平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

明治天皇と溥儀

2013-09-18 02:11:32 | Weblog
 映画のラスト・エンペラーで有名な、清朝の最後の皇帝となった溥儀(ふぎ)。袁世凱の圧力により清の皇帝を退位して、やがて日本の傀儡国家である満州国の皇帝に即位。ソ連に捕らわれて、中国で最後を送った数奇な運命の主人公。どうも、いろいろと秘密がありそうです。

 正しくは愛新覚羅(あいしんかくら)溥儀の名前から分かるように、血統的には女真族(満州族)であって、漢民族とは違う中国東北部の王家が建国したのが清。これに事大してヘイコラしたのが李氏朝鮮で、有名な大清国属高麗国旗は「大清に属する一地方」という意味で、国としての扱いを受けていません。よく属国と言われてますが、属国以下の冊封(さくほう)地なのです。

 清の冊封体制から逃れるために、日本に事大して大韓帝国を名乗り、すぐに日本への併合路線に走ります。これらが、日本を帝国主義に向かわせた一因ですが、要するに清王朝=契丹(きったん、あるいはキャセイ)の末裔が、日本を利用しようとして失敗した構図にも見えるのです。

 当時の日本が東北や北海道を見捨ててまで計画した大陸進出。ロスチャイルドに金を借りて、清を叩き、またロシアを叩き、中国とロシアの共産化の地均しをしたのが明治の日本です。満州南部はロシアの主権が及んでいましたから、日露戦争に勝利した日本が満州の権益確保に乗り出し、それまでは日本寄りであったアメリカの反発を招くことになります。

 今の時代から見ると、日本海のロシア側から朝鮮半島の北に至る満州は魅力的では無いのですが、ロシアも必死に鉄道を引いたり、ちょっと理解に苦しむ傾倒ぶりです。やはりオカルト的な何かが、かの時代の人達を突き動かしたのでしょう。やはり、北イスラエル王国の亡霊かもしれません。

 北イスラエル王国は歴史から姿を消し、失われた十支族と呼ばれています。しかし、古代中国の隋や唐が漢民族国家ではない、北方の異民族の国であることから、最終的には日本に渡った北方異民族が北イスラエルの末裔であると見えてきます。対して、南ユダ王国は主に南方経由で日本に辿り着いていますが、聖徳太子の頃は騎馬民族の突厥(とっけつ)がベニヤミンでした。契丹も獅子の狛犬なので南ユダの臭がします。

 日本では、天皇の名に明が付けば南ユダ王国のベニヤミン族。武が付けば北イスラエル王国のエフライム族と判断できたのですが、例外が明治天皇で、ベニヤミンの天皇から途中でエフライムの天皇に代わっています。要するに、クーデターでエフライム族の天皇を擁立したのが明治維新なので、ベニヤミンの京都から移らざるを得なかったわけです。

 このエフライム系の明治天皇は下唇の飛び出た顎に特徴があり、古代のエジプト人のように顎が引っ込んでいます。なぜか大正天皇には遺伝していませんが、意外なところで同じ顎が見つかります。それが溥儀なのです。溥儀の結婚の時の写真は、明確に明治天皇との類似を伝えています。

 溥儀は二歳の時に即位した、いわば傀儡の皇帝です。つまり、清の皇帝として育てられた、別の国の王族という線も成り立つのです。明治天皇の晩年の子供だとしたら、日本が満州国を建国して、その皇帝に溥儀を迎える理由にならないでしょうか。

 愛新覚羅の名前を持つ女性学者が立命館大学で教鞭を執っています。立命館は反日で特亜ベッタリで有名ですが、満州国の皇帝の近親者がいるのだから、やはりと納得できます。立命館は、朝鮮半島から満州国の再統一を願う、大東亜共栄圏の幻を捨ててはいないのです。明治天皇と明治維新に深く関わった長州。だからこそ、山口から出た安倍総理には、絶対的な信頼は置けないのです。岸総理のキシが旧約聖書に登場するベニヤミンの名前だとしても。

参考 フルベッキ写真

    エフライム工房 平御幸
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