歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

懺悔(さんげ)道と菩薩行

2019-06-03 | 哲学 Philosophy

懺悔(さんげ)道と菩薩行

 

田中 裕(上智大学名誉教授)

略説

 

(1) 『懺悔道としての哲学』[1]は敗戦時の日本の「歴史的現実」─自己と自己の帰属する民族・文化の「自己同一性の危機」―への哲学的応答であった。田辺自身は親鸞の浄土真宗、とくに『教行信証』の言葉に導かれていたが、それは、仏教だけに限定されたものではなく、田辺が後に書いたように『キリスト教の辯證」へと展開されるべき契機を含むものであった。民族の自己同一が問われた亡国の危機こそは、まさにユダヤ教の預言者的精神と、ユダヤ教を世界宗教へと刷新したキリスト教の起源であった事を思えば、田辺の直面した歴史的現実が、キリスト教と関わるのは当然である。

(2)戦後の田邊の宗教哲学は、理論的哲学(理観=テオーリア)を越えて、実践的な「理性の事実」にもとづく道徳を語るカントの批判哲学の立場、そこから「理性の限界内で」宗教を語るカントの立場を更に徹底させたものである。[2] 田邊は戦後を生き延びた哲学者であり、出陣学徒を戦地に送った帝大教授であった。生き延びたものが死者達へ感ずる罪責と懺悔の情念、自己の理性の無力を実感した田邊に、更に哲学を続けることを可能にしたもの、「哲学ならざる哲学」として恩寵の如く与えられたものが「懺悔道としての哲学」であった。

(3)田辺の言う「懺悔」は、「過去」の悔悛にとどまらず、「現在」を生きる人間の実存の根本的な転換、すなわち廻心を意味すると同時に、「未来」に約束された救済の福音を、「今此処」の「世俗の中」で生きることを意味している。すなわち「懺悔道」は、救済の時のもつ過・未・現の三一構造をふまえて語られている。その救済の時のもつ三一論のダイナミズムが、過去・未来・現在の世代を相互に媒介する実存協同論となることによって、戦後の田辺哲学は、日本民族(種)の特殊性を越えた、普遍的な救済論の可能性を提示している。

(4)宗教的経験の事実(それは個人的であると同時に社会的であり、歴史の中にあって歴史を越える事実)を解明することは西田と田辺に共通する課題であった。田邊から西田に遡って、「懺悔道としての哲学」の課題を引き受けることが重要であろう。

西田六二歳の時の著作、『無の自覺的限定』の宗教論は、まさにキリスト教論であると言ってもよい。滝沢克己はこの著作を読み、後に西田のすすめによりカールバルトの神学を聴講したときに、非キリスト者である西田がバルトと同じ問題を論じていることに驚き、後年、「西田哲学はこのときに生まれ、この国の言葉をもって語られたる真(まこと)の神の証言(あかし)としての悔改(メタノイア)の哲学である」[3]と書くことになったが、それはある意味で西田がキリスト教的な経験の事実にそれだけ肉薄したことを意味している。 西田はまず「哲学史上自覚の深き意義に徹底し万物をその立場から見た人」としてアウグスチヌスの言葉を引用し、その「三位一体論」を神学的人間学として評価し、「我々が外物を離れて深い内省的事実のなかに自己自身の実在性を求めるとき、自ら神に至らざるを得ない」と書く。[4]ここで注意すべきは、「自覚」を促す神の働きを「創造」という言葉で西田が表現するようになることがあげられる。これ以降、創造という働きが、単に「自己が自己に於いて自己を映す」という写像作用の代わりに用いられると共に、自己の内に完結する自己内写像の作用を突破する「絶対の他」という用語が「無の自覺的限定」のなかに登場するようになる。
(5) 「無の自覺的限定」では、他者論とアガペ論、そして原罪論というキリスト教的テーマが集中的に取りあげられる。まず、「肉親」への愛、「我国人」への愛を越える愛が、エロスならぬアガペとして位置づけられ、絶対に分離せるものの結合としてキリスト教的愛が考察される。[5] 次に自己知よりも「汝」の呼びかけ、「物のよびかけ」が先行することが指摘され、「過ぎ去った汝として過去を見ることから歴史が始まる」という歴史認識が示される。「自己自身の底に蔵する絶対の他と考へられるものが絶対の汝という意義を有するが故に、我々は自己の底に無限の責任を感じ、自己の存在そのものが罪悪と考へられねばならぬ」という立場からキリスト教的な「原罪」の意味するものが語られる。すなわち「自己自身の底に絶対の他を見るということの逆に絶対の他に於いて自己を見る」という意味に於いてのみ、真に自己自身の底に原罪を蔵し、自己の存在そのものを罪とする人格的自己」が考えられること、そこに西田はキリスト教の云うアガペの意味を見出している。[6]
(7) 西田にとって宗教の問題は、ある意味で彼の哲学的思惟のアルファであると同時にオメガでもある。しかし、その思惟は、アルファの以前、およびオメガの以後を限りなく追求するということを付記せねばならない。西田は、哲学的思惟の可能根拠を求めて、思惟の原理以前の経験、原理(アルケー)をさらに遡る無底の経験、ないし経験の無底へと下降する。この下降的な超越ないしケノシス的な超越こそが、西田の宗教哲学に於ける超越論的経験の基本的な特徴である。「有を存在せしめる根拠」を再び存在者として定立することはできない。したがって、(卓越した意味での)存在者、もっとも完全なる存在者を目指す「上昇的超越」、すなわち神的なエロスにもとづくプラトン的な超越は、下降的超越の経験無くしては成立しない。上昇的超越は、対象化しえぬものを対象化する「ノエマ的超越」に立脚する限りは、経験の裏付けを持たぬカント以前の形而上学的思惟として斥けられる。西田のいう場所的論理においては「ノエーシス的超越」という語が使用されたが、それは知的直観としてのノエーシスの立場をもって哲学的思惟の終結と見なす立場そのものの超越、すなわち「メタ・ノエーシス」の立場をも含意している。田辺の『懺悔道としての哲学』の立場は、ある意味に於いて西田のうちに既に存在していたものである。
(8) 最晩年の西田哲学のキリスト教論は、それ以前の西田哲学の行為論の要をなしていた「行為的直観」をも越えるものであった。そこでは、「神の言葉」が、聞くべくして見るべからざるものとして、主題化される。[7] 「場所的論理と宗教的世界観」を執筆中に鈴木大拙に宛てた書簡に依れば、西田は第二次世界大戦に於ける日本の敗北と予感しつつ、その終末論的な意識のもとで、旧約の預言書を読み、おそらくはじめて旧約聖書に内在する預言者の精神に触れたと思われる。西田は大拙に向かって、バビロン捕囚時代のユダヤ民族の精神に学ぶべきことを指摘し、「民族の自信を唯武力と結合する民族は武力と共に亡びる」と述べる。それと同時に、鈴木大拙の言う『即非』の論理に共感し、その立場から、「人というもの即ち人格」というものを出し、それを現実の歴史的世界に結合することを自分の課題としていると述べる。[8]
(9)戦後の田辺の宗教哲学のもうひとつの根源語は「菩薩行」であるが、「懺悔道」と「菩薩行」との連関を解明するために、田辺が頻繁に用いた「行道」と云う言葉の意味を次に考察する。この言葉は、もともとは、仏教寺院で本尊や堂塔の周りを念仏して回り歩く礼拝儀式をさすものであったが、田邊は、そのような単なる宗教儀礼を念頭に置いているのではない。彼の「行道」とは、文字通り「懺悔の道」を「行ずる」ことであった。[9] 

田辺元の道元論に大きな影響を与えた和辻哲郎の『沙門道元』は、道元の思索と実践を「禅宗」という如き「宗派」を越えた普遍的な場で道元の「学道」ないし「行道」の精神を捉えようとした書である。この書で、和辻は、阿弥陀仏の本願他力に随順する親鸞の念仏行と、峻厳なる戒を守る出家の功徳を説き、知恵の完成行を無窮に行じる道元の座禅とは、前者が阿弥陀という名を持つ絶対者の慈悲による救済をとき、後者が、自己の救済よりも他者の救済を先立てる菩薩行としての座禅を選択したという方法上の違いはあっても、その根底に於いては慈悲を根本とする大乗仏教の根本精神があると述べている。「道得」や「葛藤」を重視する道元の道(ことば)に「日本哲学の先蹤」を見る点では、和辻も田辺も共通している。それでは、道元の中にも単なる哲学ではなく、田辺の言う意味での「懺悔道」の先蹤も見ることができるであろうか。

 

(10)「随聞記」は受戒と懺悔についての道元と懐奘との間の次のような対話を収録している。

問云、「受戒の時は、七逆の懺悔すべし、と見ゆ。如何」

答云、「實(まこと)、懺悔すべし。受戒の時、不許事(ゆるさざること)は、旦、抑止門(おくしもん)とて抑ふる儀也。又、上の文は、破戒なりとも還(また)得受せば、清浄なるべし。懺悔すれば清浄也。未受に不同(おなじからず)。

問云、「七逆、已に懺悔を許さば、又、受戒すべきか如何」

答云、「然也、故僧正、自所立の義也。已に懺悔を許さば、又、是、受戒すべし。逆罪なりとも、悔いて受戒せば、可授(さずくべし)。況、菩薩は、直饒(たとひ)、自身は破戒の罪を受くとも他の為に受戒せしむべし。

この「菩薩は、たとえ自分は破戒の罪を受けるとも、他のために受戒させるべきなのだ」という道元の言葉は、七逆という最も仏法に違背した罪を犯したものをも、救済しようという菩薩の徹底した精神が表現されている。

(11)「黄泉に下る菩薩」―道元の遺偈についての考察

入滅を前にして道元禅師は法華経神力品の一節を唱えながらそれを柱に記した。[10]

その翌朝、彼は居ずまいを正して次の遺偈を弟子達に残した。(建撕記)

五四年照第一天(五四年第一天を照らす)

打箇𨁝跳 触破大千(この𨁝跳を打して大千を触破す)咦(にい)

渾身無覓 活落黄泉 (渾身に覓むる無し  活きながら黄泉に陥つ)

道元禅師の遺偈の「活陷黄泉」(活きながら黄泉に陥つ)という結びの言葉は、何を意味するのであろうか。

(11)この遺偈を単独で考察するのではなく、師の如浄と弟子の懐奘の二人の遺偈との関連で考察したい。六六歳でなくなった如浄禅師、八三歳でなくなった孤雲懐奘のどちらの遺偈にも「黄泉に陥つ」ないし「地泉に没する」の句があるからである。

如浄禅師の遺偈:六十六年 罪犯彌天 打箇𨁝跳  活陷黄泉 咦 従来生死不相干

孤雲懐奘の遺偈:八十三年如夢幻 一生罪犯覆弥天 而今足下無糸去 虚空踏翻没地泉

如浄─道元─懐奘 と受け継がれた一連の遺偈に通底するものを、徹底した菩薩行として、衆生の罪を一身に引受けて黄泉に下る菩薩の懺悔道と捉えることができる。菩薩の道は、一切の衆生を救済しようという大悲の誓願に基づいている。

(12)如浄から嗣法し、懐奘に伝えた道元の仏道は「見性成仏」を云う「禅宗」の禅ではなく、大悲の誓願に基づく菩薩行としての座禅であったことは、如浄が道元に語った次の言葉が示している。

いわゆる仏祖の座禅とは、初発心より一切の初仏の法を集めんことを願ふがゆえに、座禅の中において衆生を忘れず、衆生を捨てず、ないし昆虫にも常に慈念をたまひ、誓って済度せんことを願ひ、あらゆる功徳を一切に廻向するなり。(『宝鏡記』)

如浄の遺偈には「罪犯彌天」、懐奘の遺偈には「一生罪犯覆弥天」の言葉がある。この菩薩の懺悔は、衆生の犯したすべての罪を自己自身の罪として引き受けるところから発する言葉である。それこそが、自己と無関係なものは何一つない縁起の法を生きる菩薩の心であろう。

(13)面山瑞方が編集した『傘松道詠』に収録されている道元の道詠  

愚かなる我は仏にならずとも衆生を渡す僧の身ならん

  草の庵に寝ても醒めても祈ること我より先に人を渡さん

もまた、菩薩行を説くものであるから、如浄から菩薩戒をうけて嗣法した道元、その道元との対話を記録した懐奘の遺偈もまた「黄泉に下る菩薩」の「行道」の言葉として読むことができよう。

(14)『教行信證』再考-─五逆の罪を犯し、正法を誹謗した者に救済はあるか?

『無量寿経』の第一八願の願文の末尾に「唯除五逆誹謗正法」とあり、これは従来「ただ五逆の罪と誹謗正法の罪だけは救いの対象から除外する」という排除規定として読まれてきた。そうすると摂取不捨という弥陀の本願と矛盾しないだろうか?

(14)すでに曇鸞の時代に、この問題は意識され、道綽の安楽集では、の第一八願趣意では、排除規定は省略されている。善導は、これを排除の意味ではなく如来の願いを込めた抑止門とされ(謗法・闡提・廻心皆往)未造の者に対する抑止、已造の者は廻心さえすれば救うという意味に解釈する。除外規定は教育的配慮として付加されたと解釈する。

(15)もう一つの可能な解釈は、漢訳経典の本文批評にもとづき、「五逆」も「誹謗正法」も、そのような罪を犯した「罪人」をいうのではなく、「罪そのもの」と読み、この文は「五逆と誹謗正法の罪を犯した者を救いの対象から除外する」のではなく「五逆と誹謗正法の罪そのものを取り除く」と解する。たとえば、観無量寿経に「除八十億劫生死之罪」「除無量億劫生死之罪」「除却千劫極重悪」・・・の文があり、多く「除・・」は極悪人を救いから除外するという意味ではなく、罪そのものを端的に除くという意味である。[11] 一切衆生の救済を願う弥陀の誓願に、救済から除外されるものを含ませるのは不自然であり、本来的な「摂取不捨」の誓願には相応しくないとする解釈である。

(16)道元は七逆の重罪を犯した者には受戒させないという戒律規定を「抑止門」とみることによって、そのような者でも、「懺悔」させることによって受戒させるのが菩薩の道であることを述べたが、親鸞も又、弥陀の本願の「唯除五逆誹謗正法」を次のように釈義している。

「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふ言葉なり、五逆の罪人をきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんためなり。(『尊号真像銘文』)

五逆の罪人はその身に罪をもてること、十八十億劫の罪をもてるゆゑに十念南無阿弥陀仏ととなふべしとすすめたまへる御のりなり。一念に十八十億劫の罪をけすまじきにはあらねども、五逆の罪のおもきほどをしらしめんがためなり。(『唯信証文意』))

『教行信証』は信巻の根本主題として、「逆謗摂取釈」を取り上げ、浄土三部経だけでなく涅槃経の「阿闍世王懺悔」の物語を長文に亘って引用している。

(17)涅槃経は「一切衆生悉有仏性、如来常住無有変易」を説くと同時に、五逆の重罪を現に犯してしまった人の救済の物語を主題としており、道元もまた鎌倉行化の際に在家の信者の家で書き留めた「白衣舎示誡」でこの物語に言及している。そこでは、仏教の因果応報の理を否定して、阿闍世王の父王殺害を正当化する言説を説く六人の大臣の(六師外道の説)が書き記されている。仏陀の弟子の耆婆が、「慚愧の心」が人を人たらしめることを王に説いたあとで、「阿闍世の犯した悪業の罪は決して逃れられず、釈尊以外の誰も阿闍世を救うことはできないから、六人の大臣の詭弁に従ってはならぬ」という亡父の声が天上より響き渡り、釈尊による阿闍世王の救済が語られる。

