以下はある特定の場所・地域を対象とした話題ではなく,恐らくは現実的にも充分あり得べき類型的地域事象ないし事例を想定したものとしてお読みいただきたい。それは都市河川と地域住民との関わり,より具体的に申せば「河川改修事業」において,いわゆるひとつの“文化的な付加価値”として“ゆとり予算”のオマケの一例としてしばしば築造されることの多い「親水施設」の在り方についての,いってみればヨタ話である。
まず始めに身近なところで首都東京に着目する。大東京圏の周辺地域には,都心部よりほぼ放射状に数多くの大小衛星都市群が拡散分布しているが,それらのなかで人口20~30万人程度の中核的都市の市街地を流れる河川について考えてみよう。我らが拠って立つ大地,というのも少々オオゲサでありますが,地味肥沃な関東ローム層(一部の関西土着文化人はこれを称してホコリっぽい赤土の上に住まう奴原!などとせいいっぱいの揶揄を込めて仰せられる)及び緑濃く陰影起伏に富んだ第三紀丘陵地(少なくとも昭和40年代初め頃までは佐藤春夫の『田園の憂欝』の舞台がかろうじて残存する世界であった)から主として形成されるこの広大な大平原地域には,阪東太郎利根川水系を筆頭に荒川,多摩川,相模川,那珂川,久慈川など,流幹延長100kmを越える大河川が数多く貫流して流域の氾濫原に帯状の沖積低地を発達させ,さらにそれら主幹流を末端細部で支える毛細血管のような中小河川が網の目のように流入している。
そして現在,サイタマの奥の方だとかイバラギの南の方だとかチバのソトボーだとかの辺境的田園地帯(失礼!)はさておき,都心からおよそ50~60km圏あたりまでに位置する都市化された地区urbanized areaを流れるそれらの中小河川を見ると,いずれの場合も流域の後背地域には人口・産業・物資の集積・分配の波がバラバラバラと不均等・不整合に押し寄せており,所々に畑や雑種地,遊休地なども一部残存するものの,多くは小規模個人住宅が自然発生的寄り合い所帯のように密集し,さらには高層集合住宅,学校,中小工場等がモザイク状に錯綜立地している(これ全て衛星都市たるものの悲哀,主体性の喪失に起因する)。特に集落を構成する個々の民地における新旧様式建造物の混在,古い文化に対する新しい文化の節操のない侵攻ぶりは,古来より連綿と保ち続けられてきた文化の衰退,歴史の斜陽をモロに感じさせる。だいいち単純な話,景観上まったく美しくないではないか。それゆえに,私なんぞは時折知らない街々を訪れる場合など,眼前に展開される街並みの全体風景はさておいて,個々の家の作り,街灯の姿形,ガードレールの形態など,ついつい細部に視線がいってしまう今日この頃である。
話を戻して,そのような人口集積地区を縫って流れる中小河川,それらの川は基本的にはすべて「ドブ川」である。海に近い感潮域などは別にして,また内陸部でも地形や河床勾配により流れの景観には多少なりとも相違が認められるものの,概して通常の平水流量は少なく,流況単調なチョロチョロした浅い流れが卓越する。河床材料は,ミズワタに覆われた中小礫・砂泥・ヘドロなどなど。場所によっては不法投棄ゴミ等の散乱も目立つ。水質は? わざわざ測定するまでもない。電気伝導度にして約300~500μS/cm(場所によっては1,000μS/cmを超える!?),生活雑排水を主体とする有機汚濁が極めて顕著である。
そして当然のように,流れの両岸はほぼ垂直に切り立ったコンクリート護岸が延々と築造されている。さよう,少なくとも最近130年あまりの間,この地において経済至上主義は人々の生活向上,幸福の実現という大義に裏づけられた最優先課題であり,それゆえ“治水”は“保身”と同義であり,保身に対する自己投資はできる限り効率的かつ安価であることが望ましいという論理が,何人も異論を差し挟む余地のない既定方針であった。沖積低地は当然ながら経済利用の最適フィールドとなることを運命づけられており,例えば“緩衝地帯”などという言葉は行政当局による地域の基本計画立案においては死語であった。その結果がコンクリートで強固に守られた垂直護岸である。川の堤防上に立って水の流れを眺めるとき,その流水部(低水路)及び高水敷を含めた河川区域を土木用語では「堤外地」と称する。そして堤防の反対側,人々の住まう場所は「堤内地」である。そんな土木用語がまさしく象徴しているように,近代社会においては川を巡る人心は総じて内向的であり,流域住民の視線は自分ところの家屋敷や庭,そして田畑に向かうのが常であった。
