そろそろ一周年を迎えようとしている。何の一周年か?と申しますと,それは,自宅の二階仕事部屋の東側壁面に国土地理院2万5千分の1地形図を計18枚ほど繋ぎ合わせてベタベタ貼り付けてからちょうど一年,ということになります(ツマラヌ話題で恐縮です)。
以前,そこの壁には地味な振り子時計がポツンと掛けられており,その他には《宇宙から見た神奈川県》というグラフィック・ポスター(制作:(株)写真化学,サイズ:縦50cm×横80cm)が1枚だけ,遠慮がちに貼り付けられていたくらいである。房総半島南方約100kmの太平洋上から神奈川県全体を俯瞰したものと想定してランドサット5号の画像をコンピュータ処理して作成されたというそのポスターは,確かずっと昔に購入した旅行ガイド冊子のオマケとして付いてきたもので,制作年代は不明であるが,宮ヶ瀬ダム貯水池(1996年試験湛水開始,2000年ダム竣工)が図示されていないことから少なくとも10年以上前のものと推定される。しかしながら,私にとってそのポスターは今でも大変魅力的な鳥瞰図であり,折々の徒然にその前でじっと佇んでは,まるで自分が孤独で悲しいヨダカCaprimulgus indicusにでもなったような気持ちで我が住む町とその周辺地域を高度数万メートルもの上空から目を凝らしながら俯瞰していた。世界は広いようでもあり狭いようでもあり,社会は複雑なようでもあり単純なようでもあり,人心は甘美なようでもあり世知辛いようでもあり。。。 現在でもそのポスターに代わる物を見出せないでいる。もちろん,かなりの高額な対価を支払えば同様のCG図の最新版を入手することは可能なのであろうが,そこまでする気はない。あるいは同趣向のポスターとして,神奈川県立生命の星・地球博物館から《宙瞰図:宇宙からみた神奈川》なるものが販売されているが,あれはどうもヨロシクナイ(一応,購入はしました)。あのポスターの敗因は,欲張ってB1版(103×72cm)という限られたサイズのなかに南アルプスから房総半島までの範囲を含めていること,奇を衒って方位(向き)を西上に設定していること,記載地名の選択・配列が実にイイカゲンであること,その三点につきる。
それはさておき,そのような魅力的なグラフィック・ポスターおよび掛け時計を取り外し,代わって壁面いっぱいに地形図が貼られるようになったのは,以下の理由による。
私事ながら数年前より自宅周辺を自転車で頻繁に走り回るようになって,それらの走行記録を覚えとして残しておくために,帰宅した後に走行ルートを古い道路地図帳(ブックオフにて105円で購入した『クイックマップル神奈川』昭文社1997年刊)にオレンジ色のマーカーでなぞったりしていた。そのうち,町中だけではあきたらず,自転車で畑のなかの細道だとか川沿いの土手道だとか,あるいは山麓から山中へと積極的に分け入るようになったりもしてくると,道路地図帳よりも地形図にルートを記入した方が記録もより正確になり,また後々で見易くもなるだろうと思ったので,とりあえず国土地理院の2万5千分の1地形図のうち【秦野】,【伊勢原】,【小田原北部】,【平塚】の4枚の図幅を購入し,それらの地形図にピンクのマーカーで走行ルートを記入し始めた。それが去年のゴールデンウィーク前,4月下旬のことである。
その作業を始めてからじきに,4枚の地形図をバラバラのままで使用していると走行ルートが地図と地図のあいだをまたがった場合など記入しづらいし,また多少見づらくもあったので,その4枚の地形図の枠部(周辺の凡例等)を切り取って糊付け合体図とした。そして,せっかく大きな図面になったのだからと,それを壁に貼り付けたのである。その後さらに行動範囲の拡大とともに地形図は徐々に追加貼付されてゆき,とうとうその壁面に貼ることの出来る最大限度の全18枚の大判地形図となった次第であります(まだ天井部分が空いているが)。 それぞれの図幅名は以下のごとし(位置関係は実際ノママ)。
【大 室 山】 【青 野 原】 【上 溝】 【原 町 田】
【中 川】 【大 山】 【厚 木】 【座 間】
【山 北】 【秦 野】 【伊 勢 原】 【藤 沢】
【関 本】 【小田原北部】 【平 塚】 【江 の 島】
【箱 根】 【小田原南部】
