goo blog サービス終了のお知らせ 

ホタルにはボサノバが似合う

2000年07月16日 | 歌っているのは?
 先月,書き忘れていたことを遅ればせながら記録しておく。それほど大したことではないのだが,一応のケジメとして(いや,それを言うならこのblog全体が大したことないんでありますが)。スタートのBGMはアントニオ・カルロス・ジョビン Antonio Carlos Jobin《ノー・モア・ブルース》

 以前にもどこかで触れたような気がするけれど,自宅から歩いてほんの5分足らずのところに「葛葉川ふるさと峡谷」という少々恥ずかしげな名称を冠せられた川沿いの緑地帯がある。私の日常の散歩コースの一部にもなっているその場所は,二級河川金目川の支流である葛葉川が高低差20m近くの深い谷を穿ちながら蛇行して流れており,周囲一帯は宅地開発を免れた豊かな斜面緑地が広がっている。河谷の崖端部には何ヶ所かで湧水が見られ,そのうちのもっとも水量の多い湧水を源として葛葉川へと注ぐ小さな流れはゲンジボタルの生息地として知られている。ちょうど1ヶ月ほど前の6月16日(金)の夜,家族でその湧水地まで「ホタル狩り」に出掛けた。当地に転居して約6年になるが,噂には聞いていたものの実際にホタル見物に出向いたのは今年が初めてである。

 昼間,いつもの散歩の途中で「くずはの家」という緑地内に設けられた市の公園管理施設に立ち寄り,常勤の女性(ネイチャー・ガイドとでも言うのかな?あるいはただの事務員さんかな?)に件のホタルの様子を一寸訊ねた。すると,ここのホタルは県内の他地域に比べると発生時期がやや早く,例年5月下旬から6月中旬頃までに出現するという。去年は合計で80匹ほど見られたが,今年はやや少ないようで,6月初旬に行った観察会では30匹くらいであったとのこと。今夜あたり天気がいいので,多分まだ少しくらいは見られるでしょう,保障はできませんけど,と懇切丁寧なアドバイスを頂戴した。

 ここでBGMはアストラッド・ジルベルト Astrud Gilberto《デイ・バイ・デイ》に変わる。

 そして夜,タカシとアキラを長ズボン,長袖シャツと防虫スプレーで武装させ,懐中電灯を3丁用意し,一家4人で勇んで出かけた。何せ子供らにとっては生まれて初めてのホタルである,アキラなどは大きな懐中電灯振り回してところかまわず照らしながら準備万端OK!とばかり張り切っている。ワクワク。

 現地に着いてみると,なな何~んと既に見物人が30~40人程もいるではないか。幼児や小学生を連れた家族,若いカップル,元気な老人老婆たち,変なオジサン,などなどが決して広いとはいえぬ谷間の一隅にワイワイガヤガヤと蝟集している。その様はまるで巷で大評判の「お化け屋敷」アトラクションに観客が大挙押し寄せて定員オーバーになってしまったかのごときである。さすがホタル! マイケル・ジャクソンなみの人気者だねぇ。ところで当の主役たるホタル君たちは一体何処にいるんだろう? 周囲をキョロキョロと丹念に探し回ると,おお,いたいた。崖っぷち近くをフラフラと浮遊しているもの,奥まった場所の木々の葉に貼りつくように隠れているもの,すぐ足下の水辺の叢にじっと止まっているもの,それらが三々五々いかにも頼りなさげに発光している(東日本型ゆえ4秒間隔にて)。恐らくはギャラリー達の発するオーラのごとき勢いに気おされ萎縮しているのではなかろうか。

 結局,その夜は全部で約10匹近くのホタルを確認することが出来た。ギャラリー4人当たりで約1匹相当という少々淋しい状況ではあったが,来訪者はみな概ね満足して帰っていったようだ。ただし,その満足感は必ずしも純粋に「視覚的な美しさ」に由来するものではないことは明らかである。数千匹のホタルの群れが乱舞するのを見たというならまた別だが,たかだか10匹程度のホタルがジメジメした狭い谷間の一隅でボワ~ンと光っていただけのことである。そんな貧相な光景に比べたら,例えば当地で申せば車でちょっと渋沢丘陵あたりに出掛け,丘の上から一望のもとに広がる市街地の夜景のキラメキを眺めたりした方が格段に美しいと感じるはずだ。あるいはジャニーズ系コンサートにおけるペンライトのメクルメク群舞などの方がよっぽどネ(見たことないけど)。

 だからといって別にこのような自然,このような環境を徒に卑下しているわけでは無論ない。それはそれで将来にわたってしっかりと守ってゆくべき地域の貴重な財産である。ただ,少々皮相的な言い方をすれば,大多数のホタル見物人たちにとっては「ホタルが光るのを見た」という事実の確認こそが最も重視されるのは致し方ないということであって,そこには,ホタルは自然のもの,闇のなかで光る自然の神秘,豊かな自然環境の象徴としての光,そういった予め捏造されたイメージに対する過剰な思い入れ,といって語弊があれば,学校教育ないし大衆媒体による「刷り込み」が既に成立しているという現状が厳然として存在する。そのような現状を踏まえた上で,「ホタルの光」を確認した善意の人々は,翌日,それぞれの地域社会(学校やら職場やら隣組やら)に伝道者ないし開拓者となって再び戻ってゆく,といった構図がまるでホタルの光のようにぼんやりと見透せるわけだ。でなければ,わざわざこんな蒸し暑い夜に,虫に刺されたりしながらヤブをかき分け,足元の覚束ない暗い坂道を下り,このような陰気な場所までノコノコとやって来るものか! ま,結局のところは茶話雑談における自慢話になるってのがオチだろうけれど,それでも良しといたしましょう。それらが無償の行為である限りにおいて「啓蒙」は無いよりは有ったほうがマシなのだから。

 そんなわけで,終わりのBGMは再びアントニオ・カルロス・ジョビン Antonio Carlos Jobin《お馬鹿さん》,ということで。ホタルには何故かボサノバがよく似合う(何じゃそりゃ?)
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 杉並という都会の迷路を,B... | トップ | 迷惑電話攻撃に屈して »
最新の画像もっと見る

歌っているのは?」カテゴリの最新記事