しかしながら,時代の趨勢は常に気まぐれで流動的で,それを歴史的必然というのかどうかはよく判らないが,いずれにしても現状が少しづつあらぬ方向へと変貌を遂げてゆくこと,これもまた世の習いである。約20年ほど前から,都市周辺の一部地域では突如「親水護岸」なる名称のもとにコンクリート垂直護岸の一部に階段が設置され,高水敷へと連絡する通路がつけられたり,また,あるところでは垂直護岸そのものを取り払い,緩やかな階段状のテラス護岸が設けられたりするようになった(といっても,せいぜいが50~100mの範囲に限られるが)。高水敷には仮設ベンチが置かれたり,あるいは近所の小学校児童や老人会が花壇をしつらえたりするようにもなった(といっても,いずれも一時的な施設に過ぎないが)。コンセプトは“水辺空間の安らぎ”とか何たらかんたら。恐らくそのような「親水護岸」を立案推進した当事者は自らの先進性,すなわち都市空間の有効利用,行政と地域との親和性の拡大等々を密かに誇っていたことでありましょう。ま,イナカの住人には無縁な話ではありますけどね。
ところで,都市化地域におけるそのような行政主導による親水護岸の設置がその後どうなったかというと,親水性の向上(=アプローチの容易化)に伴い,結果として水辺空間というものが所有権の不明瞭なハラッパ化,場末の路地裏化,端的に言えばお役所公認(というか黙認)のゴミ捨て場と化してきたというのが悲しい実情である。
現在,各地の親水護岸周辺における支配的な風景としては,ジュースの空カン・菓子袋・古雑誌などが散乱していたり,イヌの糞が草むらのあちこちに落ちていたり,何かを燃やしたような焼け跡があったり,時には異臭を放つ小動物の死骸も見られたり,さらには自転車・冷蔵庫・家具などの粗大ゴミの不法投棄も恒常的に見られたりする。川の流れは以前と同様どんよりと灰黒色に濁った淀みで,特に夏場にはドブ臭が一層強くなる。そのなかを毎度おなじみイロゴイ(錦鯉)なんぞがノッタリノッタリと浅瀬を泳ぐ。一方,それらを取り巻く野生植物のたくましい生の営みはさすがに見事であり,ヨシ・ガマ・マコモなどの抽水植物,ススキ・ミゾソバ・アレチウリ・オオブタクサなどの湿生植物などが,春→夏→秋→冬の季節の移ろいとともに衰勢を繰り返している。
何のことはない。親水護岸築造以前の状態に比べて,ノーテンキな一般庶民がドカドカと新規参入したことによりエントロピーが増大し,いわゆる本来の“たち”にとってのアジールとしての価値が低下したただけではないか。“ノーテンキな一般庶民”というレッテル貼りは少々言葉が過ぎるかな? いやいや,彼ら彼女らは一体何のためにドブ川水路たる都市中小河川の河原に好き好んで下りるのかを考えれば,正解は自ずと明らかであろう。ノーテンキのノーテンキたる所以である(本来,川に入るには,それなりのキビシイ覚悟と手間暇が必要だというのに!)
グダグダと回りくどい言い方をしてしまったが,ひとことでいえば,都市河川の親水護岸施設における管理の悪さ,それにつきる。当然のことながら都市的自然をベースとした施設である「親水護岸」には継続的かつ適切な維持管理が不可欠である。では,維持管理の予算はどこから捻出し,管理プログラムはどのように策定されるべきなのか? 恐らく大多数の人々は(行政も住民も)多分そこまで智恵が回らないのだろう。回す気にもならないのだろう。 「○○川の自然を守る会」,「△△川を愛する会」などという地元有志による任意団体が一生懸命にゴミ拾いなどの勤労奉仕をやっているところも多々見受けられるが,しょせん捨てる神多ければ拾う神追いつかず。
かくして,我が東京圏のみならず恐らく全国各地の都市化地域のあちこちに「親水護岸」という名の施設の残骸が,まるで兵どもが夢の跡のように朽ち果ててゆく。まこと,哀れを誘う光景という他はない。
そこで思うのだが,そもそも公共空間としての河川,特に都市河川における「親水」すなわち「水に親しむ」という行為の源泉は,少々ハズカシイ言い方をすれば,都市そのものを愛することにあるのではなかろうか。都市とは何か? それはアナタやワタシの棲家そのものである。すなわち,都市河川という公有地の理念的な意味における私物化である。川に関わりを持つ人それぞれが,水に対して責任を持つということだ。水辺を自分ちの庭と見なし,流水を自分ちの水道と見なすことだ。
昨今,巷ではガーデニングとやらの庭イジリがやけに盛んであるが,そこにおいて重要なのは,植物の育成というよりも,むしろ植物の美的レイアウト(陳列と言い換えてもいい)及びその維持管理ではないかと思う(違うのかな?)
