前回にリンクとして貼った『カリフォルニアの悪魔』を読み返してみて、巨人族のゴリアテに対する考察が不十分かなと思いました。というのも、聖書のゴリアテは4m近い身長ですが、ギリシャで発掘された巨人の骨はその三倍近い大きさがあるからです→こちら。
聖書が身近な西洋では、聖書に記される巨人に対する考察が盛んなようです。また、実際に骨が発見されたり発掘された事件も多いようで、こちらでは聖書の記述との対比が行われています。1950年のトルコでは、15フィート(4m57㎝)にも及ぶ巨人の大腿骨が発掘されています。そして一番大きなものは36フィートですから、約11mです。
僕は、古代史の中で、巨人を倍染色体で説明しました。ところが、それで説明が可能なのは、身長でせいぜい二倍程度の巨人なのです。11mもの巨人は想定外です。巨人は現世人類の仲間ではなくて、別種の巨人族なのか?
巨人の記述は聖書外典の『エノク書』にも記されており、ネフィリムという名前で知られています。ネフィリムは全てを食べ尽くす悪徳の怪物のような印象ですが、横道に逸れてエノクの名前について。
エノクの英語表記はEnochですが、ノアの三代前の祖先で、『エノク書』はノアの洪水前の地上を記した事になります。聖書の英語表記は、ヘブライ語で記された原文(とは言っても写本)からラテン語ほかに訳され、それが英訳されたものです。ヘブライ語は母音表記しないので、現代の読み方は復元という方法で行われました。しかし、日本語の中に原ヘブライ語が保存されている可能性が高いのです。
エジプトのヒエログリフも、途中にギリシャ語や英語を介在させないで日本語と比較すると、実に多くの共通点が見つかります。僕が主張する、日本語とのダイレクト比較をしない研究者は、西欧の余計な翻訳を有り難がる無能でしかありません。
例えば、エノクは本当にエノクなのでしょうか?もしかしたら、日本語のイノチの語源そのものではないのか?イノチと書いたものが、一度歴史から完全に失われたヘブライ語が復元される過程で、復元ミスがありエノクと解釈されたのではないか?そう考えないと、聖書の奥義が数多く眠る、日本語のイノチが理解できないのです。
『創世記』の人名は人体の一部である事が多く、アダムは頭、イブは心臓(心)、アダムの子セツは関節、ノアは脳、アブラハムは汗、ヤコブは踵(かかと)、ユダは神の手など。イサクはなめし革の紐と以前に書きましたが、日本書紀の中に物部胆咋(いぐい)宿禰とあるので、胆咋(いさく)でも間違いではないので胆嚢になります。
このように、『創世記』の人名が人体の一部を指すのなら、エノクも人体に関する言葉と考える方が自然です。すると、やはりイノチそのものである確率が高くなります。エノクは死んだのではなく、エリヤのように復活体となって天に上がったようですから、生命の樹とは、エノク(イノチ)のように天に昇る方法を描いたものと捉える事が出来ます。
巨人は罪の子とされていますが、埋められた状況は埋葬であり放置ではありません。巨人はなぜ滅んだのか?その問いかけは、人類とは何なのかという問いと同じです。聖母マリアの墓が日本にあるとして、それは何処か?そういう問いと同じ、カッバーラの迷路に巨人はあるのかもしれませんね。
参考 インドで発掘された巨人の墓
RACE OF GIANTS found in India
http://www.youtube.com/watch?v=hq4iFwskChU
エフライム工房 平御幸
聖書が身近な西洋では、聖書に記される巨人に対する考察が盛んなようです。また、実際に骨が発見されたり発掘された事件も多いようで、こちらでは聖書の記述との対比が行われています。1950年のトルコでは、15フィート(4m57㎝)にも及ぶ巨人の大腿骨が発掘されています。そして一番大きなものは36フィートですから、約11mです。
僕は、古代史の中で、巨人を倍染色体で説明しました。ところが、それで説明が可能なのは、身長でせいぜい二倍程度の巨人なのです。11mもの巨人は想定外です。巨人は現世人類の仲間ではなくて、別種の巨人族なのか?
巨人の記述は聖書外典の『エノク書』にも記されており、ネフィリムという名前で知られています。ネフィリムは全てを食べ尽くす悪徳の怪物のような印象ですが、横道に逸れてエノクの名前について。
エノクの英語表記はEnochですが、ノアの三代前の祖先で、『エノク書』はノアの洪水前の地上を記した事になります。聖書の英語表記は、ヘブライ語で記された原文(とは言っても写本)からラテン語ほかに訳され、それが英訳されたものです。ヘブライ語は母音表記しないので、現代の読み方は復元という方法で行われました。しかし、日本語の中に原ヘブライ語が保存されている可能性が高いのです。
エジプトのヒエログリフも、途中にギリシャ語や英語を介在させないで日本語と比較すると、実に多くの共通点が見つかります。僕が主張する、日本語とのダイレクト比較をしない研究者は、西欧の余計な翻訳を有り難がる無能でしかありません。
例えば、エノクは本当にエノクなのでしょうか?もしかしたら、日本語のイノチの語源そのものではないのか?イノチと書いたものが、一度歴史から完全に失われたヘブライ語が復元される過程で、復元ミスがありエノクと解釈されたのではないか?そう考えないと、聖書の奥義が数多く眠る、日本語のイノチが理解できないのです。
『創世記』の人名は人体の一部である事が多く、アダムは頭、イブは心臓(心)、アダムの子セツは関節、ノアは脳、アブラハムは汗、ヤコブは踵(かかと)、ユダは神の手など。イサクはなめし革の紐と以前に書きましたが、日本書紀の中に物部胆咋(いぐい)宿禰とあるので、胆咋(いさく)でも間違いではないので胆嚢になります。
このように、『創世記』の人名が人体の一部を指すのなら、エノクも人体に関する言葉と考える方が自然です。すると、やはりイノチそのものである確率が高くなります。エノクは死んだのではなく、エリヤのように復活体となって天に上がったようですから、生命の樹とは、エノク(イノチ)のように天に昇る方法を描いたものと捉える事が出来ます。
巨人は罪の子とされていますが、埋められた状況は埋葬であり放置ではありません。巨人はなぜ滅んだのか?その問いかけは、人類とは何なのかという問いと同じです。聖母マリアの墓が日本にあるとして、それは何処か?そういう問いと同じ、カッバーラの迷路に巨人はあるのかもしれませんね。
参考 インドで発掘された巨人の墓
RACE OF GIANTS found in India
http://www.youtube.com/watch?v=hq4iFwskChU
エフライム工房 平御幸