(18)悪人正機説は法然および親鸞の浄土教の核心にあり、更に『歎異抄』では弥陀の本願は「親鸞一人のためなりけり」という言葉が記されているが、涅槃経では、摂取不捨を衆生救済を誓う弥陀の役割を、「阿闍世独りの為に涅槃に入らぬ」釈尊が引き受けている。一切の衆生というのではなく、なぜことさらに阿闍世ひとりのためというのかという迦葉の問に対して釈尊は、「阿闍世王独りの救済は一切の五逆を造る者に普く及ぶからであり、私が世に留まるのは、一切有為の衆生(煩悩具足の衆生)のためである、と答えている。[12]



[1] 私は懺悔道を「さんげどう」と読み、敗戦直後の「一億総懺悔」の如き無責任な「懺悔(ざんげ)」の喧伝から区別して用いることにしている。

[2] 「宗教は心霊上の事実に基づくものであり、哲学はその事実を解明すべきものであって、理性の立場から概念的に宗教的経験を捏造すべきではない」とは、最晩年の西田幾多郎の宗教哲学の立場であった。戦前・戦中の田辺の「種の論理」にもとづく国家論や宗教論にはそのような概念的図式の偏重があったことは確かであるが、「懺悔道としての哲学」に始まる田辺の宗教哲学にはもはや当て嵌まらない。

[3] 「西田哲学の根本問題」こぶし書房刊、214頁、2004(法蔵館「滝沢克己著作集第一巻」1972)

[4] 「場所の自己限定としての意識作用」西田幾多郎全集6:116 

 「哲学史上自覺の深き意義に徹底し萬物をその立場から見た人はアウグスチヌスであったと云ひ得るであらう。その「三位一體論」の一篇は一種の神學的人間學と云ふことができる。我々が外物を離れて深い内省的事實の中に自己自身の實在性を求める時、自ら神に至らざるを得ない。彼は「懺悔録」の始に Thou awakest us to delight in Thy praise; for Thou madest us for Thyself, and our heart is restless, until it repose in Thee と云って居る。彼は我々の自覺的實在の根抵を神に求めた。メーン・ドゥ・ビランの「人間學」といふ如きものも我々の精神的生命の基を神に帰して居る。」

[5] 「自由意志」 西田幾多郎全集6:319

「汝の隣人を汝自身の如く愛せよといふキリスト教的愛は、絶対に分離せるものの結合でなければならぬ。我親なるが故に、我子なるが故に、愛するのではない。又我国人なるが故に愛するのでもない、否、何等の価値のために愛するのでもない、唯、人なるが故に愛するのである。」

 

[6] 「私と汝」西田幾多郎全集6:419-420,424 

「道徳的にはわれわれは有限なる自己の中に無限の当為を蔵することによつて人格と考へられ、宗教的には罪の意識なくして人格といふものは考へられないと云はれる。併し我々の人格的自己は何故に斯く考へられねばならぬのであろうか。それは我々の自己自身の底に絶対の他を蔵するといふことを意味するに外ならない。自己自身の底に蔵する絶対の他と考へられるものが絶対の汝といふ意義を有するが故に、我々は自己の底に無限の責任を感じ、自己の存在そのものが罪悪と考へられなければならない。我々はいつも自己自身の底に深い不安と恐怖とを蔵し、自己意識が明となればなる程、自己自身の罪を感ずるのである。」

「自己自身の底に絶対の他を見るといふことの逆に絶対の他に於て自己を見るといふ意味に於てのみ、真に自己自身の底に原罪を蔵し、自己の存在そのものを罪とする人格的自己といふものが考へられるのである。そこにキリスト教の所謂アガペの意味がなければならない。」

[7] 「哲学の根本問題」西田幾多郎全集7:428
「現実が現実自身を限定する世界を絶対否定の肯定として絶対弁証法的世界の自己限定と考へるならば、自己自身を限定する現実の世界の底に、我々は行為的直観を越えて、無限なる表現に対すると考へなければならぬ。それは唯何処までも我々の行為的直観を越えるもの、行為的直観によつて達することのできないものと云ふだけでなく、行為的直観を否定する意味を有つたものでなければならない、道徳をも否定する意味を有つたものでなければならない。それがキリスト教徒の所謂神の言葉と考へられるものである。それは聞くべくして見るべからざるものである。絶対の彼方にあるのである。」 キリスト教を度外視した西田哲学解釈では「行為的直観」をもって西田の最終的立場とするものが多いが、上のテキストは、それが適切ではないことを示している。

[8] 「鈴木大拙宛書簡」 西田幾多郎全集19:399,426「私は今宗教のことを書いています。大体従来の対象論理の見方では宗教といふものは考へられず、私の矛盾的自己同一の論理即ち即非の論理でなければならないと云ふことを明にしたいと思ふのです。私は即非の般若的立場から人といふもの即ち人格を出したいと思ふのです。そしてそれを現実の歴史的世界と結合したいとおもふのです。」(昭和20年3月11日 鈴木大拙宛書簡) 「君の東洋文化の根柢に悲願があるといふことよく考へて見るとそれ非常に面白い。私もさういふ立場から考へて云って見たいと思ふ。その故に西洋の物の考へ方がすべて対象論理的であったのだ。此頃猶太民族の宗教発展の歴史を読んで色々考へさせられる。猶太人がバビロンの捕囚の時代に世界宗教的発展の方の基礎を作った。真の精神的民族は斯くなければならぬ。民族の自信を唯武力と結合する民族は武力と共に亡びる。」(昭和20年5月11日 鈴木大拙宛書簡)

[9] 懺悔道における行道は「懺悔の道行ずる」とも読める。「私が道を行ずる」のではなく、「道が私を行ずる」のである。『正法眼蔵随聞記』では、「学道の人、もし悟を得ても、今は至極と思て行道を罷ることなかれ。道は無窮なり。さとりても、行道すべし」とあり、「無窮の行道」が道元の言葉として伝えられている。

[10] 建長五年(1253)道元は義重および弟子達の請願に従って上洛、西洞院の覚念邸で自身の病気療養のかたわら在家の人々に説法していた。ある日、邸中で経行しつつ妙法蓮華経神力品の巻を低声にて唱えた後、それを自ら面前の柱に書付け、この館を妙法蓮華経庵と名付けたと言われる。(建撕記巻下などの伝承による)そこには次のような言葉がある。「僧坊にあっても、白衣舎(在俗信徒の家)にあっても、殿堂にあっても山谷曠野にあっても、この処が即ち是れ道場であるとまさに知るべきである。諸仏はここにおいて法輪を転じ、諸仏はここにおいて般涅槃す」僧坊にあっても在家の弟子の家であっても、今自分がいるその場所こそが「道場」であり、転法輪の場所であり、完全なる涅槃に入る場所であるというのが、道元の京都での最後の在家説法の趣旨であろう。

「放下身心(しんじんをほうげして)、一向(いっこうに)可入仏法(ぶっぽふにいるべし)」と仏向上を説く道元が、出家の功徳と在家のための菩薩行を同時に説く法華経の行者であったことを、この偈は如実に示している。

[11]北村文雄著『教行信証と涅槃経』、(永田文昌堂2014) 参照。 

このような解釈は、キリスト教におけるイエスキリストへの信仰告白「世の罪を除きたもう主よ、憐れみたまへ」に通じるものでもある。この「キリエ・エレイソン」と呼びかけられる「主」は、「世の罪人を除く〔裁く〕」のではなく端的に「世の罪を除く」のである。私の理解するところでは、キリスト教における信心業の「十字架の道行き(via crucis)」は、キリストに倣う「行道」である。

「使徒信条」のなかの「黄泉に下るキリスト」を論じたバルタザールの「過越の神秘」、ラッティンガ―の教義学(終末論)、はアウシュビッツ以後の「十字架の神学」を、カトリックの伝統を配慮しつつ受けとめたものであるが、それに拠れば、「黄泉に下るキリスト(discendit ad inferos))は、救済からもっとも遠い場所へキリスト自身が下ることによって、神から切断された極悪人の苦しみを自ら引き受けたものである。

Transdescendence (下への超越)がTranscendence(上への超越)に外ならないこと、最も神から遠い(黄泉の)暗黒を照らす光としての「まことの菩薩」としてのキリストが一切の被造物の「救済の希望」の根拠であるという解釈についてはHans Urs Von Balthazar, Dare we hope “that all men be saved”?(Ignatius,1987)(ドイツ語原書のタイトルは Was dürfen wir hoffen? 我々は何を希望することが許されるか?)参照。また、大乗仏教の菩薩の背後に「まことの菩薩」としてのキリストを見るキリスト教教義学の立場については、Joseph Rattinger Eschatologie-Tod und ewiges Leben (Kleine Katholische Dogmatik, Verlag Friedrich Pustet Regensburg, 1977) 参照。

 

 

[12]我今當爲是王住世至無量劫不入涅槃 迦葉菩薩白佛言 世尊 如來當爲無量 衆生不入涅槃 何故獨爲阿闍世王….. 阿闍世者普及一切造五逆者 又復爲者 即是一切有爲衆生  我終不爲無爲衆生而住於世 何以故 夫無爲者 非衆生也 阿闍世者 即是具足煩惱等者  

(大般涅槃經卷第二十 北涼天竺三藏曇無讖譯 梵行品第八之六)

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若き日の西田幾多郎ー「我尊会有翼文稿」から

2017-05-31 | 哲学 Philosophy

大日本帝国憲法公布の日(明治22年2月11日)に撮影された7人の第四高等学校学生たちの記念写真がある。後列右から二人目が西田幾多郎(当時19歳)、前列右端の山本(旧姓:金田)良吉は「頂天立地自由人」と書かれた旗幟をもっている。後列左端福島淳吉のもつ旗幟には「Destroy, destroy」とある。彼等は、明治憲法に対して、また当時の自由民権運動に対してどのような考えをもっていたのか。当時の西田の思想をうかがい知ることのできる貴重な資料がいくつか残されている。

「頂天立地自由人」の旗幟をもっている山本良吉はこの写真を撮影した後にまもなく、明治憲法発布当時の薩長政府による学制改革に反発して退学している。明治22年5月に、退学した金田良吉を含むサークル「我尊会」が、西田、藤岡、松本らによって設立された。評論・漢詩・小説などを会員が和紙に毛筆で書き、それを回覧して批評し合った文書である。この「我尊会」に「有翼」というペンネームで投稿した西田幾多郎の文章が「我尊会有翼文稿」として西田幾多郎全集に収録されている。

「有翼」とは若き日の西田幾多郎のペンネームの一つ。天馬空をゆく自由人としての境涯を荘周にならってユーモラスに自称したものであろう。「有翼」という雅号の由来を尋ねた客人に答えるという趣向で西田が書いた「答賓戯」という文がある。当時の西田は、「有翼の天馬」よりも「鈍牛」のごとき存在と友人から評されていたが、おそらく畏友山本良吉の影響を受けて、「有翼」に、自由奔放にして如何なる権威をも恐れない自己の理想的なありかたを託したものと思われる。

西田は明治22年7月、行状点が100点萬点中8点という成績のため落第が決まるが、「我尊会有翼文稿」には、「行軍あれば則去り、体操あれば則去り・・」という言葉がある。薩長政府による中央集権的な学制改革で新たに導入された兵式体操や行軍という軍隊式の教練に西田は参加しなかったのである。落第が決まった後、恩師北条時敬に諭されたこともあって、留年して第一学年をやりなおすが、結局、山本良吉の後を追うような形で明治23年春に四高を中退している。「我尊会有翼文稿」には、西田の書いた最初期の文章が幾つか収められている。幾つか紹介しよう。
「余が最愛スル諸君ヨ」―西田は冒頭に「旧約全書第一葉」を引用して、人が万物の霊長たる所以は、「人が道理(Reason)の動物」たるところにあると述べる。次に西儒「麻鴻礼(Thomas Macaulay1800-1859 大英帝国の歴史家、詩人、政治家で「イングランド史」の著者)」のボルテールと「彌兒頓(Milton )」の評言を引き、腕力や武力よりも「道理の力」の大なることを説いたもの。西田は、この文の中で、ときの薩長政府による国家主義的な学制改革による教育方針を反啓蒙的な武断主義として嘲笑している。
「Jean 「Jauques Rousseau」―仏蘭西革命を引き起こした「悪人」としてルーソーを糾弾することの愚かなることを英仏の歴史家の書を西田が引用したもの。野蛮なる遺風たる「天子神権」を「道理の力」によって克服した人類の恩人であり「真箇ノ英雄である」としてルーソーを讃える文である。文末に「世間で世間に従って生きることは易しい。孤独の中で自己の孤独に従って生きることも易しい。しかし偉大なる人間は大衆の只中にあって孤独なる独立精神を完璧な優美さをもって保持する」というエマーソンの言葉を西田は英語でそのまま引用している。西田は後年次のように回想している。(「山本晁水君の思い出」1942)。

第四高等中学となってから、校風が一変した。つまり地方の家族的な学校から天下の学校となったのである。当時の文部大臣は森有礼という薩摩人であって、金沢に薩摩隼人の教育を注入するというので、初代校長として鹿児島の県会議長をしていた柏田(盛文)という人をよこした。その校長について来た幹事とか舎監とかいうのは、皆薩摩人であって警察官などをしていた人々であった。師弟の間に親しみのあった暖かな学校から、忽ち規則づくめな武断的な学校に変じた。

山本良吉とともに西田の生涯の友となった鈴木大拙(貞太郎)は、明治憲法発布の日に撮影した写真には姿がないが、このとき大拙は経済的な困窮が原因ですでに退学していた。西田は、その大拙のために「與鈴木兄」と題し漢詩を二首詠んでいる。

挽風微動清涼催 名月懸空似玉珠 哲学妙玄人無識 清宵月下夢韓図  (韓図=カント)
除去功名営利心 独尋閑處解塵襟 窓前好読道家册 月明清風払俗塵

第一首で「カントを夢見る」人物は西田自身であるのかも知れない。ただし、高等学校の学生時代の西田が、カントの思想について西田がどの程度の理解と評価をもっていたかは分からない。第二の「功名や営利の心を除去」して月光のさす窓辺で「道家の書物」を読むのは、西田よりも鈴木大拙のイメージによくあっている。

明治23年9月、西田は自分に先立って高校を中退した金田良吉、病気で留年した藤岡作太郎らとともに「我尊会」の精神を受け継ぐサークル「不成文会」を結成した。西田の関心は数学から哲学に向かい、政治的な自由主義思想から内面的な精神の自由を目指す哲学的探求へと転換した。中退後独学の時代に、眼病にかかり読書をしばらく禁止されるという試練に遭った西田は、当時の心境を次の漢詩に託している。

    高節自許波斗曼 功業独冀大俚爾 両眼雖病志益固 久枕哲書待他日
                            *俚爾(ヘーゲル) *波斗曼(ハルトマン) 

注釈:

波斗曼(エドワルド・フォン・ハルトマン1842-1906)はヘーゲルとショーペンハウアーの思想を統合した「無意識の哲学」によって独自の美学思想を展開したドイツの哲学者である。ショーペンハウアーの著作が再評価された世紀末のヨーロッパでは、彼の著作は英仏語に翻訳され、ドイツ以外の国でも国際的かつ学際的に著名であった。日本でもその名は早くから知られ、明治22年刊行の三宅雄二郎の「哲学涓滴」には、「ショーペンハウアー氏すでに意志をもってヘーゲルの知恵に代えし上は、両々あい反対し合い抵拝せざるを得ざる勿論にして、これを総合してさらに豊富の意見を立つるは、すなわちハルトマンの任なるが如し」とある。西田が入学した頃の東京大学の哲学科教授であった井上哲次郎も、欧州留学中にハルトマンと親交を結び、それが機縁となって、後に、ハルトマンが推薦したラファエル・フォン・ケーベル(1848-1923)を東京大学哲学科に外国人教師として招聘した。ケーベルは、ハイデルベルグ大学でショーペンハウアーにかんする学位論文を書き、その後継者としてのハルトマンの哲学史に於ける重要性を、シュベーグラーの「哲学史」の増補校訂者となったときに強調している。ケーベルは、東大哲学科に明治26年に着任すると、ショーペンハウアーの晩年のエッセイ「パレルガ・ウント・パラリポメナ」を講義で使用し、西田もそれを聴講している。

