7.28 高杉晋作という時代 1/2UP。
「銀魂概論」を再掲載。
実在の高杉と銀魂についてと歴史背景をわかりやすく解説しました。
馬関、萩、長府、京都を1週間うろうろした頃のレポ的なものも入ってますね。
最後は京都の友人が拾ってくれて(?)不憫に思ったのか、美味しいものをたくさん食べさせてくれました。
京都に入るまで、小汚いカッコをしていたのに入ったとたんドレスコードMAX。
(河原町あたりを歩く女の子たちがみんな綺麗に見えたので)
その半年後には、大阪と京都のディスコで遊ぶために友人と上洛(?)。
京都の友人に「夜羽、今度は何しに来た!?」と困惑されたわ。
史跡巡りには恵まれていて行く先々に友人がいたので、函館や札幌はほとんど現地の友人がセッティングしてくれてました。
フランス料理店の予約まで入ってたにのにびっくり!ありがたやーーー!
いまだ独身でいろいろ追っかけてる人もいるけれど、ほとんどはいいおかーさんしてます。
年賀状がお互いの生存確認。
長くなりましたが、それだけ長州にのめりこんだときもありました。
なので現在「梅鴬撩乱-長州幕末狂騒曲-」(会田薫/ITAN)から目が離せません。
大河の会津も好きですよ。
人が優しいところですね、それに言い方がナンだけど人懐っこい。
世論では厳しい教育を施している印象ですが、私が実際感じたのは違いました。
二つの藩が先の戦争と言えば戊辰を指すくらい溝は深いのですが、大河のせいか今は長州が人扱い。
その会津も薩摩と組んで長州にやりたい放題でしたからね、京都では。
長州は会津が単体ではなくて薩摩と手を組んだ会津を憎んでるだけなんですね。
だから明治になってからはさらに龍馬もいなくなってるから、また薩長は火花バチバチな対立関係の泥沼に。
大正で大往生した山縣有朋(狂介)はとにかく薩摩を嫌い抜いてました。
昭和天皇の皇后の選出にも異を唱えたくらい。
(香淳皇后の母方は薩摩出身)
でも、私は山縣くらい高杉の教え(突き詰めれば松陰)を守った人間はいなかったと思うんですよ。
富国強兵も高杉が上海留学を機に推し進めていたことですし、政界でも山縣は長州内での俗論党と生死をかけた対立を、高杉と共に乗り越えてきた志士なんですから、あんまり嫌ったらかわいそうです。
浅田次郎が「天切り松闇がたり」の1巻2話目に「槍の小輔」というのがありますが、山縣の面目躍如ないいお話です。(ご一読をオススメ)
まぁ、明治になり偉くなってしかりなのは私が思う限り、桂小五郎、西郷吉之助、井上聞多、山縣狂介くらいでしょうか?
伊藤利助含め他は皆小者です。松陰にみっちり教え込まれたと言うより、久坂や高杉から説かれる松陰論に感化された者たちだから。
大久保を私は認めていません、桐野利秋こと人斬り半次郎の方がずっといい。
下関(馬関)で私は赤間神社でバスを待つ間かなり長い時間ぼんやりと赤間関をながめていたんですね。
古くは壇ノ浦の合戦があり、高杉が「死して赤間関の鬼となって守る」さえいった場所です。
癇癪起こしていきなり脱藩したり、金持ちの総領息子なもんだから自らや村塾仲間のために湯水のように金を使ったり、なのに命張る場面では何の躊躇いもない。
外国公使相手にペテンを仕掛けたり(それが大成功で藩を救っちゃたりする)、江戸まで出てきて品川焼き討ちに参加したり。
挙句に血を吐きながら、小倉戦争の陣頭指揮なんて正気の人間のやることじゃないです!
ついでに、顔色が悪いと心配されると「昨晩、おうのと布団の中で相撲をとった」とけろっと返す。
私ね、空知には感謝してるんですよ、これでも。
実在の高杉晋作を思い浮かべられる設定で高杉晋助を登場させたことに。
だって、高杉は長州のためなら(松陽先生のためなら)何でもあり!な男だから。
銀魂ムービーファイナルを祝してちょっと長くなっちゃいました。
そのうち、真撰組じゃない新撰組も書きます。たぶん・・・
本来はそっちが専門。
なんせ、彼等との出会いは小学生の頃ですから。
長い付き合いになったわ、まったく(輝馬っぽく@黒執事)。
「塩犬8」が届きました。
私が画集を好きな理由は、いつでもそっと開けば好きなみんなに会えるから。
それだけなんですよ。
娘の会社担当の某黒猫さんはすごいイケメンだそうで。伝票を渡すときにひざまずいて娘に渡してくれるんだそうです。
(膝の上などでバーコードリーダーを使ったり、押印したりするから自然とそんな姿勢になるのかしら?)
「なんかさ、くれるの伝票じゃなくていいんですけどーーー!指輪とかでいいんですけどーーー!」とふなっしー状態。
(助手席でようつべのミュとか観ながら輝馬が出てくるといきなりふなっしーになるので運転がコワイ)
これでも、腐女子です・・・育て方間違えてスミマセン。