弟子を含め、メールであれこれと質問されるのですが、いちいち答えていたのでは時間が無くなるし、他の読者に普遍的な事はコメントで公開質問をお願いします。という事で、今回は質問に対する答えを散りばめました。しかし、「他の読者に普遍的な事はコメントで公開質問」というような事くらい、古代史を読めば暗喩的に書いてあるので理解できそうですが…。いかに真剣に読んでいないか丸わかりです。
アダムとイブが食べた木の実は、一般にリンゴとされていますが、僕は梅の実が正解だと思っています。その理由は、梅を分解すると毎(なかれ=勿)の木となるからで、要するに「食べる事なかれ」を表しているのです。「なかれ」とは、亡くなるからやめておけという事です。
梅の学名は、「Prunus Mume Sieb(プルヌス・ムメ・シーボルト)」で、メーソンの派遣員だったと思われるシーボルトの名前から分かる通り、シーボルトが収集・研究した日本の梅から採られています。問題はムメという呼び方ですが、これは、食べると「命が無くなる」という意味の「無命」を語源と考えれば理解できます。聖書学的に正しい名前なのです。
ところで、アダムとイブの物語は、イエスの磔刑(たっけい)に関わる幾つかの雛形を構成しています。例えば、木に絡まる蛇は十字架上のイエスを表しています。聖書学的に蛇は、絶対神のイエスとサタンの両方を表すのです。また、この蛇がイブを騙(だま)したので、ここでは蛇はサタンとなるのです。さて、蛇が食べるように唆(そそのか)した木の実には毒があり、これにより人間は死ぬ運命となりました。このとき、最初に食べたのは女のイブで、アダムは自分だけが死なない体でも仕方がないので、死ぬと分かっていて食べました。アダムは女の罪をあがなったのです。ここに、イエスが十字架上で毒を飲んだ「犠牲」の雛形があるのです。
十字架上のイエスは死が近いと知り、海綿に浸した酢(す)い葡萄酒を口に含みました(『ヨハネによる福音書』19章-29)。バーバラ・スィーリングの『イエスのミステリー』によると、この酢い葡萄酒には蛇の毒が入っていたとされているのです。要するに、アダムが口にした蛇の毒と同じなのです。
イエスが口にした酢い葡萄酒の奥義ですが、これは(特に女性の)罪を購うという意味なのです。また、ブドウは南ユダのたとえですから、イエスを売ったユダヤ人の罪を購う事にもつながります。なお、ユダヤ人がイエスを異邦人に渡したので、真のイスラエルである日本に、異邦人を通してキリストの教えが入る事になったのです。本来は異邦人には閉ざされていた教えが、ユダヤ人のこの軽率な行動により異邦人のものとなったのです。しかし、この簡単な奥義を理解できない研究家が多すぎですね。
さて、梅と言えば、弟子が作って送ってきた梅ジュースです。これは弟子のブログにも書いていますが、とても美味しいものです。しかし、梅の毒が充分に分解されておらず、少し多めに飲むと肝機能障害などでお腹を壊します。できの悪い風邪薬で苦しむような感じです。このようにまだ熟成の進んでいない梅ジュースですが、弟子には内緒で半分も飲みました。その理由は、十字架上のイエスをならったからです。
梅ジュースと前後して、僕を叩くバッシングが酷くなりました。浅田真央のワールド優勝に命をすり減らした僕を、ユダヤ人のようなファンが十字架に掛けたのです。この状態で、毒があると分かっている梅ジュースを飲まないのは、イエスの飲んだ酢い葡萄酒を否定する事になるのです。こうして、僕は図書館にも行けないほど体力が落ちてしまったのです。
弟子は何も知らないで酢い葡萄酒を用意したのであり、相変わらず不信仰でドタバタしています。そろそろ奥義というか、全ては神が定めているという覚悟が必要なのですが、人間の思いが強すぎて神の思案が理解できていません。人間の事を考えているうちは、神の考えている事は理解できないのです。
ということで、浅田真央ファンが、狭いサークルでの救世主を十字架に付けたので、異邦人の国アメリカに彼女の救世主は渡ってしまったのです。浅田真央が神に救けられたと本当に思うのなら、神に捧げる十分の一を考えた事でしょう。しかし、彼女はロッテと契約して裏切り、せっかくの祝福を逃してしまいました。逃した祝福は、長洲未来や安藤美姫の頭上に止まるのでしょうか?これからの浅田真央に必要なのは、神との間を仲裁する仲裁者です。しばらくは、この世の王であるサタン(電通・創価学会など)の動きに要警戒です。
