以下は一昨日の続きである。というか,ノジマ&ホトケドジョウをめぐるヨタ話の前段&後日談,とでも申しましょうか。
その日,家電量販店に自転車で出掛けるとき,少しだけ遠回りして蓑毛方面をグルッと経由してゆくことにした。この寒い時期,少しでも身体を動かさねば,と思いましてね。いえ何,大した寄り道じゃございませんけれども。
自宅を出てから山のほうに向かって里道を走り,それから少しだけ山麓斜面に取り付いて急な坂道を上っていった。そこは幅2mかそこらの狭い道で,俗に「軽トラ農道」などと称されるサトヤマ道である。いちおう舗装はされているが,長いこと放ったらかし状態のままで補修メンテナンスなどは全く行われておらず,アスファルトはボロボロ,グズグズの凸凹道だ。一方でその悪コンディションが,不幸中の幸いというか,ワッカ路面(◎◎印の滑り止め)の代役を果たしているのだが。
急坂の道沿いの一角に,朽ちかけた石塀に囲まれて独立した小スペースの墓地があって,年配の女性がひとり,墓周辺の掃除をしていた。年の頃は50代といったところか。恐らくは土着民,失礼,近所に住まわれている方だろう。ここいらの山麓地にある古くからの農家では,お寺に付属する墓地などとは関係なしに,母屋から少し離れた野山の適当な場所に「○○家の墓」として自らの一族の墓所を設けているのをあちこちで見かける。遠く明治,江戸の時代,いや遙か昔の鎌倉時代から続いているかも知れぬ「先祖代々My 墓所」というわけか。そのオバチャンも,年末ということで自家の墓を清めに来ていたのだろう。
自転車のギヤをインナーローに落としてペダルを回しながらその場を通り過ぎようとしたとき,お互いに目があって,ほぼ同時に軽い会釈を交わした。先方が言葉を掛けてきた。
- すごいですねぇ,自転車でこの坂を登るなんて。
- ええ。ここは結構な運動になるもんですから。
- ご立派!
- はぁ,どうも。。。
そのあたりは斜度勾配にして15%くらいだったが,もう少し先にゆくとさらに傾斜がキツクなって20%ほどのピークが待ちうけているのだ。しかしながら,妙齢の御婦人におだてられた,あるいは,ハッパをかけられた?手前,その後すぐに走行ペースを落とすわけにもゆかず,同じような調子でヒイコラヒイコラ漕ぎ上っていったのでありました(男はツライよ!)
そして今日,小田原方面にある某霊園まで自転車で出掛けた。亡き母の墓参を兼ねて年末の墓掃除でもしてこようかと思いましてね。ようするに,地元のオバチャンがかいがいしくお墓の掃除をしている様子を拝見して,こちらも一寸殊勝な気持ちになったという次第であります。その霊園へは,だいたいいつも,なるべくクルマの通らない道々を選んで大磯丘陵の里山をアップダウンしてゆくことが多い。良く晴れたおだやかな冬の日の午前,時間も気にせず,ルートも適当に,ひとり気ままに自転車を漕いでいった。
母の墓がある霊園墓地は,現在この丘陵地の一角に計画されている某巨大霊園(20ha)とは異なり,せいぜい数百基ほどの比較的こぢんまりした民間霊園だ。しかし何ですな。巷間元気なサトヤマ・エコロジストたちが昨今声高に叫んでいるところの「巨大霊園」という言い方は,何というトゲのある,嫌味なレッテル貼りだろうかと思う。「巨」という言葉を,そこでは否定的に,すなわち邪悪なるモノの代名詞として援用している感がある。その伝で申せば,例えば横浜市の密集市街地にある久保山墓地(13ha)や鎌倉市の丘陵地にある鎌倉霊園(55ha),川崎市北部の緑ヶ丘霊園(59ha),さらには東京の都心部一等地にある青山霊園(26ha)だって「巨大霊園」であろうし,ましてや多摩霊園(128ha)や冨士霊園(230ha)などに至っては「超巨大霊園」と呼ばないことには それこそ示しが付かないのじゃないかと思うが,その辺りの意味合い,それらとの整合性は一体どうなっているのかナ。そのことについて真摯に指摘しているヒトビトを寡聞にして存じ上げない。そりゃ私とて遙か昔の少年期よりずっと「アンチ巨人派」であるゆえ,「巨人」というコトバには生理的拒否反応を示したりもしまするが,それとこれとは別問題,ジャマイカ。
あれれ,ワケノワカラン余計を申した。メンボクナイ。で,母が眠っている霊園であるが,そこは開設時期が比較的新しいこともあって,園内に建立されている数々の墓石も 新しい様式ないし形状のものが少なくない。園路をグルッと巡回して,さまざまな洒落た形の墓石(なかには奇抜すぎるものもアリマスが),そして墓石に刻まれた心温まる文言(なかには首をかしげたくなるようなものもゴザイマスが)などを眺めるのは楽しい。まるで,墓石の現物見本展示場といった感じだ。
年末のこの時期,霊園は大層賑わっていた。という言い方はチョット変か,多くの人々が参拝&墓掃除に訪れていた。小さな駐車場が満杯になってしまい,やむなく道路脇にクルマを止めている人もいたくらいだ。私は自転車なので,その点はまったく関係ない。園の入口で自転車を降り,そのまま押し歩きで墓のすぐ近くまで向かう。墓地のあちこちで線香の煙がたなびき,キレイな花々が供えられている。訪問者は家族連れが多く,小さな子供のなかには,霊園内を縦横に通じる通路を まるで迷宮遊園地にでも来たかのように楽しげに駆け回ったりしている元気っ子もいる。冬の寒さも何のその。いつだって子供は風の子だぃ! ジイチャン,バアチャンも草葉の陰でさぞ目を細めて喜んでいることだろう。
いっぽう私はといえば,普段は大体1ヶ月おきくらいにここにやって来るのだが,いつだって一人きりでの定期訪問で,線香も花も持参せず(時々は100均ショップで購入した造花を持っていったりもする),気持ちだけの墓参をササッと済ませると,じゃぁまたね,とか言い残して,その後そこら近在のサトヤマ・ライドへと向かってしまうような不束者だ。けれども,その日は墓の掃除を一寸念入りに行いました。一年の汚れをサッパリ洗い流すように,タワシで墓石をゴシゴシとこすりました。といっても,ほんの10分かそこらで済んでしまったけれども。 じゃぁ,またね。よい年を!
帰り道はふたたび大磯丘陵のサトヤマ道をうねうねと走っていった。だいたいが勝手知ったる道ゆえ,往路と同様に,その日そのときの気分で右へ行ったり左に行ったり上ったり下ったり,実にテキトーなトレイル・ライディングだ。年の瀬とはいえ,丘陵地の里道はいつもと変わらぬ穏やかな佇まいを見せ,そこかしこに点在する農家からは柔らかな煙が立ちのぼり,道端では老人同士がのんびりと会話を交わしていたりする。そしてまた山道へと分け入れば,しっとりとした落ち葉のフカフカ絨毯が,まるでレッド・カーペットRed Carpet のようにずっとずっと先まで敷きつめられていて,我がオンボロMTBを歓待してくれる。 やぁ,元気かい? いい陽気だね! 自転車のアリガタミをシミジミと感じるひとときなのでありました。
そんなこんなで,今年もやがて暮れてゆく。別に何があったというわけでもなく,自然に,さよう,充分自然に年が暮れてゆき,そして私も 細流に棲むホトケドジョウたちと同じように,とりあえずは生きながらえてゆく。 続く (いつまで?)