ゆうべ,切ない夢を見た。その梗概は以下のようである(私小説風に)
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何故そのような状況になったのか,前後の事情はよくわからない。ともかく,私は妻子を箱根の高原ロッジに残し,ひとり横浜の自宅まで自転車で帰ることになってしまった(ちなみに,箱根に別荘なぞ持ってはおりませんが)。帰路の足は電車や自動車ではない,自転車に乗って箱根から横浜までの帰り道を延々と辿らねばならないのである(ちなみに,現在の住まいは横浜ではありませんが)。さらに,乗って帰る自転車はロードバイクやマウンテンバイクではない,ハンドル前にカゴの付いた,ごく普通の買い物自転車ないし中高生の通学自転車なのであった。
季節は秋の初め,彼岸を少し過ぎた頃だったように思う。箱根山の長い長い坂を一気に走り下ったのち,午後のやや遅い時間に小田原の市街地を抜け,酒匂川の河口付近に架かる橋を渡って鴨宮,国府津を過ぎ,二宮を過ぎ,それから大磯に入った。大磯の町中ではちょうど何かの祭礼が行われていた。子供から大人,老人まで大勢の人々や御輿や山車や露店やらで狭い通りはごった返しており,道路の交通もかなり渋滞していた。国道一号線ではなく,道幅の狭い旧道のようなルートであった。混雑した人波のなかを自転車でゆっくりと注意しながら進んでゆくと,やがて群衆に包み込まれ背中を押されるようにして,さらに別の脇道へと入っていきそうになった。
ふと,人混みのなかですぐ横を歩いていた女性が,私に向かって声をかけてきた。
「そっちじゃないですよ。右側の方が正しい道ですよ」
少し小首をかしげるようにしてこちらを見ながらニッコリと微笑んだその女性は,年の頃は30半ばくらい,小柄で地味な感じの,優しい顔立ちの人だった。作業着のようなダークブルーのシャツに灰色のズボンをはいている。町工場とかの仕事先から歩いて自宅に帰る途中でもあるのだろうか。それにしても見ず知らずの他人に対してずいぶんと親切な人だ。でも何で,私の行く先を知っているのだろう? 一寸訝しんでいると,続けてこう問われた。
「わたし,覚えてません?」
その柔らかな声色とイントネーションの響きに,瞬時,閉ざされた古い記憶の闇が少しだけ薄れ,錆び付いていた鍵がわずかに開きかけたような気がした。ああ,そうだ。なんとなく思い出したぞ。昔,確かにどこかで会ったことがある。10年ほど前,山麓の盆地の町に転居して以後のことだったか,あるいはそれよりも前,県央の台地に広がる基地の町に住んでいた頃だったか,それとも,さらにずっとずっと昔のことか。そのあたりの記憶がどうにもはっきりと思い出せないのだが,確かに以前,どこかで見知った女性であることは間違いなかった。近隣付き合いだったか,仕事関係でだったか,あるいは日々の暮らしのなかで利用していたお店とか公共施設とかで会ったのか,それもまた情けないことに思い出せないのだが,とにかく何度かは会っている。ただし,ほとんど通り一遍の会話を交わした程度で,別に親密なオツキアイがあった間柄では決してなかったと思う。
それでも明るく理知的な女性という印象だけはハッキリと覚えているものだから,それを頼りに曖昧な記憶を意地になって必死で辿ってゆくと,私の貧相な前頭葉を支配する時間の流れが急に逆流したり伏流したりあるいは一時停止したりと,アタマの中枢回路がいささかオーバーフロー気味に交錯し続け,いろんな出来事が順不同に脳内を駆けめぐって,しばし返答に窮してしまい,とりあえずこう答えるのが精一杯だった。
「ああ,久しぶりです。ちょっと誰だか分からなかった。御免なさい。」
最後にその姿を見かけたのは,6~7年前だったろうか。それにしても,昔に比べて外見からくる雰囲気がかなり違っており,先方から声を掛けられなければ全く気付かずにそのまま通り過ぎるところだった。以前はもっと若々しく華やいだ雰囲気を持った人だった筈だけれども,今ここに見る様子は,慎ましく穏やかで落ち着いた感じの大人の女性と映じており,さらに言えば,やや暗い印象すら感じさせる。それは決して,単に年齢を積み重ねたためだけではないように思われた。不遜な例えになるが,北朝鮮に拉致された「横田めぐみ」ちゃんの10数年を経た後のポートレートを見たような感じ。笑顔の向う側にどことなく不幸の影が垣間見られる。まことに歳月とは残酷なものであり,誰彼をいろんな場所へと連れてゆく。ひとりひとりを迷宮に追いやってゆく。もっとも,そのこと自体は誰しも「定め」として受け入れるしか術がないのだろうけれども。