このように、本当の救世主が再臨する時まで、世界のあちこちで、極々限られたサークルでの救世主が出現するのですが、それは僕のように無力で威厳のない、しかしサタンに絶対に服従しないので叩かれる者なのです。くれぐれも、力とお金を支配する偽救世主にはご注意下さい。
エフライム工房 平御幸
アダムとイブが食べた木の実は、一般にリンゴとされていますが、僕は梅の実が正解だと思っています。その理由は、梅を分解すると毎(なかれ=勿)の木となるからで、要するに「食べる事なかれ」を表しているのです。「なかれ」とは、亡くなるからやめておけという事です。
梅の学名は、「Prunus Mume Sieb(プルヌス・ムメ・シーボルト)」で、メーソンの派遣員だったと思われるシーボルトの名前から分かる通り、シーボルトが収集・研究した日本の梅から採られています。問題はムメという呼び方ですが、これは、食べると「命が無くなる」という意味の「無命」を語源と考えれば理解できます。聖書学的に正しい名前なのです。
ところで、アダムとイブの物語は、イエスの磔刑(たっけい)に関わる幾つかの雛形を構成しています。例えば、木に絡まる蛇は十字架上のイエスを表しています。聖書学的に蛇は、絶対神のイエスとサタンの両方を表すのです。また、この蛇がイブを騙(だま)したので、ここでは蛇はサタンとなるのです。さて、蛇が食べるように唆(そそのか)した木の実には毒があり、これにより人間は死ぬ運命となりました。このとき、最初に食べたのは女のイブで、アダムは自分だけが死なない体でも仕方がないので、死ぬと分かっていて食べました。アダムは女の罪をあがなったのです。ここに、イエスが十字架上で毒を飲んだ「犠牲」の雛形があるのです。
十字架上のイエスは死が近いと知り、海綿に浸した酢(す)い葡萄酒を口に含みました(『ヨハネによる福音書』19章-29)。バーバラ・スィーリングの『イエスのミステリー』によると、この酢い葡萄酒には蛇の毒が入っていたとされているのです。要するに、アダムが口にした蛇の毒と同じなのです。
イエスが口にした酢い葡萄酒の奥義ですが、これは(特に女性の)罪を購うという意味なのです。また、ブドウは南ユダのたとえですから、イエスを売ったユダヤ人の罪を購う事にもつながります。なお、ユダヤ人がイエスを異邦人に渡したので、真のイスラエルである日本に、異邦人を通してキリストの教えが入る事になったのです。本来は異邦人には閉ざされていた教えが、ユダヤ人のこの軽率な行動により異邦人のものとなったのです。しかし、この簡単な奥義を理解できない研究家が多すぎですね。
さて、梅と言えば、弟子が作って送ってきた梅ジュースです。これは弟子のブログにも書いていますが、とても美味しいものです。しかし、梅の毒が充分に分解されておらず、少し多めに飲むと肝機能障害などでお腹を壊します。できの悪い風邪薬で苦しむような感じです。このようにまだ熟成の進んでいない梅ジュースですが、弟子には内緒で半分も飲みました。その理由は、十字架上のイエスをならったからです。
梅ジュースと前後して、僕を叩くバッシングが酷くなりました。浅田真央のワールド優勝に命をすり減らした僕を、ユダヤ人のようなファンが十字架に掛けたのです。この状態で、毒があると分かっている梅ジュースを飲まないのは、イエスの飲んだ酢い葡萄酒を否定する事になるのです。こうして、僕は図書館にも行けないほど体力が落ちてしまったのです。
弟子は何も知らないで酢い葡萄酒を用意したのであり、相変わらず不信仰でドタバタしています。そろそろ奥義というか、全ては神が定めているという覚悟が必要なのですが、人間の思いが強すぎて神の思案が理解できていません。人間の事を考えているうちは、神の考えている事は理解できないのです。
ということで、浅田真央ファンが、狭いサークルでの救世主を十字架に付けたので、異邦人の国アメリカに彼女の救世主は渡ってしまったのです。浅田真央が神に救けられたと本当に思うのなら、神に捧げる十分の一を考えた事でしょう。しかし、彼女はロッテと契約して裏切り、せっかくの祝福を逃してしまいました。逃した祝福は、長洲未来や安藤美姫の頭上に止まるのでしょうか?これからの浅田真央に必要なのは、神との間を仲裁する仲裁者です。しばらくは、この世の王であるサタン(電通・創価学会など)の動きに要警戒です。
このように、本当の救世主が再臨する時まで、世界のあちこちで、極々限られたサークルでの救世主が出現するのですが、それは僕のように無力で威厳のない、しかしサタンに絶対に服従しないので叩かれる者なのです。くれぐれも、力とお金を支配する偽救世主にはご注意下さい。
