歴程日誌 ー創造的無と統合的経験ー

Process Diary
Creative Nothingness & Integrative Experience

コスモスと実存 ー時間の原子論批判 (2)

2007-04-09 | 哲学 Philosophy

相対論でいう時空の計量にとって、基準系の変換に対して不変であるのは、四次元距離dsであって、そのなかに現れるdtdlではないということが、ここで重要な意味を持ってくる。それは、言い換えるならば、空間を捨象した「今」や、時間を捨象した「此処」という概念に、不変の意味がないということを意味している。

過去の光円錐とは時間の奥行を持った三次元の空間である。それは、現在的直接性をもって知覚されるのであり、ここで示されたような相対論的宇宙論の遠近法によれば、我々が見上げる夜空の星は、そのままで、ビッグバン以後の悠久の宇宙の歴史的過去を、今此処で直接に開示していることになろう。

それゆえに、ビッグバンが140億年前の出来事であるからといって、その出来事が遙か昔の過去にある、今此処の出来事とは殆ど無関係の出来事ということはできない。この140億年というのは宇宙の歴史を全体的に考察するために設定された直線的時間(宇宙時間)であるが、ニュートン的な意味での絶対時間ではないのである。ビッグバン宇宙論の経験的証拠として知られる宇宙の背景輻射は、マイクロ波という目に見えぬ「光」であるが、それは常に宇宙のあらゆる方向から我々の上に注がれている。それは宇宙開闢の頃の原初の「光」であり、百数十億年前の過去と現在とを四次元距離ゼロの直接性をもって結び、その「光」を我々は過去に於いても観測し、今も観測し、未来に渡っても引き続き、観測することが出来るのである。

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コスモスと実存ー円環的限定即直線的限定

2007-04-08 | 哲学 Philosophy

付録2 直線的限定即円環的限定 円環的限定即直線的限定

という時間の両極的構造の図解

Physical Pole:過去の現実世界のすべての現実存在とそこに内在する永遠客体が抱握される     efficient and material causation

Mental Pole:未来における全ての可能性が評価され、個的実存の主体の統一と生成を方向付ける  formal and final causation

 円弧PM は直線的時間に於る現在から無限の過去のすべての現実性を捉える

 円弧MP は直線的時間に於る永遠の未来から現在に至るすべての可能性を評価する

現実的なる物、可能的なる物の一切がなんらかの形で、今此処に於ける活動的生起の現成において抱握される。<v:shapetype id=_x0000_t75 stroked="f" filled="f" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" o:preferrelative="t" o:spt="75" coordsize="21600,21600"> </v:shapetype>

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相対性理論100年記念シンポジウム覚書 4

2005-12-01 | 哲学 Philosophy
第一部 科学哲学的考察ー古きパラダイムの揚棄とcrucial experiment-
(覚書 

第二部 プロセスコスモロジーからみた相対性理論
(覚書 4-5)

相対性理論と量子論は単に物理学の新理論であるばかりではなく、さらに宇宙論へと一般化されるべき重要な原理を孕む点に於てホワイトヘッドの形而上学の成立過程に大きな影響を与えた。ホワイトヘッドのコスモロジーは「宇宙の創造的進化(the creative advance of the universe)」という用語に示唆されるように、宇宙の歴史性を強調する自然観のうえに成り立っている。このような所謂「プロセス・コスモロジー」は、アインシュタインによって体系化された時間の相対論的把握とどのような関係にあるのか、プロセス・コスモロジーを現代物理学との関連性においてとりあげ、時空(世界)がそこにおいて生成する延長連続体(the extensive continuum)というホワイトヘッドのアイデアの意味するものを再考したい。

1 時間秩序に関する三つの立場

(1) 絶対時間を想定する立場(ニュートン物理学)

ただ一つの座標時間がある。そこにおいて過去、現在、未来は一義的な確定した意味を持つ。この座標時間によって宇宙の全ての事象は一つの系列に秩序づけることができる。

(2) ミンコフスキー時空において時間的秩序を考える立場
(特殊相対性理論、ホワイトヘッドの「相対性原理」に於ける重力理論)

 複数の(実際には無限に多くの)時間系がある。ある慣性基準系で二つの事象が同時的であっても、それは他の慣性基準系で同時的であることを保証しない。同時性の基準が座標系の選択に対して相対化されるために、全体としての世界の時間秩序は次のように言い表さなければならない。
(1)どのような慣性基準系においても事象Aの過去にある事象Bは、Aの因果的(絶対)過去にある。
(2)どのような慣性基準系においても事象Aの未来にある事象Bは、Aの因果的(絶対)未来にある。
(3)適当な慣性基準系の選択によって事象Aと同時的(simultaneous)になりうる事象Bは、Aと共時的(contemporary)である。共時性は次のような特質を持つ。
(1) Aと共時的な事象は慣性基準系の選択によってAの過去にも未来にもなり得る。
(2) 共時性の関係は推移的ではない。一般に、AとBとが共時的であり、BとCとが共時的であってもAとCとは共時的であるとは限らない。

ミンコフスキー時空は一つの事象Aに対して、(1) Aの因果的(絶対)過去の領域(2)Aの因果的(絶対)未来の領域(3〉Aと共時的な領域の三つの領域に区分される。

したがって、ここでは無数の座標時間があり、同時性がその無数の座標時間に対して相対化されているとはいえ、因果律が前提する時間秩序〈因果作用causal efficacyの方向性)は基準座標系の選択によらない絶対性を持つ。ただ、この時間秩序の方向性は、全順序集合(直線的順序)ではなくて半順序集合(格子状の順序)として表現される。共時的な二つの事象の間には、直接の因果関係は有り得ない。それらは因果的に独立に生起する。しかしながら、それらの二つの事象は因果的にまったく無関係であることはできない。即ち、どの二つの事象も(1)共通の因果的過去の領域と(2)共通の因果的未来の領域を有する。
その意味で、間接的な因果関係はあらゆる二つの事象の間に成立する。ミンコフスキー時空に於ては、無数の時間系があり得るが、どの時間系も原理的には世界のあらゆる事象に時間的秩序を与えるのに十分である。即ち、無限の過去から無限の未来に伸びている一つの座標時間のなかに世界の全ての事象を秩序づけることは原理的に可能である。したがって任意に選ばれた一つの座標時間において、全体としての宇宙の歴史を語る事が可能である。

(3) リーマン時空に於て時間秩序を考える立場(一般相対性理論)

特殊相対性理論では、異なる空間的場所における同時性は、光信号による時計の同期化という物理的な手続きによって定義されていた。したがって、同時性の意味は「光速度不変の原理」が成り立たない所では確定しない。しかし、重力場のあるところでは、一般に光速度は不変ではないので、「光速度不変の原理」は無条件では成り立たず、局所的に選ばれた慣性基準系(重力場のなかで自由運動する物体に対して静止した系)においてのみ成り立つ。したがって、同時性の意味も局所的にしか確定しない。このような局所的な基準座標系を接続して大域的な基準座標系にして世界の全ての事象に一つの時間的秩序を与える事(宇宙時間cosmological time)が可能であるかどうかは、物理的な偶然性に左右される。物質の分布状況によって、全体としての宇宙に一つの宇宙時間を設定できることもあれば、設定できない事もある。設定できない場合には、全体としての宇宙の歴史について語る事は無意味である。
リーマン時空もまた、一つの事象Aにたいして、局所的にはその(1)因果的過去(2)因果的未来(3)共時的領域の、三つの領域に分かれる。しかし、(1)どの二つの事象も共通の因果的未来をもち(2)どの二つの事象も共通の因果的過去をもっかどうかは、一般には言えない。共通の因果的過去をもっても共通の因果的未来を持たない二つの事象(ブラックホールの内部と外部の事象)や共通の因果的未来をもっても共通の因果的過去を持たない二つの事象(ホワイトホールの内部と外部の事象)を考える事ができる。このような極限的な事例(シュバルツシルトの特異性)に於ては、一つの座標時間において「未来の地平線」や「過去の地平線」のようなものが生じる。即ち、一つの選ばれた座標時間だけでは、世界の全ての事象を時間的に秩序づけることができるとは限らないという立場から、永遠の未来の彼方に於て生起する事象、永遠の過去の彼方に於て生起した事象という概念が必要となる。
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相対性理論100年記念シンポジウム覚書 5

2005-11-30 | 哲学 Philosophy
プロセスコスモロジーからの問題提起

1. 同時性は光信号によって定義出来るか。

(提題A)同時性は光信号によって定義できるように思われる。アインシュタインの特殊相対性理論によれば、異なる空間的場所における同時性は「光速度不変の原理」に基づいて操作的に定義される。一般に物理学の用語の意味は、その用語を含む命題の真偽を検証する実験的手続きを指定することによって確定する。我々は何らかの物理的信号によらなければ異なる空間的場所に設置された二つの時計を合わせることが出来ない。光信号の伝播速度が観測者や光源の運動状態に依存せず一定であることには実験的な支持があるから、時計を同期化するには光信号を使うのが最も適当である。よって、同時性を光速度不変の原理に立脚して光信号によって定義することは、客観的な実験操作の現場から遊離した抽象概念を排除し、物理理論の数学的定式に経験的意味を与えている点で全く正当なものである。

(反対提題)同時性は光信号による時計の同期化によっては定義できない。ホワイトヘッドは、光の信号理論によって同時性を定義するアインシュタインの手続きをいわゆる科学哲学三部作の中で批判した。彼は、同期化された時計によって計測される物理学的時間からではなくて、我々にその都度知覚される同時的世界の無限の広がり(持続)から出発する。時間は「自然の成層化」である。この同時的世界は、関係性による認知に於ては全体性として開示され、任意の個的経験にとっての形容態による認知においては部分的に開示される。このような、自然の成層化の系列が時間秩序の起源である。自然の成層化としての複数の時間系列を認める立場から、ホワイトヘッドは、アインシュタインのいう同時性は「直接知覚された同時性」を説明しないと言って、光速度の不変性に基づく同時性の定義に反対している。

この問題に対して次のように答えよう。一般に「同時性」は様々な意味に於て語られるから、その全てに共通する定義を求めることは出来ない。しかし、その様々な意味は何の脈絡もなく単に併存しているのではなく、そこには焦点的な意味と周辺的な意味の区別と関係とがある。従って、同時性の定義とはその焦点的意味を解明すると同時に様々な派生的な周辺的意味との関係を秩序だてることにほかならない。焦点的意味を与える候補者として、次の二つを考えよう。

(1) 時計で計測された時間(物理的な周期運動の数の測定)の秩序を与える同時性。この同時性の測定は、異なる場所に設置された時計を同期化することによって可能となる。
(2) 知覚の二つの異なる様式のうちの一つ(現在的直接性の様式)に由来する同時性。これは、他の様式(因果的有効性の様式)に由来する時間の方向性と共に、我々の時間経験を構成する。

このうち(2)の方が(1)よりも根源的である。なぜならば、相対性理論においても近接した場所での時計の同期化は現在的直接性の様式での知覚によって為されるほかなく、ただ遠隔の場所の時計の同期化に光信号が使われている。一般に、あらゆる物理的測定は、(2)のレベルでの同時性を前提せざるを得ない。従って、(1)を客観的な物理学的時間、(2〉を主観的な心理学的時間と呼び、(1〉を(2)よりも根源的なものと見なすのは本末転倒である。我々は物理的対象の時空的配置を感覚的対象の時空的配置の観察によって初めてさだめることができるのであって、その逆は成立しない。従って、(1)のレベルで登場する時計の同期化によって(2)のレベルでの同時性を定義する事はできない。さらに、(1)のレベルの同時性ですら、厳密にいえば光の信号によって定義されたわけではない。その理由は、ホワイトヘッドが「自然認識の原理」で示したように、光の信号とはまったく独立に、物理的な測定を可能ならしめるア・プリオリな諸条件(時空の一様性、等方性、変換の対称性、推移性など)からローレンツ変換を導出する事は可能である。この場合、時間測定と空間測定とを媒介する定数C(臨界速度)があるべき事は必然的要請となるが、現実に測定される光速度がそれに等しいということはア・ポステリオリな事実となる。即ち、光速度の不変性はいかなる物理的観測によっても反証不可能な原理なのではなく、場合によっては成り立たないことも可能な経験的な事実の一つであるにすぎない。しかし、もし同時性が「光速度の不変性」によって定義されてしまうと、「光速度」が変わり得るという事態を最初から排除してしまうことになろう。一般に、時空の座標的秩序は物理的な観察と測定を可能ならしめるア・プリオリな諸条件に由来し、特定の種類の物理的現象の持つ偶然的性格に依存しない。速度の概念がすでに異なる空間座標に一つの時間座標を割り当てることを前提しく光速度も例外ではない)、時計の同期化という物理的操作がすでに同時性の概念を前提している以上、同時性は「光速度の不変性」と「時計の同期化」によっては定義されない。

問題2 プロセス・コスモロジーの「宇宙の創造的進化」という考え方は時間秩序の相対論的把握と両立するか。

<提題>「宇宙の創造的進化」という考えは時間秩序の相対論的把握とは両立しない様に思われる。
(1)まず相対性理論に於ける四次元宇宙では、全ての事象が「永遠の相のもとに」記述されており、未来の不確定性と過去の確定性との対比が失われている。そこにはプロセス・コスモロジーで強調される時間的生成の入る余地はない。そこでの時間は完全に空間化されている。
(2) 時間を自然の成層化から導くホワイトヘッドの相対性理論では、宇宙全体の時間的切断は客観的意味を持たなければならない。しかしながら、一般相対性理論においては時空の座標的秩序が物質(重力場)によって決定されるから、全体としての宇宙に一つの時間座標を割り当てる事ができるかどうかは、物理的偶然性(物質の分布状況)に支配される。ある種の宇宙モデルに於ては、.大域的な宇宙時間が存在し、宇宙が時間的に定常的であるかあるいは非定常的であるかを論ずることが可能である。
しかし、全体としての宇宙に一つの時間座標を割り当てることの不可能な宇宙モデル(アインシュタイン方程式のゲーデル解)もある。このような宇宙に於ては、全体としての宇宙の時間的切断には、いかなる客観的意味もない。そこでは、過去と未来の区別が局所的な意味しか持たないから、全体としての宇宙の歴史という概念は空虚なものとなる。

<反対提題> ホワイトヘッドは、一方に於てアインシュタインの一般相対性理論とその標準的解釈に反対し、それに代わる時空と重力の理論を提示したが、他方に於てアインシュタイン理論の数学的定式を自分の自然哲学的範疇のなかで再解釈することは可能だと言っている。
これについて、次のように答えよう。我々はプロセス・コスモロジーの時間論を考える場合、ホワイトヘッドの科学哲学三部作と「過程と実在」とを区別しなければならない。前者と違って後者では、自然の基礎的構成要素に客観性(objectivity)とともに主観性(subjectivity)を認め、「世界に於ていかに主観性が成立するか」を主題としている。
従って、時計によって計測される「客観的」時間だけでなく我々によって主体的に生きられた時間も同時に問題とされている。そこでは、現実の諸契機は「時空の座標」において生起するのではない。
時空は現実の諸契機の関係から抽象されたものである。それゆえにプロセス・コスモロジーでいう「プロセス」とは、第一義的には座標時間で計測され得る時間的過程ではない。現実態に於ける時空の素領域(spatio-temporal atom)と、その素領域(現実の諸契機)そのものの生成=現実的生起とは区別されねばならない。 宇宙の「創造的進化」とは、第一義的には一つの現実的生起がそこにおいて生成する現実的世界(絶対過去の領域にある事象の総体)を超越して新しいものを付加する事を意味するのであって、それは、可能たいとしての延長連続体(時空の生起する場所)と現実態としての時空を区別する。我々は現実的生起(actual occasion)と現実的世界(actual world)との関係を次のように図式化できよう。a,b,c,...によって個々の現実的生起を表示する。
W(x)によって現実的生起xの現実的世界を表示する。プロセス・コスモロジーはライプニツのモナド論とおなじように、個々の現実的生起はそれぞれの観点から宇宙を抱握(prehend)している。
いま、式x∈W(a)によって、現実的生起xは現実的生起aの現実的世界の成員であることを表す事にする。「個々の現実的生起はそれが抱握する現実的世界にふくまれるどの成員とも異なる新しいものである(PR21)」から、それは自己自身の現実的世界の成員になる事はできない。
即ち、(∀a)(~a∈W(a))   ①
が成り立つ。さらに、「どの現実契機にもそれに固有の意味での現実世界が対応し」(PR28)「同一の現実世界から二つの異なる現実契機が生起することはありえない。二つの現実世界の相違は、一方に含まれ他方に含まれない現実契機の存在と、それぞれの現実契機に付随して登場する諸存在によるものである。(PR23)から、
(∀a,b)(W(a)=W(b)→a=b)   ②
プロセス・コスモロジーで言う過去と未来との非対称性は「ある現実契機が他の現実契機の現実世界の成員であるという関係」の非対称性によって表現される。即ち、
(∀a,b)(a∈W(b)→~b∈W(a)) ③

宇宙の創造的進化とは、ある現実的生起の現実的世界は、その現実的世界の全ての成員のすべての現実的世界を含むことを意味する。即ち
(∀a,b,c)(a∈W(b)&b∈W(c)→a∈W(c)) ④
それぞれの現実的生起が現実的世界に新しいものをもたらし、現実的世界を創造的に進化させるというプロセス・コスモロジーでいう「世界の創造的進化」を上のように図式化することができるならば、それは複数の現実的契機とそのそれぞれに対応する複数の現実的世界の創造的前進を語るものであって、ただ一つの現実的世界の創造的進化を語るものではないから、あらゆる事象を直線的な時間秩序のもとにおくことができなくとも、我々は現実的世界の創造的進化について有意味に語る事ができる。
ゲーデルが嘗て述べたように、リーマン時空に共通の時間座標が設置できなければ、世界の歴史性について語る事ができないというのは速断にすぎると言わなければならない。宇宙の歴史性とは、どの現実的生起の現実的世界も創造的に進化するという事であって、その現実的生起と共時的なすべての現実的生起の現実世界が「同時に進化する」と言う事ではない。
ミンコフスキー時空やリ一マン時空において宇宙論のモデルを構成するものが共通して陥りやすい落とし穴は「たんなる可能態を現実態」と混同することである。連続体は可能態にかかわり、現実的世界は量子的(非連続)である。延長連続体(the extensive continuum)は進化する現実的世界がそこに於いてある場所であり、世界の可能なあり方にかかわりを持つ。宇宙モデルが決定論的な構造をもっている事から、現実の世界が決定論的であるという結論をだすことは本末転倒であって、抽象的なものと具体的なものとの位置を置き違えたものである。またある宇宙モデルに世界時間がない事を理由に「時間の非実在性」を結論するのも同様の誤りである。我々は、世界時間の非存在を理由に、そのモデルを退けるという選択肢を少なくも同等の権利をもって選ぶことができるからである。

-----脚注-------

8 Alfred North Whitehead, Process and Reality, Corrected Edition, The Free Press (以下PRと略記する) 本文で言うプロセス・コスモロジーとはProcess and Realityの宇宙論をさす。

9 Whitehead, An Enquiry concerning the Principles of Natural Knowledgre,pp.147-164 ローレンツ変換を光速度普遍の原理を前提せずに、一様性や対称性などの弱い過程から導く他の試みは、テルレツキ-「相対性理論のパラドックス」(中村誠太郎監修、林昌樹訳、東京図書、1968)、および、Mermin,N.D, Relativity without light, Am.J.Phys. Vol.18,No.1,1987,pp.29-55 参照。

9 ゲーデルは一般相対性理論を宇宙論の問題に適用した場合、世界時間の存在しない特殊解を発見したが、その宇宙モデルの存在を根拠として、時空が実在の根本形式ではないという観念論哲学の立場を支持した。しかし、時間はそれぞれの認識主観の成立と一体不可分であり、そのような主観は、そこにおいて自己が成立する世界を前提する。現実的生起に主観性を認めるプロセス・コスモロジーの立場からすれば、個々の主観が自己自身の絶対過去を二回経験することは論理的に不可能である。したがって、閉じた時間的測地線の存在を許容するモデルに現実的な意味はないと言うべきであろう。
Gödel,K.,”An Example of a New Type of Cosmological Solutions of Einstein’s Field Equations of Gravitation”, Reviews of Modern Physics, 21,1949. “A Remark about the Relationship between Relativity Theory and Idealistic philosophy”, in Albert Einstein:Philosopher-Scientist,pp.555-562,1950.