結論が出た。もし行政サイドが都市河川を親水施設として活用しようとするなら,河川の高水敷を流域住民の“入会地”として開放すべし。住民はその水辺空間を,花壇でも小公園でも集会場でも運動広場でも自然観察園でも何でもいいけれど,基本的には自分ちの庭として,ガーデニングのステージとして精一杯飾り立てるべし(ただし,時々は大雨・洪水等による冠水の可能性があることをお忘れなく)。予算は行政が負担し,創作及び維持管理は流域住民の自治会組織等が行い,評価はマスコミ等を通じて第三者(地域外住民)に委ねられる。結果が良好であれば,そのうちに遠くの各地から評判を聞いてジーサンバーサン達がわざわざ見物にやってくるかも知れない。ホウホウ,これがあの有名な河原かい。成る程,ずいぶんと綺麗で気持ちよさそうな場所だねぇ。とかね。その場合“拝観料”を取ってもいい位ですね。
以上のような少々急ぎ足の,かつ荒っぽい目論見はしょせん単なる夢物語だろうか,現実をわきまえない砂上の楼閣,ドブ池の睡蓮であろうか。だとすれば,やはり都市河川の護岸は従来どおり垂直護岸のままであった方がよいと思う。そして流域住民は今後も一切ドブ川には近づかない方がいいと思う。“安らぎ”とやらは他のフィールドに見付けなさい。さすれば,私ども“”は以前のように心置きなく川の中を自由に歩けるってもんだ。
そんなわけで,あいかわらず未完。当初の論点がかなりズレてきたようでありますが,この話題はまだまだ続く(と思う)
まず始めに身近なところで首都東京に着目する。大東京圏の周辺地域には,都心部よりほぼ放射状に数多くの大小衛星都市群が拡散分布しているが,それらのなかで人口20~30万人程度の中核的都市の市街地を流れる河川について考えてみよう。我らが拠って立つ大地,というのも少々オオゲサでありますが,地味肥沃な関東ローム層(一部の関西土着文化人はこれを称してホコリっぽい赤土の上に住まう奴原!などとせいいっぱいの揶揄を込めて仰せられる)及び緑濃く陰影起伏に富んだ第三紀丘陵地(少なくとも昭和40年代初め頃までは佐藤春夫の『田園の憂欝』の舞台がかろうじて残存する世界であった)から主として形成されるこの広大な大平原地域には,阪東太郎利根川水系を筆頭に荒川,多摩川,相模川,那珂川,久慈川など,流幹延長100kmを越える大河川が数多く貫流して流域の氾濫原に帯状の沖積低地を発達させ,さらにそれら主幹流を末端細部で支える毛細血管のような中小河川が網の目のように流入している。
そして現在,サイタマの奥の方だとかイバラギの南の方だとかチバのソトボーだとかの辺境的田園地帯(失礼!)はさておき,都心からおよそ50~60km圏あたりまでに位置する都市化された地区urbanized areaを流れるそれらの中小河川を見ると,いずれの場合も流域の後背地域には人口・産業・物資の集積・分配の波がバラバラバラと不均等・不整合に押し寄せており,所々に畑や雑種地,遊休地なども一部残存するものの,多くは小規模個人住宅が自然発生的寄り合い所帯のように密集し,さらには高層集合住宅,学校,中小工場等がモザイク状に錯綜立地している(これ全て衛星都市たるものの悲哀,主体性の喪失に起因する)。特に集落を構成する個々の民地における新旧様式建造物の混在,古い文化に対する新しい文化の節操のない侵攻ぶりは,古来より連綿と保ち続けられてきた文化の衰退,歴史の斜陽をモロに感じさせる。だいいち単純な話,景観上まったく美しくないではないか。それゆえに,私なんぞは時折知らない街々を訪れる場合など,眼前に展開される街並みの全体風景はさておいて,個々の家の作り,街灯の姿形,ガードレールの形態など,ついつい細部に視線がいってしまう今日この頃である。
話を戻して,そのような人口集積地区を縫って流れる中小河川,それらの川は基本的にはすべて「ドブ川」である。海に近い感潮域などは別にして,また内陸部でも地形や河床勾配により流れの景観には多少なりとも相違が認められるものの,概して通常の平水流量は少なく,流況単調なチョロチョロした浅い流れが卓越する。河床材料は,ミズワタに覆われた中小礫・砂泥・ヘドロなどなど。場所によっては不法投棄ゴミ等の散乱も目立つ。水質は? わざわざ測定するまでもない。電気伝導度にして約300~500μS/cm(場所によっては1,000μS/cmを超える!?),生活雑排水を主体とする有機汚濁が極めて顕著である。