エフライム工房 平御幸
体調を崩されておられるようで心配ですが、決して無理はなさらないでくださいね。今年は雷雨が異常に多く大変な夏でしたね。北京五輪で雨除けように打ち上げたロケットのせいだなどと私の職場では取りざたされていました。
真偽のほどはわかりませんが、混沌とした世の中で、いよいよ世界大不況が始まった時、ノーベル賞を日本人3名で共同受賞の明るいニュースが飛び込んできましたね。久々に明るいニュースです。どんな時世でも希望を失わない世の中でありたいものです。
真央ちゃんのロッテCM出演は五輪に向けての日本スケ連の戦略かもしれませんが、かなりショックでした。同時にネスレは契約を解消されたようです。
私の浅田真央を応援する気持ちは変わりませんが、真央ちゃん今年はあまり頑張りすぎないでねとしか言いようがないかな・・・
安藤美姫ちゃんに比べて真央ちゃんはまだまだ戦っていないと、平さんがいつか書いていた事を思い出します。フィギュアスケート一番の真央ちゃんですが、一番輝くためにはフィギュアの修行だけではなく感性磨きも必要と言う事ですね。
美姫ちゃんのボレロも段々進化してボレロを演ずる度にパワーが充電されている気がします。モリコロを見ていた時にふとバンクーバーは安藤美姫が金メダルに輝くような。。そんな感じがしました。この方は散々落ち込み叩かれていますが、最後には上がってくる、開き直った時がもの凄いパワーを発揮する、そしてそのための準備が着々出来ている。そんな印象を受けます。
それでも真央ちゃん頑張れ!私の中で一番はいつも真央ちゃんなのです。未来ちゃんも物凄い天然なパワーを感じますが、今の所は真央ちゃんの妹分と思っています。(平さん御免なさい)でも未来ちゃんが今シーズン大活躍したら真央ちゃんも刺激され、第三の本当の目が開けば弥勒菩薩となれるのではないでしょうか・・
未来が覚醒することで真央も天空に上がる道筋が開かれるのではないでしょうか?その為には泥にまみれる修行も必要なのかもしれません。
久しぶりなのに、長文で失礼しました。平さん御身大切に健康を回復される事を願っております。
単旋聖歌のローマ聖歌を起源とする(ことになっている)現代の西洋音楽にある種の違和感を覚えているからです。ブログの音楽は日本のどこかの神社の鈴をならしながら巫女さんがおどっているのを思わせました。影響とか伝搬とかではなく、音楽が「存在」するということの不思議を思いました。
真央ちゃんのロッテ・スポンサーの件はがっかりしました。前に平様がおっしゃっていたように、安藤さんがトリノで壊れる寸前までいったような痛みを真央ちゃんも味わわなくてはならないのでしょうか。ファンもその渦の中に繰りこまれているのでしょうね。一緒にファンとしての痛みを担うので、なんとか道に戻ってほしいです。
昨シーズンここで皆でバラ色の真央ちゃんをお祝いしたのは戻って来ないという、取り返しのつかない時間の経過を感じます。
どうぞお身体を大切になさって下さい。
柚子
今シーズンは重荷から解放されて外野から観戦と思っていたのですが、どうやらそうも行かないようなフインキ(< TдT> ナジェか変換されない)が…。
そのうち書きますが、ロッテは経営状態がよろしくないのです。それで焦っているのだと思います。今回の件で、フィギュア人気そのものに陰りが出るかもしれません。少なくとも、今までのようにスポンサーは集まらないし、在日企業の優先枠で電通がロッテをごり押しする余地もなくなってきたのです。
最後には神が勝つ。このストーリーは不滅ですから、ソチまで気長に見守る必要があると思います。
『古代ギリシャの音楽』は↓で今でも取り扱っているようです。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2505917
音楽は元々、神に捧げるものでしたから、純粋な音そのものに魔力があるように思います。この魔力がサタンに悪用されるのですが。それで芸能界はサタンに属すのです。戦争に利用される音楽も同じですが、フルトヴェングラーのように混乱期にも美しさを忘れなかった指揮者もいます。そのような偉大な演奏もいずれ紹介するつもりです。
真央ちゃんの件は、僕にとっては予想された事なのですが、モリコロで余りにも輝きを失っていた(対ジャパンオープン比)のには驚いています。オーラが消えていたのは、神の栄光(正のプラズマ)が去ったからですね。取り寄せた中京テレビの放送でも印象は同じでした。