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相対性理論100年記念シンポジウムのための覚書ー 質問に答えて

2005-11-29 | 哲学 Philosophy
次のような質問がHisamatuさんから寄せられましたのでお答えします。

覚書1に寄せられた質問 

「非ユークリッド空間の実在性という場合、あくまでもユークリッド空間を保持しつつ、物理学の部分を変化させることで、実験結果を説明する可能性はないのでしょうか」
「ニュートンの万有引力の法則は逆二乗則ですが、これが、太陽周辺では、整数2より少しずれるという形で、修正すれば、近日点移動が得らるのではないでしょうか。そうすれば、空間は依然としてユークリッド的であって、物理法則の手直しで対応できると思いますが、どうでしょうか」

この二つの質問は関連しています。要するに、幾何学は平坦なユークリッド空間としたままで、物理学を手直しして、水星の近日点の移動と太陽の周辺の光線の彎曲という事態を説明することは出来るかーという問題です。

こたえは、ブログの覚書でも書きましたが、空虚な論理的可能性はあっても、事実上は不可能であったという見方を私はとっています。

水星の近日点移動のほうから説明致します。
この現象は、1859年にフランスの天文学者ルベリエによって論じられました。天体観測の結果、彼は水星の近日点が、1世紀あたり574秒回転する歳差運動を見出しました。この現象を説明する場合、金星からの摂動(277秒)、木星からの摂動(153秒)、地球からの摂動(90秒)火星とその他の惑星からの摂動(10秒)を考慮しても、残りの43秒分の近日点の移動効果が説明できなかった。(ルベリエの当時の数値は38秒)

したがって、ニュートン物理学の範囲でこれを説明しようとすれば、次の二つの救済策が可能で、歴史的にも実際にそういう試みが行われました。

(1)太陽と水星の間に未知の惑星の存在を想定する。
(2)ニュートンの逆二乗則の微調整。

(1)は天文学では良くとられる方法であるが(海王星の発見など)、太陽と水星の間に未知の小惑星ないし物質があるということは観測されなかった。

(2)では、逆2乗法則を、逆2.0000001574乗法則に調整すれば、水星の近日点は丁度1世紀に43秒回転することが示される。このことはアメリカの天文学者サイモン・ニューコムによって実際に提案された。しかし、(2)は、逆2乗則からのずれがなぜ起こるかについての説明を欠いていました。つまりアドホックな修正なのです。もし、この逆2乗則の修正が、太陽と水星の間だけでなく、普遍的なものであって、等しく地球と月との間でも起こるとすると、現実の月の軌道からかけ離れてしまう。

こうして、背景幾何学としてユークリッド空間をとり、万有引力の法則を手直しするというやり方では、特定の現象を救出できても、他の現象を説明できないものとしてしまうのです。

 興味深いことに、(2)の説明は、ある意味で一般相対性理論による説明への橋渡しを与えています。(過渡的な性格を持つ点で、周転円による天動説の救済とよく似ています)

ニュートンの万有引力の逆2乗法則の2という整数は、電磁気学のクーロンの法則と同じように、空間の性質と深い関係があるということです。球の表面積が半径の2乗に比例するという、ユークリッド空間の性質が反映されていると言うことに他なりません。したがって、逆2乗法則からの微少なずれは、太陽周辺の空間がユークリッド的空間のような歪みのない平坦なものではなく、物質の存在によって、彎曲しているからであるということを示唆しています。

つまり、彎曲した時空というアイデアは、近日点移動と重力による光の彎曲という二つの現象を説明する鍵となっているのです。

ニュートン物理学を部分的に手直しして、ユークリッド幾何学を背景幾何学として採用するという手続きをとった場合、近日転移動も太陽周辺の光の彎曲も、一般的な理論から導出されるのではなく、その場限りの手直しによって「現象を救う」事になります。一般相対性理論を使うと、それらの「変則性」を、「時空の歪み」という基本的なアイデアから直接に理解することが出来るーこのことが、一般相対性理論の優位を説明するといって良いでしょう。

覚書2にかんする質問

「宇宙には始まりがあるということは、絶対時間を要請することに他ならないという考えがありますが、これについてはどう思われますか」


ビックバン宇宙論などで宇宙の年齢が150億年であるというときに言われている時間は、「宇宙論的時間(cosmological time)と呼ばれており、ニュートン物理学のなかではなく、アインシュタインの一般相対性理論の中で定義される時間です。それは、ニュートンのいう「絶対時間」とは意味を異にする概念です。宇宙論的時間は、4次元の宇宙全体を、空間的な超曲面(三次元空間)によって層別化したもので、そのような層別化が可能となるかどうかは、宇宙における物質分布に依存しており、そのような時間が存在する宇宙もあれば、存在しない宇宙もあります。つまり、宇宙時間はアポステリオリな条件によって決まる偶然性をもっている点で、ニュートン物理学で言う絶対時間とは異なります。また、ニュートン物理学では、あらゆる基準系で同時刻となると言う意味での絶対的同時性が成立しますが、宇宙論的時間における同時刻は、そのような意味での絶対性をもっていません。

それでは、どのようなときに宇宙論的時間が定義されるでしょうか。それは、空間における物質分布に関して、一様性、および等方性が成り立つ場合です。このとき、アインシュタインの一般相対性理論の基礎方程式を満たす単純な解が存在し、4次元距離dsは、

ds2=dt2-a2(t)dl2

によって定義されます。此処に出てくるパラメーターtが宇宙論的時間です。

覚書3について次の質問が寄せられました。

「相対性理論において観察者というのはどういう位置にあるのでしょうか。量子力学では、観測されるものとするものは分割できませんが、この考え方を相対性理論に統合できるのでしょうか。」

Hisamatu様の提出された問題は、重要な、しかし非常に困難な論点を含んでいますので、簡単にお答えすることはできません。

一般相対性理論を構想していた頃のアインシュタインは、観測対象の物理的特性が、観測者に依存するという量子力学の思想を退けていました。観測するものとされるものを分割して、観測されるものだけを独立に記述できるとする点において、彼は分離可能な実在を信じる実在論者でした。この立場は、量子力学と相対性理論を統合するときの妨げになり、乗り越えられるべき立場です。

他方、(非相対論的)量子力学の方は、観測者と観測対象の不可分に結びつきを強調しましたが、時間や空間の理解については、古典物理学のものを借用していました。(ボーアの相補性)つまり、時空の理解について保守的であったのです。

したがって、量子力学と相対性理論の統合は、相対性理論に対しては、分離不可能な実在と言う概念を要求し、量子力学については、量子電磁気学で、超多時間理論が採用されたように、唯一の時間パラメーターtで現象を記述するという立場を捨てることが求められます。現在の処、場の量子論というかたちで両者の部分的な統合がなされているだけで、一般相対性理論までを含む統合は成功していません。

こういう物理学プロパーの現状と平行して、私は哲学的な議論に於いても、相対論的な時空概念と、観測者と観測されるものとの一体不可分な結びつきとを普遍化したコスモロジーが求められていると考えています。

「ベルグソンによると時間は唯一でなければならず、複数の時間はあり得ない。時計によって計られる時間は、各基準系によって別々に定義されるかも知れませんが、我々が生きている時間は、必然的に一つであると思いますが、この点についてどう思いますか」

これもまた、大変に難しい問題ですね。

ベルグソンの時間は、我々によって生きられた時間であって、我々の主体がそこにおいて成立する時間であると私は理解しています。それは時計の同調という物理的操作によって定義されるアインシュタインの時間ではありません。両者共におなじ時間という言葉を使いながら、二人の論争がすれ違いにおわりました。

時間を物体の周期的運動の個数によって定義するアリストテレス流のやり方で物理学的に論じるか、想起、知覚、予期などの体験と不可分である過去・現在・未来の内的時間意識によって心理学的に論じるかで、哲学の時間論は議論の仕方が異なります。アインシュタインは前者の流れに属し、ベルグソンは後者の流れに属します。

この二つの議論を統合するためには、物心二元論を越えて、物理的時間と心理的時間が共通に根ざす時間経験そのものにまで遡る必要があるでしょう。

アインシュタインのような物理的時間が、そこから定義できる、またベルグソンの言う心理的時間もまた、そこから定義できるような、より普遍的な時間概念はあるでしょうか。私は、そういうものがあると信じており、それを探求することが哲学的時間論の課題であると思っています。
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相対性理論100年記念シンポジウムのための覚書

2005-11-16 | 哲学 Philosophy
相対性理論の意味するもの

提題者:田中 裕

Ⅰ科学哲学的考察-古きパラダイムの揚棄とcrucial experimentについて-


 相対性の原理と理論

アインシュタインの特殊相対性理論の誕生を告げる1905年の論文の前半部分は「相対性の原理」と「光速度不変の原理」から、ローレンツ変換を導出するという構成になっている。この二つの原理の関係を考えてみよう。ここで相対性の「原理」と相対性の「理論」を区別しておくことが必要である。

相対性の「原理」とは、一般相対論にまで普遍化された形において述べるならば、「最も普遍的で包括的な物理法則は基準座標系の選択に依存しない形で表現されるべきである」という理念の表明であって、それ自身は実験的な検証の対象になるような命題ではない。それは、特殊な基準系でのみ成り立つ「法則」をもって満足しないように、たえずその制約を越えるように物理法則を書き換えるべきことを我々に要請する形式的原理であって、この「原理」に経験的に検証可能な実質的内容が与えられることによって、初めて相対性の「理論」となる。

特殊相対性理論の場合は「光速度不変の原理」が、一般相対性理論の場合は「等価原理」が、この相対性の原理に実質的な経験内容を盛り込んでいる。真空中の光速度が互いに等速直線運動するあらゆる慣性基準系で常に同一であるということは、光速度 C が普遍的な物理法則の表現にとって本質的な意味をもつということであるが、この事実は実験観測によって検証すべきことであって、ア・プリオリな論拠から導出すべきことではない。

1905年の時点でのアインシュタインの論文では言及されはしなかったが、マイケルソンとモレーの実験結果がもし肯定的なものであれば、光速度不変の原理は支持できなかったであろう。しかしながら、この実験は、地球上での光の速度の測定値は、地球の運動の影響を受けず、あらゆる方向で常に同一であるという事実を確認することによって、後に特殊相対性理論の実験的検証という意味をもつようになったことは、科学史のうえで周知の事柄である。またニュートン物理学では、重力は「真の」力であり、物質に起因する遠隔的な相互作用であった。これに対して、遠心力のような慣性力は、絶対空間以外の基準系でのみ現われ、重力のような「作用・反作用の法則」には従わない「見かけ」の力であった。アインシタインの一般相対性理論では、重力と慣性力とはともに「時空の歪み」として本性上同一であるという「等価原理」が採用されたが、この原理もまた重力赤方変移(重力場に逆らって電波する光のスペクトルが赤の方向にずれる)の観測によって実験的に検証されるべき事柄なのである。

カール・ポパーは、「重力赤方変移が実測されなければ、一般相対性理論は支持できないであろう」と述べたアインシュタインの発言に、「マルクス、フロイト、アードラーの独断的態度とは全く異なった、そして彼らの追従者の独断的態度とはさらに一層異なった」批判的な理性の典型を見いだしたが、彼の言う如く、実質的な内容をもつ「反証可能」な実験的帰結を明示することによって、アインシュタインは彼の相対性の理論に科学にとって必要不可欠な具体性を与えたと言ってよかろう。

基準系の選択に依存しない普遍的な真理を目指す「相対性の原理」は、同時に科学理論を積極的に経験的反証の場に曝すことを要求する立場でもある。無限に開かれた地平をもつ科学的探求にとって、反証可能な原理をもつことは、理論が空虚な説明図式に退行しないために必要不可欠である。

アインシュタインの相対性理論は、ニュートン物理学の信奉者に対して、たんにそれに代わるべき新しいパラダイムを提示することによって自足するような理論ではなかった。それは古典物理学を特殊な事例としてそのなかに含む包括的な理論であることを志向すると共に、ある決定実験を提示し、その実験の試練に耐えることによって、ニュートン物理学を破棄すると同時に形を変えて保存するより高次の理論であることを経験的に証明したのである。

2 非ユークリッド的世界の実在性
 
一般相対性理論は、「太陽の周辺では空間が湾曲すること」、すなわち強い重力場のある空間は非ユークリッド的であることを理論的に主張している。この理論とニュートン物理学との間の決定実験の一つが、有名な皆既日食の時の恒星の視位置のずれを測定する天体観測であった。ニュートン物理学ではユークリッド空間がア・プリオリに前提されており、直線や平面のなんたるかは物理学に先立って固有の意味をもっており、空間的な距離は「絶対」空間に固有の計量によって物質とは独立に定められていた。それゆえにニュートン物理学においては、光の経路や運動物体の軌跡が「湾曲」することは意味をなすが、「空間が湾曲する」ということは無意味であったというべきであろう。

時間と空間を事象や物体の相互関係の表現として捉える相対性理論においては、ユークリッド空間はそれらの相互関係の可能な表現の一つという以上の意味はもちえない。我々の世界がユークリッド的であるかそうでないかは、経験によって決定されるべきア・ポステリオリな事柄となる。言い換えれば、相対性理論では、従来ア・プリオリな必然性をもつと仮定されて来た幾何学の命題を実験観察によって反証可能な命題として捉え直すのである。

一般相対性理論とニュートン物理学のように、異なるパラダイムをもつ二つの理論の間で「決定実験」が遂行される可能性を否定する議論は古くからある。例えば、ポアンカレは、1902年に次のように書いている。
「天文学で直線とよぶものは単に光線の通る道をさすに違いない。だから万が一にも負の視差を発見でもしょうものなら、あるいは視差はすべてある一定の限界以上であると証明でもしょうものなら、それは次の二つの結論、すなわち我々はユークリッド幾何学を放棄し得るか、あるいは光学の法則を変更して光は厳密に言えば直線的に伝播しないと認め得るかというこの二つから選択したことになる。全ての人々がこの後の回答のほうを有利と見なすことは付け加えて言うまでもない。だからユークリッド幾何学は新しい実験を気遣うことは少しもない。」(ポアンカレ、「科学と仮説」100頁)
ポアンカレは「幾何学の原理は経験命題でも先天的総合判断でもない」とする徹底した規約主義の立場に基づいて「非ユークリッド幾何学の可能性」を擁護したが、上に引用した文章は、相対性理論以前の物理学者の偏見を共有している点で、むしろ彼の「規約主義」の限界を示すものと解釈できるだろう。それは非ユークリッド幾何学の可能性は擁護できたが、その現実性は予測できなかったからである。物理学者が、ポアンカレの予想とは異なり新しい実験事実に基づいてユークリッド幾何学を変更することを選択したこと、さらには、ある意味でユークリッド幾何学を優先的に保持しつづけることは不可能であると結論するに至った事情を次に検討してみよう。

我々は此処で、一般相対性理論の検証実験の「観測の問題」とでも言うべきものに遭遇する。古典物理学の用語で記述できる実験状況のただ中において、古典物理学の理論枠組のなかでは原理的に解決できない逆説的な観測結果を予言する点ことこそ、古典物理学を揚棄する現代物理学の二本の柱である相対性理論と量子論の「観測の問題」の根本的特徴である。もちろん、一般相対性理論は決定論的な理論であり、波束の収縮にかかわる量子論に固有の問題は存在しない。しかし、ボーアが「量子現象という新しい経験分野において観測の問題の示す特異な側面」を明らかにするために述べた次の言葉は、量子力学のみならず一般相対性理論の実験的検証においても成立するであろう。
「現象が古典物理学による説明の可能な範囲をいかにはるかに越えたものであっても、およそ確かめられた事実と言われるものの説明というものは古典的な言葉で表現されるものでなければならない。…-私の言わんとすることは要するに、我々が『実験』という語で考えている状況とは、そこで我々が何を行い、何を学ぶことになったかを他の人達に語り得るような一つの状況を指すのであって、その意味では実験上の道具立ての説明や観測結果の説明は古典物理学の用語法の適切な適用を含む意味のはっきりした言語で表現されねばならないということである。」(ボーア、「原子理論と自然記述」)