そして当然のように,流れの両岸はほぼ垂直に切り立ったコンクリート護岸が延々と築造されている。さよう,少なくとも最近130年あまりの間,この地において経済至上主義は人々の生活向上,幸福の実現という大義に裏づけられた最優先課題であり,それゆえ“治水”は“保身”と同義であり,保身に対する自己投資はできる限り効率的かつ安価であることが望ましいという論理が,何人も異論を差し挟む余地のない既定方針であった。沖積低地は当然ながら経済利用の最適フィールドとなることを運命づけられており,例えば“緩衝地帯”などという言葉は行政当局による地域の基本計画立案においては死語であった。その結果がコンクリートで強固に守られた垂直護岸である。川の堤防上に立って水の流れを眺めるとき,その流水部(低水路)及び高水敷を含めた河川区域を土木用語では「堤外地」と称する。そして堤防の反対側,人々の住まう場所は「堤内地」である。そんな土木用語がまさしく象徴しているように,近代社会においては川を巡る人心は総じて内向的であり,流域住民の視線は自分ところの家屋敷や庭,そして田畑に向かうのが常であった。
しかしながら,時代の趨勢は常に気まぐれで流動的で,それを歴史的必然というのかどうかはよく判らないが,いずれにしても現状が少しづつあらぬ方向へと変貌を遂げてゆくこと,これもまた世の習いである。約20年ほど前から,都市周辺の一部地域では突如「親水護岸」なる名称のもとにコンクリート垂直護岸の一部に階段が設置され,高水敷へと連絡する通路がつけられたり,また,あるところでは垂直護岸そのものを取り払い,緩やかな階段状のテラス護岸が設けられたりするようになった(といっても,せいぜいが50~100mの範囲に限られるが)。高水敷には仮設ベンチが置かれたり,あるいは近所の小学校児童や老人会が花壇をしつらえたりするようにもなった(といっても,いずれも一時的な施設に過ぎないが)。コンセプトは“水辺空間の安らぎ”とか何たらかんたら。恐らくそのような「親水護岸」を立案推進した当事者は自らの先進性,すなわち都市空間の有効利用,行政と地域との親和性の拡大等々を密かに誇っていたことでありましょう。ま,イナカの住人には無縁な話ではありますけどね。
ところで,都市化地域におけるそのような行政主導による親水護岸の設置がその後どうなったかというと,親水性の向上(=アプローチの容易化)に伴い,結果として水辺空間というものが所有権の不明瞭なハラッパ化,場末の路地裏化,端的に言えばお役所公認(というか黙認)のゴミ捨て場と化してきたというのが悲しい実情である。
現在,各地の親水護岸周辺における支配的な風景としては,ジュースの空カン・菓子袋・古雑誌などが散乱していたり,イヌの糞が草むらのあちこちに落ちていたり,何かを燃やしたような焼け跡があったり,時には異臭を放つ小動物の死骸も見られたり,さらには自転車・冷蔵庫・家具などの粗大ゴミの不法投棄も恒常的に見られたりする。川の流れは以前と同様どんよりと灰黒色に濁った淀みで,特に夏場にはドブ臭が一層強くなる。そのなかを毎度おなじみイロゴイ(錦鯉)なんぞがノッタリノッタリと浅瀬を泳ぐ。一方,それらを取り巻く野生植物のたくましい生の営みはさすがに見事であり,ヨシ・ガマ・マコモなどの抽水植物,ススキ・ミゾソバ・アレチウリ・オオブタクサなどの湿生植物などが,春→夏→秋→冬の季節の移ろいとともに衰勢を繰り返している。
何のことはない。親水護岸築造以前の状態に比べて,ノーテンキな一般庶民がドカドカと新規参入したことによりエントロピーが増大し,いわゆる本来の“たち”にとってのアジールとしての価値が低下したただけではないか。“ノーテンキな一般庶民”というレッテル貼りは少々言葉が過ぎるかな? いやいや,彼ら彼女らは一体何のためにドブ川水路たる都市中小河川の河原に好き好んで下りるのかを考えれば,正解は自ずと明らかであろう。ノーテンキのノーテンキたる所以である(本来,川に入るには,それなりのキビシイ覚悟と手間暇が必要だというのに!)