で,その後,話がどのように展開したのか,何分にも夢のことゆえ出来事の筋道が多々省略されているが,次のシーンでは彼女の家で一休みさせてもらうというダンドリになっていた。私は帰りの時間が遅くなるのを気にしつつも,何とはなしに心弾む気持ちを胸中に抱きつつ,さきほど出会った場所から約1kmほど離れた彼女の家に招かれた。背後を谷戸の小高い丘陵に囲まれ,外観はいわゆる旧家然とした趣であった。ただし,決して豪壮で立派な造りというわけではなく,田舎の大きな古いボロ屋のような佇まいだった。こんな所のこんな家に住んでいるとは全く知らなかった。今日までどんな風に日々を暮らしてきたのだろう。
前庭を抜けて玄関の三和土から奥の間へと通された。傍らに荷を置いて少し薄暗い炉端のようなところに腰を下ろし,出されたお茶をすすりながら一息ついた。そういえば,箱根からここまで随分な距離を走ってきたのだった。東京・箱根駅伝で言えば2区間,30km以上も走ったことになるだろうか。それを思うと急に全身が鈍い疲労感でじんわりと包まれた。
ふと,斜め前方を見ると,広い部屋の隅の方になぜか老婆がひとり座っていることに気付いた。こちらを全く無視するように,じっと目をつむって微動だにしない。まるで置物が瞑想しているかのような状態だ。この屋敷の日常なのだろうか。あるいは,永遠とか持続とか不変とかの,それは象徴でもあるのだろうか? けれどそのうち「ゼルダの伝説・時のオカリナ」に出てくる石像アモスのように突然動き出したりはしないだろうか?? どうもよくわからない。
やがて彼女が奥から再びやってきて炉端の脇に私と並んで座った。そして,同じようにお茶をゆっくりと飲みながら,この10年ほどの間にあった様々な出来事を問わず語りにポツリポツリと喋りはじめるのだった。いや,それは私に向かって直接声に出して語りかけるというのではなく,何というか,静謐と安寧と寂寞とに包まれた薄暮の沈黙のなかで生じた以心伝心,彼女から私へと届けられた無言のテレパシー・メッセージ,とでもいった方が適当かも知れない。
仕事のこと,趣味のこと,恋愛のこと,結婚,子供,そして離婚のこと。それら日々繰り返し営まれてきた過去の日常の数多の出来事。要するにそれは誰にでもある,何処にでも存在しうる,極めてアタリマエな人生,その普遍的な生き方に関する自己検証と状況報告だった。とりわけ子育てのことでは多くの言い尽くせぬ苦労があったらしく,そのことが現在抱えているであろう不遇に多少なりとも繋がりがあるのではなかろうかと傍目にも推察された。口元には時に優しく微笑みを浮かべつつ,横顔の陰りには仄かな疲弊が影を落とし,言葉は淡々と一語一語を噛みしめるように。そこで語られた事柄はごくごく平凡なものではあったが,情感による脚色もなく,過度の修飾による誇張もなく,そのためかえって物語に深い意味と価値とを付与し,我が身につまされる部分も少なからず存在した。
改めて思えば,実に息苦しく辛気くさくザラザラした現実が蔓延している昨今の世情である。マスメディアやマスプロダクトから発せられる大部分意味のない情報や製品が人々の生活のなかに次々と嵐のように押しよせてきては,つましい暮らしを絶えず逼迫している。そんな現代社会において,自省や自戒や省察などといういわば後ろ向きの自己表現は,はや時代にそぐわない無意味で無価値なものになりつつある。そのような状況にあって猶,あえて自らの来し方について,全き人生について素直に振り返り正直に語ろうとする慎み深い,しかしあくまで毅然とした態度,そこには一種宗教的な一途さ,愚直ささえ感じられる。それは例えば,晩年の宮澤賢治が抱え込んでいだ《そのまっくらな巨きなもの》に対峙する覚悟と共通するものがあると受け取られた。さよう。人はすべからく生きねばならぬ。無畏,無畏,断じて進め!