 恒星の視位置の変化から太陽光線の屈折角を計算する時に、実験家は光の経路がそこからずれる「直線」の概念を前提して、太陽の裏側からくる恒星の視位置の変動から、屈折角を計算した。このとき実験物理学者が前提した幾何学は如何なるものであろうか。
  もし実験物理学者が、「太陽の周辺で光が彎曲する」ということを確認する場合には、彼が依拠する幾何学は、依然としてニュートン物理学で彼が親しんできたユークリッド幾何学であったといわなければならないであろう。まぜまらば、一般相対性理論のなかでは、光は測地線に沿って運動するのであり、局所的にはいたるところで「直進」するからである。したがって、太陽光線の彎曲を確認したという場合、一般相対性理論の検証実験においては依然として、「古典的な言葉」によって説明が為されたと言わねばならぬであろう。を語る実験物理学者の共同体のなかで遂行されねばならなかったことを示している。
 ポイントは、非ユークリッド幾何学を現実の空間の表現として採用する一般相対性理論が、ユークリッド幾何学と古典物理学の用語でも記述できる実験状況において観測される事実、しかも、古典物理学の中では予想もされなかった観測事実を予言したという事である。この予言がニュートン物理学の内部では説明できないという意味で、ニュートン物理学の本質的限界を設定する「決定的実験」の形でなされるのでなければ、一般相対性理論はニュートン物理学を越える理論であると主張できなかったであろう。

この辺の事情を解明するために、必要最小限の数式を交えてさらに詳しくこの決定的実験の内容を検討してみよう。我々は、非ユークリッド的な世界として、アインシュタインの一般相対性理論の基礎方程式の解の一つであるシュバルツシルド解によって記述される時空を例として採り上げる。これは静的かつ等方的な非ユークリッド的時空であり、一般相対性理論の古典的な検証はすべてこの解の応用と考えることができる。

いま中心の質量をM、万有引力定数をG、慣性系における真空中の光速度をcとするとき、a=2GM/c2 を重力半径とよぶ。この名称の由来は、もしもc=1 2G=1 となる単位系を選ぶならば、a=M となり、天体の質量を長さの数値で表現できるからである。太陽の場合、aはほぼ3㎞程度である。極座標表示で中心からの距離をrで表わし、β=a/r とおく。太陽の場合は r>7×105 kmであるから、βは極めて小さい。
シュバルツシルド時空は、半径方向に時空が収縮する非ユークリッド的時空である。基準系のとりかたに依存しない不変の時空計量 ds は、空間部分を極座標で表示して、
ds2 = (1-β)dt2 - (1-β)-1dr2 - r2(dθ2+sin2θdφ2)
となる。β=0と見なしうる領域では、ミンコフスキー時空(ユークリッド的時空
ds2 =dt2 - dr2 - r2(dθ2+sin2θdφ2)
と一致する。観測者がユークリッド空間を前提して測定を行なう状況は、一般相対性理論の立場では、等方座標系を設定することによってシュバルツシルド解を変換することによって記述できる。すなわち、θとφはそのままにして、rを、r=r”(1+a/4r”)2で置き換える。a/r” を改めてβとすると、
ds2 = (1-β/4)2(1+β/4)-2dt2 - (1+β/4)4(dr”2 + r”2(dθ2+sin2θdφ2)
この座標系での光の速さは、r”の関数となり、それはds=0 より
v = dr”/dt =(1-β/4)(1+β/4)-3(中心に近づけば近づくほど慣性系におけるC=1 より小さくなることに注意)
光りの屈折率nは
n=1/v≒(1-β/4)-1(1+β/4)3 =1+β (=1+2GM/c2r”)
によって決まる。

従って、非ユークリッド空間を直進する光は、観測者がユークリッド空間を前提して測定する場合には、屈折率nがr”によって異なる媒質に満たされたユークリッド空間を進む場合と同じだけ屈折する。r”に太陽の半径r0を代入したときのβの値をβ0として、屈折光学の古典的な理論によって、太陽の周辺を通る光の屈折角Θを求めると、
Θ≒ 2β0 =4GM/c2r0=8.48×10-6 = 1.75”
を得る。

四次元の湾曲する時空で直進する(ゼロ測地線を通る)光を、平坦なユークリッド空間に射影するときに、その軌跡が湾曲することは、ちょうど、二次元の湾曲した空間である球面をメルカトール法の地図のやり方で平面に射影すると、最短の経路(大円)が湾曲した線として表示されることになぞらえることができよう。

問題はニュートン物理学とユークリッド幾何学を前提してこの光線の湾曲という現象を説明できるかということである。我々が問題とする可能性は、空虚な論理的可能性ではなく、歴史的な状況に即した現実的な可能性である。

ニュートンの『光学』では万有引力の光の経路に及ぼす影響は未解決問題のうちに数えられていた。そしてニュートンの後継者たちもこの問題をニュートン物理学の枠組の中で解決することはできなかった。実際、光が重さのある微粒子であるとする粒子説で光の屈折を粒子に働く引力で説明する場合、屈折率が一より大きい媒質中の光速度は真空中よりも大きくなり、波動説による場合と逆の事実を予言してしまう。フーコーによる実験(1849~1862)が、この点に関しては波動説を支持したことが、光量子仮説が受け入れられるまで、物理学者が粒子説を斥けた理由の一つであった。従って、万有引力と光の相互作用に関する首尾一貫した理論はニュートン物理学の中では存在していなかったと言うのが正しい歴史的認識であろう。また、光速度で太陽周辺を通過する重さのある物体が描く双曲線軌道を計算して、屈折の角度(漸近線の交角)をニュートン物理学で計算することは可能であるが、その値はΘ≒ 2GM/c2r0=0.875” (一般相対性理論の予言の半分)になり、実験と合わない。それゆえに、ニュートン力学とユークリッド幾何学から実測された光の湾曲を説明することは事実上できなかったと言ってよかろう。

一般相対性理論とニュートン物理学との間の決定実験のひとつである重力場での光の湾曲についての結論は、次のように要約できよう。

(1) 一般相対性理論はニュートン物理学では考えられなかった現象の生起を予言する決定実験を提案し、その結果を説明する。
(2) その決定実験は、ニュートン物理学の枠組の中で定式化され、実験家はニュートン物理学を使ってその状況を記述してよい。
(3) その決定実験の結果は、ad hocな対策を構じない限り、ニュートン物理学の枠組のなかでは説明できない。

こうして、なぜ物理学者が「ユークリッド空間のなかで光線が湾曲する」というニュートン物理学の立場ではなくて相対性理論の立場を選択したか、その理由は明らかとなったと言ってよかろう。ニュートン物理学の立場は、自己自身の内部では説明困難な逆説的事実を含んでいたからである。この事実は古典物理学の内部にいるものによっては気づかれず、一般相対性理論という、古典物理学でア・プリオリに前提されていた原理を否定する立場から提起された決定実験によってはじめて、顕在化されたというべきであろう。

相対性理論は、物体の相対速度が光速度よりもはるかに小さく、重力場の時空計量に及ぼす影響を無視しうる特殊なケースとして古典物理学の実験的予測を包含しているという意味では、ニュートン物理学を「揚棄」するより普遍的な理論であった。ここでは、その「揚棄」とはどのような文脈で言われなければならないかを示したのである。それは、ニュートン物理学の内部で記述可能な実験的状況において古典的時空概念の限界を示す決定実験を提起することによってであることが示された。「四次元時空の曲率」や、それの帰結である「時間の肥大」や「三次元空間の湾曲」という一般相対性理論に固有の非古典的な概念が実験的に検証される場面は、ニュートン物理学でも記述しうる状況のただ中に生じる逆説的な特異性にほかならないからである。

---------脚注----------

1 「相対性の原理」という用語そのものは既にポアンカレによって1895年に使用されたが、「原理」とはいっても、彼の意味するところは、「おそらく光学現象はそこに存在する物体の相対運動にしか依存しない」という経験的な仮説であって、「よくできた理論は、この理論を一挙に全く厳密に証明することをゆるすものでなければならない」ものであった。(広重徹、「エ-テル問題・力学的世界観・相対性理論の起源」、『アインシュタイン研究』(中央公論社所収、昭和52年)211頁参照)。

アインシュタインの1905年の論文 Zur Elektrodynamik bewegter Körper ではじめて「相対性の原理」は、理論構成の形式的原理という性格を与えられた。 しかし、のちにアインシュタインが「特殊相対性理論が古典力学とは違ったものになっているのは、この相対性の要請によるものではなく、むしろ真空中の光速度が一定であるという要請がその原因である」と述べたように、相対性理論に「実質的な内容」を与えているのは「光速度不変の原理」である。 「(一般)相対性の原理」が、慣性系でしか成立しない「光速度不変の原理」とは異なるレベルの普遍的要請であるという認識は、一般相対性理論において生まれ、次のように定式化された。 「すべての自然法則はあらゆる座標系に対して成り立つような等式によって表現されるべきである。 すなわち、任意の座標変換に対して共変(これを一般共変性とよぶことにする)な等式によって書きあらわされるべきである。」(Einstein, Die Grundlage der allgemeinen Relativitätstheorie, Ann. der Phys. Ser.4, 49 (1916), pp.769-822)

2 アインシュタイン自身は、1921年のプリンストン大学講義で、「相対性理論は、光の伝播法則の上に時間の概念を樹立し、なんらの根拠なしに光の伝播に中心的理論的役割を与えるといってしばしば非難される」と述べた後で、マイケルソン・モレーの実験結果に言及して、それが特殊相対性理論に於ける「光速度不変の原理」を支持すると述べている。 Einstein, The meaning of Relativity, Princeton U.P. p.27

3 K.Popper, Conjectures and Refutations, Harper Torchbooks, 1963,p.36

4 Poincaré,Science and Hypothesis, Dover, p.73

5 ニールス・ボーア(井上健訳) 『原子理論と自然記述』、みすず書房、199頁

6 一般相対性理論の古典的な検証実験にかかわる理論的予測は、すべて、シュバルツシルド解をつかって導き出すことができる。(Robert M. Wald,General Relativity,The University of Chicago Press, 1984, pp.136-148参照)それは「湾曲した時空」というものをみとめないニュートン物理学とのあいだの決定実験という性格を持つのである。
 
7 重力赤方偏移の現象は、今日ではメスバウエル効果を使うガンマ線の実験によって実験室で検証されたが、この現象を光の波動説によって説明するときは、振動数の減少に伴う「時間の肥大(time dilatation)」という言葉が使われる。要するに、重力のある静止系で、ポテンシャルの高いところでは、低いところと比べて時計が遅れるという現象である。
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相対性理論100年記念シンポジウムのための覚書 2

2005-11-15 | 哲学 Philosophy
 相対性理論と現代宇宙論

1917 年にアインシュタインが一般相対性理論を宇宙の全体に適用したころから狭い意味での科学的宇宙論が始まったといってよいであろう。「一般相対性理論についての宇宙論的考察(Kosmologische Betrachtung zur allgemeinen Relativitätstheorie)」のなかで、アインシュタインは、適当な初期条件と境界条件の設定によって初めて現実に応用される物理学の理論を宇宙の全体に適用するときにどうなるかという問題を論じて、次のような指摘をしている。
「惑星軌道の問題を扱った際に、私(アインシュタイン)は境界条件を次のような仮定の形で与えた。すなわち、重力ポテンシャル gμνのすべての成分が空間的な無限遠点で一定値になるように基準系を選ぶことが可能であるという仮定である。しかしもし太陽系よりも、もっと大きな宇宙の部分を考えに入れるとき、なお同じ境界条件を設けることができるかどうかは、先験的には明らかでない。そこで、これから、この原理的な問題について私の考えてきたことを述べよう。」
ここで、原理的な問題とは、宇宙論における境界問題の設定である。我々が、例えば、太陽系のような宇宙の一部を問題にするときには、太陽系以外の天体が及ぼす重力の影響を無視して適当な境界条件を設定することができる。しかしなながら、このような制限されたモデルを越えて、宇宙の全体を考察することを要求される場合がある。それは、天文学における我々の視野の拡大によって生じた宇宙の全体像の把握という課題と結びついてくる。

太陽系が我々の銀河の片隅にあり、太陽自身が、不動の天体ではなく銀河の中心の回りを高速度で回転する目立たない天体の一つであり、しかも我々の銀河のほかに無数の島宇宙があって、それらが、重力的な相互作用をしているなどという状況を考えれば、我々は、宇宙の全体を考慮に入れずに部分だけを抽象して考察してすませるというわけにはいかないであろう。

更に、宇宙論的な考察は、宇宙の一部分だけを抽象して考察しているときには気づかれなかった、ニュートン物理学の二律背反を明るみに出すのである。

アィンシュタインによれば、数学的なモデルとして考察する場合に、ニユートンの遠隔作用理論は、ポアッソンの方程式 ΔΦ=4πKρ と質点の運動方程式をあわせただけでは、まだ対等なものとはならず、更に、空間的に無限の遠方でポテンシャルφがある一定の決まった極限値に近づくという境界条件をつけ加えなければならない。この境界条件は、無限遠点で物質の密度がゼロになること同じである。このことは、もし、球対称の重力場を仮定すると、φが無限遠点で定数値となるためには、物質の平均密度ρは中心からの距離rが増大すると1/r2、より速くゼロに近づかなければならないことを意味している。このような宇宙は、かりに無限に大きな全質量を持っていたとしても、有限な宇宙であるとアインシュタインは指摘する。太陽系の外部に行けば行くほど物質密度が希薄になるという宇宙モデルを採用すると、天体から放出された光は、宇宙の外部に向かって逃げだし、何の相互作用もせずに無限遠点に消えていくが、このことは物質についても同様に起こるという可能性を否定できない。更に、恒星系を一つの定常的な熱運動をしている気体と考えて、これに気体分子に対するボルツマンの分布則を適用すると、ニュートンの考えるような恒星系は一般に存在しえない。なぜなら、恒星系の中心及び空間的に無限に遠くにある点の間のポテンシャルの差が有限の大きさを持つということは、それぞれの点における物質密度の比が有限であるということを意味している。したがって、無限遠点の密度がゼロとなるならば、恒星系の中心における密度もゼロとならなければならないからである。

このことは、もし宇宙の一部分のみを考えるならば矛盾のない数学的モデルを構成できるニュートン物理学が、宇宙の全体を対象にして統計力学的考察を行うと、二律背反に追い込まれるということを意味しているのである。

第一批判で宇宙論の二律背反を指摘したカントならば、ここで、経験から導かれた物理学の諸法則を宇宙の全体に適用することに警鐘を鳴らしたであろう。アインシュタインは、カントとは違って、宇宙論の諸問題を形而上学的仮象として科学の埒外におくという選択肢をとらなかった。彼は、あくまでも宇宙の整合的な数学的モデルを構成するために、ニュートン物理学に代わりうる新しい理論である一般相対性理論を使って、宇宙論の二律背反を突破する方法を模索したのである。

アインシュタインは、ニュートン物理学のポアッソンの方程式の代わりに)
ΔΦ-λΦ=4πKρ 
とおいたときにどのような宇宙モデルが構成されるかを考察する。λは、後に宇宙定数と呼ばれるようになった普遍定数で、物質密度の大きな場所では、無視しうる小さな修正項である。この場合には、重力場に関しては、なんら中心点を持たず、物質の密度が空間的な無限遠に行くとしても減少することはない宇宙モデルが得られる。そこで、アインシュタインは、このような修正項λを持つ宇宙モデルを、彼の一般相対性理論に取り込むことによって、ニユートン物理学に内在する矛盾の解消を試みたのである。

特殊相対性理論は重力場のない場合に対応する平坦な四次元空間であるが、物質が存在する場合は、時空がその影響で歪み、場所によって空間の曲率が変化する。この場合には一般的にいって、宇宙の全体像を直観的に理解するのは難しい。しかし、物質の空間的な分布が場所によらず一様でありかつ等方的であるという仮定を置けば、空間の曲率は一定となるので、宇宙の大域的な姿を把握するのが容易になる。

アインシユタインは、もし一様で等方的な空間が正の曲率を持つならば、境界を持たない有限な宇宙像が得れることを発見した。そして、このような数学的モデルは、空間的な無限遠点における境界条件を設定することを不要にし、「重力場に関しては、何処にも中心点を持たず、物質の密度が遠方に行けば行くほど減少するということもない」整合的な宇宙像を与えた。この閉じた宇宙は、アインシュタインの円柱型宇宙と呼ばれるが、その理由は、空間的には有限であるにもかかわらず、時間的には初めも終わりもない世界として解釈できるからである。時間的に宇宙の大域的な姿が変化しないこの宇宙像を理論的に得るためには、前述のように、宇宙定数Λを導入する必要があったが、それは、万有引力に拮抗する斥力を導入することを意味していた。このアインシュタインの論文によつて物理学の言葉で初めて世界の全体を一個の対象として扱うことが可能となったといってよいだろう。また「境界を持たない閉じた連続体」のモデルを提示することによって、境界条件の設定という困難な問題を解消する方法を示唆したことは、後の、ホーキングの「無境界条件」によって、宇宙の初期条件の設定という問題を解消するという考え方を先取りしている点において興味深いものであった。

アインシュタイン・モデルは定常宇宙論であったが、1917年にド・シッターは、宇宙項を含むアインシュタイン型の宇宙から、物質をすべて除去した宇宙モデルを構成することが可能であることを示した。この新しいモデルは、もし物質が存在すれば、斥力によって相互に遠ざかることを予測する点において、膨張宇宙の可能性を秘めたモデルであった。もともとのアインシュタイン方程式に忠実な宇宙モデルが非定常的であることは、フリードマンによって示された。フリードマンの宇宙モデルでは、宇宙定数Λを持たぬために、不安定な解が得られ、宇宙の起源や終末という特異点の問題が避けられないという問題点があった。フリードマンとは独立に、宇宙定数Λを持つ宇宙論で非定常的なモデルがルメートルによって発見されたが、このことは、後にエディントンが証明したように、宇宙定数Λを持つ静的宇宙といえども、曲率半径のごく僅かな増加ないし減少に対して安定ではありえぬことを示唆していた。そして、宇宙の膨張という可能性は、ハッブルの天体観測によって確認されることとなったのである。一九二九年にハッブルは6×109光年の範囲で、星雲の後退速度は距離に比例するという法則を発見し、これ以後は、宇宙の膨張という事実を考慮に入れない宇宙論は退けられることとなった。

1946年にはガモフが初期宇宙における物質は超高密度で、超高温であるので急速な熱核反応を引き起こし、エネルギー密度は、輻射優勢であると述べた。1948年にはボンディ、ゴールド、ホイルがいわゆる定常宇宙論を発表し、アインシュタインの標準的な一般相対性理論を越えて、宇宙全体における「連続的な物質の創造」を主張した。

