朝6時に電車に乗り、宮崎の隣駅の宮崎神宮に参拝。ここも鶏が出迎えてくれました。
規模は大きくはないですが、流石に由緒ある神社で、とても気に入りました。以前の熱田神宮のように、屋根を葺き替えるための銅板奉納を募集していましたので、訪れる方は一口2千円で名前を記してはいかがでしょうか。
今日は、読者からの推薦で霧島神宮にも赴きましたが、駅からの往復ともバス(1時間に1本)にドンピシャ。ということは、これは公務にはあたらない、普通の観光なのです。実際、遠くに桜島が見える以外に印象はなく、特別なものは感じませんでした。
僕の最初の公務は11才の時で、天理教の「おぢば帰り」という子供達の体験学習に参加させられ、帰りに国会議事堂で迷子になったときでした。これは、聖書に記される「イエス12才の迷子」を倣った感じで、イエスは宮、僕は議事堂と、どちらも法を論じる場所である事も一致しています。また、年齢もイエスは数えなので、同じ年齢なのです。
古代ユダヤでは、11才(数え12才)の時に最初の通過儀礼が行われ、次が19才の儀礼が待っています。どちらも、神に選ばれるための通過儀礼なのですが、天理教では建設現場での釘拾いというボランティア(今から考えるとヤラセですが)をさせ、それを適当にさぼった兄は失格し、馬鹿正直に拾った弟の僕が選ばれたのです。
迷子になったら心細くなるはずですが、足の向くままに歩いたら皇居に出ました。ミンミンゼミを初めて見て、ここが皇居かと納得していたら、前からタクシーがやってきます。当時としては贅沢にグロリアなどの中型車です。僕はタクシーに一人で乗ったことはなかったのですが、自然に手を挙げて止め、行く先を訊ねられ、そこで初めて、宿泊先の旅館をメモした紙がお守りに入っていたのを思い出したのです。
このように、神に選ばれて公務となるとき、タクシーなどの後席に座るのが宿命付けられているのです。ですから、タクシーに乗ったら公務。バスに乗ったら観光なのです。今回の旅行でも、運転手さんに古代史の話をしても嫌がられませんでした。高砂でも宇佐でも、むしろ興味を抱いたようです。
実は、ビデオカメラのACアダプタを無くし、予備のバッテリーを使い切ったら撮影できません。でも、何処で無くしたかも分からないので、おそらくは宇佐から別府に降りたときではないかと思います。僕は、豊前長洲を地図で調べていて、結局は行かないで別府に向かったことが気に掛かっていたのです。ACアダプタを無くしたのも、神の導きなのです。長洲未来ちゃんと古代史の接点になるかもしれない長洲神社。そう思っていたら、今日も発見がありました。
今日は、霧島から鹿児島経由で伊集院に行き、予備校と芸大で一緒だった藤村君を訪ねました。清水君と三人で、真っ黒に描き込んだ方が勝ちというような、先生の指示を無視した競争をして切磋琢磨した間柄です。阿吽の呼吸で話せる友人ですが、何十年ぶりかで会って家紋を訊いてみたら、やはり下がり藤でした。以前に、下がり藤は契約の箱のケルビムだと解き明かしたことがありましたね。藤村君は祭司レビ族の血統なので、僕が活動するときに一緒になるのです。
それで、藤村君に会って鹿児島を離れ、幣立神社も視野に入れた熊本まで新幹線に乗りました。その名もツバメ号。でも、新八代から熊本までは在来線なので、僕は特急券を購入していませんでした。焦って路線図を見直し、時刻表を調べていると、熊本から10個目の長洲という駅が目に入りました。ポケット時刻表では、中央よりやや上の豊前長洲と同じくらいの位置にあります。もしかして、最初に予定した幣立神社は本命ではなく、神様は最初から長洲に向かわせていたのか?しかも長崎の読者から何度もメールが来ます。
そのように気が付き、「長洲・フェリー」で検索したら何と、長洲港から出ているフェリーがあります。更に、長崎側のフェリー乗り場は多比良なのです。読みはタヒラではなくタイラ。長洲とタイラのコラボは、このように神の予定調和に過ぎなかったのです。やはり、長洲にはマリアの謎が隠されているのです。幣立神社で釣られた僕は、明日の長洲港発フェリーで多比良に向かいます。
なお、車で幣立神社に行くことができる方があれば、長崎の後で(福岡などから)幣立神社に立ち寄ることも可能です。でも福岡から三時間らしいので、気軽にホイホイとは行きませんね。
宮崎の「地鶏キューピー」&熊本の「からしれんこんケロロ」
