読者の中にも他人を救いたいと願った瞬間はあると思います。しかし、下手に手を差し伸べれば、自分も地獄に堕ちる二次遭難間違い無しです。では、どの段階まで手を差し伸べる事が出来るのか?今回は、前回の続きとなります。
オリエンテーションというのは、光を向くか闇を向くかの二者択一です。これを一本道に置き換えると、光を向いて歩いている者は、闇を向いて歩いて来る者に正対する事になります。その時、あなたはこの道を(自分の背後の方に)行ってはならないと忠告できます。闇を向いている者は地獄を目指しているからです。
大半の地獄に向かう者は、あなたの忠告に聞き従いません。闇を光と勘違いし、そこに希望と救いがあると信じているからです。カルトを信仰する者は、こうして喜んで闇に落ちるのです。しかし、極わずかですが、あなたの忠告に耳を傾け、道を振り返って戻ろうと決心する者がいます。さまよえる子羊が戻る道を思い出したのです。
またここに、一つの原則があります。それは、自分の忠告を聞かずに通り過ぎて闇に向かう人を、無理に助けようとして自分が振り返る事の愚かさです。この瞬間に、助けようと思った方も、知らずに闇の方に正対してしまっているのです。こうなると、救おうとした方も溺れてしまう、ミイラ取りがミイラになってしまうのです。この恐ろしさがあるので、冷たいようですが、救いには限界があると割り切らなくてはならないのです。
人を助けようと思ったら、聞く耳をこちらに向けている間だけにしましょう。無視して通り過ぎる人の後ろ髪を捕まえようとすると、自分が闇を向いてしまう事になります。僕は議論を絶対にしませんが、議論をけしかける人は間違いなくサタンです。サタンが仕掛けた議論を、一言で終わらせる事の出来る人は、霊格というか徳が高いのだと思います。
気に入らないブログに執着したり、工作員が占領している掲示板で声闘したりする人がいますが、そんな事は時間の無駄です。光を向いて歩む仲間を見つける方が余程賢明です。僕がメールでの質問を古代史CDの読者に限定しているのも、古代史CDを読む事で、初めて光を目指す道に立つ事が出来るからなのです。
議論はサタンの罠である。だからこそ、議論の本質を知っている民主党は野党時代に議論に持ち込み、政権後は議論を放棄しているのです。自民党は品が良いというか、もう少し知恵が欲しいですね。サタンの罠に落ちまくりですから。おや、フィギュアスケートの天才にも同じパターンが…。でも議論に巻き込まれない天然は大きな武器ですね。
エフライム工房 平御幸
オリエンテーションというのは、光を向くか闇を向くかの二者択一です。これを一本道に置き換えると、光を向いて歩いている者は、闇を向いて歩いて来る者に正対する事になります。その時、あなたはこの道を(自分の背後の方に)行ってはならないと忠告できます。闇を向いている者は地獄を目指しているからです。
大半の地獄に向かう者は、あなたの忠告に聞き従いません。闇を光と勘違いし、そこに希望と救いがあると信じているからです。カルトを信仰する者は、こうして喜んで闇に落ちるのです。しかし、極わずかですが、あなたの忠告に耳を傾け、道を振り返って戻ろうと決心する者がいます。さまよえる子羊が戻る道を思い出したのです。
またここに、一つの原則があります。それは、自分の忠告を聞かずに通り過ぎて闇に向かう人を、無理に助けようとして自分が振り返る事の愚かさです。この瞬間に、助けようと思った方も、知らずに闇の方に正対してしまっているのです。こうなると、救おうとした方も溺れてしまう、ミイラ取りがミイラになってしまうのです。この恐ろしさがあるので、冷たいようですが、救いには限界があると割り切らなくてはならないのです。
人を助けようと思ったら、聞く耳をこちらに向けている間だけにしましょう。無視して通り過ぎる人の後ろ髪を捕まえようとすると、自分が闇を向いてしまう事になります。僕は議論を絶対にしませんが、議論をけしかける人は間違いなくサタンです。サタンが仕掛けた議論を、一言で終わらせる事の出来る人は、霊格というか徳が高いのだと思います。
気に入らないブログに執着したり、工作員が占領している掲示板で声闘したりする人がいますが、そんな事は時間の無駄です。光を向いて歩む仲間を見つける方が余程賢明です。僕がメールでの質問を古代史CDの読者に限定しているのも、古代史CDを読む事で、初めて光を目指す道に立つ事が出来るからなのです。
議論はサタンの罠である。だからこそ、議論の本質を知っている民主党は野党時代に議論に持ち込み、政権後は議論を放棄しているのです。自民党は品が良いというか、もう少し知恵が欲しいですね。サタンの罠に落ちまくりですから。おや、フィギュアスケートの天才にも同じパターンが…。でも議論に巻き込まれない天然は大きな武器ですね。
エフライム工房 平御幸