,そこで槌田さんは「環境問題」を科学として哲学として,政治や経済との係わりを決して避けて通ることなく,ホーリズム的視点で正面から真剣に論じていた。それはまことに見事な講座であった。
それはさておき。 今回の講座における個人的なゆいいつの収穫といえば,午後に行った河川実習(魚や川虫の採集)において,この春生まれたウグイ稚魚を採捕確認出来たことくらいだろうか。それは体長約3cmのウグイで,孵化後1ヶ月に満たない個体であろうと推測された。採集場所を遠慮がちに示しておくと,そこは金目川水系の一支川で,緯度35°23’02”,経度139°13’03”(世界測地系)の地点,標高は約130mであった。河川形態的には典型的なBb型水域(中流域)の様相を呈し,ウグイが生息しても別段おかしくはない環境である。 ただし,私自身が過去に行った何度かの観察および採集経験を踏まえた認識としては,その付近の河川に生息する魚類は大部分がアブラハヤで,他にギンブナ,ドジョウ,シマドジョウ,ヨシノボリ類などがわずかに生息する程度であると承知していた。魚相的には実にアブラハヤの天下なのである。ウグイについては,金目川水系における主たる生息域は金目川本流の中・下流部,観音橋~土屋橋~南平橋にかけての水域であって,まれに少数の元気な個体が「索餌回遊」のためにさらに上流ないし支流へと遡上することはあるにしても,まさか「産卵回遊」のために親魚の群がここまで上ってきているとは思ってもいなかった。途中に手ごわい堰堤や落差工(=魚の生態などほとんど考えずに作られたコンクリの擁壁)が何箇所も存在するし,そもそも上流域にゆくほど流況は不安定になるし,また河床条件にしてもウグイの産卵に適した礫底の場所は少なくなるし... けれども現実にはウグイの稚魚をこうして採捕したわけであるからして,少なくとも今年の春に当水域においてウグイの産卵が行われたことは事実として認めねばならない。そのことは私自身にとっては意外かつ新鮮な驚きであった。また,客観的に考えても,ウグイが繁殖・再生産しているということは,当水域における「河川生態系」の特筆すべき構成要素として評価に値すると思えるのだが...
そのようなことを講師先生にちょいと意見すると,残念ながら(あるいは当然ながら?)反応はイマイチであり,というか,この場所でウグイが産卵しているという実態などにほとんど興味を示して下さいませんでした(別に珍しくもなんともなーい,とでも思っていたのだろうか?) 何度も繰り返すが,この川のほとりで「お勉強会」を開催する理由があったのかー! (シツコイですね)
以上,覚書としての感想をざっと記しておいたが,読み返してみて我ながら何とも嫌味な書き様であることよと呆れる。不満があれば主催者に,あるいは講師に直接述べるのがスジではないか,との指摘も当然ございましょう。けれども実際のところワタクシに不満など何もないのであって,時折こういったブツブツを無性に書いてみたくなるのは単なる因果な性分に過ぎないのであります。 ま,しょせん研究者のレベルの低さなど,その当事者の所属するエリアにおけるサポーター(支持者)ないしフォロワー(追従者)のレベルの低さの反映に過ぎないのでしょう(一般論ですけど)。自戒の意を含め今後の課題としたいと存じます(ウソですけど)。