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絶対無の創造性と矛盾的自己同一

2016-09-02 | 哲学 Philosophy

 

絶対無の創造性と矛盾的自己同一 

田中裕

はじめに

 西田幾多郎の最晩年の思索の焦点は、鈴木大拙が(般若)即非の論理とよび西田自身が(絶対無の場所の)矛盾的自己同一と呼んだ論理から、歴史と人を語るということであった。そこで云う「歴史」は、当時の哲学思想の領域での中心的なテーマでもあった。一方に於て、辯證法的唯物論という無神論の立場があり、他方に於て辯證法的神学という有神論の立場があった。どちらも「辯證法」という名前を冠してはいるが、西田は両者を真に徹底した辯證法とはみなさず、それに代わるべき辯證法を、場所的辯證法として構想し、その論理によって時間性と歴史性を解明することを目指していたのである。

絶筆となった「私の論理について」によれば、場所的辯證法は「歴史的行為的自己の立場からの思惟の形」、すなわち「歴史的形成作用の論理」を明らかにする論理であると同時に、「自然科学の根本問題及び道徳宗教の根本的問題」も、その論理から考えられるべきものであった。

本稿は、東西宗教交流学会の発表と討議のための資料として作成した。如上の如き西田哲学の根本問題を語ることが東西宗教交流という本学会の目的にどこまで資することができるだろうか。東洋と西洋といってもそれは地理的区分と必ずしも対応しているわけではない。私が念頭に置いているのは、たとえば井筒俊彦が『意識と本質』の副題に附けた「精神的東洋」の意味であり、久松真一が『東洋的無』で表詮した「無」の類比的象徴表現にしめされた東アジアの大乗仏教の伝統である。しかし、私が最終的に目指しているのは、単に「東洋思想の共時的構造化」に留まるものではなく、「精神的な西洋」と真に対話することによって、「東洋」思想の限界をも突破することである。つまり、東西の区別が保存されつつも揚棄される如き真の意味での「カトリック的なるもの(普遍)」を志向することが私の目指す目標である。

たとえば、井筒氏が『意識の形而上学』として注釈された大乗起信論の著者は、大乗の「大」を小乗に対する大乗という如き「相対的大」の意味で使わず、体相用における「絶対的大(三大)」という意味で使っている。そこで云われる「一心即衆生心」なる「心」の形而上学に、洋の東西の区別など本来あってはならぬ者であろう。

井筒氏に倣って「精神的東洋を索める」という場合、私はその一つの試みとして、キリスト教の伝統の中に内在している「精神的東洋」の探求を今回行ってみたい。それと同時に、私は、東洋の霊性的伝統のなかに内在する「精神的西洋」の探求も同様に価値あることと信じる者である。

具體的に云えば、西田の云う「自覚」「無」「矛盾的自己同一」などの根源語によって表現される哲学は、たしかに「精神的東洋の共時的構造化」に資するものであることはまちがいないが、それはキリスト教と決して無縁のものではないという事である。 キリスト教の長き霊性の伝統に中にあって、「西の内なる東」ともいうべき精神性の実例を、西田が最も評価した西欧思想家達、就中、キリスト教的プラトン主義の系譜に属する思想家達、それもとくにこの論文では、ヨハンネス・エリューゲナに焦点を絞って論じてみたい。

そして、このように「西のなかの東」にある霊性的伝統を解明することは、同時に西田哲学が内在化し血肉化した「精神的西洋」の貴重な遺産の何であるかをも明らかにするであろう。それは、たとえば「實在の根柢は人格的である」という個的人格のもつ根源性、相互人格的なる交わりを重視する人格主義、そして、文明開化の明治時代に生まれた若き日の西田の「頂天立地自由人」の旗幟に要約された「自主独立の精神」、「数理の学」への強い関心、国家や団体への帰属意識よりも個人のもつ「創造性」の重視、これらは言うなれば西田哲学に於ける「東のなかの西」ともいうべきエレメントである。

私の発表のタイトルにある「絶対無」については、従来は臨済禅の系譜に属する『無門関』の「趙州無字の公案」と関係づけられ、有無の相対的区別を絶する絶対無というアイデアを西田がそこから得たというごとき解説が多かったように思う。それに異議を唱えるわけではないが 私は、この西田の云う「絶対無」の哲学的起源の一つを、東方キリスト教の霊性的伝統を西方キリスト教にもたらしたエリューゲナの『自然について(ペリ・フュセオン)』にもとめたい。 そしてエリューゲナの議論を東西に通底する深き霊性の表現として受け止めた西田が、その精神のダイナミズムをさらに徹底化して自家薬籠中のものとしたことを指摘したい。そして、禅と浄土真宗に典型的に表現された東洋的・日本的霊性と西洋のキリスト教的プラトン主義の霊性との間で内的対話を行うことによって、西田の絶対無の場所の哲学が如何にして誕生していったか、その精神の遍歴を、彼の云う「悪戦苦闘のドキュメント」の思索の背後にあるものが何であったのかを探求してみたいのである。

エリューゲナの『自然について(ペリ・フュセオン)』を本論では、西田哲学に於ける汎神論ないし萬有在神論の問題と関連させて論じる。それは一切を超越神の「所作物」ではなく内在神の表現とみる初期西田哲学の汎神論的思想が、神的表現を神的創造に結びつけるエリューゲナ「神現」の思想の批判的摂取を経て、西田哲学において「汎神論」から「萬有在神論」への轉換が如何にもたらされたかを追跡すること、さらに所謂「萬有在神論」が、矛盾的自己同一の論理と結びつくことによって、辯證法的神学の超越的内在の論理をも包越する場所的辯證法の論理を提示したことを明らかにしたい。

紙幅の都合上、今回の発表では充分に論じる余裕はないが、このような萬有在神論の徹底化は、神が「顕現しない」世界における「神現」という問題、キリスト教の言葉を使うならば「世俗の中の福音」の原事実に由来する論理、仏教の言葉を使うならば、無量寿・無礙光如来の名号のもつ不思議なる救済の原事実に由来する論理こそが、西田哲学の場所的辯證法を現代に於いて継承するものが引き続き問題とすべき事柄であろう。

サブタイトルにある「歴程神学」とは、筆者自身の神学的立場である。これについては今回の発表の紙幅の都合上、詳論することは出来ないが、大まかに云ってA.N. ホワイトヘッドの哲学、それを「有機体の哲学」や「プロセス哲学」ではなく「創造性の哲学」とよぶのが正しいとらえ方であるという考え方をもととしている。ここでいう「創造性の哲学」とは、形ある者を生み出す根源を対象化しうる存在者ではなく決して対象化できぬ「創造性」に求める点で、存在論の「存在」の脱底化の方向に一歩踏み出した哲学である。それは、第二次世界大戦以後の米国に於て、一時的な影響を及ぼした後に死に絶えた「神の死の神学」の後の世代において誕生した「プロセス神学」に大きな影響を与えた。ただし私が「歴程神学」と呼ぶものは、「プロセス神学」とは別物であり、ホワイトヘッド哲学の解釈に於いても根本的な違いが数多くある。たとえば、存在論の脱底化(De-ontologizing)は、ホワイトヘッド自身がそうした以上に徹底させるべきであると私は考えている。そして、彼の「過程の哲学」でいう「過程」は、神を「活動的存在の一つ」として捉える「存在論的原理」によっては把捉できないという批判的立場をとるものである。

「過程の弁証法」は過程によっては基礎づけられないという西田の批判は、ヘーゲル哲学に向けられた批判であるが、この批判は、ヘーゲル哲学の現代版という側面を持つホワイトヘッドの「過程の哲学」にも当て嵌まるであろう。また、私が「プロセス神学」ではなく「歴程神学」という場合は、予定調和的な進歩史観を前提としないという点で、プロセス神学の多くの流れとは異なっている。ただし、ホワイトヘッドの哲学を積極的に評価するのは、後期西田哲学よりも更にラジカルに、人間的歴史だけでなく、宇宙万物全体をも含めた意味での歴史的世界を主題とする点である。

ホワイトヘッド哲学について論じる場合もまた、「自然神学」という側面を持つこの哲学を、英国とアイルランドに於けるキリスト教的プラトン主義の霊性的伝統の流れの中で位置づける必要があるだろう。ホワイトヘッドの云う「原初的自然」、「帰結的自然」という着想は、「神が始源にして帰結」であるがゆえに自然の第一区分と第四区分が同一の神であるというエリューゲナの自然区分論と類似したものである。さらにホワイトヘッドは、「神の創造は神の自己創造であること」を明確に言う点に於いてもエリューゲナと同様の観点をとっているのである。

ただし、当然のことながら、二〇世紀のプラトン主義者を自認していたホワイトヘッドの哲学的神学と九世紀のカロリング・ルネッサンスの時代に生きたエリューゲナとのあいだには違いもある。たとえばホワイトヘッドはエリューゲナが詳細に論じた「天使論」などは全く語らないし、「自然の四区分」さえも超越する究極の範疇を「創造性」とし、二つの本性を持つ神よりも高次の究極的な範疇としている。そして「創られて創るもの」という規定は、エリューゲナの「自然の四区分」の中の一つ、すなわち「根本的諸原因」(ポイエーシス的理性)に限定されるものではなく、活動的性格を持つ万物の根本規定となる。 それゆえに、エリューゲナの云う「創られて創る事なき」死せる自然というものはホワイトヘッドの宇宙論には存在しない。仏教的に云えば「衆生世間」だけでなく「器世間(環境世界)」もまた生命活動の主体であり、近代哲学で前提とされた主客の二元的関係は人間相互だけではなく万物の間で成立すべき交互的かつ力動的な主-主関係、即ち相互主体性の中において基礎づけられるのである。

このように、エリューゲナを介して西田哲学とホワイトヘッド哲学は両者に共通の根本的問題、すなわち形ある有を存在せしめている根源的な活動としての創造性を何處に於て如何に語るかという根本問題に結びつくのである。

 

第一章   初期西田哲学における「汎神論」の問題

 1-1『善の研究』(1911)の根本的立場は、「意識現象(直接経験の事実)が唯一の実在である」という純粋経験論である。この立場は、ジェームズの根源的経験論、ベルクソンの純粋持続の直観主義、フッサールの純粋意識の現象学など欧米の同時代の思想家達と共通する根源的に経験論的な思惟の課題を担っていた。それは意識に超越的な存在をすべて「排除」ないし「括弧にいれ」、疑うにも疑うことの出来ぬ直接的経験の事実から出発し、意識に超越的な存在のもつ意味を、あくまでも意識に内在的な場に於て解明していくという課題である。そのような哲学的な立場に限界があるかどうか、その限界はどこにあるかということは、実際に根源的経験論、あるいは純粋経験論の立場を徹底した哲学的思惟を遂行した後でなければ自覚されないであろう。とくに、諸々の超越者中の超越者とも言うべき有神論の「神」を意識内在的な立場に還元し、神経験と呼ばれてきたものの真の意味をそこにおいてあくまでも意識内在的に解明できるのかという問題が生じる。

1-2 フッサールは、彼の純粋現象学の構想を立てたとき、神学的な問題を彼の課題から排除していたようにみえる。純粋意識を絶対的存在(Absolutes Sein)とする彼の現象学では、キリスト教のような超越神論の神は、他の諸々の超越者と同じく現象学的還元を施されなければならぬ対象的存在のひとつであるから、「神という超越的存在は遮断される」(IdeenⅠ―58)のは當然であった。フッサールは、純粋意識の現象学の課題から神を排除すべき理由について次のように述べている。

「神的」存在は単に世界を超越するだけではなく、絶対的意識をもあきらかに超越すべきものである。それは、意識の絶対性とは全く異なった意味で「絶対的」であるであろうし、また他方において世界の意味における超越とも全く異なった意味で超越的なものであるだろう。我々の研究領域が純粋意識の領域である限りは、そのような絶対者=超越者はあくまでも遮断されているべきである。(傍点筆者)

1-3 ベルグソンは『道徳と宗教の二源泉』で社会学的見地から、ジェームズは『宗教的経験の種々相』で心理学的な見地から、それぞれ神について積極的に語ったが、それは厳密な意味で哲学的な立場から、すなわち純粋経験ないし純粋持続に内在的な立場から神を語ったわけではない。これに対してフッサールは、上の引用にあるように、純粋現象学という「厳密な学知」の立場からは、神を語ることを排除(ausschalten)しなければならないと言ったが、それは、「現象学の研究領域が純粋意識の領域にのみ限定されるかぎり」という条件のもとにであった。(現象学がこの限定を突破する可能性については後で議論しよう)。

1-4  西田の『善の研究』は、宗教すなわち「神と人との関係」を考察することを「哲学の終結」とする意図をもって書かれた著作である。このように宗教をもって哲学の終結とする考え方は、後期に至るまでの西田哲学の根本的特徴であったが、『善の研究』の場合は、純粋経験論を基盤としつつ、神を哲学の究極の主題とする点において、フッサールの言う純粋な意識の現象学において排除された神の考察をまさに純粋経験論の究極の主題とするものであった。

1-5 「意識現象を唯一の実在とする」『善の研究』の宗教論には、これまでの多くの解釈者が指摘してきたように、哲学的汎神論の一つに分類されてもやむをえぬようなテキストが数多く存在する。たとえば、「神を宇宙の外に超越せる造物者とはみずして、直ちにこの実在の根柢と考え」「宇宙は神の所作物ではなく、神の表現 manifestationとみる」ことから、西田は「宇宙と神との関係は芸術家とその作品との如き関係ではなく、本体と現象との関係である」と述べる。西田自身も、自分の立場が汎神論的であることを充分に自覚しており、汎神論に対して向けられる二つの批判を取り上げ、純粋経験論の立場からそれに答えようとしている。そのふたつの批判とは、一つは「神の人格性」の問題であり、もう一つは「悪の存在」をいかに解釈するかという問題である。

1-6スピノザの哲学的かつ決定論的な汎神論とは異なり、「実在の根柢は人格的である」ということを認める点で、西田は自分の立場が人格主義的汎神論ともいうべきものであることを明言している。このような実在の根柢としての神は「無限の愛なるがゆえに、すべての人格を包含すると共に凡ての人格の独立を認める」(全集Ⅰ-194)立場でもあった。この汎神論は、各個人の人格の独立性と自由を承認する意味で、スピノザの如き必然論ではなく、人間の独立と自由を認める相互人格的契機を内に含んでいる。また善なる神を根柢とする実在は即ち善であるという性善説的立場から「絶対悪」の存在が否定され、悪は「体系の矛盾衝突から起きる」ものであり、矛盾衝突を契機として発展する実在の一契機として位置づけている。そこにはヘーゲルの汎神論的な「合一哲学(Vereinigungsphilosophie)」と同じく、主客未分の一なる實在が、二元的な分裂を経て再統合されるところに実在の動的展開を見る弁証法的論理がある。もっとも西田の場合は、論理学を無前提なる学の始源としたヘーゲルとは異なり、純粋経験を根源的であるとする点に違いがあとしても、その主客未分の即自的な純粋経験が、主客二元の意識の對自的な分裂を経て、再び即且つ對自的な合一を回復するという意味での「合一哲学」の論理を内在させていると言って良かろう。このようにドイツ理想主義に通底する哲学的思惟は、『善の研究』の純粋経験論のうちに内在する論理であり、「意識経験を能動的と考える点で、純粋経験論はフィヒテ以後の超越哲学とも調和する」(全集Ⅰ-4)と西田に言わしめたものでもあった。