宇宙は膨張するが連続的な物質の創造によって定常状態が維持されるという新しいタイプの定常宇宙論は、一時期は宇宙に爆発的な始めを想定するビッグバン宇宙論よりも優勢であった。その理由は宇宙の始まりという「特異点」を物理学の用語で記述すること不可能になるという難点とともに、宇宙の始まりにあったと想定されるような超高密度の小宇宙などは一つも観測されないということがあった。定常宇宙論の提唱者の一人であるホイルは1955年に「宇宙がかつて超高密度であったという明白な遺跡が何一つ見つからないのは、爆発的な宇宙創世説に疑惑を持たせるものである」と書いているが、これは当時の状況を反映するものであった。

しかしながら、ホイルが言及したような初期宇宙の名残に相当する現象-宇宙背景輻射が1964年に発見されるに及んで、宇宙論は新しい展開を見せることとなつた。宇宙背景輻射とはマイクロ波の長さで宇宙を浸している低温の電磁輻射である。ビッグバン理論によれば、その起源は、宇宙の開闢時における超高温の火の玉であると考えられる。この輻射の存在は、1948年にガモフがべーテおよびアルファとの共同論文のなかで初めて予言した。彼等は、進化論的な宇宙論の立場から、星の内部における核反応や宇宙を構成する,元素の起源の問題を研究する途上において、宇宙を構成する物質は、宇宙の開闢時の超高温の状態から、宇宙の膨張に伴う冷却化の過程の中で形成されたという仮説を提唱した。宇宙の膨張によって、輻射も弱まり、原罪では、絶対温度にして25度まで冷却したというのが彼等の理論であった。当時の観測技術では、このような弱い輻射を発見することは出来なかったので、彼等の予言はさほど注目されなかった。1964年ベル電話研究所の技師ペンジアスとウイルソンが絶対温度で3.5度のマイクロ波の輻射が宇宙のあらゆる方向から高じ強さで地球に降り注いでいるという事実を発見した。まもなく、これがビッグバン理論の予言する背景輻射であると認定され、彼等は、この功績によってノーベル賞を受賞することとなつた。現在では、この宇宙背景輻射の温度はさらに精密に測定され、絶対温度で、2.7度とされている。

一様な宇宙背景輻射の発見は定常宇宙論とビッグバン宇宙論との間の論争に終止符を打ち、ビッグバン宇宙論に有利な観測的事実として解釈された。しかしながら、この輻射があまりにも一様であって、揺らぎが極端に小さいことは、ビッグバン宇宙論にとってある種の問題を提起している。それは、複雑な構造を持つ我々の宇宙がこの一様な状態からどのようにして進化してきたかという問題である。ビッグバン宇宙論が生き残るためには、どれほど小さくとも、背景輻射のなかに揺らぎがあることが観測されねばならない。この小さな揺らぎの存在は、NASAの人工衛星COBE(Cosmic Background Explorer)によって1990年代の初めに確認され、ビッグバン宇宙論を支持する証拠の一つとなっている。

---補足---

我々の太陽系のある銀河(直径やく10万光年の円盤)は約2000億個の星があり、このような銀河が数千億個あると推定されている。これらは1000個ほどあつまって銀河団を形成し、それらが集まって超銀河団を形成するというように階層的構造をなしている。こういう構造は宇宙開闢の時から存在していたことを示すのが、背景輻射にある僅かな揺らぎである。(10万分の一ほどの僅かの温度差)つまり宇宙開闢40万年ほどの初期宇宙にすでに後の構造へと発展すべき揺らぎがあったということである。この温度の揺らぎをさらに詳しく調べるために、2001年に探査衛星、WMAP(Wilkinson Microwave Anisotropy Probe)が打ち上げられ、背景輻射のスペクトルのエネルギー分布にかんするデータが蒐集され、開闢40万年後の宇宙に物質密度の揺らぎがあったことが示された。

この物質密度の揺らぎの原因については、ビッグバーン宇宙論だけでは説明できず、何らかの形で量子力学を取り入れた宇宙論、量子宇宙論が必要とされる。きわめて思弁的な議論ではあるが、インフレーション理論がそれを説明する理論として登場している。それは、なぜビッグバーンが起きたかを説明する理論でもある。

インフレーション理論によると、宇宙の最初期(10-36秒後)に、真空の相転移がおきて、このときに解放された真空のエネルギーが斥力となってビッグバーンを引き起こしたという理論である。

1998年に宇宙の膨張のスピードが加速している証拠が発見された。(超新星の光度がた値よりも暗いこと)2003年にWMAPの観測データから、平均質量密度の内訳が求められたが、それによると、宇宙の平均質量密度が、臨界密度にきわめて近いことが判明した。帯域的には宇宙は平坦であるということが判明したわけである。これはインフレーション理論の予測、宇宙の曲率は零という予測に合致する。



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相対性理論100年記念シンポジウムのための覚書 3

2005-11-14 | 哲学 Philosophy
相対性理論の含意する世界観

四次元世界の遠近法


相対性理論が自然に適用される世界は極大宇宙である。ここで極大という意味は、天文学的な意味での大宇宙をあつかうということだけではなく、非常に高いエネルギーや極端に大きな重力場が存在するような場合をも含んでいる。古典物理学の実験観察が基礎としていた人間的尺度で考えるならば、この理論には、我々の常識を逆なでする所が多々あることはよく知られている。例えば、相対性理論の基本原理である一慣性系における一光の相対速度の不変性という原理は、我々が、たとえ光速度の99.9%の速度で光を追いかけたとしても、もとの光を依然として前と同じ速さで見いだすであろうという逆説的事態を主張している。実際、絶対基準系(絶対静止のエーテル)に対する地球の運動の影響を測定しようとしたマイケルソン・モレーの実験が否定的な結果を与えるまでは、アインシュタインを除く殆どの古典物理学者は、このような逆説を物理学の基本原理として受け入れることを拒否していたといってよい。例えば、ローレンツは、光速度の不変性という事実を、エーテルが運動物体に与える収縮効果と、エーテルが運動する時計に与える遅延効果が、互いに相殺した結果生じた「見かけ上の現象」であると考えていた。彼は、「エーテル」という隠れた実在が及ぼす未知の因果的効果によって、絶対的な意味で運動物体が収縮し、運動する時計が遅れる、と考えたのである。絶対静止系を前提したローレンツにとって、光速度の不変性は、説明されるべき変則的事実であって、決して物理学の普遍的な原理などではなかったのである。「運動物体の収縮」および一運動する時計の遅れ」という二つのアイデアは、ローレンツ変換とともに、アインシュタインの特殊相対性理論にも登場するが、その物理的解釈は本質的に変化したといってよい。相対性理論では、この二つの効果は、どの慣性系を基準にしても平等に現れるから、絶対静止のエーテルに起因するものと考えることができないからである。それは、時空の計量の定義にかかわる本質的問題となり、複数の原理的に対等な時間系列の存在と、絶対的同時性の否定という相対性理論の核心ともいうべき基本思想から説明されるのである。そして、この相対性理論の核心部分は、絶対時間と絶対空間という概念に基づいて構成されたニュートン物理学の根幹を否定するものなのである。

我々は、相対性理論がニュートン物理学の連続線上に構想されたものではないことを明瞭に理解しなければならない。ニュートン物理学との不連続性を見失わないことは、相対性理論を理解するうえで必要不可欠であるにもかかわらず、しばしば見落とされる。その理由は、相対性理論の立場からニュートン物理学を光速度を無限大とする極限操作によって数学的に導くことができるために、数学的な一般化という事実が、意味論的な本質的相違点を覆い隠しているからである。ニュートン物理学は、厳密には真ではないが、物体の速度が光速度に比べて小さいときは、近似的に真となるという意味で、相対性理論のなかに包摂されているということは確かに誤りではない。ひとたび、相対性理論のパラダイムを受け入れるならば、その立場にたってニュートン物理学を受容することは可能である。しかしながら、相対性理論というひろい枠組みのなかに包摂されたニュートン物理学は、元来のニュートン物理学がそれ自身のパラダイムの枠組みのなかでもっていた意味を失っていることに注意しなければならない。

そのことは、次のような考察によって明らかとなる。相対性理論では四次元の時空は、過去と未来を向いた二つの光円錐によって、三つの領域、すなわち絶対未来、絶対過去、共時的(空間的)領域の三つに別れる。基準事象O(今此処)から見て、絶対未来とは、如何なる慣性基準系においても未来となる領域であり、絶対過去とは、如何なる慣性基準系においても過去となる領域である。相対性理論に固有の時空的領域は共時的(空間的)領域であり、そこにある事象は、基準系の取り方によってOの未来にも過去にも現在にもなりうるという意味で、生起の時間的順序が完全に相対化されている。我々は、このような共時的領域はニュートン物理学では存在しえない領域であることに注意しなければならない。

さて、相対論で光円錐を図解するときにには、時間軸と空間軸を二等分するかたちで光円錐を表示するのが慣例であるが、これは光速度c=1という尺度を採用したことを意味している。人間の日常的な尺度では、光速度cは極端に大きな値であるから、実際の光円錐は空間軸に限りなく接近するために、相対論に固有の領域である共時的領域も限りなくニュートン物理学の絶対的に同時的な領域に縮退していくように見える。しかしながら、このような数学的極限操作によって相対性理論の時空概念がニュートン物理学の時空概念に移行するという考え方は、厳密にいって誤りなのである。1/cがゼロでなくて有限の値であることは、両者の概念の間の連続的移行を不可能にするということを以下に示そう。

共時的領域とは何であるかということを明確に示すために、「基準系fでは出来事xが出来事yよりも前に起きた」という関係をA(x,y,f)で、「基準系fでは、出来事xが出来事yと同時に起きた」という関係をS(x,y,f)で表記しよう。

出来事xに関して、xの絶対的未来領域、xの絶対的過去領域、xの絶対的な同時的領域、および共時的領域という三つの概念を次のように、時空の計量に言及しない形で区別することができる。今、出来事xの(因果的)未来領域に属する出来事を、

F(x)={y|(∀f)A(x,y,f)}

出来事xの(因果的)過去領域に属する出来事を、

P(x)={y|(∀f)A(y,x,f)}

出来事xと絶対的な同時的領域に属する出来事を

S(x)={y|(∀f)|S(x,y,f)}

出来事xと共時的な領域に属する出来事を

C(x)={y|(∃f)S(x,y,f)}

と書けば、相対性理論とニュートン物理学の時空概念の本質的な相違点は次のように表現できよう。

ニュートン物理学では、xと共時的な領域C(x)はそもそも存在せず、任意のx,yに対してy∈P(x) または y∈S(x) または y∈F(x)
のどれかが、そしてどれか一つのみが、かならず成り立つのに対して、
相対性理論では、xと絶対的に同時的な領域S(x)はそもそも存在せず、任意のx,yに対して y∈P(x)または y∈C(x) または y∈F(x)のどれかが、そしてどれか一つのみが、かならず成り立つ。

そして、共時的領域にとって本質的なことは、「.....と共時的である」という関係が推移律を満たすとは限らないということにある。即ち、事象aとbが共時的であり、事象bと事象cが共時的であっても、事象aと事象cとは共時的とは限らないのである。それは、aとbとを同時的とするような基準系と、bとcとを同時的とする基準系がそれぞれに存在したとしても、この二つの基準系が一致するとはかぎらないということに由来するのである。

そして、空間的に隔てられた二つの事象が、あらゆる基準系で同時的となることは、相対性理論においては起こりえないのである。

したがって、「共時性」とは、弱められた意味での「同時性」なのではない。その理由は、上で示されたように、共時的な領域に属する出来事については、絶対的な同時性の概念が否定されることによって、時間的な継起の概念もまた相対化されるからである。すなわち、互いに共時的な二つの事象は、基準系の取り方によって、どちらが先に起きたかが変わりうるからである。すなわち

C(x)={y|(∃f)S(x,y,f)}={y|(∃f)A(x,y,f)&(∃g)A(y,x,g)}

相対性理論は、光速度を無限大とする極限においては(正確には、物体の速度vと光速度の比がゼロとなる極限においては)ニュートン物理学と一致するということがよくいわれる。しかし、その意味は、光速度が物体の運動速度に比べて非常に大きい場合には、相対性理論はニュートン物理学と同じ観測結果を予言するということであって、相対性理論の時空概念とニュートン物理学の時空概念の区別がなくなるという意味ではない。

なるほど、1/c がきわめて小さい場合には、共時的領域C(x)は、(光円錐が無限に空間軸に接近するために)ニュートン物理学でいう絶対的同時領域に限りなく接近するであろう。しかしながら、両者の意味するものは上で示した通り全く異なっており、決して同一視できないことに注意しなければならない。1/cがゼロではなくて有限の値をとるということ、しかもそれがあらゆる慣性系でつねに同一の値をとるということが、ニュートン物理学と相対性理論との間の不連続性を形成するのである。

相対性理論では、絶対的基準系の存在を否定したのではなく、観測できない実体を切り捨てる「オッカムの剃刀」の原理にもとづいて、単にその存在を前提しないですませたという言い方が科学史の文献にはかなり見られる。

しかし、もし絶対的同時性という概念を、「あらゆる慣性基準系で同時的」という意味にとるならば、このような解釈はミスリーディングであることが分かるだろう。「絶対時間はありえない」という主張は相対性理論のメッセージの核心にあるのである。

我々は、計量を捨象して四次元の時空の構造を根拠に語ったが、計量を明示した場合には、さらにニュートン物理学と相対性理論の時空の遠近法はさらに明瞭になることを次に示そう。ニュートン物理学では、時間的な近さと空間的な近さは、それぞれ独立であって、ある出来事の時空的なε近傍は、時間をdt、空間距離をdlとして|dt|<ε かつ |dl|<εによって表示される。要するに、ニュートン物理学の遠近法は、近傍が有界な閉じた領域を形成するという意味で、基本的には常識と一致するといってよかろう。

これに対して、相対性理論の遠近法は、時間と空間とが不可分離的であるために、時間的にも空間的にも無限に延長する、開かれた概念であるという特徴を持っている。

それは四次元ミンコフスキー時空におけるε近傍が、時間的にも、空間的にも双曲的な構造を持つことに表されている。ミンコフスキー時空では、(光速度c=1として)座標時間の経過をdtで、空間座標で表示された距離をdl(dl=(dx2+dy2+dz2)1/2)として、時間的な四次元距離はds2=dt2-dl2によって、空間的な四次元距離はds2=dl2-dt2で表示されるから、四次元時空のε近傍は、ニュートン物理学のように、|dt|<ε かつ |dt|<εのような閉じた領域によって与えられるのではなく、|ds|<εによって与えられる双曲的な超曲面で囲まれた領域で表示される。それゆえに、この時空における「今此処」の近傍は光円錐に沿って過去と未来へ向かって限りなく延長しているのである。

     時間的 ε 近傍                    空間的 ε 近傍


相対性理論におけるε近傍が時間軸と空間軸に沿って無限のかなたに伸びているということは、あまりよく認識されていないのではないだろうか。それは、ニュートン物理学のなかで、あるいはニュートン物理学がその洗練にすぎない我々の日常言語の「近傍」概念とはあまりにもかけ離れているように見えるからである。ここでも、我々はc→∞の極限操作によって、事態を単純化しようとするかもしれない。つまり、cを限りなく大きくすれば、時間的近傍は限りなく絶対現在の領域に近づき、共間傍時近時的領域にあらわれる空間的近傍は無視しうるのではないかと考えるのである。しかしながら、相対論でいう時空の四次元距離の概念にとって、基準系の変換に対して不変であるのは、四次元距離体であって、そのなかに現れるdtやdlではないということが、ここで重要な意味を持ってくる。それは、言い換えるならば、空間を捨象した「今」や、時間を捨象した「此処」という概念に、不変の意味がないということを意味している。そのために、ニュートン物理学では、時間的近傍と空間的近傍とは独立の概念であって、二つの出来事が時間的に接近しており、なおかつ空間的にも接近していると述べることに何の矛盾もないが、相対性理論では、二つの出来事が接近しているという場合、それは「空間的に接近しているか(space-likeな四次元距離の意味で)それとも「時間的に接近しているか(time-likeな四次元距離の意味で)」どちらか一つだけを意味するのであって、「時間的な四次元距離の意味で近傍にあり、かつ空間的な四次元距離の意味でも近傍にある」ということはできないのである。

我々が日常的な地上の出来事について語る場合、ニュートン物理学で事が足りるから、一々相対性理論を持ち出す必要がないというのは、もしそれが、相対論的宇宙論は我々の日常生活とは無関係であるという意味でならば、正しくない。有名なオルバースのパラドックスは、夜空が暗いのはなぜであるかという日常的には自明の理にすぎぬことを問題にしたものであるが、現代の物理学者は、これをビッグバン宇宙論と関連させて説明しているからである。また、このような例を持ち出すまでもなくとも、我々は、一度、天空を見上げ、人間的尺度をはるかに越える宇宙について観想するならば、むしろ相対性理論の方が極大宇宙の理解に自然な尺度と遠近法を与えているということを次に示そう。

まず、天文学的距離は、光速度を媒介として時間で表示されていることは周知の事柄である。そこでは、文字どおりc=1とする尺度が自然なのである。さらに、我々は、相対性理論でいう過去の光円錐上の領域(t<0, ds=0)に直観的な意味を与えることができる。すなわち、過去の光円錐とは、我々が夜空を見上げたときに我々の周囲に広がっている「時間の奥行きをもった」三次元空間として解釈できる。天文学者が観測している天体は、我々の地球時間を基準にしたその都度の現在(dt=0)の宇宙の姿なのではない。例えば、冥王星は5時間前の、ケンタウロス座のαは4年前の、アンドロメダ星雲は150万年前のというように、過去に向かう時間的な奥行きをもった対象の姿を、今此処で見ているのである。このことは、古典物理学の時空概念に従うならば、「遠方の天体になればなるほど、それだけ遠い過去の宇宙の姿を我々に見せている」ということになろう。 しかし、「遠い」とか「近い」という語を、空間と時間の計量を切り離して考えているならば、それは、我々の基準系でのみ通用する考え方であることに注意しなければならない。 基準系の選択に依存しない四次元距離で測るならば、宇宙のどれほど遠方の、どれほど過去におきた出来事であっても、時間的または空間的な四次元距離の尺度において、我々のごく近傍にあるといわねばならない場合がある。我々が、例えば今日観測した超新星の爆発が、10万年前に10万光年はなれた遥か遠方で生起した出来事であったという場合、相対論的宇宙論の遠近法によれば、その出来事は、今此処と四次元的な距離において近接しており、昨日地上で我々の周辺で起きたどんな出来事よりも、我々に近いということができる。

