MM21へ行きました

1999年08月29日 | アキラ
 夏休みも残り少なくなった8月下旬の平日,一日仕事を休んで家族4人で横浜方面に遊びに出かけた。今夏は父の仕事が少々忙しかったものだから,子供らに対して世間並みの家族サービスなんぞをほとんどしてあげられなかったしなー,というわけで。いや,近場の公園とかにならチョコチョコと連れて行きましたけどね。

 ところで,最近はアキラもタカシも車での長距離ドライブをあまり好まなくなってきた。チャイルド・シートで座席に縛りつけられるような窮屈感がどうも嫌みたいなのだ(ワンボックスのゴージャスワゴンとかじゃなくてスンマセンな!)。無論,ドライバーたる父だって長時間の運転は疲れるので出来れば勘弁願いたい,ということで各自の利害が一致し,皆でノンビリワイワイと電車で行くことにした。まずは小田急線,相鉄線を乗り継いで横浜駅へ。電車大好きアキラは,駅を出発するやすぐさま靴を脱いでベンチシート越しに身を乗り出し,嬉しそうに窓外の景色を眺めている。そして,「あ,花がキレイ! あ,自動車と競争だ! あ,線路が離れた! あ,線路がまた近くに来た! あ,電信柱がイッパイ! あ,変なヒトが通った!......」 なんて,それこそ風景が目まぐるしく変化するのに歩を合わせるように,嬉々としてヒトリゴトを言い続ける。このあたり,アキラの真骨頂である。

 横浜駅からは東口「そごう」の裏手からシーバスに乗ってMM21の「ぷかり桟橋」までほんの10分程の船旅である。船尾デッキの周辺に備え付けられたベンチに4人並んで座り,気持ち良い風に吹かれながらシーバスは我らを目的地へと運んでゆく。アキラときたら電車のときと違って少々緊張している様子だ。どうやら大きな波が来やしないかと心配しているらしい。それでも,細い目をパチクリさせながら船外のエキゾチックな風景を真剣に眺めている。時折り「スゴーイ,スゴーイ!」とか言いながら。狭い運河を通って貨物線の橋梁をくぐり抜け,やや開けた港内に出ると,左手にはノースドックや大黒埠頭,正面の遠くにはベイブリッジ,右手にはMM21のパイロット岸壁,臨海公園などがゆっくり現れては視界の後方に過ぎ去ってゆく。そしていよいよ,国際会議場やらクイーンズスクエアやらランドマークタワーやら大観覧車やらの壮大な建造物群が徐々に近づいて来る。確かにその眺めは我らイナカモン家族にとってはまさに非日常的な,そして非日本的な風景ではある。まるでN.Y.ブルックリン地区の運河をダルマ船でトロトロと航行するが如し(無論,行ったことなんかないけどね)。アキラがパチクリするのも無理はない。

 余談になるが,遥か昔々に横浜で学生をやっていた頃,港で「チェッカー」のアルバイトをしたことがある。日本貨物検数協会なる団体が行っている港の貿易検査業務で,外国船が当該港に降ろす物品を荷受する際にその内容や数量があっているかどうかをチェックするといった仕事である。もちろん我々はバイトの身ゆえ,中身そのものまでは確認しない。外観のチェックならびに数のチェックをするだけだ。作業は夜間行うことが多く,また,桟橋に停泊している船よりも港内のブイに停泊している船が多かった。ランチに詰め込まれて停泊船まで運ばれ,そして明け方近くまで作業する。時おり,インド人や東南アジア系の船員が近寄って話しかけてくることもあった。「ソノ腕時計ヲ売ッテクレ。代リニ,イイモノヲ売ッテアゲヨウ」とか何とか言いながら。その顛末は,ムニャムニャムニャ..... 夜の港の少々怪しげな若年低賃金労働者らの蠢き。ミナト・ヨコハマの光ではなく影の,上っ面ではなく深層の,観光ではなく実業の側面への微力ながらの関与。ま,そんな時代もありました。

 というわけで,桜木町,海岸通,新港埠頭などの界隈は父にとってはセピア色の懐かしい思い出が数多く刻印されているのだが,今日我々の眼前に見られるメリハリに富んだランドスケープ及び多種多様なオブジェ群は,これまた何と圧倒的で,何とアンバランスで,かつ何とアッケラカンと明るい現在を提示していることか。子供らはこのような異質ともいえる景観をごく当然のように受け入れているように思われるが,父の古びたアタマは少々戸惑い,眩暈を覚え,理屈と感覚のギャップを強く感じずにはいられない。これをして「時代の趨勢」「進歩と発展」さらには「創造的進化」とみなしてよいのか? 単なる「ねじれ進化」の一形態じゃないのか? ブツブツ。

 ちなみにこの日,我らが家族は『ヨコハマ・コスモワールド』なる遊園地でタップリ遊んだあと,クイーンズスクエア・アット → ランドマークタワー → ドックヤードガーデン → 日本丸 → マリタイムミュージアム,という工程を精力的にこなしたのでありました。夕方には横浜駅の地下街で氷フラッペを食べたりもしてね。帰りの電車ではアキラもタカシもさすがにグッタリした様子であった。

 こうして私達家族の短い夏は終わった(何だか毎年変わりばえのしない話のような気もするが)。それでも最後に,「アキラ,楽しかったかい?」と,取って付けたように言ったりして。
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