1-7 しかしながら、『善の研究』執筆時の西田の人格主義的汎神論の哲学的基礎は、あくまでも「意識現象を唯一の実在とする」純粋経験論である。それは、ヘーゲルのような高度に思弁的な論理の辯證法的体系によって根據づけられてはいない。ベルグソンのごとく随所に宗教の根源に関わる直観的な洞察を秘めているとはいえ、純理論的な哲学的議論だけに制限してみるならば、純粋経験論とは、要するに「神と世界の関係は意識統一とその内容との関係である」という公理(根本命題)から出発する哲学的な汎神論という性格を併せ持つものでもあった。しかし、まさにその哲学的汎神論のアプリオリな前提をなす公理自体は、一切の独断を排すべき純粋経験論のなかにあって、なおも独断的な一つの仮定として残存していたと言わざるをえないのではないか。

1-8問題は、『善の研究』執筆時の西田の人格的汎神論の根本命題、自発自展する純粋経験論の基本前提そのものが、あらゆる先入主を遮断して疑うベからざる確固とした「心霊上の事実」を如実に表現するものであったかどうかという点である。すなわち、このような公理を前提として考えられた神が、はたしてキリスト教の伝統の中で、キリスト者が経験した神、旧新約聖書において啓示された神の経験を如実に表現できていたかということである。フッサールとは違って有神論の神的「存在」を純粋な現象学という哲学知の中から排除するのではなく、あくまでも哲学の終結としての神を、我々の直接経験に基づいて語ることを志向する西田にとっては、神を論ずること自体が根本的な哲学の課題であった。キリスト教的経験を、他人事ではなく自己自身の在り方に深く関わるものとして取り上げた西田にとって、キリスト教の核心に触れる宗教哲学を構築するためには、『純粋経験』の意識内在の立場の限界を突破することが必要であった。しかし、その突破は、あくまでも純粋経験とは異なる立場を独断的に前提することによってではなく、純粋経験論をその根柢へと徹底することによって、そのなかになおも含まれていた汎神論的な独断を突破し、意識に内在的な経験の立場では語り得ないものを根柢から自覚することによって、意識の立場の限界を超出することこそが求められなければなかった。

1-9 『善の研究』以後、『無の自覺的限定』にいたるまでの西田哲学とキリスト教との関わりを考える場合、単なるプラトン主義ではなく「キリスト教的」プラトン主義の系譜に属する思想家達が意味を持ってくるのは、まさに意識経験に内在的な人格的汎神論の立場をさらに超えてゆく論理を彼らが示している点にあった。

1-10 すなわち、プロチヌスやプロクロスに代表される根源的一者からの発出と還帰によって万象を説明する理性主義の極北ともいうべき哲学的な汎神論と、ユダヤ教に由来する聖書的伝統のなかで「神の言葉」として語られてきた超越神に由来する宗教的経験との緊張対立の中で、プラトン主義の立場そのものを、さらに内在的に超越していったキリスト教的プラトン主義の伝統が、西田にとって重要な意味を持つようになった理由がそこにあると言わなければならない。

1-10 『善の研究』の宗教論の第四章「神と世界」の冒頭箇所に、哲学的な汎神論では決して語り得ぬものへ言及したテキストがある。それは西田がキリスト教的プラトン主義の神論に言及する箇所でもあるという点で、単なる自然主義的な汎神論を超え出る契機を内包している点において興味深いものである。西田はまず、「純粋経験の事実が唯一の實在であって神はその統一であるとすれば、神の性質及世界との関係もすべて我々の純粋経験の統一即ち意識統一の性質および其内容との関係より知ることができる。」と述べる。これを便宜上「神の性質及世界との関係の可知性のテーゼ」(テーゼA)と呼んでおこう。それは、「超越的神があって外から世界を支配するといふ如き考は啻に我々の理性と衝突するばかりでなく、かかる宗教は宗教の最深なる者とはいはれない様に思ふ。我々が神意として知るべき者自然の理法あるのみである、この外に天啓といふべきものはない」という超自然否定の理神論ともとられかねない自然主義のテーゼでもある。しかしながら、テーゼAのなかに含意されている自然的態度を根柢から轉換するテーゼが、まさにこの直後に語られていることに着目したい。それは、「我々の意識統一は見ることも出来ず、聞くことも出来ぬ、全く意識の対象となることは出来ぬ。一切は之に由りて成立するが故に能く一切を超絶している。」という文である。これを「我々の意識統一(神)の不可知性のテーゼ」(テーゼB)としよう。西田の汎神論の神の可知性(テーゼA)を支えているものは、實は「神の不可知性」(テーゼB)なのである。

テーゼBは、意識現象に内在的な純粋経験論の内部にあって、それを可能ならしめている根源的な作用(意識統一)であるが、それ自身は純粋経験の内部では語れない特異点として、内在的超越への道を指し示していることに注意したい。そして、西田がこのあとで列挙しているキリスト教的プラトン主義の系譜に属する思想家として、西田はまずディオニシュースの「消極的神学」が神を論ずるに否定をもってしたことを挙げ、次に、「ニコラウス・クザーヌスの如きは、神は有無をも超越し、神は有にしてまた無なりと言っている」とのべ、否定神学と對立の一致を説くキリスト教プラトン主義の神学的伝統に言及している。

1-11 もっとも、クザーヌスの引用が、「隠れたる神」に依拠しているのだとすれば、そこでのクザーヌスは確かに「神は有無を超越している」と述べてはいるが、「神は有にして無である」というごとき矛盾対立の合致を決して「一つのテーゼ」として立ててはいないことはここで指摘しておかなければならぬであろう。クザーヌスが「隠れたる神」で神を賛美礼拝しつつ示した否定神学は、「神は有(aliquid =something)でなく、また無(nihil=nothing)でもなく、有にして無であるのでもなく、有でもなく無でもないのでもない」というテトラレンマ(四句分別)であって、およそ分別的理性が取り得る凡ての言説をすべて網羅した後で、そのような分別そのものの解体・脱構築することを特徴としている。それは正反合という統合によって、正命題と反対命題の部分的な真理性を保存しつつ高次の命題においてそれを共に否定する如き過程的辯證法とは異質な論理である。それは、まさに「智ある無知」(docta igorantia)を示す否定神学であって、そこにおいては有無の二元對立の彼方の「隠れたる神」は、無知を通じて知られるのである。

1-12 西田の『善の研究』の宗教論は、宗教的経験の事実そのものにねざす逆説的な言葉が随所に語られており、それはある意味でその後の西田哲学の論理を直観的に先取りする印象を与えるものが多いが、とくにキリスト教的プラトン主義者としてのクザーヌスの言う「智ある無知」を彷彿とさせるものは、最終章の付論として追加された「智と愛」の末尾の言葉であろう。

「神は分析や推論によりて知り得べき者ではない。實在の本質が人格的の者であるとすれば、神は最人格的なる者である。我々が神を知るのは唯愛又は神の直覺に由りて知り得るのである。故に我は神を知らず我唯神を愛す又は之を信ずという者は、最も能く神を知り居る者である。」

『善の研究』の翻訳者の一人であるVigliermo は『智と愛』という付章を「驚嘆すべき文学作品であり、東西を問わず最も偉大なる宗教詩に比肩する一種の散文詩」として賛嘆を惜しまなかったが、この結びの言葉ひとつとってみても、「善の研究」の哲学的汎神論の「論理」には同意できない読者であっても、その心を撃つ洞察が秘められているように思われる。

哲学的論理としてみる限り、後年の西田自身が認めたように『善の研究』は不十分なものであった。まず「神を意識経験の統一である」という前提ひとつをとってみても、そこでいう「統一」とは、心理学的な意味での経験的統覚であるのか、それともカント哲学で言う意味での「超越論的統覚」なのか、あるいはそのような意識の立場で語られる「統覚」を突き抜けたより根源的なる場所に於ける統一作用を意味するのか、その点は明確ではない。主客合一という立場自体も後年の西田自身によって放棄されるようになるし、人間の根源罪悪と自由意志の問題も、『善の研究』においてはまだ突き詰められて考えられていたとは言えない。

しかしながら、『善の研究』宗教論本論の最後に引用されたオスカーワイルドの獄中記 De Profundis の言葉を引用した結びの言葉もまた、既成の如何なる宗教によっても倫理道徳によっても救済を見いだすことが出来なかった世紀末の詩人、社会から倫理的に糾弾され疎外されたワイルドの「深き淵」より語る聲への西田の共感を示すものであった。

「希臘人は人は己が過去を變ずることのできないものと考へた、神も過去を變ずる能はずといふ語もあった。併し基督は最も普通の罪人も之を能くし得ることを示した。例の放蕩息子が跪いて泣いたとき、かれはその過去の罪悪及び苦悩をば生涯に於いて最も美しく神聖なる時となしたのであるといって居る。ワイルドは罪の人であった、故に能く罪の本質を知ったのである。」

この言葉もまた、決定された過去が懺悔回心の瞬間に於いて、非因果的、非過程的に瞬時に変貌するという、時間論の根本的な問題を提起しているように思われる。しかしそういう哲学的問題は、『善の研究』では「實在はすなわち善であり」、「實在体系の矛盾衝突」より起こる悪は「實在発展の一要件である」という性善説的な立場によって片付けられており、その点に於いて「悪」の問題、魂の底からの懺悔が同時に賛美であるという宗教的経験のパラドックスが、さらに立ち入って論ぜられてはいないのである。

 

第二章 『自覚における直観と反省』―キリスト教的プラトン主義との内的対話の深化
―神現論(テオファニア)と創造論― 

2-1 宗教的経験の原事実に関する西田の鋭利なる直観が、それにふさわしい哲学的な反省と統合された自覚、ないしは内的生命のロゴスを求めていったプロセスとして、『自覚における直観と反省』以後の哲学的思惟を位置づけることができるであろう。その始まりを告げる『自覚における直観と反省』という書は、場所的ロゴスの誕生以前の西田の「悪戦苦闘のドキュメント」であり、そのかぎりではまだ中後期の西田独自の哲学を構築するには至らぬ過渡的な段階のものであった。

2-2 しかしながら、西田とキリスト教的プラトン主義との内的対話の進展という見地からすると、近代のドイツ理想主義の哲学の思想史的背景として地下水脈のごとく活きていたキリスト教的プラトン主義の伝統を、西田が『善の研究』のときよりも遙かに深いレベルで自己自身の哲学的思惟のうちに深く摂取しつつ、さらにそれを乗り越える論理を模索していた文書としてこのドキュメントを読み返すことができる。

2-3 とくにこの時期の西田にとって重要な意味を持つ思想家は、ディオニシュース・アレオパギテースとヨハンネス・エリューゲナである。前者は後者によって西方キリスト教会に知られるようになったわけであるから、ディオニシュースはアウグスチヌスと並んで、中世のキリスト教的プラトン主義の形成に多大の影響を与えた思想家と言っても良いであろう。とくに、エリューゲナについての西田の評価は極めて高く、彼からの引用は、アウグスチヌスについて多く、前期中期にとどまらず後期西田哲学においても繰り返し反復されている。

2-3 西田は『善の研究』では、前述したように「宇宙は神の所作物ではなく、神の表現 manifestationとみる」ことから「宇宙と神との関係は芸術家とその作品との如き関係ではなく、本体と現象との関係である」という汎神論の立場をとっていたが、「創造」というユダヤ・キリスト教的概念と「発出」というプロチヌスに由来するギリシャ的概念を「神現(テオファニア)」というキリスト教的プラトン主義の概念に統合したエリューゲナの影響のもとに、西田は「創造」ないし「創造作用」を自己の哲学の根源語の一つとして積極的に語るようになるのである。

2-4 『自覚における直観と反省』において、エリューゲナの『自然について』を参照しつつ西田は、「多くの紆余曲折の後」「知識以前の或者」に到達したと述べ、「カント学徒と共に知識の限界を認めざるを得ない」ことを認めた後で、ベルクソンの創造的進化の基礎に或る純粋持続の考え方をも批判しつつ、ディオニシュースとエリューゲナを引用して次のように言う。

ベルクソンの純粋持続の如きも、之を持続といふ時、既に相対の世界に堕して居る、繰り返すことができないといふのは、既に繰り返し得る可能性を含んでいる。真に創造的なる實在はディオニシュースやエリューゲナの考えのように一切であると共に、一切でないものでなければならぬ。ベルクソンも緊張の裏面に弛緩があると言って居るが、真の持続はエリューゲナの云った如く、動静の合一、即ち止まれる運動、動ける静止でなければならぬ(Ipse est motus et status, motus stabilis et status mobilis)。之を絶対の意志と云ふも、既にその當を失して居る、所謂説似一物即不中である。(全集Ⅱ-278)

『自覚における直観と反省』はフィヒテ的な自覚の立場を基礎とするものであったが、西田はこの立場にも限界を見いだし、エリュ―ゲナを引用しつつ「説きて一物に似たれども即ちあたらず」という南嶽懐譲禅師の禅語で結んでいる。いまだこの限界を突破する哲学のロゴスを発見するには至らず「刀折れ矢竭きて降を神秘の軍門に請うたという譏り」を甘受しつつも、神秘主義をさらに脱底する道を西田は模索していた。そして、新たなる哲学的な論理で、それを積極的に語る道を西田が歩み始めるためには、キリスト教的プラトニズムの霊性との内的対話こそが重要な契機となっていたと言えよう。

2-5 西田は、エリューゲナの『定命論(予定論)』を重要視し、認識の根柢に意志があるという立場から、「神に於いては何らの必然も何らの定命もない、定命 Praedestinatioは神の意志の決定に過ぎぬ」という彼の言葉に深い意味があることを認め、意志は「創造的無から来たって創造的無に還り去る」と云う考えに共感しつつ「斯く無より有を生ずる創造作用の點、絶対に直接にして何らの思議を入れない所、そこに絶対自由の意志がある、我々は此処において無限の實在に接することができる、即ち神の意志に接続することができるのである」と述べる。(全集Ⅱ-281)

2-6 エリューゲナを介して西田は「無からの創造」というキリスト教の根源的な考え方に賛同するようになるが、そこで云う「創造」とは工作者が、外部から事物を、素材なしに制作するというが如き擬工態的モデルにもとづくものではなく、我々の自由なる意志作用の根源に於いて働く「最も直接的なる創造作用」である。

2.7 エリューゲナの『自然について』における神現論は、後期哲学の哲学論文集でも繰り返し引用されるが、それもすべてエーグレッスス(egressus)すなわち「神から出る」ことと、レグレッスス(regressus)すなわち「神に還ること」という「神から神への往還運動」において創造を捉える文脈である。西田がこのように後期の著作に至るまで繰り返しエリューゲナのテキストを引用した理由の一つは、『自然について』における「無」にかんする独自の辯證法にあると言えよう。   

2-7 『自然について(ペリ・フュセオン)』第二部で、エリューゲナは、神は「無」であると断言すると同時に「神は一切である」ことを肯定しつつ、次の如く云う。

弟子:聖なる神学が無という言葉で(nomine quod est nihilum =無の名号で)表現しているものがなんであるか、先生に説明して頂きたいのです。

教師:その言葉で表現されているのは、人間の知性であれ、どのような知性にも知られない、神の善性の言い表しがたく、捉えがたく、近づき難い明るさだと私は思うのだが。というのも、それは超存在的(superessentialis)で超自然本性的(supernaturalis) であるから。それは、それ自体に於いて考えられる場合には存在していないし、存在しなかったし、存在しないであろう。というのもそれは、すべてのものを超越しているので、いかなるものにおいても考えられないからである。しかし、存在するものどもへのある言い表しがたい下降を通じて(per condescensionem) 、それが精神の目で見られる場合、ただそれだけが万物に於いて存在しているのが見出され、事実存在しているし、存在したし、存在するであろう。それゆえに、その卓越性の故に、それが捉えられないと理解されるかぎりに於いては、それは無と呼ばれるとしても當然のことであるが、しかし、それがその神現に現れ始める場合にはいわば、それは無からあるものに発出すると言われ、本来全ての存在を越えて居ると考えられているものが、すべての存在に於いてもまた独特な仕方で認識されるのである。[1]