過去の光円錐とは時間の奥行を持った三次元の空間である。それは、現在的直接性(presentational immediacy)をもって知覚されるのであり、ここで示されたような相対論的宇宙論の遠近法によれば、我々が見上げる夜空の星は、そのままで、ビッグバン以後の悠久の宇宙の歴史的過去を、今此処で直接に開示していることになろう。
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論理・数理・歴史 1

2005-05-20 | 哲学 Philosophy
一 懴悔道以後の田辺元の『科学哲学』の独自性 

『懴悔道としての哲学』(1)以後に書かれた、晩年の田辺元の科学哲学上の論文は、前期ならびに中期の著作と一面において連続性を有するとともに、他面においては、全く新しい特徴づけを必要とする不連続性をもっている。まず『科学哲学』という言葉の定義が本質的に変化したのである。 すなわち晩年の田辺が『科学哲学』という語で言おうとした事柄は、伝統的な形而上学や宗教哲学との関係において、実用主義や論理実証主義の流れを汲む現在の欧米で使われている標準的な意味を基準にしたのでは全く理解できないものであることに注意しなければならない。

例えばウィーン学派が『科学哲学(scientific philosophy)』で意味したものは、神学や形而上学の残滓をすべて清算して、哲学を実証的な諸科学の認識論ないし論理学となすところにあった。(2)カントの認識批判を言語批判として継承した彼らにとって、形而上学や神学はいかなる認識的な意味をも否定されるべきものであった。『科学哲学』という用語には、伝統的な哲学の解体、哲学が個別的な科学に解消されることに、歴史の進歩をみる実証主義者の見地が反映されていた。 従って、この意味での『科学哲学』は、宗教哲学や形而上学に根本的な関心をもつ哲学者にとっては、哲学をあたかも『科学の侍女』として扱うごとき態度を含意する点において、伝統的な哲学的知の終焉を告知する厭わしい用語であった。これに対して、カント哲学の批判精神を受け継ぎつつも、それを『絶対批判』の弁証法という独自の仕方で展開した田辺元が『科学哲学』という用語を使うとき、それは科学の探求の現場で科学者の遭遇せざるを得ない逆説ないし二律背反という限界状況を徹底的に考察することを意味しており、彼はその考察を宗教哲学の根本問題へと媒介することを自分の課題と考えていたのである。

『科学と哲学と宗教』という晩年に書いた論文で田辺は『科学は科学哲学にまで自覺を徹底するとき、必然宗教に通ぜざるを得ない』と書き、次のようにその理由を述べている。(TW12:134)(3)
本来、科学と宗教とが矛盾するといふことは、両者がそれぞれ境界を侵すいはゆる越境行為を自由意志によりて敢えてするためにのみ起こるものであるとは限らぬ。若しそうであったならば、また自由意志により各々が自制することによって、両者の闘争は中止せられるはずである。しかるに批判が結論として到達したところの理性の二律背反なるものは、實はいかにするも分析論理の立場において分別し自由意志的に制限することにより解消することのできる矛盾ではないことを示す。それは定立と反定立とが、それぞれ相当の理由をもって主張せらるる不可避の対立であって、それに陥ることは無制約的認識を意圖する理性の免るべからざる運命なのである。理性はこの運命を謙虚に肯定し、一度自己を矛盾の底に壊滅せしめることにより、その死から復活せしめられる挫折即突破の道を行的に信証するより外にゆく道はない。かくして、科学そのもののなかに、認識の徹底的自覚を求める哲学の要求が含蓄せられ、これがその限界状況において、不可避に発現せられることにより、おのづから宗教の立場に通ずることをあらはならしめる。・・・
このような田辺の独自な科学哲学理解は、数理哲学や理論物理学の探求の現場で登場する逆説を実在への通路とする考え方を前提している。彼は、自分の科学哲学をしばしば『科学の公案を解くこと』と表現していた。田辺の宗教哲学が彼の科学哲学における公案修行と不即不離の関係にあることは、基督教信仰をもつ科学者が、自然という書物の中に創造主の言葉を読み取り、存在の比論によって啓示の理解への準備としたことになぞらえることができる。臨済禅の室内で師家の提唱を聞き宗教的なパラドックスと悪戦苦闘した経験こそなくとも、田辺の科学哲学における著作こそ、万人に開かれた書物にほかならぬ自然において現成する逆説的真理の促しによる辧道話として、類比的な意味で彼の公案修行の足跡であったということもできよう。

さらに注目すべきことは、『懴悔道としての哲学』という著作自体が、日本の敗戦という歴史的事実を、田辺が『公案』として受けとめることによって生まれたということである。この文脈では、『公案』という語は倫理的社会的実践において我々の遭遇する二律背反を指すものであり、彼の所謂『倫理的懴悔道』は現実の歴史的構造に由来する『全面的公案』として了解されていた(TW9:125)。それは、決して単に『懴悔を公案とする念佛禅』という折衷的な観点から提示されたものではなく、日本の敗戦とそれに伴う戦争責任という倫理的な問題を全面的に受けとめ、それをみずからの『哲学ならぬ哲学』の起点とすることによって生まれたものであった。 同じ『絶対無』という用語を使用しながらも、歴史と他者にかかわる社会倫理という実践的問題を第一義的に重要なものとみなすことは、京都学派の他の哲学者達のなかでの田辺の位置を独特なものとしているが、彼がこの『全面的な公案』を『過去的限定と未来的形成との矛盾的構造』をもつ歴史的な事実において見いだしたという事自体が、制度化された宗教組織のなかで円環的に固定化された公案修行の体系には収まり切らない問題を開示している。すなわち、円環的な時間構造を突破する『危機断層、革新顛倒をもってなる』歴史過程と、そのなかで提起される実践的な二律背反こそが田辺のいう『全面的公案』の中核をなしているのである。

歴史的世界を主題とすること、またこの現実の世界における二律背反を現成公案としてそこから哲学の問題を捕らえ直すこと、そのためには通常の意味での哲学が否定されるような場所で哲学しなければならないこと、これらは後期西田哲学の中心課題でもあった。しかしながら、この課題の同一性は、西田と田辺の哲学的対立を決して解消することはなかった。田辺は、アリストテレスに帰せられている『プラトンは愛すべし。されど、真理は更に愛すべきものなり(amicus Plato, sed magis amica veritas)』という古語をひいて、彼がいかに曾ての師であった西田に負うことが大きいかを率直に認めるとともに、それにもかかわらず西田哲学批判を執拗なまでに続行しなければならなかった彼の心情を吐露している(TW12:333)。 田辺の西田批判は、ちょうどアリストテレスのプラトン批判がそうであったのと同じように常に正当であったとは言い難いにしても、そのような批判を通して田辺が問題としている事柄自体は、西田と田辺に共通する課題を我々自身が問題とするうえで無視しえぬ重要性をもつものである。新プラトン主義の哲学者達が、執拗なまでのプラトン批判を含むアリストテレスの著作を寧ろ積極的に読み、それを否定的に媒介することによって純化された意味でのプラトン哲学の継承者たらんとしたことは哲学史では周知の事実であるが、それと同じようなテキスト解釈と批判的再構成の方法が、西田哲学と田辺哲学の継承を志すものに対して要求されるのである。

田辺の西田批判については、これまでに数多くの研究文献があるが、その多くは、狭い意味での宗教哲学の見地からのものであって、彼の科学哲学の著作に着目してそれを取り上げたものは決して多いとは言えない。このことは、田辺の言う意味での科学哲学がもっている重みが正当に考慮されなかったということを意味している。そのために、田辺と西田の宗教哲学を支えている個人的な宗教的経験の質の違いが一面的に強調され、ややもすれば、既成宗教ないし宗派の内部でのみ通用する固有の尺度を暗黙のうちに前提した上で、両者の宗教哲学の差異や深浅などが評価されることが多かったのではなかろうか。 『哲学ならぬ哲学』としての田辺哲学は、『哲学ならぬ』面において、確かに宗教的経験に根差しており、このような宗学的ないし神学的尺度と共約可能な側面をもっているが、同時に『哲学』である面において、特定の宗教宗派に拘束されぬ『論理』に貫かれている。そしてこの論理の何たるかを理解するうえで、彼の科学哲学上の著作が重要な手掛かりを与えているのである。

田辺の最晩年の著作の校訂にも携わった西谷啓治は、彼の科学哲学上の著作のもつ意味について次のように言っている。(NW9:259)(4)
(田辺)先生には『数理の歴史主義展開』といふ昭和二九年に出版された著作がありまして、これは先生の著作のうちでは、比較的に読まれることの少ない本ではないかと思ひますが、しかし私の感じでは、先生の思想を、一番良くと言ってよいかどうかは分かりませんが、すくなくとも論理の側面では非常にはっきり打ち出してゐるものではないかと思ゐます。そのなかで先生は、この書を一つの覺書と呼んで、『この覺書は私の哲学思想の総決算的告白に外ならないつもりである』と言はれてゐて、事実またさういふ感じのするものであります。
『数理の歴史主義展開』の構想は、すでに『懴悔道としての哲学』のなかで予告されていたことに注意しなければならない。懴悔道には、メタノイア(悔い改め)という意味とともにメタノエーシス(理性の立場を越える)という意味があり、それらが理性に還元されぬ歴史の試練を真正面から受けとめることにおいて収斂している。この試練によって突破される理性とは、理論理性と実践理性の統一を志向したフィヒテ以後のドイツ観念論でいう意味での理性(Vernunft)の立場を含むにとどまらず、ヘーゲルの絶対的観念論の没落以後の自然科学の歴史の中で展開された数学的理性、すなわちカントールの積極的な無限論の提唱に始まり、ラッセル・ホワイトヘッドによる集合論の逆説の発見とゲーデルの不完全性定理によって挫折した数学の哲学的基礎づけのなかで前提されていた理性の立場をも含む射程をもつものであった。そのことは、内容的には徹底した歴史主義にほかならない懴悔道が、『一見極めて縁遠い数理哲学の問題として久しく私の頭を悩ました無限集合論に対する態度などが、他力哲学の行信証によって新しい方向に決定する』ものであったという田辺の述懐に現れている(TW9:7)。懴悔道以後の田辺の科学哲学上の著作は、彼の徹底的な歴史主義の論理が何であるかを理解するうえで重要な手掛かりを含むものでありながら、数理哲学や相対性理論と量子力学との統合という現代物理学の課題の哲学的考察を中心とするものであるがゆえに、狭い意味で宗教哲学にのみ関心をもつ読者に無視された嫌いがある。しかし、西谷が指摘したように、田辺哲学のすくなくも論理的な側面における『総決算』ともいうべきこれらの著作群を読み解くことは、西田哲学のいかなる側面を田辺が問題にしたかを理解するうえで必要不可欠であろう。我々は、科学哲学の根本問題(二律背反の克服)を科学史の展開の現場において考察する彼の思索のあとを辿ることによって科学哲学が宗教哲学に通底するという田辺のテーゼを確認するとともに、歴史を捨象する理観において成立つと田辺が考えた『場所の論理』を、彼が根源的に時間的な行信證のうえに成り立つ『懴悔道(理観超越)の徹底的歴史主義』によって置き換えようとしたことの意味を了解することができるであろう。 
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論理・数理・歴史 2

2005-05-19 | 哲学 Philosophy
二『数理の歴史主義展開』における場所的直観説の批判 

 『数理の歴史主義展開』の第八章は『数学の自由主義(集合論)より歴史主義(位相学)への進展』という表題がついている。ここでは、数学基礎論における三つの主要な立場、すなわち論理主義(プラトン主義)、直観主義(構成主義)、形式主義(公理主義)のすべてがいずれもそのままでは維持しえなくなったという数理哲学の遭遇した歴史的な現実そのものを分析することにあてられている。この三つの立場を田辺は、それぞれ合理主義の独断論、経験主義の懐疑論、先験主義の批判論に対応させ、この三つの立場のどれもが二律背反ないし循環論をふくむことを明らかにした後で、ゲーデル以後の現場の数学者達がこの二律背反によって課せられた理性の本質的な制約を認めることによって、却って実践的にそれを克服しているという現実を、数理の歴史主義展開として捕らえたものである。

 田辺の主張をよりよく理解するために、ここでは現場の数学者の行った数学の基礎に関する哲学的反省を手引きとすることにしよう。一つは、ヘルマン・ワイルの位相学や群論を扱う数学および理論物理学上の一連の仕事とそれらに基づく『数学と自然科学の哲学』という著作である。これは、一九二七年にドイツ語で書かれ、一九五〇年に英訳されたときにワイル自身によって改訂増補されたものであるが、田辺が問題としている科学哲学の全領域を現場の第一線で活躍した数学者の実践的見地から論じたものである。もう一つは、末綱恕一の『数学の基礎』(一九五二年)およびドイツ語でかかれた同一の主題の諸論文である。『数学の基礎』は『寸心先生に捧ぐ』という献辞からもわかるように、西田の言う行為的直観の考えかたに基づいて書かれた数学基礎論であって、『数理の歴史主義展開』のなかでも引用され、田辺の西田哲学批判という文脈のなかで『場所的直観説の不備、時空『世界』の歴史性』という章で論じられている。 ワイルは『リーマン面の理念』の初版(一九一三年)の序文で次のように言う。(5)
厳密さに関する現代の厳しい要求に従おうとすれば、リーマン面の理念もまたその表現のために多量の抽象的な微妙な概念と思考とを要求する。しかしながら、この論理の糸によってきめ細かく織り上げられた全体系が、ここでは根底において決定的なものではないことを認識するには、多少とも鋭い洞察を加えれば足りる。それは単なる網であり、この網を使って我々は本質において単純であり偉大であり崇高である本来の理念を、プラトンの表現によれば場所なき場所(topos atopos)のなかから、海のなかから真珠を採るように、我々の悟性界の表面に取り出すのである。しかしながら、この精緻なそして煩瑣な諸概念の編み物に包まれた核心ーこれこそ理論の生命、真の内容、内的な価値を作るものであるーをとらえるためには、書物は(また教師でさえも)ただ貧弱な暗示を与えるに過ぎない。ここでは各個人が毎回あらたに、みずから理解を求めて格闘しなければならない。・・・
彼は、この書物の最後の章を『一意化の理論(Uniformisierungstheorie)』にあてることを述べた後、次のように言うことを憚らなかった。(5)
我々は、ここに全ての地上的な個々の実在から解脱した神の姿-このような比喩をもちいてよいならばーを見る。二次元の非ユークリッド的な結晶の象徴においてリーマン面は、すべて偶然や光を曇らせるものから、でき得る限り解放された、純粋な真の姿を現すのである。
一九一三年の時点での数学者ワイルにとって、リーマン面の理念(イデア)は論理の糸に細かく編み上げられた体系の網によって、『場所なき場所』から取り出されるものであった。ここでは、『イデアの場所(叡知的世界)』をあらわす新プラトン主義の用語にほかならぬ『場所なき場所』という語が使われているが、この場所で働く『イデアを見る』直観こそワイルが数学的理論の真の生命と呼んだものである。田辺が『数理の歴史主義展開』のなかで、『場所的直観説』として特徴づけているものは、直接には西田哲学を基盤とすると末綱恕一の数学論にむけられているが、一般的には純粋数学におけるプラトニズムの伝統を指していることに注意しなければならない。それは比論的に言えば、西田哲学の一般者の自覚的体系の最後の段階で語られる叡知的世界に、また『懴悔道としての哲学』の第五章で言及されている『智者賢者の自由』にもとづく『自力的神人合一の直観』に対応するであろう。懴悔道では、このような賢者の立場を自己自身が決してとり得ぬという実存的な愚者の自覚の立場が強調されていたが、その立場から翻って賢者の立場を批判する論拠、すなわち懴悔道と絶対批判とを媒介するものは徹底した歴史主義に求められていた。ところで、『数理の歴史主義展開』において問題となっているのは、数学的プラトニズムが維持できないにもかかわらず、さりとても純然たる経験主義的な直観主義にも、また数学的対象の実在性をすべて括弧に入れて無矛盾な公理体系の提示をもって満足する形式主義も、全て哲学的立場としては挫折したという二律背反的な状況である。 ここでワイル自身が、ゲーデル以後の数学の発達を考慮して大幅に改訂補足した『数学と自然科学の哲学』のなかでは、次のような叡知的世界の実在性にたいして懐疑的な立場に後退していることが注目されよう。(6)
単に現象論的な観点からは理解しがたい全体性のほうへと駆り立てる理論的欲求が我々の中に生きていることは否定できない。まさに数学こそこれを特別の明瞭さをもって示す。しかしそれはまた、その欲求は一つの条件の下にだけ、すなわち我々が象徴(記号)をもって満足し、超越的なものがいつか我々の直観の光圏中に落ちることを期待するという神秘的な過誤を断念するという条件の下でのみ満たされ得ることを教えるであろう。
この著作におけるワイルは、数学を『無限の科学』として規定したあとで、『もしカントの言葉に従って、理念をすべての経験を超越し全体性の意味において具体的なものを補う理性概念と解するならば、無限にゆだねられている役目は単に理想概念としてのそれである』というヒルベルトの言葉を引用したあとで、数学的世界の記号的構成という行為の本質的に歴史的な性格を自覚することの必要性を示唆して次のように言っている。
この問題は、おそらく私自身の存在が欠くことの出来ない部分ではあるが自律的部分ではないところの精神の本質的に歴史的な本性を指摘することによってのみ答えられるだろう。それは光と闇、偶然と必然、自由である。そしてなんらかの究極的な形におけるこの世界の記号的構成がそれから引き離されうるというようなことはおよそ期待され得ない。
読者はここに、田辺の言う数理の歴史主義展開が、決して彼の言う『懴悔道(超理観)の歴史主義』を数学に外部から押し付けたものではなく、現実の数学の歴史的展開に即したものでであったことを確認することができるだろう。それは数学の歴史的考察の意味を強調する数学史家ならびに数学基礎論の流れを先取りした議論なのである。例えば、M.クリーネが一九八〇年に出版した『数学:確実性の喪失』という著作は、数学そのものを基礎論の挫折という歴史的展開において捕らえたものであるし、(7)P.J.デービスとR.ヘルシュが一九八二年に書いた『数学的経験』は文字どおり経験主義の立場から数学の歴史を述べたものである。(8)カントや論理実証主義者がしたように、数学を没歴史的な体系として構想することは、数学がたえず発展する学問であることを説明することができない。簡単な例を挙げるならば、ゼロという記号をもたず、また一を数とは見なさなかったギリシャ人の数の概念と、ゼロや負の数をも整数とみなす現代人の数の概念とを同一視することはできないであろう。現代数学の体系の基礎をなし、没歴史的な概念構成の典型と見られている集合の概念自体が、数学の歴史の中で変遷している。たとえば『一者としての多者』という語で集合とプラトン的形相との類縁性を強調したカントールの集合の概念は、空集合を集合とは認めぬものであった。これに対して、現代数学で標準的なものとなったツェルメロ・フラエンケルの公理的集合論では、空集合から他の全ての集合が構成され、個物の存在することさえ集合論にとって必要不可欠の前提としていない。それゆえ我々はカントールの集合概念と公理的集合論の集合概念とを同じものと見なすことができないであろう。その概念は、没歴史的な自己同一性によって特徴づけられるものではなく、二律背反的矛盾を発条として歴史とともに発展して行くものなのである。