しばらくの間そうやって彼女の独白に耳を傾けながら,同じ時代に生きる者として我が身を振り返りつつ,彼女の生き方とクロスオーバーさせながら自省を強いられる自分であった。それは有り体に言って「ダメダメ人生の再認識」でありましたがネ。あるいは,路傍雑草の枯れる間際の開き直りとでも言えるかも知れない。しょせんは単なる聞き役にしかなれない私だけれど,願わくば,能うる限り,彼女の不幸をつかのま共有したい,そう切実に思った。彼女の肩をそっと抱き,その暖かなぬくもりや深い吐息をじかに感じた。そして,私は少しだけ涙を流した。
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夢はそこで途切れる。7時50分に合わせてある目覚まし時計の音に起こされたからだ(無粋な顛末で恐縮です)。 目覚めたのち,切ない思いが身体中に蔓延するがままに,しばし呆けていた。それにしても何て夢だ! 過去の経験や疑似体験,欲望の深層心理,空想ないし妄想の副産物等々のゴッタ煮的な反映なのであろうが,ここでは要らぬ詮索は止めておく。人事に関するヤヤコシイ解釈は私の最も苦手とするところである。いずれにしても,以上のことは極めて個人的な事柄ゆえ,内容をそのまま記すのはかなり気が引ける思いがあったのだが,まぁ,出来の悪い私小説ないしは酔夢者(ヨッパライ)の繰り言に目を通したのが運の尽き,ということで御容赦願いたい。で,かくのごときツマラヌ私事を晒して一体何が言いたいのかと申しますと,要するに,これもまた一連の「歌っているのは誰か?」なのでアリマス。
マルセル・ムルージMarcel Mouloudjiの古い歌に《もし君がぼくを愛してくれていたら Si tu m’aimait》という哀しくも美しいセンチメンタル・ラブソングがある。創唱されたのは1955年。ルネ・クレールが詞を書いて,ジョルジュ・ヴァン・パリスが曲をつけている(なんという取り合わせだろうか)。実は私がこの歌を知ったのはほんの数年前のことなのだが,爾来,日々の暮らしのさまざまなシーンにおいて,このムルージ流センチメンタリズムの真骨頂ともいうべき歌がワタクシの貧相なアタマのなかに通奏低音のように流れていることにふと気付くのだ。甘美でほろ苦くそして儚い,まるで恋愛映画のワンシーンのようなその歌は,消え去りゆくアブクのごとき我が夢のBGMとして実に相応しい。でも待てよ。ということは,だ。むしろ私の方が無意識のうちにそれを夢の中に剽窃し,自ら進んで本歌取りを行っていたのではないか。すなわち,私の夢の切なさはムルージ演じるところの切なさが憑依したというだけのことなのかネ。一体どうなっちゃってるんだろ。
最後に,罪滅ぼし?の意を込めて歌詞の一部を記しておく(例によってマズイ訳だが)。それにしても,相も変わらず考えすぎ,かなぁ。
君とぼくとの間には もう話すべきことなどない
何もかもすべて戯れだった
最後のキス,そしてサヨナラ それだけのこと
愛の言葉なんて そんなものは冗談
冗談にすぎなかったのさ
人は言う
「いつまでも」とか「絶対に」とか「誓う」とか「約束する」とか
ああ,何て素晴らしい言葉だ
でも そんなオオゲサな宣誓は
戯れの恋のなかでは
そう 決して長続きなどしない
ぼくはいつだって君が話す言葉に楽しく耳を傾けていた
けれど それももう過ぎたこと
今はじっと口を閉ざしていたいのだ
もし君が 「いつまでも」,「絶対に」と言ってくれたら...
もし君が ぼくを愛してくれていたら.....
サヨナラ もう行くがいいさ
二人を結びつけるものは何もない
君がもしその気なら ぼくは喜んで迎えるが
行ってしまうのなら お願いだから二度と戻らないでくれ
よく分かっているんだ 君を忘れなくちゃならないのを
忘れなくてはならないことを
人は言う
「いつまでも」,「絶対に」,「誓う」,「約束する」
ああ,何て素敵な物語だ
でも そんなオオゲサな宣誓も
その「いつまでも」も「絶対に」も
やがて記憶のすみに忘れ去られてしまうだろう
君にとって これらの言葉はもはや何ものでもない
それはよく分かっている 分かっているさ
けれど にもかかわらず
ぼくは「いつまでも」や「絶対に」という言葉を信じていたいのだ
もし君が ぼくを愛してくれていたら.....