ここで言う「無」は決して欠如としての無ではなく、単なる否定的な無でもない。それは、「すべての存在するものを超越している卓越性」と「超存在的で超自然的な本性に従って」「無」と呼ばれているのである。さらに、この「無」から「存在するもの」への神現の運動を、エリューゲナは「下降」と呼んでいるが、それは感性によっても理性によっても見ることの出来ぬ「無」が見ることのできる「有」へと現れることを意味しているのである。まさに「見えるもの」は「見えないものの形」なのである。そして、西洋の有-神論的な哲学や神学の伝統では例外的であろうが、エリューゲナは神を「絶対的な無」という名でも言い表している。

神の知恵は、自分が形成するために自分より上位の形相に向かうことがないので、無形といわれるのが正しいことである。実際それはすべての形相の無限の範型であり、それがさまざまな目に見えるものや目に見えないものの形相に下降するとき、それはあたかも自分の形成を振り返るように自分自身を振り返るのである。それゆえ万物を越えて居ると考えられる神の善性は、非存在、絶対的な無と言われるが、しかしそれは全宇宙の存在であり、実体であり、類であり、種であり、量であり、質であり、すべての被造物において、すべての被造物について、どんな種類の知性によっても考えられるすべてのものであるのだから、万物に於て存在するし、存在すると言われるのである。[2]

2-8 実体、類、種、量などアリストテレスなどアリストテレスが範疇としてあげたものは、帰するところは有のカテゴリーである。それらの概念枠を突破している究極の超越論的(transcendental)一般者を、エリューゲナは「絶対的無」という名号で示したのであるが、それは、「下降」即「上昇」という「神現」の運動に於て[3]、人間が感覚や知性でとらえることのできる「万物に於て存在するし、存在すると云われる」のである。

2-9 この考え方に西田が深く共感したのは、それが、彼が若き時より親炙していた東アジアの霊性的伝統、とくに「形あるものは、形なきもの形」であり、「色(形あるもの)と、それを形あるものたらしめている「空」が、そのまま「逆対応的に同一」であるという大乗仏教の根本思想、すなわち色即是空、空即是色というごとき交差配列語法(chiasmus)によって表現されるダイナミズムに通底するものであったからであろう。[4]

2.8 西田は、場所論的轉換を経た後の彼の中期の代表作である『一般者の自覺的体系』と『無の自覺的限定』のなかで「絶対無」を根源語とする哲学的な思索を展開するようになるが、それは下降の道即上昇の道というキリスト教的プラトン主義の考え方に沿ったものであった。[5]とくに、『無の自覺的限定』は、「絶対無」を神の名号とするエリューゲナのキリスト教的プラトン主義を手引きとしつつ、さらにアウグスチヌス、エックハルトのような他のキリスト教的プラトン主義の系譜に属する思想家、キルケゴールや西田と同時代のドイツの辯證法的神学者、およびマルチン・ブーバーのようなユダヤ教思想とも深く関わる議論を展開している。

 

第三章 『一般者の自覺的体系』と『無の自覺的限定』におけるキリスト教

 3.1 フランス現象学の現代的な傾向として、フッサールとハイデッガーの現象学の方法を徹底させることによって、それを更に一歩超え出て、キリスト教神学の根本的な問題を、現象学によって論じる一群の現象学者がいる。所謂「現象学の神学的転回」とよばれるものである。そのなかでも、とくにJ.L.マリオンは、フッサールの現象学的還元の「還元」を徹底させ、ハイデッガーの「存在」(Sein)への問いを更に根元化するものとして「贈与」の現象学を提唱している。それは、「存在は贈与として与えられる」という表現に含意される「贈与のはたらき」に注目した現象学である。[6] 彼の初期の主著のタイトルである「存在なき神(Dieu sans L’être)」とはまさしく、「存在をさえ超越した神」であって、ハイデッガーではまだ主題化されていた「存在」を更に「還元」し、贈与作用によって「存在」そのものが「与えられる」ことを現象学的に解明しようとしたものである。彼には「聖像と偶像」の違いを述べる興味深い論述もあり、活ける神に導く聖像によって無限なる神を礼拝する代わりに、死せる偶像を神の代わりに礼拝する偶像崇拝を批判している。この聖像と偶像との根本的な区別と共に、人間の理性によって捏造された神概念を立てる有・神論(Onto-theologie)の「神」を、まさしく思索に於ける偶像崇拝と断定し、そのような「形而上学」の神概念を脱存在化する興味深い議論を提供している。

3.2 ここでは、紙幅の都合上、現在も旺盛に現象学と神学との境界領域で思索しているマリオンについてこれ以上論じることは出来ないが、彼に半世紀以上もさきがけて、フッサールが『イデーン』を公刊し現象学の構想と理念を確立した時点で、現象学を根源的な宗教哲学へと転回させた西田の中期哲学の先駆性を指摘しておきたい。

3.3  西田によって宗教哲学へと転換された現象学は、さしあたっては「本来的自己の現象学」ないしは「己事究明の現象学」と言って良いであろう。現象学の方法の基本は、意識現象の志向的内在、ノエシスとノエマの区別、本質直観ならびに範疇的直観に基づく非感性的直観と、根源的な意識の意味付与作用にある。西田はこのような現象学の考え方とその方法を、彼の宗教哲学において場所論として転換したわけであるが、その基本は、意識の根柢に意志と内的生命を見る西田自身の根本的な考え方にある。

3.4 意識の現象学を、知情意の全てを統合する身体性に立脚した人格的存在と、そのような活きた個人の本来的自己がどこに立脚しているのかを、哲学的場所論によって究明すること、すなわち現象学で言う「超越論的自我」に身体性と事実性にもとづく具體性を恢復させ、いわば生活世界の「大地」にしっかりと立たせることが西田の方法の根本にあった。「意識一般」という普遍的立場は、西田にとっては生命を持たぬ抽象的な自我に過ぎないのであって、形相的なるものだけでなく質料的なるものをも含んだ「不合理性」を孕む原事実、そのような事実性に徹した個人が、そこにおいて生死している場所を究明する現象学が要求されたのである。

3.5 『一般者の自覺的体系』では、意識論が行為論(意志論)によって基礎づけられ、行為論が「内的生命論」によって基礎づけられるが、この内的生命が宗教的生命として位置づけられる。西田の第一義的関心は、概念によって探求される形而上学的「存在」をめぐる抽象論ではなく、また意識を絶対的存在としてそこにすべてを還元するフッサールの現象学の知性的立場に留まらずに、「存在」と「行為」以前の「内的生命」に宗教的生命を見る立場であった。

3.6 ここでいう内的生命とは、決して主観的なる思想感情に活きるということではない。西田は、真に内に生きるということは、「外を内となす」ことであると注意した後で、西次の如く内的生命を彼の哲学の中で位置づけている。

内的生命といふのは上に言った如く客観を離れて空虚なる主観に生きることではない。真の内的生命とは自己自身の底に深い非合理的なるものを見ることである客観の底に横たわる深い非合理的なるものを自己自身の内容となすことである。….

非合理なるものの底に神の霊光を見るのである。斯く行為の底に行為を超えたノエシス的限定というものが、私の所謂内的生命と考へるものである。(全集Ⅴ-414)

 

3.7 存在論よりも行為論を、そして行為論よりも生命論のほうをより根源的とみるのが西田の立場であるが、ここで「外を内となす」内的生命は、「自己に外的なるものを自己自身の運命として自己自身の深い内容と考へる」ものでもあった。このような立場からは「感覚的なるものも内的生命の質料として宗教的ならざるものはない」のである。

3.8 西田の宗教哲学はこのように「感覚的なるものにも内的生命の質料として宗教的なものを見いだす」ところにあり、単に「形相的なるもの」すなわち「理性的なるもの」だけに宗教的なるものを見るのではない。そしてこのような内的生命の底は非合理性を孕んで無限に暗いが、しかしそれは単なる暗黒ではなく「ディオニシュースの云ふ輝く暗黒」である。

3.6 このように外にある非合理なる事実を内へと転換する内的生命は、非合理的なるものの底に「神の霊光」を見るのであるが、ここでは、単なる理性の限界では語り得ない根源悪の問題、また感覚的世界に於て引き受けねばならぬ非合理な運命、その運命を引き受ける内的生命、その内的生命自体の暗い根柢、その根柢から「輝く闇」にとして顕現する「神現」というモチーフに注目したい。「宿業」ないし「宿命」というほかない非合理を自ら肯定的に引き受けて、それを「運命」として肯定することによって逆説的に宿命から自由となる根據は、西田の哲学的場所論では、「絶対無のノエシス的限定としての絶対愛」および「絶対無のノエマ的限定としての永遠の今」として位置づけられる。(『無の自覺的限定』序、全集Ⅵ-10)

3.7 「我々の行為を限定するものは単なる理性ではなく、イデアの底にはイデア的に自己自身を限定すると共に、イデア的限定をも否定するものがある」というのが西田哲学の生命論であり、それはやがて、西田がギリシャ哲学の主知主義の限界を超えて旧約聖書の世界と内的対話をする『場所的論理と宗教的世界観』の議論を先取りするものでもあった。非合理的なる歴史的事実を含みつつも、その「外なる非合理を内へ」と転換し、内的生命の底に神の霊光すなわち神現を見た新旧約聖書の記録された宗教的経験に哲学の側から肉薄すること、それが最晩年の西田哲学の主題の一つになるのである。

 

第4章 場所的辯證法の徹底―矛盾的自己同一の論理

 4.1エリューゲナは、西方教会に東方教会の霊性を導入した人であり、その意味でギリシャ正教とローマン・カトリックの霊性的伝統の大胆なる統合者であるが、ルター以後のプロテスタント、およびキルケゴールにはじまりバルトによって先鋭な形で表現された自然神学(哲学的な神学)否定のキリスト教とは、人間本性の堕落(原罪)以後の神認識の可能性については次の点で異なる観点をとっている。

 聖アウグスチヌスはこうのべている。「私たちがそれによって父自身を理解する精神と、私たちがそれを通して父を理解する真理の間には如何なる被造物も介在していない。」[7] 最も聖なる教父の言葉において私たちは、人間本性は原罪の後もその栄位を全くうしなったわけではなく、依然としてそれを保持していると理解すべきことを教えられる。…だから私たちの精神と神との間にはいかなる被造物も介在していないとすれば、私たちは無力さにあっても、神をまったく捨て去ったのではないし、神に見捨てられてしまったのでもないのである。魂や身體の宿痾の病のために、それによって私たちが神を理解するところの、またそこにおいて創造者の像が優れた形で造られたところの、精神の眼を失ってはいないのである。(P-Ⅱ-5-531)

エウリゲナはディオニシュース文書の翻訳以前に、当時問題とされていた神学的な二重予定説に反対する著作を書いている。その議論は高度に思弁的であり、かつ真の哲学は真の宗教であるという立場で書かれていたために、同時代の神学者には理解されなかった。時代に先駆けた彼の見解は、基本的には、人間の自由意志の「存在」は神の贈与として、決して無に帰するものではなく、ただその能力のみが毀損されているという立場である。そして悪というものは第一義的には存在しないのであるから、予知は虚無には関わらず(虚無を知ることはナンセンスである)、永劫処罰も予定されてはいない。神の選びと予定は救済の決定であって、罪を犯すものはそのこと自体が罰なのであって、神はさらに永劫の罰などは予定しない。悪人・罪人の未来における救済は未決定のまま据え置かれるのである。

万物が神に由来し神へ還るというコスモロジーをとる限り、救済されぬ例外的存在があると云うことは論理的に首尾一貫せず、そのかぎりで、悪行と永劫処罰への予定というものはありえないという立場(普遍的・宇宙論的救済)を説くことが、首尾一貫した帰結と云うべきであろう。

4.2人間本性は、如何に堕落したとしても、神を識別する人間の精神の目は毀損されずに存在するという考え方は、哲学とキリスト教との関係にかんするエウリゲナの考え方と深く結びついている。この目を持つとき、哲学は真の哲学となり、哲学を啓示された真理にむけて開眼させる力となるというエリューゲナの考えは、神の恩寵に基づく神人協働(シュネルギア)と神化(テオーシス)を重視する東方教会の正統的な考えとは全く齟齬をもたらさぬものであったが、西方教会では、その考え方は受容されなかった。アウグスチヌスの晩年の教えから、滅びへの予定をも強調する二重予定説を導出する考え方は、宗教改革の時代の神学者たち、とくに二重予定説を復活に対して、周知のようにバルトはブルンナーとの論争において、堕落後の人間が恩寵なしで神を認識する能力があることを否定し、自然神学を汎神論として全面的に切り捨てた。[8]バルトの自然神学批判は、徹底した超越的内在の立場であり、人間から神に至る道を否定し、神から人間に来る道のみを一方的に認めるものであった。

バルトの「超越的内在」の神学の議論は、その徹底性に於て、自由主義神学のみならず、彼に追随した辯證法的神学者をぬきんでていたラジカルなものであるということは西田は充分に認めていたに違いない。しかし、西田が言う「内在的超越」の立場は、バルトの如きキリスト論的集中にもとづく「超越的内在」の立場をも含んで成立するものとして構想されていたのではないか。

4.3 私は、そのような意味での萬有在神論の徹底こそが、西田の萬有在神論の特徴であると考える。それは、単に万物が神に於いてあるという考え方、世界を神の場所と考えるのではなく神を世界の場所と考える思想だけを指すのではない。そういう意味での萬有在神論といえども、が神と世界の区別を明確にした上で両者を関係づける点に於て優れた思想であり、無神論か、さもなくば無世界論になる傾向性をもつ汎神論を更に一歩進めた神学的立場であることは確かであるし、伝統的なユダヤ・キリスト教の有神論とも調和する思想として西田以外の多くの神学者・哲学者にも見られる思想であろう。

しかし、後期西田哲学の萬有在神論は、「矛盾的自己同一の論理」をもつことで、バルトの如き徹底した超越的内在の立場を超える方向性を示している点に於て独自のものであり、エリューゲナの如き萬有在神論をさらに徹底させた思想でもある。

4.4 バルトは『教会教義学』の救済論のもっとも重要な箇所、十字架上での贖罪死を選んだ「神の子の従順(Der Gehorsam des Sohnes Gottes)」を語るときに、イエス・キリストを「我々に代わって審かれたもうた者としての審判者(Der Richter als der an unserer Stelle Gerichtete)」と言表する。審判者が同時に審かれた者であるということは対象論理によって理解できる言説とは言えない。これは自己が自己自身を審くなどという道徳レベルの話ではない。十字架の死に至るまで従順であった神の子を審き、贖罪の子羊として犠牲に供させた父なる神が、子なる神と同一の神であるというのが正統信仰の基本である。このような同一性こそ、まさに矛盾的自己同一そのものではないか。

4-5 「我々に代わって」とは文字通りに訳せば「我々の場所に於いて」である。それは、十字架に附けられたイエスが、われわれ各人が今此処で生きている「場所」に於いて、隠れたる神として「神現」することではないか。

4-6 対象論理的にいえば、2000年という時の隔たりをもち、空間的にも遠く隔てられたゴルゴダの丘で、十字架の刑に処せられたイエスは、多くの異邦の民にとっては目立たぬローカルな年代記的な事件に過ぎぬであろう。しかし、イエスをキリストと信じて信仰告白をする者にとっては、その事件は、一人一人が今此処で死の深き淵より活かされて生きる実存の「場所」において生起する出来事となるのである。 そのとき、この出来事は、各人の場所に於ける「原始歴史」として、まさに新しき時の始まりとなる。そのとき、贖罪死の出来事は、まさに自己自身の事柄となるのである。

4.7 我々はキリスト者の信仰告白の中で、時に「キリストは私一人のために十字架で死んでくださった」という如き言葉を耳にする。これも対象論理的に考えれば理解不能な発言であり、人によっては傲慢な発言と思うであろうが、実際は全くその正反対である。

なぜかといえば、語り手は、「私の場所」に於いてキリストの贖罪死を受け入れたのであり、自己自身を地獄の業火に焼かれること必定の反逆者に他ならなかったことを心の底から自覚したのである。そうであればこそ、「義人」のためではなく、極悪非道の罪を現に犯した私、キリストを誹謗しキリストに反逆した私のためにこそ、キリストは死んでくださったという意味がそこになければならないであろう。