言語(記号)的構成を必要不可欠のものとする数学的概念は、このように数学理論の歴史的発展段階に拘束されるが、それとともに、それらの概念に内容を与える数学的直観もまた、媒介抜きの直接性と不変性をもつということはできなくなる。周知のごとく、カントは数学の命題がアプリオリな総合判断であることの根拠を、われわれの空間直観と時間直観のもつ形式にもとめた。このような直観主義に基づく数学論は、有限数の算術の命題とユークリッド幾何学の命題が必然的な真理であることを事実問題として認めたうえでその権利根拠を問うたものであったから、超限数の算術や非ユークリッドの可能性を問題とする現代数学の哲学的基礎をめぐる問題に答え得るものではないことも認めねばなるまい。すなわち、数学的直観そのものが数学的理論の歴史的発展段階に制約されているのである。

 末綱恕一の数理哲学にたいする田辺元の反論は、西田哲学に影響された末綱恕一の行為的直観の説の非歴史的性格に向けられている。末綱は『数学の基礎』の序文で彼の数学観を次のように要約する。(9) 直観的内容をもつ勝義の数学といふものは、ただ有限個のものばかりでなく、ある種の無限者をも包含するのであって、事実普通の解析学(微分積分学)の基礎になるものは、直観的内容をもつものとして基礎づけられることを明らかにするのが、本書の目的とする所である。私は、自然数全体と直線的連続体とを全数学を担う二つの支柱と見なし、これから行為的直観的に我々が把握し得るものを、勝義における数学的存在と考える。

末綱は『無数のものがあってそれらが一つの纏まった全体をなすことが確認できない場合には、排中律は実際意味をもたない』ことを認める点において、ブラウアーの直観主義の主張の部分的正当性を認めるが、そこで言われている直観が、『有限の行為による構成をあまりに重大視するために、無数のものの集まりについての命題に関して排中律を全面的に拒否する』ことになり、その結果帰謬法も用いられなくなった欠陥を除くために、時間直観と空間直観との『矛盾的自己同一』としての行為的直観によって無限のものの集まりが一つのものとして把握されることをもって、無限集合に排中律の適用を許容することを可能にするような拡大された意味における直観主義の立場をとった。

田辺はこのような末綱の説が『形成行為を単に直接的形成に限らず、形成行為の目標を内に含ましめることによってその形成の範囲を拡大し、直観主義が有限主義に傾くのに対し、超限集合にまで構成を及ぼしつつ、しかも思惟の主観的理念に止まらず、之を時間空間の直観にゆだねられたことは、直観主義と公理主義との間に立って両者を補完総合するものとして特筆に値する』ことを認めつつ、『構成行為の目的として超越的目標に止まるものを、直観の内部に取り入れそれを直観に内在化せしめることが、直観の立場から許されるだろうか』という疑問を提示する。『西田先生の教えを仰ぐ』以来、終始一貫して変わらなかったこの疑問を、田辺はここでも繰り返す。(TW12;226)
もしそれ(行為的直観)が、行為の達成すべからざる目標を超越的イデーの立場から引き降ろして現実に内在化せしめることを意味するならば、それこそまさに独断的形而上学の常套であって、いはゆる神学の世俗化にほかなるまい。元来、無限追求の理想を表すイデーの達成実現といふことは、実はイデーのイデーたるゆゑんに反する不当の要求である。・・・
それ(イデー)を飽くまでレヤールなものとして直観に内在するといはれるならば、それはただ時間的行為を空間的全体に内在化せしめる行為的直観の主張に拠るほかない。これが西田哲学の立場であるからには、末綱博士もここに立脚せられるのであろう。しかし、これは私の強く反対せざるを得ないところである。その理由は、このように時間空間統一の直観を、西田哲学の主張するごとく場所的とし、空間の全体的直観に重点を置いて、時間の固有構造である過去未来間の対立抗争を並列的に一様化し、現在のもつ飜転循環的渦動性を抽象して、点の直接的連続(実は単なる稠密)系列に化するならば、それは畢竟時間を空間のうちに解消し、前者の立体的弁証法を後者の平面的同一性に化するものであるからである。それは、行為の時間即空間といふべき転換的動性あるいは三一性を意味するのではなく、行為的現在の瞬間的渦流ならぬ過去の均衡的一様性とそれの投影としての未来の均衡的一様性とをもって時間を空間化するものにほかならない。そこには危機断層、革新顛倒をもってなる歴史性はないのである。
ここで展開された西田哲学の行為的直観にたいする田辺の解釈と批判が西田自身のコンテキストに照らして公平なものであるかどうかは問題がないわけではない。西田自身は、円環的限定即直線的限定、直線的限定即円環的限定なることを説き、空間と時間との等根源性を主張していたから、決して田辺が言うように時間的行為を空間全体に内在化させる意図はもっていなかったからである。しかし、田辺から見れば、空間と等根源的なものとして見られた時間、即ち円環的限定と相即する直線的限定として捕らえられた時間は、空間化された時間であり、『危機断層、革新顛倒をもってなる歴史性』を撥無するものにほかならないのである。彼にとっては『行為的直観の具体的真実は歴史的行為の自覚である』という立場から、『場所的空間的契機の優位を清算して、真に行為的時間的契機の優越を認め具体性を確保すること』が課題であった。 田辺が言う『行為的時間的契機の優越』というモチーフこそ、田辺哲学と西田哲学との共通項とも言うべき『絶対無』に対する両者のアプローチの相違の根本にあるものである。絶対無を『場所』として捕らえる西田哲学に避け難い『空間的契機』の批判が、『集合論から位相学へ』という数理の歴史主義展開という文脈において遂行された。そこでは、行為的直観とは無限集合の諸要素の時間的構成と空間的直観との矛盾的自己同一において成り立つという末綱恕一の数理哲学が『直観そのものの歴史性』を考慮していないことを理由に『場所的直観説の不備』として批判されたのである。

 無限集合論から位相学への数学の歴史主義展開という特殊な文脈で、このように西田が最も普遍的な哲学的論理として提示した『場所の論理』の批判を遂行するということは、そもそも如何なる意味を持ち、またそれはどこまで正当化されるであろうか。我々は、次の節で、西田の場所の論理を、無限集合論によって再構成した末木剛博氏の西田哲学研究を手掛かりにして、この問題を考察しよう。そして、田辺の批判は、少なくとも無限集合論として再構成されることを許すような『場所の論理』、すなわち部分に包越的全体が内在することを可能にするという重層的内在論の論理の批判としては有効であることを示そう。

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論理・数理・歴史 3

2005-05-18 | 哲学 Philosophy
三 場所の論理と無限集合論 

カントールに始まりボルツァーノやデーデキンドによって明確に定式化された積極的無限論の特徴は、要素の個数を繼時的総合という時間直観の働きによって数え尽くす事ができないという基本的な特徴をもつ無限集合がもし何らかの意味で実在すると仮定するならば、そのような無限集合は全体と一対一の対応する真部分集合をもつという逆説的な状況を集合論の積極的な原理に転換するところにあった。そこでは、無限集合は『全体と一対一に余すところなく対応する部分を持つ集合』として肯定的に定義され、有限集合は『全体と一対一に余すところなく対応する部分を持たない集合』として否定的に定義される。このような積極的無限論は、米国の新ヘーゲル主義の哲学者ロイスの言う『自己代表的体系』のなかで採用され、『自己が自己において自己を写す』自覚の論理構造をいかに定式化するかを模索していた西田に影響したことは周知の事実である。

一九八七年に完結した末木剛博の四巻に及ぶ西田哲学の体系的研究は、純粋経験論から絶対弁証法にいたるまでの西田哲学の再構成を試みたものであるが、その特色は無限集合論による自覚の論理構造の再構成という所にある。(10)この再構成のポイントは末木は『西田理解の方法の矛盾概念の解釈』という論文の中で、次のような図式に要約している。(11)
自覚とは、『自己が自己において自己を見る』(NW5:387,427,453etc)ことであり、また包摂判断を手本として『包むものと包まれるものとが同一となること』(NW5;425)と規定され、また『場所』なる概念を用いて『場所と「於いてあるもの」とが同一といふこと』(NW5;425)とも言われ、集合論の概念を用いて『全体と部分と同一といふこと』(NW5;425)と定義される。(12)この最後の定義を形式的に表現すれば、一集合Mの部分集合 がもとの集合(全体)Mと要素が一対一に対応するのが『全体と部分と同一』ということである。それはラッセルの用語で言えば『相似』ということであり、現在の集合論で言えば『全単射』ということである。ここではラッセルの用語を借りることとする。すると自覚とは全体Mがその部分 と相似になることである。いま、『AとBとの相似』を『A B』と記せば、『自覚』とは
(Mi⊂M)・(Mi~M) ・・・・・・・  (1) 
という構造のことである。・・・・・・・
『全体Mが自己と相似な(真)部分 をもつ』時、『Mは自覚する』というのである。---この自覚の定義は集合Mの無限性の定義にほかならない。集合Mが無限であるとは、Mが自己に相似な真部分集合を含むことであるという定義は、ボルツァノによって打ち立てられた有名な定義である。そしてそれはまさに上記の(1)式に他ならない。従って、西田の言う自覚とは無限なるものの自己写像ということである。
この図式をもとにして、末木は西田哲学の自覚の体系を三段階に区分し、それを西田哲学の発展の三期に対応させている。
第一段階-自覚の直接態-個人意識の自覚-主語面の自覚-心理学的自覚-(1)式の部分 (これが『善の研究』と『思索と体験』を中心とする西田哲学の初期の時代に対応する)
第二段階-自覚の間接態-超個人的場所の自覚-超越的述語面の自覚-先験論的自覚-(1)式の全体M (これが『自覚における直観と反省』から『哲学の根本問題』までの西田哲学の中期の時代に対応する)
第三段階-自覚の綜合態-個人意識と超越的場所との綜合の自覚-論理学的(絶対辯證法的)自覚-(1)式の包摂関係を中心とせる総体(これが『哲学の根本問題続編』から遺著となった『哲学論文集第七』までの西田哲学の後期の時代に対応する)
西田哲学の発展をこのように三段階に分かつことは、従来の西田哲学解釈とそれほど隔たるものではないが、これを無限集合論的図式(1)と関連づけたところに、末木の著作の新しさがあると言えよう。同氏はこの関連づけによって、難解をもってなる後期西田哲学の諸概念を無限集合論による再構成によって解明しようとしている。晩年の西田哲学の根源語である『矛盾的自己同一』は末木によって、三種の無矛盾的な『矛盾的自己同一』に分類される。
すべてを包む絶対的全体Mは自己矛盾を生じて絶対無となる。その絶対無のなかで自己の内に自己を映し、自己相似的自己写像によって『世界の自覚』が成立する。--これが第一の『全体の矛盾的自己同一』である。 
次にこの絶対無Mのなかの世界 が主観Eと客観Aとの直積として特徴づけられる。それはすべてを主観と客観との相補的結合(不両立的相依関係)として規定する。--これが第二の『両極の矛盾的自己同一』である。(主観・客観のほかに時間・空間などの両極の矛盾的自己同一が重層的に成立する。
次に主観・客観の直積集合としての世界 のなかの個物bは他の個物aから作られたものであると共に、他の個物cを作るものであり、したがって一つのものが『作られたもの』と『作るもの』の相反する二性格を兼ねるので、これも『矛盾的自己同一』と言われる。--これが第三の『作られたもの』と『作るもの』との『矛盾的自己同一』である。 このようにして三種の無矛盾的な『矛盾的自己同一』は重層的に総合されて一つの自覚の体系をなす。
上に要約された末木の西田哲学再構成がはたしてどこまでテキストに忠実であるかという解釈上の問題については様々な評価が可能であると思う。我々がここで論じているのは、あくまでも末木によって定式化された形態における『自覚の論理』であって、本来の西田哲学の論理ではないという異論が当然あるであろう。筆者自身も、末木の再構成に全面的に賛成している訳ではないし、このように再構成された場所の論理が、西田自身の苦渋に満ちたテキストを読むときに誰しもが感じるダイナミズムと奥行きの深さを反映していないことは認めるものである。しかし、ここで筆者が言いたいのは、無限集合論と場所の論理との間には、ある逆説的事態が共通しており、このアポリヤに着眼することこそ田辺が終生批判し続けたものが何であったかを明らかにするということなのである。その限りで末木による再構成は、『場所的』自覚の論理の一つの問題的な側面を提示することには成功しているように思われる。集合論と場所的自覚の論理との間には、構造上の類似があることも注意すべきであろう。集合論は、 単なる(一階の)述語論理で媒介抜きで結合されている主語(個別者)と述語(普遍者)とを、繋辞(ε)を使って明示的に媒介し統合する点において、西田の言う主語の論理(実体の論理)と述語の論理(場所の論理)を媒介総合する繋辞の論理(場所的自覚の論理)と同じ構造をもっているのである。

 また、末木の言う『両極の矛盾的自己同一』や『作るものと作られるものとの矛盾的自己同一』を集合の直積を使って『無矛盾的に』定式化することも、順序対を考えることによって、問題となっている集合のレベルを上げることによって矛盾を解消する道を示したものであり、このような相対的な矛盾的自己同一が集合論によって『無矛盾的』に再構成されるという末木の主張も基本的に評価できるものである。 さて、末木の再構成が明らかとした西田の場所的自覚の論理の構造における最大の問題点は何であろうか。それは、相対的な矛盾的自己同一から区別された絶対矛盾的自己同一、すなわち末木の言う『全体の矛盾的自己同一』の論理構造にほかならない。ここでは絶対無を『ありとあらゆるもの(有)を要素としてもつ全体』と見なす解釈が問題となるのである。このような全体は末木によって『自己矛盾的全体』とか『一切を包越する絶対類』とも呼ばれているが、そのような絶対的全体の自己限定について語ることが果たして意味をもつであろうか。

  無限集合論においては、このような絶対的な全体を一つの集合としてたてることから二律背反的状況が生じる。その理由は、どの与えられた集合よりも濃度の大きな集合、すなわちその集合のすべての部分集合からなる集合(超越的述語面を表す場所に対応する)が存在するが、他方において、あらゆる集合の集合は、それ自身一つの集合として、最大の超限基数をもたねばならないからである。B・ラッセルが有名な『集合論の逆理』を発見したのもまた、この最大の超限基数は存在しないというカントールの証明を吟味していたときのことであった。彼はこの間の事情を次のように回想している。(13)
最大の超限基数が存在しないというカントールの証明を吟味することによって、私はこの矛盾(集合論の逆理)に出会った。私は、無邪気に、世界にあるすべてのものの数は最大の数でなければならぬと信じ、カントールの証明をこの数に適用して、どういう結果が出てくるかを見ようとした。・・・カントールの議論(羃集合の濃度はもとの集合よりも大きいという議論)を適用していって、私は『自己自身の要素でないところの諸集合』を考えるに至ったが、これらの諸集合もまた一つの集合を形作ると思われた。そこで私は、この集合がそれ自身の要素であるかないかと考えた。もしそれがそれ自身の要素であるならば、それは、その集合の定義をなしている特性、すなわちそれ自身の要素ではないという特性をもたざるを得ない。逆に、もし、それがそれ自身の要素でないとするなら、それはその集合の定義をなしている特性をもってはならないのだから、それはそれ自身の要素でなければならない。かくて、二つの可能性のいずれをとっても、それは自身の反対に導き、したがって矛盾に陥るということになる。

 無限集合論で二律背反的矛盾を生じるのは、否定的な自己述語によって一つの全体が定義されると見なすことからである。この逆説は、自己述語的な絶対的全体において、自己述語的でない要素の全体について語ることが出来ないことに由来するのである。この事情を西田哲学の固有の用語法に戻して言えば、絶対無の場所の自己限定を語ること、すなわち絶対無の場所から諸々の相対的な有の場所を概念的に限定することは不可能なのである。

田辺は『西田先生の教えを仰ぐ』のなかで既に、場所の論理と集合論との結び付きに注目して次のように述べている。(TW4:313-314)
宗教としては絶対無の自覚として立場なき立場といはれるものも、それが哲学軆系の終局原理を與ふる立場となるとき、却ってそれ以下の被限定的抽象的なる立場を、その限定として理解せしむべき一の立場となり、決して立場無き立場に止まることができないのではないか。・・・もし哲学がこの宗教的立場を自己の立場としようとするならば、それは必然的に自己廃棄の運命に陥らなければならぬ。恰も『凡ての集合の集合』といふ集合論の逆説に見るごとき、自己の絶対化が必然に自己を相対化するという矛盾が口を開く。・・・勿論哲学はそれの本質上、何らの意味においても絶対的なるものを否定せんとする所謂相対主義に立つことは出来ぬ。それこそ明白なる哲学の否定である。しかし、単に求められたものとして絶対者を極限点とするのは、與へられたるものとしての絶対者を立てて、これをその体系の根底とするのとは異なる。ここに哲学が常に相対に即しながら絶対を求めんとする愛知的動性たる所以が存する。
『ヘーゲル哲学と弁証法』(一九三二年)以後、田辺もまた『絶対無』という語を頻繁に使うようになるが、その場合でもそれは決して自己同一なものとして語られることはなかった。すなわち、彼は絶対無の場所そのものの自己同一は決して認めず、それを観想的(思弁的)哲学の原理とする錯誤を退け、その代わりに『危機断層、革新顛倒をもってなる歴史性』として実践的に自覚されるほかない絶対的な転換の原理としたのである。

