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「近自然工法」のこと

1999年03月06日 | 川について
 相変らず雑事にかまけた日々を過ごしており(その雑事が食うための仕事の主要部分を占めているのだが),気がつけば「川」を主題とする私の基本的見解の整理・取りまとめに着手しないまま,はや1年以上が経過してしまった。ホントは単に億劫なだけ,といった方が当たっているか(このグータラには将来必ずやツケが回ってくるような気がする)。そんなわけで再び思い出したように,あるいは何者かにせかされるようにブチブチとささやかな泡を吹く。野球に例えれば,ジャガイモ・プレイヤーたちのヘボ・プレーに対して思わず外野席から投げつける野次のようなものである。何でここで野球が出てくるのかよく判らないが,とりあえずやんわりとミカンの皮でも放り投げてやろうか知らん(屁でもないか?)。

 「近自然工法」あるいは「多自然型河川工法」その呼称は私にとってはどちらでも一向に構わないんだけれども,遥か遠い遠い異国,スイスとか南ドイツとかで盛んに援用されているという噂の,ある流儀の河川工事を必要以上にモテハヤシ有り難がる人たちが,昨今,本邦各地で官民を問わずジワリジワリと増殖しているという現状に関して,ここしばらくは少々気が滅入っている。

 そもそものきっかけは,四国方面に在住する某民間調査会社の河川工学技術者(今やこのジャンルの権威と成りおおせた御方)が舶来物のアイデアを紹介・導入したことに始まる。およそ10年ほど前のことだろうか。それ以来,河川・水辺に関わるさまざまな住民運動,環境保護活動,社会啓蒙イベント等の顕在化ないし裾野拡大を背景として,ちっとばかり河川「環境」の現況を憂えていると自負する輩たちは,コレダコレダとその「近自然工法」なるシロモノを半ば無批判的に持ち上げ,そして錦の御旗よろしくあちこちの水辺で振り回しはじめた。それとともに,本来,不良青少年やたちの隠れ家ないし安住の地として位置づけられていたようなそこらの凡庸な水辺までもが,何やら大変アリガタイものとして脚光を浴び,俄に付近は騒々しくなってきた。一昨年あたりは例のハム屋&クツ屋のCMでお馴染みの黒姫山麓の赤鬼氏までもがそんなことを言いだしたりして。そりゃあCMタレントだもの,効果はバツグンだ~!(ポケスタか,っての)

 行政サイド(=河川管理者)にとっては,それらは逆の意味でアリガタイことだったようだ。すなわち,四国方面のオーソリティの御墨付きやら黒姫山方面のユーメージンの御宣託やらを一応素直に受け入れたことを内外に示すことによって,当面の事業がより円滑に確たるものとして推し進められることが可能になったから。それに現在のところ,その舶来アイデアを超えるような具体的対案はほとんど見え聞こえてこないというのが淋しいことに現状だ。要するに河川生態学者の及び腰,というか怠慢である。ちなみに,私の生活領域周辺においては,以前居住していた神奈川県大和市の引地川上流域や現在居住している神奈川県秦野市の水無川上流域などにそれらの具体的施工例を見ることができる。いずれもナサケナイまでのオママゴト的箱庭造成で,見方を変えれば噴飯もののムダヅカイである(単に“ゆとり予算”が生みだしたところの“付加価値”と割り切って見ればいいのかな?)

 ところで,そのような旗振りを行っている奇特な方々は,いわゆる“自然における彼我の差”を果してどの程度理解しているのだろうか。私は専らその辺の所が少々気にかかる。

 あえて(自然=風土)といってもいい。私たちが暮しているこの「日本」という土地,その呼称は私にとって何でもいいんだけれども,そこは決して写真や映画や書物のなかの舞台ではなく,ましてや書割でも幻影でも理想郷でもない。ちょっと振り返れば目前には埃っぽいデコボコ道路が,平坦になることを断固として永遠に拒否しているかのごときデコボコ道路があり,その傍らには攻撃的なまでに鋭利なガードレールがあり,さらに路肩には意味もなくコンクリートの擁壁などがあり,それらを取巻くように近隣同士が密着したコンペイトウ・ハウスが延々と続いてあり,オマケに鉄骨製の不法建築物なんぞもデデ~ンと聳えてあり,やや遠方を見渡せば,排ガスまみれの道端に家庭菜園のようなチマチマした野菜畑があり,崖端斜面には地肌を晒したローム層の露頭が崩れかけてあり,その付近で勇敢にも果敢にも子供らは遊び続け,本来ありうべき河畔林はいつのまにか消失し,馴染み深い幾つものゴミクズの山は変わらずにあり,そしてそれから,“ふるさと峡谷”なる名称を冠せられた腐泥とミズワタで汚れたドブ川があり,その流れの何処かには恐らく痩せたアブラハヤの一群が隠れ潜んでいると思われるものの,一見して目につく生き物といえば放流されたコイ,それも体長50cmを越えるいかにも不健康そうな大きなコイがノッタリノッタリと泳いでいるわけでありまして,つまりはそのような環境のなかに住まい,日々暮しているのがアナタでありワタシである(コレジャマルデ「自虐の詩」デハナイカ)。