4.8 「キリストと共に十字架上で死に、キリストと共に復活する」という贖罪死の古き教義における「共に」を「キリストに於いて」という場所論的な言語で言い換えるならば、キリストは「私の場所において(私に代わって)死に」「私はキリスト於いて復活する」ということが可能であろう。この逆対応的な場所の論理は、キリストや私を実体的な人格として捉える限りでは、法的な贖罪論―そこでは身代わりとなった人と、助けられた人は、あくまでも別人で有る―の域を出ることはなく、キリストと共に死に、キリストと共に甦るというパウロのような言葉は出てこないであろう。

4.6 バルト自身も教義学の「救済論」のなかで「イエスキリストに於ける人間の存在(Das Sein des Menschen in Jesus Christus)」を語る。「人間の存在の場所」であるキリストに於て語ることは、新約聖書の多数のテキストが証しすることである。

4.7 このような場所論に基づく神学的思惟をもっとも端的に表現しているものは、時代は中世と近代の境界にまで遡るが、エウリゲナと同じく東方教会の霊性の影響を強く受けたニコラス・クザーヌスの萬有在神論において先取りされていたと言っても良かろう。クザーヌスは、かつて公現節の説教で「イエスは今どこに居ますか(Ubi est Jesus?)」という問いかけに対して、「イエスこそが場所である(Ubi est Jesus.)」と答えたが、これこそが対象論理的な「場所」への問にたいして、場所的論理の「場所」をもって答えたと言えるのではないか[9]

 



[1] Johannis Scoti Eriugenae Periphyseon, edited with English translation by P. Scheldon-Williams, Ⅲ Dublin 1981;pp.681-182

[2] 邦訳は、中世思想原典集成第6巻、カロリング・ルネッサンス(上智大学中世思想研究所編)平凡社、2002 所収、ペリフュセオンの今義博訳(同書第19章573頁参照)に基本的にしたがったが、今氏が言葉と訳されたnomen を私は「名号」と訳したい。

[3] エリューゲナが新プラトン主義の元来の用語である「発出」と「帰還」という表現ではなく下降と上昇という表現を用いた理由は、「絶対無」が「欠如的な無(質料)」とはちがう卓越性による「無」であることを示すためであろう。この往還の運動は、時間的な因果的プロセスを必要とする物質の運動ではなく、往還同時的なる魂の運動であることに注意したい。

[4] 実際、西田は「一般者の自覺的限定」の總説において、彼の云う「絶対無の自覚」を仏教的な用語で、「色即是空、空即是色の宗教的体験」と説明している。(全集Ⅴ-451)

[5] エリューゲナは、神現でいう神の下降を基督の謙遜に結びつけて次のように云う。

神現は神以外のものから惹きおこされるのではなく、神の御言葉、つまり父の知恵である独り子が、いわば下の方へ、御言葉によって造られ浄められた人間本性のほうへと謙遜すること、上の方へは先に語り出されている御言葉の方へ、神の愛を通して人間本性が向上することから生じるのである。ここで私が謙遜と云っているのは、すでに受肉によって成されたことではなく、被造物のテオーシス、つまり神化によって起こることである。つまり恩恵による人間本性への神の知恵のそういう謙遜と、選びによる神の知恵へのその同じ本性の向上から神現は生じるのである。(P-Ⅰ-9-449)

[6] ここでは詳論する余裕がないが、エリューゲナは贈与(dationes)と恵与(donationes)を区別して次のように云っている。

贈与というのは、本来それによってすべての自然本性が存在するところの分配であり、またそのようにいわれている。他方、恵与というのは、それによって存在しているすべての自然本性が引き立てられるところの恩恵の分配である。このことから、すべての存在は贈り物(datum)と呼ばれ、すべての力が賜物(donum)と呼ばれることとなる。それゆえ神学は、「善い贈り物と完全な賜物とは、皆、上から、光の父から下ってくる」(ヤコブ1-17)というのである。(P-Ⅲ-3-632)

[7] Augustinus, De vera religione 55,113

[8] 「自己が自己において自己を見る」自覚を深めていく『一般者の自覺的体系』は「本来の自己の現象学」で有り、仏教的な用語を使うならば聖道門の竪出ないし竪超の立場と言って良かろう。これに対し、『無の自覺的限定』において「絶対の他」を語る文脈は、弁証法神学の他者論を西田の立場から論じたものであり、仏教的な用語を使えば本願他力による横超の立場の哲学的解明に繋がるものである。西田はこの二つの道を共に「場所の論理」で論じるのであるが、その具体的な展開は、辯證法的なる歴史的世界を主題とする哲学論文集の創造作用論を挟んで、最晩年の「場所的論理と宗教的世界観」において再び取り上げられたと見て良い。

 

[9] Josef Koch, Cusanus Texte: I, Predigten 2/5, In die Epiphaniae, Brixinac, 1456, pp.84-117

[10] Karl Barth, Die Kirchliche Dogmatik, Die Lehre von Gott, II,2 §§32-33, Gottes Gnadenwahl, I, 1942, Theologische Verlag Zürich, Teilband 10, 1988, S.101

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無の場と創造性―歴程の自然学

2007-05-01 | 哲学 Philosophy

はじめに 

 「天地は万物の逆旅にして光陰は百代の過客なり」とは人口に膾炙した古人の詩句であるが、もし天地を宇宙(コスモス)の意味に取るならば、現代の物理学は、宇宙そのものもまた永遠なるものではなく旅人であるという認識に達したように見える。天と地の挟間にあって束の間の生をうけた個々の人間のみならず、乾坤も、行き交う年もまた旅人に他ならない。 

 西欧中世においては、万物はその被造性のゆえに永遠なるものを本性的に必要とすることが教えられ、この世界の偶然性(contingentia mundi)の自覺こそがキリスト教信仰への道の一つであった。我々のすまう世界が根源的に歴史に貫かれており、宇宙そのものが決して永遠不変のものではないこと、存在するために自己以外の何ものをも必要としないような必然的な存在では有り得ないということ――この根源的な事実の有つ意味を問うことは形而上学の現在を問うことに他ならない。

 なぜそのように問うことが形而上学の問題であるのか? 形而上学とは、普遍妥当的かつ必然的なる事実の探求ではないのか。そうであるならば、アポステリオリなる経験科学が形而上学に対して考察すべき問題を提示することがどうしてできようか、とも問われよう。しかし、形而上学とは、その源流に位置するアリストテレスにあっては、まさしく、自然学を前提し、自然によって存在するものからの内在的なる超越の道を辿るアポステリオリな道であり、それは、感性的なる経験世界から離れて有るイデア的なる叡知的世界から天下り的に論じるアプリオリな道ではなかったことを想起すべきであろう。

 西欧の哲学はプラトンの脚注である、と喝破し、自己の「有機体の哲学」を20世紀のプラトン哲学として位置づけたホワイトヘッドは、同時に、アリストテレスの『形而上学』の後継者でもあった。彼は、ピュシス(自然=實在)の探求を通じてて形而上学を構想したアリストテレスの顰みに倣い、自然神学を主題とするギフォード講義で「過程と実在」を論じたのであった。自然を探求するアリストテレスの道を再び辿ることによって、はじめて、20世紀のプラトニストたり得るのである。

 もっとも、プラトンやアリストテレスにおける西欧形而上学の濫觴以後二千年以上の時が経過しており、その間に蓄積された人類の経験は、現在の哲学者に、彼等の形而上学的営為を単純に反復することを許さないのは当然であろう。

十七世紀の西欧に起きた科学革命は、アリストテレスの自然学の批判をきっかけとしておきたものであり、近代自然科學の哲学的な基礎付けという課題は、同時に形而上学の思弁的認識の断念をともなうべきであるというカント主義の認識批判、実証主義者、分析哲学の立場からの言語批判等を踏まえなければ、およそ現代に於いて形而上学を云々する資格はないであろう。

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無の場と創造性ー歴程の自然学 2

2007-04-24 | 哲学 Philosophy

私は、「過程」の哲学ではなく、「歴程」の哲学という概念によって、ホワイトヘッドがその主著Process and Realityで展開したコスモロジーを批判的に継承することを心がけている。なぜ、「歴程」という語を使うか。

 それは、ホワイトヘッドの哲学的コスモロジーの要諦は、米国の process theologian のいうprocess の概念によっても、またホワイトヘッド自身のいう「有機体の哲学」という概念によっても十分に良く表現されないと考えるからである。

たとえば、「有機体の哲学」という言葉では、個的なる実存の主体性・自律性・独立性というものが表現されず、常に個的実存が全体に従属するカテゴリーとなるという含意がある。しかし、ホワイトヘッドの云う活動的存在(actual entity)は、自己創造的であり、自己原因的である。すなわち、活動的存在は個的実存であり、真の意味で実在する物(res vera)なのであるから、決して「世界」を構成する一要素にすぎない個物(individual)ではない。活動的存在は個的な実存として世界をうちに含むことによって世界と自己自身をその都度超越する存在なのである。

Process theology でいうところのprocess の概念を、ホワイトヘッドの Process and Reality の原点にたちかえってもういちど批判的に吟味し、継承すべき優れた洞察が何であり、批判すべき点はなんであるかを再考する必要があろう。

「歴程」という語を私が使用する理由は、それが単なるコスモロジーだけではなく、我々の実存的な歴史をも表現することが出来るからである。いや、むしろ話は逆であって、個的実存を本質的に特徴づける歴史性が、人間のみならず、人間がそこにおいて存在する世界、そして諸々の世界の総体に他ならぬ宇宙そのもののもつ本質的な特性であるというべきかもしれない。コスモロジーと個的実存の思索の双方を射程に収め得る概念として、私は「歴程の哲学」という用語を使用したのである。

「歴程」には、日本語ではさらに別の含意がある。それは戦前と戦後を通じて日本の現代詩をになってきた詩誌の名前でもあった。草野心平、中原中也、高橋新吉、逸見猶吉等が昭和10年に刊行したこの詩誌は、イデオロギーの拘束抜きで、個々の詩人の個性を重んじた詩的サークルを形成し、現在に至っている。そこで「歴程」ということばは、なによりも個々の人が経過した人生の軌跡、個人史を表すものであり、それぞれの詩人の実存の歴史にほかならない。

  「過程」という日本語には、「歴程」とは違って、そのような個的実存の歴史を表すという含意がない。また、「過程」には、過ぎゆくもの、途上にあるものという意味が強すぎて、その都度完結し、作品として結実する生の航跡という意味が表されない。つまり「過程」は、その過程によって生み出された「作品」も、また「過程」において自己形成する作者自身を表現することが出来ないのである。

ホワイトヘッドがProcess という言葉を使うとき、それは、単に「途上にある」もの、「初めと終わりの中間」にある「過ぎゆくもの」を表しているのではない。Process は、實は、自己を形成し、創造し、自己の作品のなかにその都度、自己の存在の航跡を表現していく我々自身の生の歩みを一般化した語なのである。 我々は、みな、自己の生に於いては、脚本家であり、演出家であり、主役なのである。各人は、自己の歴程の主人公であるが、その主人公自身が、歴程において、他者と出会い、他者の世界を自己の世界へと内面化しつつ(抱握しつつ)、自らを他者に対して作品として与える存在なのである。そういう自己創造のプロセスとその成果を現すのに「歴程」という日本語が最も相応しいのではないだろうか。

我々の世界の根柢を「ポイエーシスの世界」と呼び、作られたものから作るものへと動いていく創造的世界と捉えたのは西田幾多郎であるが、ホワイトヘッドの歴程の哲学の趣旨も、まさしく創造的世界の創造的要素である活動的存在にほかならない。 それでは、かかるポイエーシス世界の構造は、のようにして哲学的に表現されるのか。単に藝術作品の創造という意味での狭い意味でのポイエーシスにとどまらず、実践(プラクシス)も理論(テオーリア)もすべて、そこにおいて表現されるべきポイエーシスの世界とは如何なるものであるのか-これが歴程の哲学の主題である。

ホワイトヘッド哲学の重要性を最初に認識した日本の哲学者は田辺元である。 ドイツでの在外研究中にハイデッガーの講義を聴講し、解釈学的現象学の新しい転回に直接触れた田辺は、帰国後、ハイデッガーと恩師西田幾多郎の双方の哲学の批判的継承を目指して、「種の論理と世界図式」等の一連の論文を発表している。 田辺がホワイトヘッドを引用しているのは「図式時間から図式世界へ」という論文(1932)であるが、そこでは図式論を機軸としてカント哲学の存在論的解釈を遂行したハイデッガー(『カントと形而上学の問題』1929)を批判しつつ、時空の統一体としての「世界」概念を機軸にした図式論の再解釈を提案している。田辺のいう<図式世界>は、当時の新しい物理学=相対性理論における時空概念の統一と複数の時間系の存在をふまえている点に於いて、『過程と実在』の<思弁的図式>の議論と照応していることに注意したい。即ち、一方に於いて西田哲学に於ける場所論の持つ「空間性」、他方においてハイデッガー哲学に於ける現存在分析の中核を為す「図式時間」、この両者を統合すべき、<図式世界>を具体的に転回することが田辺の狙いであった。それは、ニュートン的な唯一絶対の時間を哲学的に一般化したカントの時間論に代わるものとして、多元的な相対時間(multiple time-system)とそれらの相関を主題とするアインシュタイン・ミンコフスキーの「世界=時空」概念を哲学的に一般化することを意図していた。

不幸にして、田辺の世界図式論は、世界大戦を契機とする田辺の哲学的挫折ないし中断という事情のために、その後の田辺自身の哲学においては十分に展開されることはなかったが、彼の<世界図式>論に於ける議論は、ホワイトヘッドの『過程と実在』における範疇的図式の目指すものと一致していた。

ホワイトヘッドの哲学は、カントの逆転―即ち、カントが認識の次元で遂行した「コペルニクス的転回」を、一般的な形而上学として再度「転回」することを意図していた。すなわち、如何にして主観から世界が構成されるか、という問題だけにとどまらず、如何にして世界から主観が発現するかをも問題としていた。そのような「存在論への転回」こそ、新カント派の認識論を越えて、解釈学的現象学の立場で実存論的範疇論を語るハイデッガー、「場所」の立場によって、認識論から形而上学へ踏み込んだ西田幾多郎、アインシュタイン・ミンコフスキーの多元的時間論と時空<世界>を哲学的に一般化し、生成論と場所論の統合を目指したホワイトヘッドと田辺に共通する問題状況であった。

「過程と実在」を読む場合に、そこで「範疇」によって意味されることを理解するためには、次の事に注意しなければならない。即ち、ホワイトヘッド哲学の文脈で云う「範疇」とは、悟性に内在する形式でもなければ、超越論的な自我の自己定立から演繹されるものでもない。それは、主客対立以前の経験の具體相の一般的記述であり、構想力(imaginative construction)の働きによって遂行される経験の自己解釈の枠組みなのである。

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無の場と創造性-歴程の自然学 3

2007-04-23 | 哲学 Philosophy

1.究極の範疇としての「創造性 creativity」について

 「創造性」は、歴程哲学では、究極の範疇、即ち、それが究極の普遍(the universal of universals)と言われている。「創造性」を単独にとりだして主語化して、それについて語ることが出来ないと云う意味である。更に、「創造性」は「一」と「多」と並んで、究極的なるものの範疇と呼ばれている。 説明範疇22は活動的存在の自己―創造(self-creation)のプロセスを語る。即ち、活動的存在は「自らの自己同一性を失うことなく、自己自身に関して機能することによって、自己-形成において多様な役割を演じる。」「それは自己創造的であり、その創造のプロセスにおいて、その役割の多様性を一つの整合的な役割へと変換する。」(PR25)