このように、田辺は無限集合論の逆理の発見以後の数理の歴史主義展開という特殊な文脈で西田の言う場所の論理の批判を遂行したが、この批判は単に数理哲学に止まるものではなく、更に物理的世界の歴史性という現代宇宙論の中心的な問題圏域に迫る射程をももっていた。相対性理論と量子力学との統合という理論物理学の最先端に位置する問題をもっとも重要な哲学的問題の一つとして捕らえていた彼の科学哲学上の諸論文を手掛かりにして、我々自身を含む全体としての宇宙の歴史性にかんする現代物理学の様々な議論を次に考察することにしよう。
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論理・数理・歴史 4

2005-05-17 | 哲学 Philosophy
四 『時空』世界の歴史性 

 田辺が一九三二年に書いた『図式《時間》から図式《世界》へ』という論文は、後に『種の論理と世界図式』において体系化されるいわゆる『種の論理』の出発点をなす論文であるが、ここに既に行為的時間的な契機を優越させた上で、それを空間的契機に否定的に媒介させた『図式《世界》』の構想が提示されている。 この論文は、在外研究のためドイツのフライブルグ大学のフッサールのもとに留学していた田辺に強い印象をあたえたM.ハイデッガーの『カントと形而上学の問題』におけるカント解釈に触発されたものであった。それは、晩年に至るまで続いた田辺とハイデッガー哲学との対決の発端をなす諸論文の一つであったが、それと同時に、二〇世紀の理論物理学の革命的な理論である相対性理論の時間概念と空間概念の統合をいかに理解するかという、科学哲学の中心的課題をも射程に収めるものであった。実存哲学と科学哲学は、西欧の現代哲学の展開においては互いに交差することの少なかった二つの大きな思潮であったが、この二つの流れを媒介することを可能ならしめる構想を含む点において、田辺と同じく数理哲学と理論物理の問題の考察から出発して宗教哲学を論じた米国の哲学者ホワイトヘッドの『過程と実在』の哲学とも呼応するものであった。

 ここで言う図式『世界』とは、『ニュートン物理学の世界像に相當して思惟せられたカントの先験的分析論が、今や相対性理論の世界像に相当するごとく具体化せられることを必要とする』という問題意識から提唱されたものであるが、それは『哲学が存在の一層深き根底に還り、一層具体的なる理性の自覚を遂げるために、物理学の歴史的進歩を媒介とする』ことに外ならなかった。田辺はハイデッガーのカント解釈を、『従来の俗見的非本来的時間に対して、本来的に自己を形成する時間の未来を直接媒介とする自発的構造を自覚存在論的に闡明した』ことを重要な貢献として認めつつ、『時間は意識の構造に属するのみで世界存在に属するという意味をもっていない』ことを理由に退ける。そして、空間性によって否定的に媒介された時間性を図式『世界』と呼び、人間の外にあって人間を限定し人間を包むものであるとともに、人間によって造られ人間によって限定される時空『世界』が歴史をもつことが強調された。

前にも述べたとおり、自我から世界を考えるのではなく、世界の自覚として自我を考えること、その世界は歴史的世界であることなどは後期の西田哲学と田辺哲学に共通する課題であった。西田においては過程的な弁証法を包摂する場所的弁証法において歴史的世界が考えられ、根源的空間性とも言うべき『場所』において世界と自我の成立が語られたが、これに対して、田辺においては『場所の論理』はいまだ時間性を捨象する点において具体的なものとなっておらず、絶対媒介をとく『種の論理』と根源的な時間性の優位において成り立つ世界図式、即ち物理的世界の歴史性を表す世界図式によって始めて具体化されるのである。 この意味での世界の歴史性こそ、懴悔道以後の田辺の理論物理学の哲学的反省の根本にある思想であった。例えば、『局所的微視的』という科学哲学の論文では、絶対空間を温存して、ただそこにおける局所時の想定において実験事実を説明しようとしたローレンツ理論とアインシュタインの相対性理論の違いが『時間が空間によって局所化せられる局所時を顛倒して、逆に空間を局所化する主体の行為的時間が真の具体的局所時として登場する』ことに求められている。田辺は、この具体的局所(世界点)を『即今(Hier-Jetzt)』と呼び、そこにおいて自覚される世界を『場所的に固定したものとせず、どこまでも時間的に動くもの』と解したうえで、『行為的直観説は、単にローレンツ的局所時に比すべき客観主義の表現的立場であって、どこまでも空間的場所の形成に止まる』と述べたうえで、西田哲学の『行為的直観』の空間性と田辺自身の言う『行為的自覚』の時間性とを対比した後で、『もし行為を包む直観が空間的場所的直観として成立するならば、それは却って行為を観想に従属せしめ、行為に固有な錯誤の危険と懴悔的自己犠牲とを見失わせる』と述べている。

  田辺が自己の哲学的立場を西田から区別するときに、『局所的/全体的』、ないし『微分的/積分的』という対概念を頻繁に使用したことはよく知られている。 とくに『微分的/積分的』という数学的用語は、H.コーヘンによって哲学の術語に転用された例はあるにせよ、哲学上の用語として使われることは少ないから、その意味を適切に理解することが田辺哲学を理解する鍵の一つであることは間違いはない。この数学的用語の意味をよりよく理解するために、ここでは一九世紀の解析力学における重要な発見に言及することにしよう。

解析力学においては、物理的な系の状態は位相空間によって表現される。この空間における系の軌跡を確定することが、その系についての全体的(積分的)認識を得ることと同義である。ところで、物理学の基本法則は微分方程式で書かれるのが通例である。それは地上に落ちるリンゴの運動にも、太陽を回る地球の運動にも当てはまるし、膨大な数の微視的な気体分子の系の運動にも、銀河を形成する星の集団の運動にも当てはまる。そして、数学的にはこの微分方程式は、適切な初期条件、境界条件のもとでただ一つの解をもつことが保証されている。そのために、古典物理学の成り立つ系は決定論的であるという意味で、根本的に非歴史的であるという特徴をもっていると長い間考えられていた。しかしながら、数学的決定論は決して、われわれがそのような(存在のみが保証された)解を積分によって具体的に認識出来るということを意味しはしない。微分方程式によって記述される物理系が、積分可能であるとは限らないのである。このことの発見は、まずハインリヒ・ブルンスが三体問題が積分可能でないことを最初に証明し、ポアンカレがその証明を一般化したとき(1889)、当時の科学界は大きな衝撃を受けたのである。(14)例えば、太陽と地球と月からなる系の遠い将来の運命を現在我々が認識することは原理的に不可能なのである。これに対して、二体問題は積分可能であるから、我々は、三体問題は二体問題の単純な組み合わせに還元されない新しい質をもっていると言わなければならないであろう。田辺哲学の用語を物理学に比論的に転用するならば、三つの天体からなるシステムは『社会的存在』に固有の予測不可能性をもっているのである。 要するに、古典物理学における決定論と言われてきたものの実態は、言わば全知の神のごとき存在の目から見た決定論であって、我々人間が未来を予知できるという意味での決定論ではなかったのである。

 特殊相対性理論においては、さらに異なった意味での予測不可能性が生じる。周知のごとくこの理論では絶対時間の存在が否定され、同時性が因果的独立性によって置き換えられる。ある一つの事象の因果的未来が何であるかは、その因果的過去に属するすべての事象だけでは決定されない。それはその事象と共時的な全ての事象に影響されるが、共時的な事象は因果的に独立であるから、我々は原理的に現在認識出来ぬ事象が我々の未来に影響を及ぼすことを認めなければならないのである。言い換えれば、我々が観察し得る時空上の局所的な観点から認識し得る過去のすべてを知っていたとしても、我々は未来を知ることは原理的に出来ないのである。(15)

 量子力学では、ハイゼンベルグの不確定性原理によって、粒子の位置と運動量を同時に我々が観測によって確定することは出来ない。このことは、系の状態を位相空間の一つの点として確定することが原理的に不可能となることを意味している。量子力学が対象とする微視的領域では、たとえ神のごとく全知の存在があったとしても、彼が対象系と関わりをもつ限り、未来を一義的に予測することはできなくなる。量子力学が問題としているのは、同一の原因は同一の結果を生むという因果律が適用されない領域なのである。 現代物理学の最大の理論的課題は、田辺が晩年の科学哲学的著作の中で予見したように、相対性理論と量子力学との統合である。我々は、ビッグバーン宇宙論の発見という、田辺自身は知ることのなかった物理学の発達そのものを考慮しなければならない。全体としての宇宙の起源を問うというきわめて形而上学的な問を、自然科学自体が自然科学の内部から問うている現代の状況そのものが、時空『世界』の歴史性という基本テーゼによって田辺が表現した事態を支持しているといってよかろう。田辺の言う『相対性理論の弁証法』は、全体としての宇宙が不可逆な歴史をもつという今世紀の物理学の重大な発見を哲学的に反省するものにとって重要な示唆を与えるものであることは間違いない。時空的な世界の総体を非歴史的な全体として捕らえ、そこに於いて個物的限定を考えることは、現代物理学のこの文脈においては意味をなさない。『数理の歴史主義展開』は、『物理の歴史主義展開』ともいうべきものにおいて具体化されたが、これこそ、田辺以後の現実の物理学の歴史の示すところにほかならない。

 存在するものの総体としての宇宙は、非歴史的に与えられた全体として完結しているものではなく、有限の歴史をもち、その地平は拡大しつつある。『無』からの創造が、相対論と量子論との部分的統合によって物理学の内部で語り得るようになった現在において、物理学自身が曾ては神学的思弁の領域に属していた事柄を主題としている(16)。非歴史的な『存在の比論』だけではなく、存在の根底にある『無』からの創造を説く現代物理学と宗教との対話が成り立つためには、田辺が構想したような『宗教哲学に通底する科学哲学』、即ち、根源的な時間性において宇宙を考える『無の比論』にもとづく科学哲学が必要不可欠のものとなるであろう。

 



(1) この著書 は1986年に英訳が出版されている。Tanabe Hajime, Philosophy as Metanoetics, Trans. by Takeuchi Yoshinori, V. Viglielmo, and J. W. Heisig et al.Berkeley: California University Press, 1986. 懺悔道という言葉よりもMetanoeticsという語のほうがその内容をよりよく表している。
(2)ハンス・ライヘンバッハ、『科学哲学の形成』、市井三郎訳、みすず書房(1954)
(3)田辺元全集(TWと略記)、筑摩書房(1963)
(4)西谷啓治著作集(NWと略記)、創文社(1986)
(5) Herman Weyl, Die Idee der Riemannschen Fl che B.G.Teubner,Stuttgart,1913
(邦訳)『リーマン面』(田村二郎訳)岩波書店(1974)
(6) Herman Weyl, Philosophy of Mathematics and Natural Science, Princeton University Press(1949) (邦訳) 『数学と自然科学の哲学』(菅原正夫、下村寅太郎、森繁雄訳)、岩波書店(1959)
(7) Morris Kline, Mathematics: The Loss of Certainty, Oxford University Press(1980)
(8) Philip J.Davis, & Reuben Hersh、 The Mathematical Experience、 Birkh user,Boston (1982) (邦訳)『数学的経験』(柴垣和三雄他訳)森北出版(1986)
(9)末綱恕一、『数学の基礎』、岩波書店(1952)
(10)末木剛博、『西田幾多郎-その哲学体系』春秋社(1988)
(11) 末木剛博、『西田理解の方法と矛盾概念の解釈』、上田閑照編『西田哲学への問い』所収
(12) 西田幾多郎全集(NWと略記)岩波書店(1978)
(13) Bertrand Russell, My Philosphical Development, George Allen & Unwin, London (1959)邦訳『私の哲学の発展』(野田又夫訳)、みすず書房(1960)、p.96
(14) Iliya Prigogine,From Being to Becoming、W.H.Freeman and Company, New York(1980) p.32.
(15) Karl Popper, The Open Universe: An Argument for Indeterminism, Huchinson
(16)A.Vilenkin,“Creation of Universes from Nothing" Physics Letters,117B:25-8
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辯證法にかんする覚書 :ヘーゲル 1

2005-05-13 | 哲学 Philosophy
エンチクロペディーの論理学で、ヘーゲルは、彼以前のおもだった哲学の立場をとりあげて批判しているが、そのそれらの立場が共通にもっている反辯證法的な思考方法を指摘し、その欠陥を明らかにするにあった。とくに通俗的に理解されたカントの超越論的論理学の批判として優れたものであり、およそ哲学的論理学の根本的な問題を考える者にとっての必読書とも言うべきものである。まずはじめに、「予備概念」におけるヘーゲルの議論を要約しておこう。
(A) 客観性に向かう思惟の第一の態度 Erste Stellung des Gedankens zur Objektivität = Metaphysik
ここで論ぜられるのは、「カント哲学より前にドイツに現われたような旧い形而上学」である(第二七節)。
  1. この種の形而上学は、一面的、抽象的、悟性的な有限な思考規定しかもたないが、それによって、それ自身無限で絶対的な真実在をとらえようとしている(第二八節)
  2. しかもその対象を「すでにできあがった、与えられた主語」としてあらかじめ無批判的に前提しておいて、これに上のような悟性規定を述語としてつけ加えればよいと考えている(第三〇節、第三一節)
  3. そのために具体的な全体である真理を把握しえず「あれかこれか」といった一面的な見方に陥っている(第三二節)
  4. というにある。
かかる欠陥の本質は「抽象的な同一性を原理とする」ところにある。(第三六節)批判の要点は、ヴォルフ流の形而上学が形式論理学の同一律ないし矛盾律をその形而上学的な思考原理としていたことにある。しかし同時にヘーゲルは「思想のみが存在するものの本質であることを意識していた」点、つまり自覚された形而上学(=客観的観念論)であったという点では、この古い形而上学のほうがむしろ「のちの批判哲学のやりかたよりもいっそうすぐれた」ものであったと評価する(同じ箇所、および第二八節)。そして、この独断的形而上学の次に、優れて近代的な哲学の立場である(B・Ⅰ)経験論、(B・Ⅱ)批判哲学、(C)直接知(信仰)の立場を順次とりあげ、これらの立場がそれぞれなんらかの長所をもっていることを認めながらも、思考方法の点では古い形而上学と同じく抽象的同一性の立場をでていないことを指摘する。
(B) 客観性に向かう思惟の第二の態度 Zweite Stellung des Gedankens zur Objektivität
Ⅰ経験論 Empirismus
(B・Ⅰ)経験論は現実の具体的なものを尊重し、自分の知覚で真実を確かめようとする点ですぐれている。しかし経験論は知覚と思考とを固定的に対立させ、思考には「抽象と形式的な普遍性および同一性」しか認めない。経験というものも思考や推理を用いておこなわれ、したがって形而上学を含んでいるはずであるが、経験論はそれを自覚しない。対象についても、それは一般に外的感性的な有限者を、与えられた堅固なもの、真実なものとして無反省に前提している。(第三八節) 古い形而上学は悟性の有限な形式によりながらも、なお無限な内容をとらえようとしたが、経験論にあっては形式も内容もともに有限でしかない。(同節補説)

     Ⅱ批判哲学 Kritische Philosophie

(B・Ⅱ)批判哲学が古い形而上学の思考諸規定を問題にしたのは重要な進歩であったが、それを「即自かつ対自的に」考察しないで、「主観的か客観的か」という観点からのみ考察し、たとえば原因と結果のような思考規定(カントのいわゆる範疇)を主観的なものとしてしまった。(第四一節および補説一、二)カントは彼の諸範疇をそれ自身の必然的展開によって示さないで、普通の形式論理学によって与えられている判断の種類に従ってきわめて安易にとりだしたにすぎない。(第四二節)
また現象と物自体とを固定的に対立させ、物自体を悟性の到達しえない彼岸、まったく空虚な抽象物にしてしまった。(第四四節)彼が悟性と理性とをはじめてはっきり区別し(悟性は有限で制約されたものを、理性は無限で無制約的なものを対象とする)、たんに経験にもとづくだけの悟性認識の有限性を示し、このような認識の内容を現象と名づけたことは、カント哲学の非常に重要な成果ではあるが、そのさい彼は、悟性と理性とを(したがってまた有限なものと無限なものとを)全くきりはなして対立させ、理性の無制約性を「区別をしめだす抽象的な自己同一性」(つまり悟性と同じもの)にひきもどしてしまった。カントには、理性が悟性を、無限なものが有限なものを、自己のうちに契機として含む、という辯證法的な理解が欠けていたわけである。(第四五節および補説)

カントが理性の二律背反を指摘し、悟性規定によって理性的なもの(無限なもの)を認識しようとすれば、思考は必然的に矛盾(アンティノミー)に陥る、ということを明らかにしたことは、それが「悟性形而上学のこわばったドグマティズムをとり除き、思考の辯證法的運動に注意をむけさせた」という点では、彼の最も重要な功績といわねばならない。しかしカントは「アンティノミーの積極的な真の意義」(すなわち「あらゆる現実的なものは対立した諸規定を自分のうちに含んでいるということ、従って、或る対象の認識、もっと精確にいって概念的把握ということは、その対象を対立した諸規定の具体的統一として意識することにほかならないということ」)を見ぬくにいたらず、たんに、「世界の本質は矛盾といった欠点をもつものであってはならず、矛盾はただ思考する理性に、精神の本質にのみ属すべきものである」といったごくつまらない解決しかできなかった。(第四八節および補説)

カントの実践的理性もやばり理論的理性の場合と同じく「形式主義」を脱しておらず、実践的思考の法則、実践的思考が自己を規定する基準は、「この規定するはたらきに矛盾がおこらないという悟性の同じ抽象的同一性」(「意志の自己一致、義務のために義務をなせ」)よりほかのなにものでもない等、等。(第五四節および補説)
(C)客観性へ向かう思惟の第三の態度 
Dritte Stellung des Gedankens zur Objektivität = Das unmittelbare Wissen

