平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

桜の謎

2009-04-03 13:01:12 | 古代史と聖書
 ようやく桜が満開なので日付(3.21から)を改めて再掲します。非常に評判が良く、眠れないほど考える読者が続出。なお、理由はそのうち書きますが、数字の13、又は足して4に注意して下さい。明日4日の13時は特に注意かもしれません。続けて13が続出しているので気味が悪いのです。あるいは、イエスの磔刑が今日(金曜)だったのかもしれませんが…。よく見たら、日付が13時だった orz。


 日本人は桜が好きですが、『万葉集』の時代には、そんなに多くの歌が歌われていた訳ではありません。飛鳥から奈良時代には梅が主流であり、平安時代の『古今集』になって桜が逆転したのです。しかしこれは、単純に嗜好の変化という訳ではなく、桜の木が一般的ではなかったという時代背景にも一因があるのです。

 桜には謎が多いのですが、原産地はネパールなどのヒマラヤ地方という説があります。これは、僕の仏教起源説と一致するのです。仏教は、北イスラエル王国のダン族がネパールに移ってダンの村を建設し、そこからブッダが出たので檀家とか旦那という言葉が生まれたのです。旦那の語源であるダーナーは「ダンの」という意味なのです。日本には団という名字がありますね。彼らもダン族なのです。

 ところで、日本で仏教が興隆したのは奈良時代です。それより百年前の聖徳太子の時代に仏教がもたらされたとされていますが、当時は原始キリスト教と仏教の区別が付かなかった時代なのです。第一、仏門に入るための戒すらなかったのですから、仏教徒は一人もいなかったことになるのです。ですから、僕は聖徳太子の時代の仏教は、後の時代の捏造だと考えています。記紀が書かれた時代には、仏教による鎮護国家が標榜されたので、歴史を過去に遡って書き換えたのです。だから、「古(いにしえ)を推(お)し量る」、すなわち「昔はこうだっただろうなあ」という意味の、推古天皇という変な名前が与えられたのです。

 さて、桜は仏教の興隆と共に栄えたのですが、桜で有名な吉野は北イスラエル王国系の根拠地です。北イスラエル王国系のエフライム族の天武天皇の時代、原始キリスト教が唐で弾圧され、日本は国を挙げての隠れキリシタンとなりました。この計画は藤原氏が行ったものですが、以前に書いたように、藤原氏の家紋の藤には桜が隠されています。

 契約の箱の上に鎮座する二体のケルビム(翼を差し出す天使)ですが、ケルビムの羽が作る空間が桜であり、また○なのです。この場合、桜は北イスラエル王国から出る仏教、○は南ユダ王国から出るキリスト教の象徴なのです。これが、聖徳太子の周辺にやたらと○という名前が溢れる理由なのです。聖徳太子の○の○○○は、○○で南ユダのキリスト教を表していたのです。

 このように、北イスラエル王国のシンボルが桜なのだとしたら、なぜにサクラと呼ばれるのかが問われます。その答えは、ラテン語のサクラメントゥム(Sacramentum)、すなわち「奇蹟、秘蹟」という言葉で説明が付きます。これがサクラメントという、アメリカの州にもなっている言葉の語源なのです。サクラメントでは分かりにくいかもしれませんが、ギリシャ語のミュステリオン(μυστήριον)のミステリーだと理解しやすい思います。そう、キリストの奇蹟がサクラメントであり、ミステリーなのです。

 「支配を意味するGovern+memt=政治」となるように、mentは接尾語や接頭語(コプト語の「言葉」など)として使われるもので、サクラメントもサクラ・メントなのです。では単独でサクラとは何か?実は、この部分はキリスト教関係者でも知らないのです。世界中で僕だけが知っている奥義なのです。

 この解は、○○○を意味する○の文字から、○で作られた○○の○○の○○○○のうち、○のケルビムの翼が作る○の○の○が、○○○を横から見た形だと分かります。そう、○の○が二個なのは○○○を指すのです。そして、○の読みである○○は○○○の○○ですから、○○○は○○の十字架、すなわち○○○の○○の十字架である○○を表しているのです。余りに奥深いものなので、今回は伏せ字にしました。知りたい方はメールを下さい。もっとも、古代史CDの購読者に限らせて頂きますが。申し込む時は、テキスト形式かWord形式かを指定して下さい。

   エフライム工房 平御幸
コメント (2)
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