ここで語られているのは、主体が自己に対して「機能functioning」し、自己形成していくプロセスに於ける<創造性>である。それは、あらかじめ主体の中に組み込まれていたプログラムが機械的に自己展開していくことではない。創造とは、主体が既在の自己(=主体の過去の履歴)の基盤の上にたって、既在の他者をうちに抱握しつつ、自己を形成する過程である。従って、このような創造的プロセスにおいては、自己-同一性(self-identity)と自己―多様性(self-diversity)の双方が意味を持っている。自己同一性は、他者を、その他性を解消せずに自己のうちに含むことによって成立する。言い換えれば、「無からの創造」ではなく、既在の自己と他者とを媒介とする自己-創造が、<創造性>の語られる文脈である。

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無の場と創造性 ー歴程の自然学 4

2007-04-22 | 哲学 Philosophy

2.<活動的(=現実的)存在actual entity>について

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これはホワイトヘッドの云う「存在の範疇」の中核を為すものである。どの要はタイプの存在に語る場合でも、そこには何らかの形で<活動的存在>が含まれていなければならない。"actual"という形容詞は、この基底的な存在が原子のような死せる物質ではなくて、「活動的(=現実的)存在」であること、アリストテレス的な意味での「エネルゲイア(活動態)」にあることを示している。 

 活動態(現実態=actuality)という語も、(actualitiesのように)名詞化されて使用されるが、それは、個々の活動的存在だけでなくて、それらの結合体をも含む広い意味で使われる。

<活動的存在>の範例は、我々人間の誰もが、その都度それであるところの経験の一つ一つの具体的な生起(occasion)である(PR18)。活動的生起(actual occasion)という語も、このような経験の出来事性を強調するときには使用される。

全ての存在を要素的な原子の機械的運動に還元する唯物論とは異なり、有機体の哲学では、もっとも高度に組織化された有機体である人間存在(ホワイトヘッドの用語では、人格的秩序によって結合された活動的生起の結合体)の相互の関わりが、範例となり、それを他の諸存在の領域に一般化する。複雑なシステムから出発して、その諸機能を捨象することによって単純なシステムを考察するというかたちで物事を説明する。それゆえに、ホワイトヘッドが<経験>と云うときには、それは意識を前提しない活動的諸存在の「具体的な被関係性の事実concrete facts of relatedness」において考察される。それは、<抱握prehennsion>と術語化される。

 

<抱握>という語は『科学と近代世界』では、「非認識的な把握(uncognitive apprehension)」という意味で使われた。一つの活動的存在は、さまざまな範疇の存在に関係付けられている。 すなわち、他の諸々の活動的存在、永遠的客体、結合体、命題、多岐性、対比など、およそ「ある」と呼びうるすべての存在は、一つの活動的存在の成立に際して具体的で確定した関係を持っている。この具体的な関係性の事実を表す最も一般的な用語が<抱握>である。ちなみにOxford English Dictionary は "prehension" の十六の用例を挙げているが、そのうちの七例はホワイトヘッド自身か彼の哲学に言及した用例で、この語が現在ではテクニカル・タームとして用いられることを示している。 日本語の「抱握」は、『科学と近代世界』(上田泰治・村上至孝訳)以来、定訳として使われている感があるので本稿もそれに従った。「抱」という語は、一つの活動的存在が、そのなかに全世界を含むというニュアンスを出すためにつけられたようである。

 

しかしながら、抱握は決して他者の他性を解消しないこと、とくに他者自身の<現成>の自由を拘束することは出来ないことに注意しなければならない。自己と他者は、過去―現在―未来という座標時間の分類においては、共時的(contemporary)であり、現在過去未来を共有しているが、その「生成論的分析」においては「因果的に独立」な自己決定のプロセス(固有時間)において記述される。即ち、「共時的なものは因果的に独立である」。

 

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無の場と創造性-歴程の自然学 5

2007-04-21 | 哲学 Philosophy

原子論と違って、活動的存在は、複合的であることによって要素的となること、即ち、世界を内に含む複合体であることによって、世界を構成する要素となるという古本的な性格を持っている。この二重の性格は、活動的存在の<現成concrescence>という概念によって説明される。(補注参照)

 

「活動的存在を最も具体的な要素に分析すると、それが諸々の抱握の現成(concrescence)であることが明らかになる。そしてこの抱握は、生成の過程において始まる」(PR23)。「あらゆる抱握は三つの要素からなっている。(a)抱握しつつある「主体」、すなわち、その抱握が具体的要素となっている活動的存在。(b)抱握される「与件」。(c)どのようにしてその主体がその与件を抱握するのかという「主体的形式」(PR23)。複数のさまざまな種類の抱握が活動的存在の具現において統合される過程を記述することが、『過程と実在』第三部の「抱握の理論」の主題である。

抱握の与件が他の活動的諸存在を含む場合は「物理的抱握(physical prehension)」、与件が永遠的客体を含む場合は、「観念的抱握(conceptual prehension)」と呼ばれる。さらに、与件がただ一つか複合的かによって「単純(simple)」または「複合(complex)」という形容詞がつく。物理的抱握と観念的抱握の双方を、「純粋な(pure)」抱握と言う。「不純な(impure)」抱握は、より後の現成の相において、二つの純粋なタイプの抱握を統合する抱握である。「混成的抱握」は、「他の主体に属している観念的抱握あるいは「不純な」抱握を、ある主体が抱握するそういった抱握である」(PR107)意識、情緒、好み、忌避、目的などは複合的な抱握の主体的形式である。 与件が永遠的客体であるとき、その抱握の主体形式は、特に「価値付け(valuation)」と呼ばれる。

  抱握は宇宙のあらゆる存在と関係を持つといったが、一つの活動的存在の内的構成に寄与する場合は「肯定的な抱握(positive prehension)」とよばれ、内的構成から排除される場合は「否定的な抱握(negative prehension)」と呼ばれる。「肯定的抱握」は、「感受(feeling)」と同義的に使われる。主体の統一性のゆえに、「原始的与件(initial data)」 の全体を肯定的に抱握(感受)することはできない。否定的抱握によって排除された残り、活動的存在の内的構成へと取り込まれた与件が、「客体的与件(objective data)」である。

否定的抱握の概念は、<活動的存在>が具体化する場合に、いかなる可能性を排除するかと云うことが決定的に重要な意味を持つことを示しているが、それだけでなく、それがいかなる主体形式のもとで世界を統合するかを決定する。統合の様式(modes of synthesis)は、ホワイトヘッドの哲学的範疇においては、<対比contrast>であり、相矛盾する経験の諸契機を内的に統合することによって経験に深みdepthと内的充実度を与えるものである。

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無の場と創造性ー歴程の自然学 6

2007-04-20 | 哲学 Philosophy

3.再定式化された主体主義の原理 (the reformed subjectivist principle)

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 主体主義の原理とは、「全宇宙は主体の経験の分析のうちに露にされる要素から成っている」ということを述べる。この原理を再定式化するという意味は、それを認識論の地平ではなく、存在論の文脈で定式化し直すと言うことである。言い換えるならば、主体の活動を唯物論者が考えているような物質の運動としてではなく、世界のすべての要素を抱握する働きとしてとらえるということ、世界の連帯性のうちにおいて、主体の働きを考えるということである。活動を欠いた空虚な現実態vacuous actualityという概念をホワイトヘッドが退ける理由もそこにある。 

  ホワイトヘッド自身が使った用語ではないが、汎主体主義pan-subjectivismという語がプロセス哲学の特徴をよく表すものとして用いられる。我々が出会うすべての具体的事物を、単に客体としてではなく、同時に主体として捉えると言うことをそれは意味している。即ち、主体は唯一無比のものとしてではなく、初めから、他者との連関性、連帯性のもとに把握されているのである。現実にあるものは、それ自身において考察されるときは、すべて主体であり、他者の観点から見れば客体である。そして、主体から客体への、客体から主体へのダイナミックな移行がまさしくホワイトヘッドがプロセス(過程)と呼んだものの内実を為している。

主体の複数性と言うことは、多元主義pluralismの基礎である。主体が実体として定立されているところでは、複数の実体の交流と言うことに論理的な難点が存するということはライプニッツが夙に指摘したところであった。論理的な首尾一貫性を尊んだスピノザは、唯一の実体とその様態だけを考えた。プロセス哲学においては、一つの主体の成立に、他の諸々の主体が本質的な関わりを持つ。窓なきモナドが予定調和によって他の諸々のモナドを映し出すのではなく、他のモナドを映し出す-あるいはプロセス哲学の用語に従って言えば、他のモナドを抱握(prehend)する-ことによって、新しいモナドが成立するのである。そして、この新たに成立したモナドは、その内に、現実的世界(actual world)のすべてを含んでおり、現実的世界を統一すると共に、新しい要因を付加するのである。このプロセスは不可逆であり、次に生成する活動的存在は、この新しい要因を前提して、自らの立脚点から新たに現実的世界を統合しなければならない。現実的世界という語は、ここでは、一つの活動的存在(actual entity)と相関的に言われており、それぞれの活動的存在が自らの遠近法によって、統合した世界を指している。この統合の働きによって、離散的な多者が具体化され、新たな統一性が獲得される。

唯物論的な世界観においては、このような統合の働きは存しない。物質は、他の物質を抱握する事はなく、単にあるときにある場所に位置を占めるのみである。この世界では、知覚し行為する主体というものは、意味を失い、一定の法則に従って運動する物質の集合体があるのみである。そのような物質の概念は、空虚な現実態(vacuous actuality)に他ならず、抽象を現実と置き換える虚偽(the fallacy of misplaced concreteness)の典型なのである。主体主義の立場に立脚する観念論の側についてみても、主体は依然として、主語―述語の範疇の中で考察されており、異なる主体相互の交流ということが考えられなくなっている。ホワイトヘッドは唯物論から有機体論への流れを次のように要約している。(PR309)

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コスモスと実存 主体主義の原理の再定式化(2)

2007-04-19 | 哲学 Philosophy

物理学に適用されたデカルト的主体主義は、単に外的関係をもった個体的に存在する物体というニュートンの仮説になった。われわれは、デカルトが物体の第一の属性として記述したものは、実際は、現実的諸生起間の且つ現実的諸生起内の、内的関係性の形式であると考えることによって、デカルトと分かれるのである。こうした思想の変化は、物理学の基底的な思想としての、唯物論から有機体論への転換である。

 単なる外的関係を持つ実体としての物質の概念は、ホワイトヘッドが「空虚な現実性」と呼んだものに該当している。「空虚な現実性」とは、「主体的直接性(subjective immediacy)を欠いた真なる事物(res vera)」(PR29 という概念を意味している。このような空虚な現実性を否定することは、有機体の哲学にとって本質的である。(PR29) 現実的なものは、すべて、主体にとって、直接に与えられるということは、近代の主体主義においては、独我論に直結する危険性をもっている。他我や外界の存在は、主体としての自我に内属する所与からの構成としてしか位置づけられないからである。主体が実体的なもの、主語的なものとして捉えられる限り、複数の活動的存在が主体として並存するという事態は哲学的な隘路となる。

  独我論の隘路から抜け出せない近代哲学の主体主義と違って、ホワイトヘッドのいう「再定式された」主体主義は、主体を実体ではなくて、出来事ないし生起(occasion)として捉える。より厳密に表現するならば、主体とは、現実的な経験の生起(actual occasion)のただ中において目指される(aimed at)ものなのである。最初に独立した主体がものとしてあって、それが様々な経験をするというのではなく、経験の生起という出来事の中で、主体が形作られるのである。ホワイトヘッドが現実性と呼ぶ多くの事物は、相互に連帯しており、一つの活動的存在の成立にとって、他の諸々の活動的存在が内的に連関するということ、を肯定することなのである。

知覚に客体化された所与が露呈しているということは、それらが所与になっている直接的経験と共通性community をもっていること、として知られていることである。この「共通性」は、相互含意を包含している共通の活動性という共通性である。この前提は、有機体の哲学においては、始原的事実として主張されている(PR80) 。それはわれわれの生命の組織体のどの細部にも暗々裡に仮定されている始原的事実としてである。

主体そのものが、経験の生起において形成されるということは、我々が日常に前提している個人的な人格の同一性、物体の存続性など過去との連続性、未来に向けての革新性(novelty)が、改めて、「出来事的世界観」のなかで問題となるということを意味している。その都度の経験の生起において、過去の現実性が継承され、再活性化(re-enact)される仕方を記述しなければならない。プロセス哲学においては、これは、特に、生成論的分析(genetic analysis)と呼ばれ、『過程と実在』第三部の中心的な主題となっている。その際、中心的な役割を果たすのが、ホワイトヘッドが「相依性の原理」と呼ぶものである。この原理は、物理学の相対性原理 (the principle of relativity) と原語では同じ術語であるので、混同を避けるために「相依性の原理」と訳すことにした。物理学では、the principle of relativity (相対性の原理) は、あらゆる基準系が原理的に対等であって、絶対的な基準系が存在しないという特殊な意味をもっているが、形而上学の書物である『過程と実在』では、the principle of relativity(相依性の原理)は、ありとあらゆる「有」に適合するもっとも普遍的な原理として立てられているからである。

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コスモスと実存 ー相依性の原理 (1)

2007-04-18 | 哲学 Philosophy

4.相依性の原理 (the principle of relativity)

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  アメリカのプロセス神学者で、仏教徒の宗教的対話に積極的に参加しているジョン・カブは、相依性の原理に従って現成する現実的生起を、仏教の中心的概念である縁起(pratitya-samutpada=依存的生起)と空性(sunyata)の概念になぞらえている。ホワイトヘッド自身も、『過程と実在』の中で、「有機体の哲学は、西アジアやヨーロッパの思想よりも、インドや中国の思想のもつ体質に一層近いように思える。一方は、過程を究極的たらしめるが、他方は、事実を究極的なものにしているのである」(PR7)と述べていることからもわかるように、このような親近性は意識していたように見える。仏教的な縁起説との比較は、それ自身興味ある主題であるが、ここでは、ホワイトヘッド自身の文脈に即して、「相依性の原理」とは何であるかを検討しなければならない。

この原理は、まず最初に、主語述語、実体属性という用語で語られるアリストテレスの形而上学の枠組みを批判するものとして提示されている。事柄の重要性に鑑み、ホワイトヘッドがこの原理を説明している箇所を引用してみよう。(PR50)

「普遍的相依性」universal relativity の原理は、「実体は主体のうちにない」というアリストテレスの格言を否認する。その原理に従えば、これとは反対に、活動的存在は他の活動的存在のうちにある。事実、われわれが関連の度合を、また無視しうる関連を、斟酌するならば、あらゆる活動的存在は、あらゆる他の活動的存在のうちにある、といわなければならない。有機体の哲学は、「他の存在のうちにある」という概念を明晰にするという課題に主にあてられているのである。この文句は、ここではアリストテレスから借用したが、それは幸運な文句ではないのであって、以下の議論では、「客体化」という用語にとって代わられるだろう。このアリストテレスの文句は、一つの活動的存在が他のものに単に付加される、という生硬な概念を示唆している。これは、有機体の哲学が意味していることではないのである。永遠的客体の一つの役割は、それらが、或る一つの活動的存在がどのように他の現実的諸存在との綜合によって構成されているか、またその活動的存在が、最初の与えられた相から、その個体的な享受や欲求を含むそれ自身の個体的な現実的な存在へとどのように発展するか、を表現している要素である、ということである。活動的存在とは、それが宇宙のそうした特殊な現成であるが故に、具体的なのである。

 アリストテレスの哲学においては、第一義的な実体とは、主語となって述語とならぬものであり、より詳細に定式化すれば、「いかなる主体のなかにもなく」かつ「いかなる主体についても語られない」ものであった。そこにおいては、実体の範疇が関係の範疇に対して優先している。相依性の原理は、そのような意味での「実体」は、我々の経験のもっとも根源的なレベルにおいては存在しないことを述べている。そして、この「他の存在の内にある」ということの意味の解明が『過程と実在』の中心的な主題の一つであるというのである。