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何故そのような状況になったのか,前後の事情はよくわからない。ともかく,私は妻子を箱根の高原ロッジに残し,ひとり横浜の自宅まで自転車で帰ることになってしまった(ちなみに,箱根に別荘なぞ持ってはおりませんが)。帰路の足は電車や自動車ではない,自転車に乗って箱根から横浜までの帰り道を延々と辿らねばならないのである(ちなみに,現在の住まいは横浜ではありませんが)。さらに,乗って帰る自転車はロードバイクやマウンテンバイクではない,ハンドル前にカゴの付いた,ごく普通の買い物自転車ないし中高生の通学自転車なのであった。
季節は秋の初め,彼岸を少し過ぎた頃だったように思う。箱根山の長い長い坂を一気に走り下ったのち,午後のやや遅い時間に小田原の市街地を抜け,酒匂川の河口付近に架かる橋を渡って鴨宮,国府津を過ぎ,二宮を過ぎ,それから大磯に入った。大磯の町中ではちょうど何かの祭礼が行われていた。子供から大人,老人まで大勢の人々や御輿や山車や露店やらで狭い通りはごった返しており,道路の交通もかなり渋滞していた。国道一号線ではなく,道幅の狭い旧道のようなルートであった。混雑した人波のなかを自転車でゆっくりと注意しながら進んでゆくと,やがて群衆に包み込まれ背中を押されるようにして,さらに別の脇道へと入っていきそうになった。
ふと,人混みのなかですぐ横を歩いていた女性が,私に向かって声をかけてきた。
「そっちじゃないですよ。右側の方が正しい道ですよ」
少し小首をかしげるようにしてこちらを見ながらニッコリと微笑んだその女性は,年の頃は30半ばくらい,小柄で地味な感じの,優しい顔立ちの人だった。作業着のようなダークブルーのシャツに灰色のズボンをはいている。町工場とかの仕事先から歩いて自宅に帰る途中でもあるのだろうか。それにしても見ず知らずの他人に対してずいぶんと親切な人だ。でも何で,私の行く先を知っているのだろう? 一寸訝しんでいると,続けてこう問われた。
「わたし,覚えてません?」
その柔らかな声色とイントネーションの響きに,瞬時,閉ざされた古い記憶の闇が少しだけ薄れ,錆び付いていた鍵がわずかに開きかけたような気がした。ああ,そうだ。なんとなく思い出したぞ。昔,確かにどこかで会ったことがある。10年ほど前,山麓の盆地の町に転居して以後のことだったか,あるいはそれよりも前,県央の台地に広がる基地の町に住んでいた頃だったか,それとも,さらにずっとずっと昔のことか。そのあたりの記憶がどうにもはっきりと思い出せないのだが,確かに以前,どこかで見知った女性であることは間違いなかった。近隣付き合いだったか,仕事関係でだったか,あるいは日々の暮らしのなかで利用していたお店とか公共施設とかで会ったのか,それもまた情けないことに思い出せないのだが,とにかく何度かは会っている。ただし,ほとんど通り一遍の会話を交わした程度で,別に親密なオツキアイがあった間柄では決してなかったと思う。
それでも明るく理知的な女性という印象だけはハッキリと覚えているものだから,それを頼りに曖昧な記憶を意地になって必死で辿ってゆくと,私の貧相な前頭葉を支配する時間の流れが急に逆流したり伏流したりあるいは一時停止したりと,アタマの中枢回路がいささかオーバーフロー気味に交錯し続け,いろんな出来事が順不同に脳内を駆けめぐって,しばし返答に窮してしまい,とりあえずこう答えるのが精一杯だった。
「ああ,久しぶりです。ちょっと誰だか分からなかった。御免なさい。」
最後にその姿を見かけたのは,6~7年前だったろうか。それにしても,昔に比べて外見からくる雰囲気がかなり違っており,先方から声を掛けられなければ全く気付かずにそのまま通り過ぎるところだった。以前はもっと若々しく華やいだ雰囲気を持った人だった筈だけれども,今ここに見る様子は,慎ましく穏やかで落ち着いた感じの大人の女性と映じており,さらに言えば,やや暗い印象すら感じさせる。それは決して,単に年齢を積み重ねたためだけではないように思われた。不遜な例えになるが,北朝鮮に拉致された「横田めぐみ」ちゃんの10数年を経た後のポートレートを見たような感じ。笑顔の向う側にどことなく不幸の影が垣間見られる。まことに歳月とは残酷なものであり,誰彼をいろんな場所へと連れてゆく。ひとりひとりを迷宮に追いやってゆく。もっとも,そのこと自体は誰しも「定め」として受け入れるしか術がないのだろうけれども。