 そして一方には,夢見る異国の絵葉書のような美しい土地。北緯48度付近一帯に広がる旧大陸の森や湖や渓流。誰が住んでいるのかは資料不足につきよく知らないが,恐らくアルップスのハインジやら,ミヒャエル・エンデ三世やら,ハンス・シュトルテやら,エーリッヒ・クライネブルグやら,紅毛碧眼の美男・美女あるいはジャガイモ・ビヤダルが住まっている(ような気がする)。

 要するに文化が違う。人種が違う。気候が違う,自然が違う。その異なる両者間に無理やり共通のモノサシをあてがおうとしている。それは有り体に申せば年増の横恋慕のごとき滑稽な,歪んだモノサシである。それでもなお先進・先鋭を自負する人々は誇らしげに言い放つであろう。歴史や文化はもちろん大事である。しかし,我々はより快適な環境,より快適な生活を希求してゆきたい。十分に吟味された科学的発想及び工学技術は歴史や文化を包括する,いや須く包括せねばならぬ。それがこれからのあるべきサイエンス,目指すべきエコロジーである,とか何とか理屈をこねて。なる程ね。これをジュリアン・クレール風に申せば,La grande ville mange la ville, la grande vie mange la vie大きな街が小さな町を呑み込む,大きなイノチが小さなイノチを呑み込む,って訳かいな。でも自然だって,その自然のなかに息づくワレワレだって,そもそも歴史的存在だというのに!

 いやいや,決して民族主義とかを持ち出そうとしているのではない。「近自然工法」などという借り物のアイデア,草の根民主主義とやらの戦略手法としてなら一応認めるが,それを奉って,それに縋って,タテマエで物事を推し進めようとするんじゃない,と単に言いたいだけなのだ。川がかけがえのない自然だとヤイノヤイノ騒ぐ前に,まずは君ら方の身の回り,家の回りはどうなんだ? 足元から正すべきではないか。神は細部に宿り給ってはおらぬのか? 川は誰のものか,だって? 君ら方のものでないことだけは確かだ。だいたい川なんてぇものは,何にもまして寄る辺なき人々のアジール,(=アルベール・ラングロワ)にとっての唯一無二の拠点ではないか。そこにある時,首から立派な双眼鏡をぶら下げたりしたリッチでファットな人々が,ニコニコしながらやんわりと侵入し,その実臆面もなく侵略し,理屈をこねて体裁よく改竄し,結果として彼らを迫害してオイシイものを手に入れたいだけで,何のことはないコンキスタドールかいな。

 もっとも,時代の風は君ら方に味方するかも知れない。例の温泉キャスター(何度でも言うぞ)の言説は,私ごとき存在がどんなに苦々しく思っておろうが(そんなこた屁でもない),その社会的影響力は決して侮れない。まして,温泉キャスター以上のタレントである久米宏においておや。ほんの10分間の特集を組んだだけで,翌日からは全国各地の工事事務所,土木事務所に対して旗振り人らによるプレッシャーの嵐が殺到する(ところで,所沢のダイオキシン野菜の再評価はどーした!)。

 こんな見解もある。解剖学の養老先生によれば,虫屋にとってヨーロッパというところは実にツマラナイ土地だという。自然をイジリ過ぎた土地だという。その場合の自然とは,直接的には現存植生や植物相を指すのだろうが,それもすなわち,風土=気候=地形=土壌=植生=自然というモノサシで見れば,自然のとらえ方,自然との対峙のし方における彼我の歴史的見解の相違に他なるまい。彼らにとって,神々は遥か山の彼方のモンブラン方面あたりには宿っているのかも知れんが,少なくとも身近な草原や森や林や渓流には悪霊しか宿っていない。敵は打つべし,ひたすら戦って退治するのみ! ウチラとはえらい違いだ。