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コスモスと実存 相依性の原理(2)

2007-04-17 | 哲学 Philosophy

ホワイトヘッドが「相依性の原理」を提示するときに、事物の相互内在だけでなくて、生成が存在に優越すること、「生起」とが「存続するもの (enduring object)」に優先することを述べていうことに注意しなければならない。言い換えれば、存続する事物の相互内在は、もっとも基底的なレベルでの諸生起の関係を前提している。二つの生起の間には、() 一方が他方に因果的に内在するか、あるいは ()その逆か、() 相互に因果的に独立であるか、の三つの内のどれか一つ成立しない。この第三の選択肢が成立するとき、二つの出来事は、共時的 (contemporary) であるという。言い換えれば、それぞれの生起が、共時的な諸生起とは独立に決断を下しうるということ、それにも関わらず、その決断は、諸生起の連鎖に他ならぬ「存続する事物」の未来に影響を与えるということが、事物の相互内在の意味なのである。これは、次のような図によって示すことができよう。

 

左図は、二つの「存続する事物」ABの相互内在の関係を表現したものである。事物Aは生起A1, A2, A3,...の連鎖(nexus)であり、事物Bは生起B1, B2, B3,...の連鎖である。A1B1A2B2A3B3...は相互に因果的に独立であり、それぞれが、自立的な主体として、独自のパースペクティブの元に世界を抱握する。A1が因果的に内在するのはB2より後のBの諸生起であり、同様に、B1が因果的に内在するのは、A2より後のAの諸生起である。従って、時間を捨象して、事物が相互内在するということは、全く意味がなく、過去から未来へのベクトル的な方向性が、因果的内在の基本的な様式を決定しているのである。共時的なものの因果的独立性という事は、それぞれの事物の未来は、自己自身の決定だけではなくて、自己と共時的な他者の決定にも依存してるということを含意している。各瞬間瞬間において、Aは生起としては完結した自律性を持つが、継時的には自己のあずかり知らぬ他者の決定の影響に常にさらされているということを意味している。従って、この図式によって理解される事物の相互内在は、世界の創造的前進のただ中において考察されねばならないのである。

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コスモスと実存ー相依性の原理(3)

2007-04-16 | 哲学 Philosophy

ホワイトヘッドが現実と呼ぶものは、一つは形成の活動そのものをさすが、もう一つは、曖昧さのない、すべての側面において確定した「還元不可能な頑固な事実」の集積を意味している。現実の成り立ちには、決断があり、事実それに先立つ決断によって、所与となるのである。

 「決断」は、活動的存在の因果的付加物と解釈されることはできない。それはまさに現実性の意味そのものに等しいのである。活動的存在は、そのための決断から生ずるのであって、そしてまさにその存在によって、それに取って代わる他の活動的存在のための決断をもたらす。こうしてその存在論的原理は、「活動的存在」、「所与性」、「過程」の概念を含む理論を構成する最初の段階なのである。「過程のための可能態」が一属普遍的な術語である「存在」或いは「事物」 の意味であるのと同様に、「決断」は「現実的」という語によって「活動的存在」という句の中にこめられた付加的意味なのである。「現実態」 は、「可能態」の真只中の決断である。それは避け得ない頑固な事実を代表している。(PR43)

さて、生起A1 生起B2に因果的に内在するということの意味を、普遍者と特殊という伝統的な範疇と対比して考察しよう。ホワイトヘッド哲学でいう「因果的客体化(causal objectification)」によって、他に掛け替えのない一回限りの生起が完了して「もの(entity)」となるときに、それは、もはや特殊者ではなくて、普遍者として、他の多くの活動的存在の内に反復されるという性格を持つのである。 形成的に(formally)に見れば、A1は主体として、A1の因果的過去に属するすべての活動的存在を客体化している。主体としてのA1のうちに現実的世界(the actual world)が内在しているのである。A1が完全な現実態として満足するということは、A1が自らを客体として、他の諸生起に与えるということを意味しており、ここでは、A1は他の諸生起のレアルな構成要素として、その記述に入り込むという意味で、普遍者の役割を担うのである。言い換えれば、主体的な統一性を持つA1は、客体として、他の諸生起の中で反復されるのである。このことは、特殊と普遍との関係を我々が見直さなければならないということを意味している。いかなる活動的存在も、特殊であると共に普遍という性格を持つことを、ホワイトヘッドは繰り返し指摘する。

存在論的原理と、現在の形而上学的議論が基礎をおいている普遍的相依性についての一層広範な理論とは、普遍的であるものと特殊的であるものとの間の鋭い区別を不鮮明にする。普遍者の概念は、多くの特殊者の記述の中に入りうるものの概念であるが、一方、特殊者の概念は、普遍者によって記述されるが、それ自身は他のどの特殊者の記述にも入らないということである。この講義の形而上学的体系の土台である相依性の学説に従えば、これら両概念は誤解を含んでいる。活動的存在は、普通者によっては、不十全にせよ記述されえないのである。なぜなら他の活動的存在がまさにどれか或る一つの活動的存在の記述に入り込むからである。したがってすべてのいわゆる「普遍者」は、他のあらゆるものとは違った、まさにそれがそれであるところのものである、という意味で特殊である。またあらゆるいわゆる「特殊者」は、他の活動的存在の構成に入り込むという意珠では普遍である。(PR48

 従って、永遠的客体と活動的存在の相違は、普遍と特殊の間の相違なのではなく、決して主体とならず客体としてしか機能しないものと、最初に主体として形成され、しかるのちに客体として機能するものとの間の相違なのである。客体化された活動的存在は、さまざまな媒介を経て他の現実的諸存在の内にあるが、それらは、いずれも一つの活動的存在の多くの事例となるのである。ここで、ホワイトヘッドが「客体的同一性の範疇」と呼ぶものが重要な意味を持ってくる。この範疇によれば、一つの現実的生起A1は、さまざまな媒介を経て他の現実的生起(例えばB3)のうちに客体化されるが、それらは、最終的な満足の相においては、一つのA1として客体化されるということを述べている。

そもそも統合が存在するという事実は、客体的同一性の範疇によって表現される条件から生ずる。活動的存在であれ、永遠的客体であれ、同一の存在は、一つの現成の形成的構造においては、再度、感受されえない。一つの客体についての多くの感受を伴う未完の諸相は、その一つの客体についての一つの感受を伴う最後の満足によって、解釈されるにすぎないのである。したがって客体的同一性は、一つの客体についての多くの感受がその客体についての一感受へと統合されることを要求する。(PR227)

この客体的同一性の範疇は、客体的多様性の範疇 (the Category of Objective Diversity )、及び主体的統一性の範疇 (the Category of Subjective Unity )と並んで、現実的生起の内的過程を制御するもっとも基本的な制約となっている。それは、我々に対して諸事物が我々の現実世界の中で、一つの固有の機能をもって存在していること、それぞれの事物は、その都度その都度一つのものとして、抱握され、主体によって統一された現実世界の中で確定した位置を占めるということを表現している。

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コスモスと実存ー相依性の原理(3)

2007-04-15 | 哲学 Philosophy

ホワイトヘッドが現実と呼ぶものは、一つは形成の活動そのものをさすが、もう一つは、曖昧さのない、すべての側面において確定した「還元不可能な頑固な事実」の集積を意味している。現実の成り立ちには、決断があり、事実それに先立つ決断によって、所与となるのである。

 「決断」は、活動的存在の因果的付加物と解釈されることはできない。それはまさに現実性の意味そのものに等しいのである。活動的存在は、そのための決断から生ずるのであって、そしてまさにその存在によって、それに取って代わる他の活動的存在のための決断をもたらす。こうしてその存在論的原理は、「活動的存在」、「所与性」、「過程」の概念を含む理論を構成する最初の段階なのである。「過程のための可能態」が一属普遍的な術語である「存在」或いは「事物」 の意味であるのと同様に、「決断」は「現実的」という語によって「活動的存在」という句の中にこめられた付加的意味なのである。「現実態」 は、「可能態」の真只中の決断である。それは避け得ない頑固な事実を代表している。(PR43)

さて、生起A1 生起B2に因果的に内在するということの意味を、普遍者と特殊という伝統的な範疇と対比して考察しよう。ホワイトヘッド哲学でいう「因果的客体化(causal objectification)」によって、他に掛け替えのない一回限りの生起が完了して「もの(entity)」となるときに、それは、もはや特殊者ではなくて、普遍者として、他の多くの活動的存在の内に反復されるという性格を持つのである。 形成的に(formally)に見れば、A1は主体として、A1の因果的過去に属するすべての活動的存在を客体化している。主体としてのA1のうちに現実的世界(the actual world)が内在しているのである。A1が完全な現実態として満足するということは、A1が自らを客体として、他の諸生起に与えるということを意味しており、ここでは、A1は他の諸生起のレアルな構成要素として、その記述に入り込むという意味で、普遍者の役割を担うのである。言い換えれば、主体的な統一性を持つA1は、客体として、他の諸生起の中で反復されるのである。このことは、特殊と普遍との関係を我々が見直さなければならないということを意味している。いかなる活動的存在も、特殊であると共に普遍という性格を持つことを、ホワイトヘッドは繰り返し指摘する。

存在論的原理と、現在の形而上学的議論が基礎をおいている普遍的相依性についての一層広範な理論とは、普遍的であるものと特殊的であるものとの間の鋭い区別を不鮮明にする。普遍者の概念は、多くの特殊者の記述の中に入りうるものの概念であるが、一方、特殊者の概念は、普遍者によって記述されるが、それ自身は他のどの特殊者の記述にも入らないということである。この講義の形而上学的体系の土台である相依性の学説に従えば、これら両概念は誤解を含んでいる。活動的存在は、普通者によっては、不十全にせよ記述されえないのである。なぜなら他の活動的存在がまさにどれか或る一つの活動的存在の記述に入り込むからである。したがってすべてのいわゆる「普遍者」は、他のあらゆるものとは違った、まさにそれがそれであるところのものである、という意味で特殊である。またあらゆるいわゆる「特殊者」は、他の活動的存在の構成に入り込むという意珠では普遍である。(PR48

 従って、永遠的客体と活動的存在の相違は、普遍と特殊の間の相違なのではなく、決して主体とならず客体としてしか機能しないものと、最初に主体として形成され、しかるのちに客体として機能するものとの間の相違なのである。客体化された活動的存在は、さまざまな媒介を経て他の現実的諸存在の内にあるが、それらは、いずれも一つの活動的存在の多くの事例となるのである。ここで、ホワイトヘッドが「客体的同一性の範疇」と呼ぶものが重要な意味を持ってくる。この範疇によれば、一つの現実的生起A1は、さまざまな媒介を経て他の現実的生起(例えばB3)のうちに客体化されるが、それらは、最終的な満足の相においては、一つのA1として客体化されるということを述べている。

そもそも統合が存在するという事実は、客体的同一性の範疇によって表現される条件から生ずる。活動的存在であれ、永遠的客体であれ、同一の存在は、一つの現成の形成的構造においては、再度、感受されえない。一つの客体についての多くの感受を伴う未完の諸相は、その一つの客体についての一つの感受を伴う最後の満足によって、解釈されるにすぎないのである。したがって客体的同一性は、一つの客体についての多くの感受がその客体についての一感受へと統合されることを要求する。(PR227)

この客体的同一性の範疇は、客体的多様性の範疇 (the Category of Objective Diversity )、及び主体的統一性の範疇 (the Category of Subjective Unity )と並んで、現実的生起の内的過程を制御するもっとも基本的な制約となっている。それは、我々に対して諸事物が我々の現実世界の中で、一つの固有の機能をもって存在していること、それぞれの事物は、その都度その都度一つのものとして、抱握され、主体によって統一された現実世界の中で確定した位置を占めるということを表現している。

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コスモスと実存 時間の原子論批判 (1)

2007-04-14 | 哲学 Philosophy

付録1フォードの「時間の原子論(temporal atomism)」の批判

  ルイス・フォードはホワイトヘッドの時間論を「時間の原子論」(temporal atomism)として特徴付けた。小乗仏教の説一切有部の「刹那滅」の形而上学にもにた思想は、ホワイトヘッドの云う「エポック的時間論」をフォードの立場から解釈したものである。ホワイトヘッド解釈としてもこの説は様々な問題を孕むが、私は、事柄自体として、時間の原子論(フォード)いう議論は成立しないと考える。そのわけは、いうところの時間の「原子」がいかほど持続するか、という計量に関する問に難点が潜むからである。事柄は、時間の原子論を、4次元時空の原子論として一般化してもこの困難は解消されない。その理由を以下に説明しよう。

 時間の原子(刹那説)や時空の素領域を考えるものは、基本的に相対性理論以前の時空理解に立脚している。すなわち、拡がりを有つ閉ざされた有限の領域に不変の計量を与えることが出来るという前提である。これは時間と空間を分離して考える古典物理学の近傍概念であり、非相対論的な概念である。

ニュートン物理学では、時間的な近さと空間的な近さは、それぞれ独立であって、ある出来事の時間的かつ空間的なε近傍は、時間をdt、空間距離をdlとして|dt|<ε かつ |dl|<εによって表示される。要するに、ニュートン物理学の遠近法は、近傍が有界な閉じた領域を形成するという意味で、基本的には常識と一致するといってよかろう。

これに対して、相対性理論の遠近法は、時間と空間とが不可分離的であるために、dtdlもそれぞれ単独では不変の意味を持ち得ない。そこで、基準座標系の変換にたいして不変であるのは、|ds|<εであり、それは時間的にも空間的にも無限に延長する、開かれた領域であるという特徴を持っている。それは四次元ミンコフスキー時空におけるε近傍が、時間的にも、空間的にも双曲的な構造を持つことによって表されている。ミンコフスキー時空では、(光速度 c=1として)座標時間の経過をdtで、空間座標で表示された距離をdl(dl=(dx2+dy2+dz2)1/2)として、時間的な四次元距離は<v:shapetype id=_x0000_t75 stroked="f" filled="f" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" o:preferrelative="t" o:spt="75" coordsize="21600,21600"> <v:stroke joinstyle="miter"></v:stroke><v:formulas><v:f eqn="if lineDrawn pixelLineWidth 0"></v:f><v:f eqn="sum @0 1 0"></v:f><v:f eqn="sum 0 0 @1"></v:f><v:f eqn="prod @2 1 2"></v:f><v:f eqn="prod @3 21600 pixelWidth"></v:f><v:f eqn="prod @3 21600 pixelHeight"></v:f><v:f eqn="sum @0 0 1"></v:f><v:f eqn="prod @6 1 2"></v:f><v:f eqn="prod @7 21600 pixelWidth"></v:f><v:f eqn="sum @8 21600 0"></v:f><v:f eqn="prod @7 21600 pixelHeight"></v:f><v:f eqn="sum @10 21600 0"></v:f></v:formulas><v:path o:connecttype="rect" gradientshapeok="t" o:extrusionok="f"></v:path><o:lock aspectratio="t" v:ext="edit"></o:lock></v:shapetype><v:shape id=_x0000_i1025 style="WIDTH: 72.75pt; HEIGHT: 15.75pt" type="#_x0000_t75"><v:imagedata o:title="" src="file:///C:/windows/TEMP/msoclip1/01/clip_image001.wmz"></v:imagedata></v:shape>によって、空間的な四次元距離は<v:shape id=_x0000_i1026 style="WIDTH: 72.75pt; HEIGHT: 15.75pt" type="#_x0000_t75"> <v:imagedata o:title="" src="file:///C:/windows/TEMP/msoclip1/01/clip_image003.wmz"></v:imagedata></v:shape>で表示されるから、四次元時空のε近傍は、ニュートン物理学のように、|dt|<ε かつ |dl|<εのような閉じた領域によって与えられるのではなく、|ds|<εによって与えられる双曲的な超曲面で囲まれた領域で表示される。それゆえに、この時空における「今此処」の近傍は光円錐に沿って過去と未来へ向かって限りなく延長しているのである。

 

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