グダグダと回りくどい言い方をしてしまったが,ひとことでいえば,都市河川の親水護岸施設における管理の悪さ,それにつきる。当然のことながら都市的自然をベースとした施設である「親水護岸」には継続的かつ適切な維持管理が不可欠である。では,維持管理の予算はどこから捻出し,管理プログラムはどのように策定されるべきなのか? 恐らく大多数の人々は(行政も住民も)多分そこまで智恵が回らないのだろう。回す気にもならないのだろう。 「○○川の自然を守る会」,「△△川を愛する会」などという地元有志による任意団体が一生懸命にゴミ拾いなどの勤労奉仕をやっているところも多々見受けられるが,しょせん捨てる神多ければ拾う神追いつかず。
かくして,我が東京圏のみならず恐らく全国各地の都市化地域のあちこちに「親水護岸」という名の施設の残骸が,まるで兵どもが夢の跡のように朽ち果ててゆく。まこと,哀れを誘う光景という他はない。
そこで思うのだが,そもそも公共空間としての河川,特に都市河川における「親水」すなわち「水に親しむ」という行為の源泉は,少々ハズカシイ言い方をすれば,都市そのものを愛することにあるのではなかろうか。都市とは何か? それはアナタやワタシの棲家そのものである。すなわち,都市河川という公有地の理念的な意味における私物化である。川に関わりを持つ人それぞれが,水に対して責任を持つということだ。水辺を自分ちの庭と見なし,流水を自分ちの水道と見なすことだ。
昨今,巷ではガーデニングとやらの庭イジリがやけに盛んであるが,そこにおいて重要なのは,植物の育成というよりも,むしろ植物の美的レイアウト(陳列と言い換えてもいい)及びその維持管理ではないかと思う(違うのかな?)
結論が出た。もし行政サイドが都市河川を親水施設として活用しようとするなら,河川の高水敷を流域住民の“入会地”として開放すべし。住民はその水辺空間を,花壇でも小公園でも集会場でも運動広場でも自然観察園でも何でもいいけれど,基本的には自分ちの庭として,ガーデニングのステージとして精一杯飾り立てるべし(ただし,時々は大雨・洪水等による冠水の可能性があることをお忘れなく)。予算は行政が負担し,創作及び維持管理は流域住民の自治会組織等が行い,評価はマスコミ等を通じて第三者(地域外住民)に委ねられる。結果が良好であれば,そのうちに遠くの各地から評判を聞いてジーサンバーサン達がわざわざ見物にやってくるかも知れない。ホウホウ,これがあの有名な河原かい。成る程,ずいぶんと綺麗で気持ちよさそうな場所だねぇ。とかね。その場合“拝観料”を取ってもいい位ですね。
以上のような少々急ぎ足の,かつ荒っぽい目論見はしょせん単なる夢物語だろうか,現実をわきまえない砂上の楼閣,ドブ池の睡蓮であろうか。だとすれば,やはり都市河川の護岸は従来どおり垂直護岸のままであった方がよいと思う。そして流域住民は今後も一切ドブ川には近づかない方がいいと思う。“安らぎ”とやらは他のフィールドに見付けなさい。さすれば,私ども“”は以前のように心置きなく川の中を自由に歩けるってもんだ。
そんなわけで,あいかわらず未完。当初の論点がかなりズレてきたようでありますが,この話題はまだまだ続く(と思う)