で,その後,話がどのように展開したのか,何分にも夢のことゆえ出来事の筋道が多々省略されているが,次のシーンでは彼女の家で一休みさせてもらうというダンドリになっていた。私は帰りの時間が遅くなるのを気にしつつも,何とはなしに心弾む気持ちを胸中に抱きつつ,さきほど出会った場所から約1kmほど離れた彼女の家に招かれた。背後を谷戸の小高い丘陵に囲まれ,外観はいわゆる旧家然とした趣であった。ただし,決して豪壮で立派な造りというわけではなく,田舎の大きな古いボロ屋のような佇まいだった。こんな所のこんな家に住んでいるとは全く知らなかった。今日までどんな風に日々を暮らしてきたのだろう。
前庭を抜けて玄関の三和土から奥の間へと通された。傍らに荷を置いて少し薄暗い炉端のようなところに腰を下ろし,出されたお茶をすすりながら一息ついた。そういえば,箱根からここまで随分な距離を走ってきたのだった。東京・箱根駅伝で言えば2区間,30km以上も走ったことになるだろうか。それを思うと急に全身が鈍い疲労感でじんわりと包まれた。
ふと,斜め前方を見ると,広い部屋の隅の方になぜか老婆がひとり座っていることに気付いた。こちらを全く無視するように,じっと目をつむって微動だにしない。まるで置物が瞑想しているかのような状態だ。この屋敷の日常なのだろうか。あるいは,永遠とか持続とか不変とかの,それは象徴でもあるのだろうか? けれどそのうち「ゼルダの伝説・時のオカリナ」に出てくる石像アモスのように突然動き出したりはしないだろうか?? どうもよくわからない。
やがて彼女が奥から再びやってきて炉端の脇に私と並んで座った。そして,同じようにお茶をゆっくりと飲みながら,この10年ほどの間にあった様々な出来事を問わず語りにポツリポツリと喋りはじめるのだった。いや,それは私に向かって直接声に出して語りかけるというのではなく,何というか,静謐と安寧と寂寞とに包まれた薄暮の沈黙のなかで生じた以心伝心,彼女から私へと届けられた無言のテレパシー・メッセージ,とでもいった方が適当かも知れない。
仕事のこと,趣味のこと,恋愛のこと,結婚,子供,そして離婚のこと。それら日々繰り返し営まれてきた過去の日常の数多の出来事。要するにそれは誰にでもある,何処にでも存在しうる,極めてアタリマエな人生,その普遍的な生き方に関する自己検証と状況報告だった。とりわけ子育てのことでは多くの言い尽くせぬ苦労があったらしく,そのことが現在抱えているであろう不遇に多少なりとも繋がりがあるのではなかろうかと傍目にも推察された。口元には時に優しく微笑みを浮かべつつ,横顔の陰りには仄かな疲弊が影を落とし,言葉は淡々と一語一語を噛みしめるように。そこで語られた事柄はごくごく平凡なものではあったが,情感による脚色もなく,過度の修飾による誇張もなく,そのためかえって物語に深い意味と価値とを付与し,我が身につまされる部分も少なからず存在した。
改めて思えば,実に息苦しく辛気くさくザラザラした現実が蔓延している昨今の世情である。マスメディアやマスプロダクトから発せられる大部分意味のない情報や製品が人々の生活のなかに次々と嵐のように押しよせてきては,つましい暮らしを絶えず逼迫している。そんな現代社会において,自省や自戒や省察などといういわば後ろ向きの自己表現は,はや時代にそぐわない無意味で無価値なものになりつつある。そのような状況にあって猶,あえて自らの来し方について,全き人生について素直に振り返り正直に語ろうとする慎み深い,しかしあくまで毅然とした態度,そこには一種宗教的な一途さ,愚直ささえ感じられる。それは例えば,晩年の宮澤賢治が抱え込んでいだ《そのまっくらな巨きなもの》に対峙する覚悟と共通するものがあると受け取られた。さよう。人はすべからく生きねばならぬ。無畏,無畏,断じて進め!