全体で縦190cm,横186cmのサイズとなり,南北約48km,東西約47km,面積換算すれば約2,000平方キロメートルにもなる。一瞥するだに,それはなかなか見事な眺めである(ま,自己満足に過ぎませんけれども)。先のランドサットCGポスター(それは同じ部屋の別の場所に貼り直した)とはまた違った意味で,こちらの地形図のほうも折々の徒然に,食い入るように,あるいはボーッとしながら,飽きることなく眺めている。そうしていると,このワタクシなど今更ながらまるでゴミムシのごとき存在に過ぎず,実に狭い世界のなかで喜んだり,怒ったり,哀しんだり,楽しんだり,右往左往の日々を過ごしているものだなぁ,と改めて感慨ひとしおなのである。これを敷衍すれば,神奈川県内にだって約890万の喜怒哀楽があり,日本国内なら1億2800万,世界全体ならば66億7000万もの喜怒哀楽があるわけで。世界は広いというのが事実なら,世界は狭いというのは真実かも知れない。そういった感覚は,例えばインターネットでGoogle Earthなどを操作・閲覧してみるとすぐに実感できることである。地図とインターネットとのコラボレーションは我々の進むべき未来への重要なミチシルベとなるのかも知れない。新たな世界観を作りあげてゆくための強力なアイテムとなるのかも知れない。ジョージ・オーウェルの時代にはまるで考えられなかったことだ。フムフム。 などと,老人は壁に向かってひとり黙然と語りかけるのである(本当にまだボケは来ていないのか?)
そんなワタシの様子を察してかどうか,あるいは単に呆れ果てているだけなのか,家の者はこの件に関して何にも言わない。ただ,壁が汚されてメイワクダくらいには内心思っているのではなかろうか。もっとも私とてただのボケ老人では終わらない。これらの地形図は壁面に直に糊付けなどはしておらず単に透明画鋲で留めてあるだけなので,将来,この壁がウルサイと感じた場合は,即座に取り外せるようには一応してあります(でも,その日は恐らく来ないんじゃないかい?)
最後に,壁面大地図なかで特に走行密度の高いエリアの画像を示しておくので御座興までに御覧下さい(クリックで拡大)。ピンクのルートはこの一年間限定の軌跡である。まだまだ修業が足りんですね。ミッシェル・フーガンMichel Fugainの歌ではないが Cours comme si tu devais mourir demain!
以前,そこの壁には地味な振り子時計がポツンと掛けられており,その他には《宇宙から見た神奈川県》というグラフィック・ポスター(制作:(株)写真化学,サイズ:縦50cm×横80cm)が1枚だけ,遠慮がちに貼り付けられていたくらいである。房総半島南方約100kmの太平洋上から神奈川県全体を俯瞰したものと想定してランドサット5号の画像をコンピュータ処理して作成されたというそのポスターは,確かずっと昔に購入した旅行ガイド冊子のオマケとして付いてきたもので,制作年代は不明であるが,宮ヶ瀬ダム貯水池(1996年試験湛水開始,2000年ダム竣工)が図示されていないことから少なくとも10年以上前のものと推定される。しかしながら,私にとってそのポスターは今でも大変魅力的な鳥瞰図であり,折々の徒然にその前でじっと佇んでは,まるで自分が孤独で悲しいヨダカCaprimulgus indicusにでもなったような気持ちで我が住む町とその周辺地域を高度数万メートルもの上空から目を凝らしながら俯瞰していた。世界は広いようでもあり狭いようでもあり,社会は複雑なようでもあり単純なようでもあり,人心は甘美なようでもあり世知辛いようでもあり。。。 現在でもそのポスターに代わる物を見出せないでいる。もちろん,かなりの高額な対価を支払えば同様のCG図の最新版を入手することは可能なのであろうが,そこまでする気はない。あるいは同趣向のポスターとして,神奈川県立生命の星・地球博物館から《宙瞰図:宇宙からみた神奈川》なるものが販売されているが,あれはどうもヨロシクナイ(一応,購入はしました)。あのポスターの敗因は,欲張ってB1版(103×72cm)という限られたサイズのなかに南アルプスから房総半島までの範囲を含めていること,奇を衒って方位(向き)を西上に設定していること,記載地名の選択・配列が実にイイカゲンであること,その三点につきる。
それはさておき,そのような魅力的なグラフィック・ポスターおよび掛け時計を取り外し,代わって壁面いっぱいに地形図が貼られるようになったのは,以下の理由による。