 北米における地形学の発達,それは,眼前の風景に悠久の地質学的時間の証明としての自然景観を真近に確認することができたからだ,といったことをムカシ教わったような気がする。グランドキャニオンの国なればこそであり,要するに建築家の視点,設計者の視点である。いったん全て解体して,改めて全体を再構成する,ま,オモチャのレゴブロックみたいなもんだ。

 一方,私たちの歴史のなかでは,川というものは,その周辺に存在する自然・人事を含めて,基本的に疎んじるべき存在,出来ればあまりかかわりを持たぬようにしておくべき存在であったと思う。大々的な改変(信玄堤だとか利根川東遷だとか)は為政者の判断に委ねられるのは止むなしとしても,日々接している“そこらの川”については,我々個々人の判断によれば,日常空間とは決して連続的に繋がってはいない“異所”として存在していた。少なくとも私自身にはそのような文化体系が身についていると思う。

 ここで,ナチュラリストないしディレッタントという言葉が浮かび上がる。自然に対峙する者にとって必要な等身大の自己査定。謙虚な姿勢。決して声高に叫ばない,足元を見つめ,自然の営みに目を見張る。そのような視点からは,決して「近自然工法」なんぞという考え方は出てくるはずがない。私が今想起しているのは,今は亡き上野益三先生のような古き良き時代の慎み深いディレッタントだ。さらに現在にまで視界を広げれば,水野寿彦,菅野徹,岸由二などの先達が思い浮かぶ(敬称略)。いずれも私のように徒に品のない言辞を弄することなどのない,立派な方々だ。非礼を承知で申せば,この系列にカワナベヒロヤ,フクトメシューブン(敬称略)などという名前は決して挙がらないような気がする。

 もうひとこと。やや旧聞に属するが,河川生物の変化に関するこんなエピソードがある。四国地方の河川に生息する水生生物(特に水生昆虫類)について長年にわたり調査・研究に携わってこられた地元のさる有識者が,過日,次のような感想を私に述べられた。『昔はこの付近のどこの川にいっても,例えばモンカゲロウ類に着目すると,流程に沿って上流からフタスジモンカゲロウ→モンカゲロウ→トウヨウモンカゲロウというように分布しており,実に綺麗な棲み分けが見られたものだ。現在,そのような生物分布を求めようとしても詮無いことだ。何故だろう? また,渓流に入ってみても,昔に比べてアミカ類の幼虫が種類数も個体数も非常に少なくなってしまった.... 何だか淋しい気がする。』 この場合“昔”とは約40年前を指しているようだ。

 上記のような水生昆虫類の変化をもらたしたものは何か? 何が生物相を変えさせたのか? 地域開発等に伴う自然環境の変化,と見るのは最もたやすい。水源林の伐採,林道の開削,砂防堰堤や流路工の施工,水質の汚濁等々,そのような人為的インパクトは,山地においては植生の分断と単相化。河川水辺においては開放的な水際環境の出現,水辺植生の単相化・衰退・消失,そして水の中においては河床礫への砂泥(浮泥)の堆積,流況の不安定,等々を生じせしめた。

 ところで,このような生物相の変化は,予定調和的な,ごく自然な昆虫類の種としての衰退,と素直に捉えることはできないだろうか? 当たり前の話だが,人為による利便性の増大は一方で従来の自然を圧迫する。私の個人的イメージとしては,河床への浮泥堆積=エントロピーの増大,単にそれだけのことじゃないか,と。ちょうど宮沢賢治の作中人物,一郎や嘉助や佐太郎たちが言ったコトバ『あんまり川を濁すなよ,いつでも先生云うでなぃか』それは川に対して無自覚に能天気に接している人々に対する“天の声”なのだ。フタスジモンカゲロウは自らの骨身を削ってそれを示している。一部のカヌー乗り達がヌカスところの「ムカシの川は良かった,今の川はもうダメだ」などという科白は,そのまま君ら方に返したい。しかり,君ら方の存在そのものがゴミだからだ。とりあえず陸に上がって,自分ちの前のドブさらいでもおやりなさいな。

   (当然ながら未完。なお先に続く,かも知れない)

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