エフライム工房 平御幸
規模は大きくはないですが、流石に由緒ある神社で、とても気に入りました。以前の熱田神宮のように、屋根を葺き替えるための銅板奉納を募集していましたので、訪れる方は一口2千円で名前を記してはいかがでしょうか。
今日は、読者からの推薦で霧島神宮にも赴きましたが、駅からの往復ともバス(1時間に1本)にドンピシャ。ということは、これは公務にはあたらない、普通の観光なのです。実際、遠くに桜島が見える以外に印象はなく、特別なものは感じませんでした。
僕の最初の公務は11才の時で、天理教の「おぢば帰り」という子供達の体験学習に参加させられ、帰りに国会議事堂で迷子になったときでした。これは、聖書に記される「イエス12才の迷子」を倣った感じで、イエスは宮、僕は議事堂と、どちらも法を論じる場所である事も一致しています。また、年齢もイエスは数えなので、同じ年齢なのです。
古代ユダヤでは、11才(数え12才)の時に最初の通過儀礼が行われ、次が19才の儀礼が待っています。どちらも、神に選ばれるための通過儀礼なのですが、天理教では建設現場での釘拾いというボランティア(今から考えるとヤラセですが)をさせ、それを適当にさぼった兄は失格し、馬鹿正直に拾った弟の僕が選ばれたのです。
迷子になったら心細くなるはずですが、足の向くままに歩いたら皇居に出ました。ミンミンゼミを初めて見て、ここが皇居かと納得していたら、前からタクシーがやってきます。当時としては贅沢にグロリアなどの中型車です。僕はタクシーに一人で乗ったことはなかったのですが、自然に手を挙げて止め、行く先を訊ねられ、そこで初めて、宿泊先の旅館をメモした紙がお守りに入っていたのを思い出したのです。
このように、神に選ばれて公務となるとき、タクシーなどの後席に座るのが宿命付けられているのです。ですから、タクシーに乗ったら公務。バスに乗ったら観光なのです。今回の旅行でも、運転手さんに古代史の話をしても嫌がられませんでした。高砂でも宇佐でも、むしろ興味を抱いたようです。
実は、ビデオカメラのACアダプタを無くし、予備のバッテリーを使い切ったら撮影できません。でも、何処で無くしたかも分からないので、おそらくは宇佐から別府に降りたときではないかと思います。僕は、豊前長洲を地図で調べていて、結局は行かないで別府に向かったことが気に掛かっていたのです。ACアダプタを無くしたのも、神の導きなのです。長洲未来ちゃんと古代史の接点になるかもしれない長洲神社。そう思っていたら、今日も発見がありました。
今日は、霧島から鹿児島経由で伊集院に行き、予備校と芸大で一緒だった藤村君を訪ねました。清水君と三人で、真っ黒に描き込んだ方が勝ちというような、先生の指示を無視した競争をして切磋琢磨した間柄です。阿吽の呼吸で話せる友人ですが、何十年ぶりかで会って家紋を訊いてみたら、やはり下がり藤でした。以前に、下がり藤は契約の箱のケルビムだと解き明かしたことがありましたね。藤村君は祭司レビ族の血統なので、僕が活動するときに一緒になるのです。
それで、藤村君に会って鹿児島を離れ、幣立神社も視野に入れた熊本まで新幹線に乗りました。その名もツバメ号。でも、新八代から熊本までは在来線なので、僕は特急券を購入していませんでした。焦って路線図を見直し、時刻表を調べていると、熊本から10個目の長洲という駅が目に入りました。ポケット時刻表では、中央よりやや上の豊前長洲と同じくらいの位置にあります。もしかして、最初に予定した幣立神社は本命ではなく、神様は最初から長洲に向かわせていたのか?しかも長崎の読者から何度もメールが来ます。
そのように気が付き、「長洲・フェリー」で検索したら何と、長洲港から出ているフェリーがあります。更に、長崎側のフェリー乗り場は多比良なのです。読みはタヒラではなくタイラ。長洲とタイラのコラボは、このように神の予定調和に過ぎなかったのです。やはり、長洲にはマリアの謎が隠されているのです。幣立神社で釣られた僕は、明日の長洲港発フェリーで多比良に向かいます。
なお、車で幣立神社に行くことができる方があれば、長崎の後で(福岡などから)幣立神社に立ち寄ることも可能です。でも福岡から三時間らしいので、気軽にホイホイとは行きませんね。
宮崎の「地鶏キューピー」&熊本の「からしれんこんケロロ」
エフライム工房 平御幸