私事ながら数年前より自宅周辺を自転車で頻繁に走り回るようになって,それらの走行記録を覚えとして残しておくために,帰宅した後に走行ルートを古い道路地図帳(ブックオフにて105円で購入した『クイックマップル神奈川』昭文社1997年刊)にオレンジ色のマーカーでなぞったりしていた。そのうち,町中だけではあきたらず,自転車で畑のなかの細道だとか川沿いの土手道だとか,あるいは山麓から山中へと積極的に分け入るようになったりもしてくると,道路地図帳よりも地形図にルートを記入した方が記録もより正確になり,また後々で見易くもなるだろうと思ったので,とりあえず国土地理院の2万5千分の1地形図のうち【秦野】,【伊勢原】,【小田原北部】,【平塚】の4枚の図幅を購入し,それらの地形図にピンクのマーカーで走行ルートを記入し始めた。それが去年のゴールデンウィーク前,4月下旬のことである。
その作業を始めてからじきに,4枚の地形図をバラバラのままで使用していると走行ルートが地図と地図のあいだをまたがった場合など記入しづらいし,また多少見づらくもあったので,その4枚の地形図の枠部(周辺の凡例等)を切り取って糊付け合体図とした。そして,せっかく大きな図面になったのだからと,それを壁に貼り付けたのである。その後さらに行動範囲の拡大とともに地形図は徐々に追加貼付されてゆき,とうとうその壁面に貼ることの出来る最大限度の全18枚の大判地形図となった次第であります(まだ天井部分が空いているが)。 それぞれの図幅名は以下のごとし(位置関係は実際ノママ)。
【大 室 山】 【青 野 原】 【上 溝】 【原 町 田】
【中 川】 【大 山】 【厚 木】 【座 間】
【山 北】 【秦 野】 【伊 勢 原】 【藤 沢】
【関 本】 【小田原北部】 【平 塚】 【江 の 島】
【箱 根】 【小田原南部】
全体で縦190cm,横186cmのサイズとなり,南北約48km,東西約47km,面積換算すれば約2,000平方キロメートルにもなる。一瞥するだに,それはなかなか見事な眺めである(ま,自己満足に過ぎませんけれども)。先のランドサットCGポスター(それは同じ部屋の別の場所に貼り直した)とはまた違った意味で,こちらの地形図のほうも折々の徒然に,食い入るように,あるいはボーッとしながら,飽きることなく眺めている。そうしていると,このワタクシなど今更ながらまるでゴミムシのごとき存在に過ぎず,実に狭い世界のなかで喜んだり,怒ったり,哀しんだり,楽しんだり,右往左往の日々を過ごしているものだなぁ,と改めて感慨ひとしおなのである。これを敷衍すれば,神奈川県内にだって約890万の喜怒哀楽があり,日本国内なら1億2800万,世界全体ならば66億7000万もの喜怒哀楽があるわけで。世界は広いというのが事実なら,世界は狭いというのは真実かも知れない。そういった感覚は,例えばインターネットでGoogle Earthなどを操作・閲覧してみるとすぐに実感できることである。地図とインターネットとのコラボレーションは我々の進むべき未来への重要なミチシルベとなるのかも知れない。新たな世界観を作りあげてゆくための強力なアイテムとなるのかも知れない。ジョージ・オーウェルの時代にはまるで考えられなかったことだ。フムフム。 などと,老人は壁に向かってひとり黙然と語りかけるのである(本当にまだボケは来ていないのか?)
そんなワタシの様子を察してかどうか,あるいは単に呆れ果てているだけなのか,家の者はこの件に関して何にも言わない。ただ,壁が汚されてメイワクダくらいには内心思っているのではなかろうか。もっとも私とてただのボケ老人では終わらない。これらの地形図は壁面に直に糊付けなどはしておらず単に透明画鋲で留めてあるだけなので,将来,この壁がウルサイと感じた場合は,即座に取り外せるようには一応してあります(でも,その日は恐らく来ないんじゃないかい?)
最後に,壁面大地図なかで特に走行密度の高いエリアの画像を示しておくので御座興までに御覧下さい(クリックで拡大)。ピンクのルートはこの一年間限定の軌跡である。まだまだ修業が足りんですね。ミッシェル・フーガンMichel Fugainの歌ではないが Cours comme si tu devais mourir demain!