平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

救いの始まり

2011-03-21 21:23:55 | Weblog
 聖書を読んでいれば分かりますが、イエスの再臨の前には、世界は天地がひっくり返るような試練に遭遇します。今回の大震災もその試練の一つなら、その先には救いが待っています。しかし、その救いとは、財産が守られたというような、この世的なものばかりではありません。

 大きな災害の中で助かった人も、時間が経てば不平や不満が大きくなってきます。住むところがない、毛布がない、食べ物がない、ガソリンがない、灯油がない、風呂に入れない、避難所はストレスが貯まる、病院に行けない、などなど。このようなときに糧となるのが旧約聖書の『ヨブ記』です。すべてを失ったヨブは、それでも信仰を捨てなかったのです。

 もしも、すべてを失ったときに神を見出せば、その人は自分が生まれてきたことの本当の意味を知るでしょう。それは、自分の本当の尊さに目覚める時なのです。そして、自分がどれだけ祝福されているかを知り、神の愛に涙を流すでしょう。なぜならば、イエスの犠牲の本質を知るからです。

 僕は古代史の中で「愛の三原則」について書いていますが、三原則とは「相手に関心を持つ、相手を自由にする、そのための自己犠牲」という連続したものなのです。この原則に照らし合わせれば、自分本位の押し付けがましい支援活動はなくなります。相手がどのような場所に置かれているのか、そこで相手の必要なものは何か、そのためには自分に何ができるか、と自問することになります。

 せっかく献血しても、保存期間が短いから無駄になるかもしれない。募金しても、日本ユニセフのように外国に送られるかもしれない。善意が実を結ぶとは限らない今の日本で、サタンに利用されないことも大事なのです。まだまだ、復興に対する支援は始まったばかりです。慌てないで、持続した支援活動が出来るように、自分なりの三原則を構築してみてはいかがでしょうか。

 なお、僕は三六のベニヤ板(コンパネ)を二枚、それを縦割りにした長い板を二枚、六帖用のカーペットなどなど、全て新しい物を震災前からストック済みです。被災地での再建に少しですが役立つと思います。寸断された道路が通れるようになったら、車の手配や物資の集積にようやく移れます。準備は怠りなく、目覚めているものは幸いですね。

      エフライム工房 平御幸
コメント (3)
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