平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

死の樹の構造

2013-05-23 08:20:56 | 古代史と聖書
 作品展も終わったので、改めて地獄と呼ばれる死の樹の構造について書いてみたいと思います。簡単に書くと、生命の樹を回転させた以下の図のようになっています。


割愛してあるが、死の樹の根元から上が生命の樹

 この図で分かるように、この世はサタンに属する死の樹の一部なのです。生まれたばかりの幼子こそは、かろうじて生命の樹の最下層にいるのですが、物心ついた時から、人は死の樹と生命の樹の間で生き、そして大半の人は死の樹から抜け出すことが出来ないのです。

 例えば、鬱病は霊の病気ですから、悪霊を追い出して健全にならない限り、生命の樹を登ることは出来ないのです。地獄から脱出しても、生命の樹の最下層でウロウロし、すぐに元の死の樹の最上部(サタンのヒエラルキーでは最下層)に戻ってしまいます。ここで絶望してはおしまいです。肝臓をリフレッシュするデトックス(胆石を出す自然療法)をしてでも、できるだけ痩せて鬱病の薬に依存しない生活が必要です。

 聖書や僕の古代史を読まない怠惰、SNSなどからのフェードアウト、これらも死の樹の反イェソドや反マルクトに位置する指標となります。また、いちいち反抗的な態度をとる人は、もっと危険な反ネツァクや反ホドに位置することになります。自分は馬鹿だからとか、頭が固いからとか卑下することは、実は神を否定して逆らっているのに等しいのです。自覚はないでしょうが実は大罪です。これより堕ちると、もう醜悪なサタンの世界から戻ることはできません。

 カッバーラのクイズやスピーカー作りを通して、読者やメンバーの格付けが可能です。しかし、一番成績の良い人でも、ようやくホドからティファレトに向かうパスを登っている段階なのです。これもいつ堕ちるかわかりません。高慢になったら最後、反ホドや反ティファレトに堕ちるのです。

 妬みで見苦しい行動をする。家族をないがしろにする。十分の一を惜しむ。教会での責任や労力を惜しむ。神の集いに来られるのに来ない。つまらない世俗の行事を優先する。これらは既に地獄にいることの証左なのです。

 名古屋では、時間があれば、問題のあるメンバーの面接も考えていましたが、やはり無理で出来ませんでした。誰とは名指ししませんが、もう少し危機感を持たないと、今の言動では救うことができません。自分を救うのは自分であるという自覚を持ち、死の樹から少しでも早く脱出することを待ち望みます。

 勘違いして高慢になったら、すべてが見えなくなります。幸い、規範となるメンバーもいるのだから、謙虚にその言動を学ぶ機会はあります。謙虚になれるかどうかは本人次第ですけど。

    エフライム工房 平御幸
コメント (15)
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