旧約聖書で占いは禁止されていますが、占いの霊の大半はサタンから来ているからです。霊感があると自負する者は、間違い無くサタンの精神波に同調しているだけなのです。
しかし、僕も何度か書いていますが、占い自体はエジプト宰相のヨセフもやっています。夢見る人と言われた、大預言者ヨセフだからこそ、神の霊による占いができたのです。従って、預言者クラスの人物でない限り、占いは深入りしてはならない危険なものなのです。下手をすればサタンの鎖から逃げられなくなります。
不調のスワローズですが、9日にはバレンティンが2本のホームランを打ちました。この日、僕は何週間ぶりかで女神のレジ番に当たりました。20連敗くらいしていたでしょうか。この一般的な確率が通用しないほど、女神の機嫌がレジ番やバレンティンのホームランとシンクロするのです。いわば女神占いです。もっとも、僕の逃げ腰は畠山の不調にシンクロしていますが…orz
僕の本名はいろいろな解釈が可能ですが、占うという意味の「裏」から来ています。裏を知り抜いて、表にそれを活かす。だから、裏に専念すれば大悪人や怪僧になり、表に専念すれば中途半端に終わる運命にあるのです。
一般にどこの教会でも、信仰を持つ者は、裏の世界に興味を持ってはならないように導かれています。また、組織の上になると、奥義と言う、一般に教えられていることの反対のことも是とする教義に出会います。例えば、モルモンでは一夫多妻は放棄されていますが、これは表向きのことで、裏ではちゃんと天界は一夫多妻とされているのです。信者の奥さんが怖いから、一夫多妻はやめたことにされているのです。
神道は、「稲=否(いな)」や「餅=マナ」などのように、稲作に関する言葉で奥義を伝えることが習わしとなっています。だから、占うも「裏綯う」で、稲藁で縄を綯(な)う事から来ているのです。もちろんこれは、古事記にあるように、イザナギとイザナミによる原初の陰陽の交わりと同じ、柱に巻き付く蛇の螺旋なのです。
古代の占いといえば、亀の甲を使った亀卜(きぼく)や、鹿の骨を使った太占(ふとまに)が知られていますが、亀の甲は鴨氏の鴨から「甲」を、鹿は否の反対語である「然(しか)り」から用いられたのです。まるで駄洒落ですが、駄洒落に思いたい者には駄洒落でしかなく、言霊の支配力を認める者には言霊の世界なのです。本質を知ればどちらもどうでも良いですが。
縄を綯うのは螺旋を作ることで、これが左右の二つの回転で陰陽となり、また螺旋が交じるから「まじない」とも呼ばれるのです。陰で綯えば「裏綯う」となり、通常では知ることのできないサタンの手口に精通するようになります。僕が電通や在日による真央潰しを逸早く指摘できたのも、僕が裏を知る能力を有しているからです。
しかし、裏は裏であって、決して表に成り代わることはできません。だから、僕は裏を教えないし、裏の世界に堕ちる者がないように、厳しく占いを禁じているのです。裏を知れば支配者になれる。だがそれは、イエスの作る神の国に敵対することになる。サタンの手口を知って、それを警鐘や啓蒙に用いて、人々を神の御国に導く。その覚悟のない者は、裏に触れた瞬間にサタンに飲み込まれるのです。
サタンの国は、どこも金銀宝石で満ちていて、ストーンパワーとか銀の魔除けとかが嘘だと分かります。石は石でしかなく、金属も金属でしかなく、用いる人にパワーがないと無駄なのです。神の不思議な力は存在しますが、それを自分のものとして使うことが出来るのは、極めて稀な選ばれた人だけなのです。
開運グッズを集めたり、ストーンパワーとかに夢中になる人は、すでに地獄の階層の中段まで堕ちている人なので、そのようなものは売り払って、神の宮に犠牲の代わりとして収めるべきです。なぜなら、サタンやオカルトに注いだ分は神への借金となっているからです。神への負債を返さない限り、生命の樹を上ることはできないのです。