しばらくの間そうやって彼女の独白に耳を傾けながら,同じ時代に生きる者として我が身を振り返りつつ,彼女の生き方とクロスオーバーさせながら自省を強いられる自分であった。それは有り体に言って「ダメダメ人生の再認識」でありましたがネ。あるいは,路傍雑草の枯れる間際の開き直りとでも言えるかも知れない。しょせんは単なる聞き役にしかなれない私だけれど,願わくば,能うる限り,彼女の不幸をつかのま共有したい,そう切実に思った。彼女の肩をそっと抱き,その暖かなぬくもりや深い吐息をじかに感じた。そして,私は少しだけ涙を流した。
------------------------------------------------------------------
夢はそこで途切れる。7時50分に合わせてある目覚まし時計の音に起こされたからだ(無粋な顛末で恐縮です)。 目覚めたのち,切ない思いが身体中に蔓延するがままに,しばし呆けていた。それにしても何て夢だ! 過去の経験や疑似体験,欲望の深層心理,空想ないし妄想の副産物等々のゴッタ煮的な反映なのであろうが,ここでは要らぬ詮索は止めておく。人事に関するヤヤコシイ解釈は私の最も苦手とするところである。いずれにしても,以上のことは極めて個人的な事柄ゆえ,内容をそのまま記すのはかなり気が引ける思いがあったのだが,まぁ,出来の悪い私小説ないしは酔夢者(ヨッパライ)の繰り言に目を通したのが運の尽き,ということで御容赦願いたい。で,かくのごときツマラヌ私事を晒して一体何が言いたいのかと申しますと,要するに,これもまた一連の「歌っているのは誰か?」なのでアリマス。
マルセル・ムルージMarcel Mouloudjiの古い歌に《もし君がぼくを愛してくれていたら Si tu m’aimait》という哀しくも美しいセンチメンタル・ラブソングがある。創唱されたのは1955年。ルネ・クレールが詞を書いて,ジョルジュ・ヴァン・パリスが曲をつけている(なんという取り合わせだろうか)。実は私がこの歌を知ったのはほんの数年前のことなのだが,爾来,日々の暮らしのさまざまなシーンにおいて,このムルージ流センチメンタリズムの真骨頂ともいうべき歌がワタクシの貧相なアタマのなかに通奏低音のように流れていることにふと気付くのだ。甘美でほろ苦くそして儚い,まるで恋愛映画のワンシーンのようなその歌は,消え去りゆくアブクのごとき我が夢のBGMとして実に相応しい。でも待てよ。ということは,だ。むしろ私の方が無意識のうちにそれを夢の中に剽窃し,自ら進んで本歌取りを行っていたのではないか。すなわち,私の夢の切なさはムルージ演じるところの切なさが憑依したというだけのことなのかネ。一体どうなっちゃってるんだろ。
最後に,罪滅ぼし?の意を込めて歌詞の一部を記しておく(例によってマズイ訳だが)。それにしても,相も変わらず考えすぎ,かなぁ。
君とぼくとの間には もう話すべきことなどない
何もかもすべて戯れだった
最後のキス,そしてサヨナラ それだけのこと
愛の言葉なんて そんなものは冗談
冗談にすぎなかったのさ
人は言う
「いつまでも」とか「絶対に」とか「誓う」とか「約束する」とか
ああ,何て素晴らしい言葉だ
でも そんなオオゲサな宣誓は
戯れの恋のなかでは
そう 決して長続きなどしない
ぼくはいつだって君が話す言葉に楽しく耳を傾けていた
けれど それももう過ぎたこと
今はじっと口を閉ざしていたいのだ
もし君が 「いつまでも」,「絶対に」と言ってくれたら...
もし君が ぼくを愛してくれていたら.....
サヨナラ もう行くがいいさ
二人を結びつけるものは何もない
君がもしその気なら ぼくは喜んで迎えるが
行ってしまうのなら お願いだから二度と戻らないでくれ
よく分かっているんだ 君を忘れなくちゃならないのを
忘れなくてはならないことを
人は言う
「いつまでも」,「絶対に」,「誓う」,「約束する」
ああ,何て素敵な物語だ
でも そんなオオゲサな宣誓も
その「いつまでも」も「絶対に」も
やがて記憶のすみに忘れ去られてしまうだろう
君にとって これらの言葉はもはや何ものでもない
それはよく分かっている 分かっているさ
けれど にもかかわらず
ぼくは「いつまでも」や「絶対に」という言葉を信じていたいのだ
もし君が ぼくを愛してくれていたら.....