トイザラスの苦戦 あるいは滅びし者たちの怨念,か

2000年10月01日 | 日々のアブク
 マーケットについて,思いつくままのイイカゲンな感想など。

 昨今,世間では『そごう』や『セゾングループ』に代表されるように流通業界における構造的な落日の日々が続いているが,当地においてもここ最近,急に店じまいする大規模小売店が目立っている。なかには,新築ビルを建てて華々しく開店したのがほんの2~3年前だというのに,ある日突然,実にあっけなく閉店してしまうところもある。栄枯盛衰は世の常なれども地元住民にとってはまさに一喜一憂。ったく何やってるんだか!と他人事ながら歯がゆい思いがフツフツと湧いてくる(明日は我が身か,などという世知辛い話はさておいて)。

 一方で,小売り業者同士の生き残りをかけたガチンコ販売合戦なども各所で展開されている。代表的な例では家電の『ヤマダ電気』と『ラオックス』の仁義なきバトルが今まさに真っ盛りである。これは一般消費者にとっては当面歓迎すべき状況のようにも見える。しかしながら,当の彼らにしてみれば別に地域の発展を願っての奉仕活動,慈善事業をしている訳じゃなし,そのホンネは結局のところ自己保身に尽きるのであり,地元住民の思惑なんかはっきり言ってドーデモイイことでありましょう。まぁ,あんまり期待しないことだ。

 時折,タカシとアキラにせがまれて『トイザらス』に出掛けることがある。子供らには毎度お馴染み,アメリカ資本のこのビッグなトイ・ストアは,節操もなくこんな小っぽけな我が町にまで進出している。トイザラスの日本における最初の店舗は,確か10年近く前に相模原市の国道16号線のロードサイド店として出店されたと思う。欧米サブカルチャーの侵攻,イタイケな子供までをも狙ったアメリカン・ドリームの罠がいよいよ我が国にも上陸して来たか! 本土決戦波高し,といった具合に何やらワクワクした高揚感を覚えたことを記憶している。そのような状況は恐らく当地においても同様であり,4~5年ほど前,トイザラスがこの小さな町に進出する計画が明らかにされたとき,市内における既存の玩具小売り業関係者はおしなべて戦々恐々とし,なんやかやとツマラヌ理由を付けて強硬に反対し,出店を少しでも先送りにすべく関係各方面の有力筋に秘密裏に根回しを行い,ひたすら限られたローカル・マーケットの内部に橋頭堡を築きあげては敵前防衛にこれ努めたのではなかろうかと思う(いや,あくまで想像ですが)。広域的な視野ないし長期的な展望から見た地域社会経済の活性化などクソクラエ!ってなもんで。なかでも,特に名前を挙げて恐縮だが,出店予定地のほんの数100m離れたところに所在した玩具チェーン店『ハロー・マック』などはそれこそ目の前が真っ暗になったに違いない。そして実際,予想にたがわずというか遂に刀折れ矢尽きたというか,約2年の後にそのハロー・マックは突如として閉店してしまった。今でも建物の残骸だけは残っており,車で前の道路を通り過ぎるたびに改めて哀れを誘う。

 しかし,しかしであります。開店当初はまさに飛ぶ鳥を落とす勢いであったトイザラスも,数年を経た現在では,閑古鳥が鳴いているとまでは言えないまでも,全般にかなり淋しい状態が続いているように見受けられる。平日の午前中などに行ってみると客の数などごくごくマバラで,アメリカンな店員が店内をウロウロする様子だけがやたらと目立つ。これは如何にしたことか。百戦錬磨の彼らにしてからが,結局のところはこの混迷の時代の「読み」を間違えたのかネ。あるいは滅びし者たちの怨念にでも取り憑かれちまったのかネ? 

 素人考えでは,ひとつには,子供らにとっての「オモチャ」という概念がここ数年で大きく変化したことに彼らアメリカン・スタイルのマーケティング,特にそのハードウエア(店舗構成形態)が対応しきれなくなったためじゃなかろうかと思う。要するに,すぐれて保守的で時代錯誤的で大層な「夢のお城」を頑固に維持しようとしたところがそもそも間違っているんじゃなかろうか,と。むろん子供ら自身がオモチャ屋を否定しているわけでは決してない。いつの時代にもオモチャってものは子供らにとって限りなく魅力的な存在であり続けるだろう。ただ,その点を十分差し引いてもなお,彼らアメリカンの描く戦略はあまりに「空間効率」が悪すぎるのだ。何しろ昨今の子供らはオモチャの「物量攻勢」なんかにはちっとも驚きはしないんだから(ホントニモウ)。単に親たちが目をパチクリさせて驚いているだけに過ぎない。これは将来的に見れば,ジャパニーズ・ローカル云々の問題ではなく文明世界における汎世界的な傾向なのかも知れない。

 もうひとつは,彼らの「立地」に対する見通しの甘さである。それが魅力的な店であれば多少とも立地条件が悪くても客は集まってくるといった,やはりアメリカ的な思い上がりというか勘違いがある。オモチャという商品そのものに集客力があるわけではない。さらに言えば,オモチャ屋という店舗そのものに集客力があるわけではない。あくまでターゲットは子供であることを忘れてはならない。「マツモトキヨシ」や「ユニクロ」じゃないんだからネ。やはり,子供ら自身がみずから進んで足を運ぶことができる立地を,周辺環境を含めて最低限配慮する必要があるだろう。いくら子供自身がオモチャ屋に出掛けたくてウズウズしていても,親が子供を連れてゆかなきゃドーニモナラナイ,というような立地ではやはり先が見えている。それじゃあ近所の駄菓子屋(今ならコンビニであるが)にはかなわない。

 似たような例では,トイザラスと同じくアメリカ資本の大規模小売店『スポーツ・オーソリティー』なるオシャレなスポーツ・ショップも我が町にはあるんだけれど,こちらの方はさらに場違いな立地の感は否めない。何せ,最初に日本に進出した3店舗のうち,他の2店は「お台場」と「みなとみらい21」ってんだから。いつ出掛けても広大な売り場はガランガラン。しかしてトイザラスと同じくメクルメクようなスポーツ用品群の総花的物量攻勢(掃き溜めに鶴などとは決して申しませんが)。加えてトイザラスよりもさらにアメリカナイズされた店員の「コンニチワ~」などという耳慣れない客対応が広大な空間のそこかしこに空虚に響く。フリーターのニーチャン・ネーチャンたちにとっては実にアコガレの職場であるんだろうけれどもね。田園都市線沿線の青葉台か,湘南の藤沢・辻堂あたりにでも出店した方がよかったのではないかな?

 そんなわけで(何がソンナワケだか),この先何だか話がゼンゼンまとまらないような気がするのでこのへんで止めておくが,要は,今日びの子供らは,少なくとも対象を男の子に限ってみると,プレステないしニンテンドー64とゲームボーイ,それから遊戯王カードなどがあればそれで十分なのであって,巨大な総合体育館のようなウツワは決して必要としていない,ということ。ごく近所に「子供の領分」としてのチマチマした駄菓子屋さん的スペースがあればそれで十分なのだ。

 このことは恐らく私共の日常的マーケット全体にも敷衍できましょう(あるいは地方行政などにもネ)。等身大の分相応の暮らし,なんてものをもう一度考え直してみることが必要じゃなかろうか,って次第。
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