エフライム工房 平御幸
しかし、僕も何度か書いていますが、占い自体はエジプト宰相のヨセフもやっています。夢見る人と言われた、大預言者ヨセフだからこそ、神の霊による占いができたのです。従って、預言者クラスの人物でない限り、占いは深入りしてはならない危険なものなのです。下手をすればサタンの鎖から逃げられなくなります。
不調のスワローズですが、9日にはバレンティンが2本のホームランを打ちました。この日、僕は何週間ぶりかで女神のレジ番に当たりました。20連敗くらいしていたでしょうか。この一般的な確率が通用しないほど、女神の機嫌がレジ番やバレンティンのホームランとシンクロするのです。いわば女神占いです。もっとも、僕の逃げ腰は畠山の不調にシンクロしていますが…orz
僕の本名はいろいろな解釈が可能ですが、占うという意味の「裏」から来ています。裏を知り抜いて、表にそれを活かす。だから、裏に専念すれば大悪人や怪僧になり、表に専念すれば中途半端に終わる運命にあるのです。
一般にどこの教会でも、信仰を持つ者は、裏の世界に興味を持ってはならないように導かれています。また、組織の上になると、奥義と言う、一般に教えられていることの反対のことも是とする教義に出会います。例えば、モルモンでは一夫多妻は放棄されていますが、これは表向きのことで、裏ではちゃんと天界は一夫多妻とされているのです。信者の奥さんが怖いから、一夫多妻はやめたことにされているのです。
神道は、「稲=否(いな)」や「餅=マナ」などのように、稲作に関する言葉で奥義を伝えることが習わしとなっています。だから、占うも「裏綯う」で、稲藁で縄を綯(な)う事から来ているのです。もちろんこれは、古事記にあるように、イザナギとイザナミによる原初の陰陽の交わりと同じ、柱に巻き付く蛇の螺旋なのです。
古代の占いといえば、亀の甲を使った亀卜(きぼく)や、鹿の骨を使った太占(ふとまに)が知られていますが、亀の甲は鴨氏の鴨から「甲」を、鹿は否の反対語である「然(しか)り」から用いられたのです。まるで駄洒落ですが、駄洒落に思いたい者には駄洒落でしかなく、言霊の支配力を認める者には言霊の世界なのです。本質を知ればどちらもどうでも良いですが。
縄を綯うのは螺旋を作ることで、これが左右の二つの回転で陰陽となり、また螺旋が交じるから「まじない」とも呼ばれるのです。陰で綯えば「裏綯う」となり、通常では知ることのできないサタンの手口に精通するようになります。僕が電通や在日による真央潰しを逸早く指摘できたのも、僕が裏を知る能力を有しているからです。
しかし、裏は裏であって、決して表に成り代わることはできません。だから、僕は裏を教えないし、裏の世界に堕ちる者がないように、厳しく占いを禁じているのです。裏を知れば支配者になれる。だがそれは、イエスの作る神の国に敵対することになる。サタンの手口を知って、それを警鐘や啓蒙に用いて、人々を神の御国に導く。その覚悟のない者は、裏に触れた瞬間にサタンに飲み込まれるのです。
サタンの国は、どこも金銀宝石で満ちていて、ストーンパワーとか銀の魔除けとかが嘘だと分かります。石は石でしかなく、金属も金属でしかなく、用いる人にパワーがないと無駄なのです。神の不思議な力は存在しますが、それを自分のものとして使うことが出来るのは、極めて稀な選ばれた人だけなのです。
開運グッズを集めたり、ストーンパワーとかに夢中になる人は、すでに地獄の階層の中段まで堕ちている人なので、そのようなものは売り払って、神の宮に犠牲の代わりとして収めるべきです。なぜなら、サタンやオカルトに注いだ分は神への借金となっているからです。神への負債を返さない限り、生命の樹を上ることはできないのです。
エフライム工房 平御幸