神々の 正体見たり 枯れ尾花 (by老眼鏡)

1998年09月21日 | 日々のアブク
 1ヶ月ほど前,老眼鏡をあつらえた。当世流行の「境目のない遠・近両用」ってヤツである(正しくは室内専用の「中・近両用」だが)。これが大層具合がよろしい。

 ここ1,2年視力の衰えかなり著しく,近くのモノが悲しいくらいに見えなくなって,特に夜など,新聞や小さな活字の雑誌などを読むことが非常に辛くなっていた(そして,だんだんとナマケモノになってゆく)。また,仕事においても,例えば調査で川に入ってカゲロウ類の幼虫を採集した時,眼鏡をはずして目一杯近づけて見なければ,それがヒラタカゲロウかタニガワカゲロウか,あるいはオオマダラカゲロウかトウヨウマダラカゲロウか判別できなくなってしまった。それどころか,ひどい話だがカゲロウだかカワゲラだかすらもよく判らないような場合もあり,これでは現役引退勧告を受けても仕方ない状況であった。

 そんなに目を酷使してきた覚えはないんだけどなぁ,などとボヤいても悔やんでも,今になってみれば全て後の祭り。やっぱり約20年間にわたる顕微鏡作業及びVDT作業のせいか。

 しかるに,老眼鏡を掛けると世界が一変する。霞のなかから急に視野が広がる。まるでニコンのポロで外界を覗き見ているようなクリアな映像が眼前に展開する。思い起こせば,初めてメガネを作ったのは高校1年の時であるが,大袈裟にいえば当時の感激が今再び蘇る。何かしら急に洞察力に目覚めたような,まるで世界を絡めとることが出来そうなメンタル・パワーを授かったような,フィジカルな満足感。

 むろん,冷静に考えれば,単なるメカニカルな微調整の成果に過ぎないことは重々承知しております。神々は細部に宿りたまうなどという戯言に真実が含まれているとすれば,正に神々の正体見たり枯れ尾花。ホラ,ここにも,あそこにも,神様がへばりついている。なんてね。
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