(C)このように批判哲学は思考を主観的なものとみ、思考の究極の使命を「抽象的普遍性、形式的同一性」と考えるから、「具体的普遍としての真理」は思考ではとらえられないということになる。最後の「直接知」の立場(ヤコービ)は、これとは逆に「思考を単に特殊なものの活動として理解し」、そのためにやはり「思考には真理をとらえる力がない」と考えている。(第六一節)すなわちこの立場では、思考・概念的把握-認識などがたんなる悟性的活動として、すなわち「制約されたもの、依存的なもの、媒介されたもの、有限なもの」の形式で対象をとらえることとみられており、したがって「真実なもの、無限なもの、無制約者、神」などといったものは思考ではとらえられないと考えられている。(第六二節)そして真理や神を知るのは精神-理性のみであり、これは思考とは異なる無媒介の「直接知、信仰」、すなわち知的直観だと考えられている。(第六三節)神や永遠なものの存在を認めているのはよいことだし、それが有限な媒介知(悟性)だけではとらえられないのも事実であるが、この立場の特徴的な誤りは、「直接知がそれだけ孤立し、媒介を排斥して、真理を内容としてもっている」とするところにある。こうした排他的・孤立的な考え方は、「さきにのべた〔旧〕形而上学的悟性のあれかこれかへ逆戻りした立場」、「有限なもの、すなわち、一面的な諸規定への固執」にほかならない。(第六四節、箪六五節)「直接性の諸規定と媒介の諸規定とをそれぞれ一方だけ絶対視して、それらが何か固定した区別をもつように思うのは、普通の抽象的な悟性にすぎない。」(第七〇節)だから「抽象的な思考(反省的形而上学の形式)と抽象的な直観(直接知の形式)とは同じものである。」(第七四節)

以上のように、ヘーゲルは経験論や批判哲学や直接知の立場がすべて古い形而上学と同じ方法上の欠陥をもつことを問題にしているのであって、それらの対象や内容を直接問題にしているのではない。

哲学の対象や内容については、彼自身も伝統的な形而上学の立場に立っている。だから、古い形而上学や直接知の哲学が絶対者・無制約者・永遠なもの・無限なもの・神というような理性的な対象をとらえようとしたことは、むしろその長所である。ただし古い形而上学はこのような理性的な対象を悟性の抽象的で有限な規定(媒介知)によってのみとらえようとしたし、直接知の立場は悟性の媒介知を全く排斥し、概念的思考を断念して、理性的対象を信仰や直観にゆだね、哲学の立場を自ら放棄してしまった。その点で古い形而上学も直接知もともに一面的で固定的な考え方に陥っている。しかし実際は、「知の直接性はその媒介を排斥しないばかりでなく、直接知は媒介知の所産であり成果であるというように、直接性と媒介とは結びついているのである。」(第六六節)

知においてだけではない、存在においても直接性と媒介とは同様に結合している。子供は現に在るものとしては直接的にあるのだが、両親から生まれたものとしては媒介されたものである。「私がベルリンにいるという私の直接的な現在性は、ここへ向ってなされた旅行によって媒介されている。」(同節)

「宗教や道徳も、それがどんなに信仰であり直接知であっても、開発、教育、教化などとよばれている媒介によって制約されている。」(第六七節。)

連関や移行や発展もみな媒介なのである。「直接性そのもののうちに媒介がふくまれている」のであるから、この両者を統一的に結びつけて考えなければ、真実のものをとらえることはできない。(第七〇節)

しかしたんに自分の外にある他者に関係し、他者によって媒介されたものは、まだ特殊的なもの・有限なものにすぎない。

無限なもの・神は、他者によって媒介されたものでなく「自己のうちで自己を自己によって媒介するもの」、「媒介と直接的な自己関係とが一つになっているもの」であり、これこそ具体的な生きた精神としての神である。(第七四節)

こうして形而上学的な絶対者を概念的に認識する方法として、媒介知と直接知とを綜合統一しうるような思考方法が求められねばならぬ。

すなわち、絶対者の認識に到達するために、あらゆるカテゴリーの媒介過程を通る必要があるがこの過程は、一つの有限な悟性規定がその否定であり他者である対立規定に移行し、さらにこれら二つの規定を統一的に含むより高い第三の規定に進むという形をくりかえしながら進行する。

このような思考方法は、全体としては「思弁的方法」と名づけられよう。それは、必ずしも辯證法的方法とおなじものではない。「辯證法」とか「辯證的なもの」というときには、この思考過程のいわば第二段階、すなわち第一の悟性規定が自己を否定してその対立規定に移行する否定的・理性的な側面を指す。しかしこの否定的自己運動なしには思弁的方法は成立しないのであって、これが論理学の方法全体の原動力であり、方法の核心である。
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辯證法にかんする覚書 :ヘーゲル 2

2005-05-12 | 哲学 Philosophy
ヘーゲルは伝統的な形而上学(客観的観念論)の立場から、思考と存在とを同一視し、概念や思考諸規定を事物の本性、対象の本質とみなしている。悟性や、理性、さらに概念・判断・推理といったようなものは、たんに個人としての人間のうちにだけあるのではなく、客観世界のすべての領域(自然と社会)に、世界の本性として内在しているのである。精神の世界(個人・社会)も自然の世界も同じ論理的法則によってつらぬかれているからこそ、われわれの思考は事物の客観的真理を認識しうる。

「悟性とか理性とかが対象的世界のうちに存在するということ、精神と自然とが普遍的法則をもっており、この法則にしたがってその生命とその諸変化が生ずるということが言われる限り、思考諸規定も同じように客観的な価値と存在とをもつことが承認される」とヘーゲルがいうのはそのことである。この場合「普遍的法則」といわれているのがつまり論理的法則であって、彼のいわゆる「論理的なもの」(das Logische)あるいは「理念」の運動法則にほかならない。

そしてこの論理的なものの運動法則に従って自然や精神が生成発展するところに、事物の様式とか概念の様式とかいわれるものが成立するのであって、これがつまり彼のいう「方法」なのである。

「悟性は対象的世界のすべての領域にみられる。」(『小論理学』第八0節補説)
「理性は世界に内在するもの、世界のもっとも内面的な本性である。」(同じく、第二四節補説一。)
「概念も判断も一にわれわれの頭のなかにあるのではなく、また単にわれわれによって作られるのではない……。概念は事物そのものに内在しているものであり、それが事物をまさにそのものたらしめるのである。」(同じく、第一六六節補説)

 ところでこの論理的なものの運動法則はヘーゲルによって純粋な根源的な客観的思考法則=存在法則という性格を与えられている。というのは、純粋な概念と真実の存在とが「論理的なもののうちに含まれる二つの契機」だからである。

論理的なもの(理念)は純粋な論理の世界に生きている魂ともいうべきものであるが、そのうちにある二つの契機によってそれは自然の世界にも精神(社会・歴史・人間)の世界にも姿を現わす。理念みずからが自分の法則(弁証法)に従って運動発展し、自然と精神とのあらゆる領域で自己を展開し実現してゆくのである。したがって現実世界におけるあらゆる存在の活動は理念の運動法則の現われにほかならない。このことをヘーゲルは「自然および精神の諸形態は、純粋な思考の諸形式の特殊な表現様式にすぎない」ともいっている。

では、その「論理的なもの」の運動はどのような形でおこなわれるのか。ヘーゲルはそれを、次のような三つの側面あるいは契機に分けて説明する。「論理的なものは形式の上からみて三つの側面をもっている。すなわち、

(a)抽象的あるいは悟性的な側面、
(b)弁証的あるいは否定的理性的な側面
(c)思弁的あるいは肯定的、理性的な側面
がそれである。(『小論理学』第七九節)
Das Logische hat der Form nach drei Seiten: die abstrakte oder verständige, die dialektische oder negativ-vernünftige, die spekulative oder positiv-vernünftige

「(a)悟性としての思考は、固定した規定性と、それの他の規定性にたいする区別性とに立ちどまっており、このような制限された抽象的なものが、それだけで成立し存在するとみている。」(同じく、第八〇節)
Das Denken als Verstand bleibt bei der festen Bestimmtheit und der Unterschiedenheit derselben gegen andere stehen; ein solches beschränktes Abstraktes gilt ihm als für sich bestehend und seined.

「(b)弁証的な契機は、このような有限な諸規定がみずから自己を揚棄すること、そしてその対立規定へ移行することである。」(同じく、第八一節。)
Das dialektische Moment ist das eigene Sichaufheben solcher endlichen Bestimmungen und ihr Übergehen in ihre entgegengesezte.

「(c)思弁的なものあるいは肯定的理性的なものは、諸規定の対立のなかにあるそれらの統一を、すなわち諸規定の解消と移行のなかにふくまれている肯定的なものを把握する。」(同じく、第八二節。)
Das Spekulative oder Positiv-Vernünftige faßt die Einheit der Bestimmungen in ihrer Entgegensetzung auf, das Affirmative, das in ihrer Auflösung und ihrem Übergehen enthalten ist.

すなわち、
(a)人間の思考はまず悟性としてはたらくが、悟性の原理は抽象的同一性であり、単純な自己関係であって、一つの規定をその他者からきりはなして孤立させ、両者を無関系なもの、絶対的に区別されたものとみる。
普通、形式論理学が最高の思考法則としてかかげる同一律や矛盾律は、この悟性の原理を命題にしたものにほかならない。

「同一性の命題〔同一律〕は、すべてのものは自己と同一である、すなわち、A=A、また否定的には、AはAであると同時に非Aであることはできない〔矛盾律〕、というのであるが、この命題は、真の思考法則ではなく、抽象的悟性の法則であるにすぎない。」
Der Satz der Identität lautet demnach: ‘Alles ist mit sich identisch; A=A; und negative: ‘A kann nicht zugleich A und nicht A sein’.----Dieser Satz, statt ein wahres Denkgesetz zu sein, ist nichts als das Gesetz des abstrakten Verstandes.

ところで、古い形而上学の思考方法は、この抽象的悟性の法則に従ったものであった。そのために、たとえば、「世界は有限か無限か」、「魂は単一か複合的か」というような問題のだし方をして、それをあれか-これかと一面的・固定的に解決しようとした。そこでは、有限と無限、自由と必然、本質と現象、善と悪、などといった対立的な諸規定の相互が、絶対的な区別をもち、動かすことのできない対立をなすと考えられていたのである。

しかし、(b)具体的な真理はそのような一面的で固定した規定によって汲みつくしうるものではない。もし有限な思考規定をもって無限なものを把握しようとするならば、思考は必然的に自己矛盾に陥らざるをえないであろう。そして、このことを「純粋理性の二律背反」として示したのが、カントの偉大な功績であった。古い形而上学の立場では、認識がもし矛盾におちいるならば、それはただ偶然の過ちであって、推理や論証における主観的な誤謬にもとづくと考えられていた。

カントによれば、これとは反対に、思考が無限なものを認識しようとすれば矛盾(アンチィノミー)におちいるということは、思考そのものの本性に属することがらなのである。」すなわちカントは「悟性の諸規定によって理性的なもののうちに定立される矛盾が本質的であり必然的である」こと、つまりそれが一つの思考法則であることを示したわけである。しかし彼は根本においてやはり古い形而上学と同じ同一性の論理に立ってこの問題を解決しようとしたために、このような矛盾のなかに真理を見いだすことができず、アンティノミー(純粋理性の弁証的推理)を仮象の論理、すなわち虚偽を生みだす思考の法則性と考えた。しかも、カントは宇宙論からとられた四つの特殊な対象にのみアンティノミーを認め、矛盾の普遍性ということに気づかなかった。しかし実際は、ヘーゲルによると、アンティノミーは「あらゆる種類のあらゆる対象のうちに、あらゆる表象・概念および理念のうちに見いだされる」真理の法則性なのである。そして思考そのもののこの本性こそ、彼が「論理的なものの弁証的契機das dialektische Moment des Logischen」と名づけるものにほかならない。(*『小論理学』第四八節、および同節補説)

もっとも、ヘーゲルはあらゆる矛盾が真理だとか、形式論理学の矛盾律を否定してよろしいとかいっているのではない。むしろ「悟性的な思考にもその権利と功績を認めなければならない」ことを彼は注意している。悟性の思考法則(同一律や矛盾律)を認めなければ、物事をはっきり区別して考えることはできず、判断や推理は混乱してしまうであろう。

問題は悟性を否認することではなく、悟性がすべてであり最後のものであり絶対であるとする考えをすてることである。われわれの思考は悟性につきるものではなく、より高次な理性的思考というものがある。われわれは悟性を欠くことはできないが、真実のものをとらえようとすれば悟性的思考にとどまることはできない。悟性は有限なものであって、無限なもの・絶対的なものを認識する力をもたない。だからといって、悟性をすてて理性だけで絶対的なものを把握しようとするならば、われわれは直接知の立場に陥る。それは概念的把握ではなく、真の理性的思考とはいえない。

真実の哲学的思考は、有限な悟性規定によって媒介されながら無限なものの理性的認識へと発展するのである。この場合まず、有限な悟性規定は自分自身の本性によって自己を揚棄し、自分自身によって反対の悟性規定へ移行する。が、これはすでに理性的思考へのたかまりであり、ヘーゲルはこの「高次の理性的運動を弁証法と呼ぶ」のである。「〔学の〕内容を.動かすものは内容自身であり、内容がそれ自身でもっている弁証法である」という彼の言葉もこれをさしている。

 だから弁証法とは概念の自己揚棄の運動法則といってよい。

概念のこの自己揚棄の運動は、概念が自分自身のなかにもっている否定的な契機(これをヘーゲルは「弁証的なもの」とよぶ)を推進力としておこなわれる。

すべての概念は、有限な悟性規定としては、自分自身のなかに自分を否定するもの・自分の対立規定をもっており、したがって自己のうちで自己と矛盾し、そのことによって自己を揚棄してその対立規定に移行するものである。概念のこの自己揚棄は自己否定・自己矛盾の運動である。だからヘーゲルはこれを「否定的=理性的な側面」ともよぶ。

しかし、(c)この概念の自己揚棄はたんなる否定ではなく、自己を保存しながら自己を否定する運動である。

概念が一つの規定からその対立規定に移行するということも、有限な悟性規定が同じく有限な反対の悟性規定に変化することではなく、これらの対立する両規定を統一的に含む、より高いより豊かな概念に転化することを意味する。概念の自己揚棄と対立規定への移行という弁証法的運動は、このようにして対立した規定の統一という肯定的な成果を生みだす。だからヘーゲルはこれを「肯定的=理性的な側面」とよび、あるいは「思弁的な側面」ともいうのである。

aufheben(揚棄する・止揚する)というドイツ語が二重の意味をもつことについて、ヘーゲルはこう述べている。

「アウフヘーベンという言葉をわれわれは第一に<除去する><否定する>という意味に理解し、従って例えば或る法律・制度等々がアウフヘーベンされたと言う。しかしアウフヘーベンは更に《保存する》ことをも意味し、この意味でわれわれは、或るものがよくアウフヘーベンされていると言う。この用語上の二義性によって同じ語が否定的な意味と肯定的な意味とをもつのであるが、この二義性を偶然とみてはならない。いわんやそれを、混乱をひきおこすもとだといって、ドイツ語に対する非難の種にしてはならない。むしろそのなかに、単に悟性的な《あれか-これか》以上に進んでいるドイツ語の思弁的精神を認識すべきである。」(『小論理学』第九六節)

**思弁(Spekulation)という語をヘーゲルは「肯定的=理性的な思考」という意味で使用する。(『小論理学』第八二節補説。)

さて、ヘーゲルの「論理的なものの運動」は上のような三つの側面ないし契機をもって進展する概念の自己運動であるが、このような進展形式は思考の本性からでてくる本質的・必然的なものとされているのであるから、ヘーゲルはこれを悟性の思考法則にたいしてより高次の理性の思考法則と考えていたわけである。

しかし注意すべきことは、さきにも述べたように、悟性の思考法則はたんに否定され除去されるのではなく、揚棄されるのだということ、すなわちそれは理性の思考法則のなかに一つの契機として保存されているということである。悟性をはなれて理性がなりたつのではない。悟性と理性とを《あれか-これか》の形で分離し対立させる考え方は、それ自身悟性的な思考法だといわねばならない。

もう一つ、ヘーゲルはこの理性の思考法則を全体としては必ずしも弁証法的法則とよんでいないことも注意する必要があろう。ヘーゲルの思考方法が全体としては思弁的方法とよばれたように、この方法の客観的基礎である思考法則も、全体としてはむしろ思弁的思考法則とよぶべきものである。

しかし方法についていわれたと同じように、ここでもまた、弁証法的な側面が法則全体の核心をなすということができる。この核心に着目してヘーゲルの思考法則を特徴づけるならば、それはやはり「弁証法的法則」あるいは簡単に「弁証法」とよんでさしつかえないのである。

このようにみてくると、へ-ゲルの弁証法的思考法則は、古い形而上学の思考方法の基礎にあった抽象的同一性の論理(悟性的思考法則)を揚棄した矛盾の論理(高次の理性的思考法則)であり、これが彼の弁証法的思考方法を成立させる論理的基礎であったことがわかる。

それはすでにプラトン=新プラトン派にみられたような、矛盾の論理を真理の論理(存在認識の法則)と考える伝統をうけつぐものであるが、ヘーゲルの前進はこの客観的思考法則を根源的な弁証法として把握した点にある。

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辯證法にかんする覚書: カント 1

2005-05-11 | 哲学 Philosophy
カントの超越論的辯證

 悟性による多くの認識に超経験的な対象の概念によっア・プリオリの統一を与えようとする能力を理性という。この統一のための概念(純粋理性概念)をカントはプラトンに倣って「イデー(理念)」(Idee)と呼ぶ。理念は、経験のうちに見いだされず、経験の範囲内に限局されざる対象の概念である。

理念の三種

(1) 心理学的理念(die psychologische Idee)
「霊魂」(Seele)または「心」(Gemüt):内的現象に関する多くの悟性認識に究極の理性統一を与える。
(2) 宇宙論的理念(die kosmologische Idee)「世界」(Welt):外的現象の総括、外的現象にかんする多くの悟性認識に究極の理性統一を与える。
(3) 神学的理念(die theologische Idee)「神」:現象界を越えて、現象一般に関する多くの悟性認識に究極の理性統一を与える。

前進的綜合(die progressive Synthesis) 制約するもの(推論の前提)→制約されたもの(推論の結論)
背進的綜合(die regressive Synthesis) 制約されたもの→制約するもの→ ・・・→無制約的なもの(理念)

純粋理性の概念は、現象に関する多くの悟性認識に究極の理性統一を与えるための概念であって、これらの概念の対象は、決して「与えられている」(gegeben)ものではなく、むしろ「課せられている」(aufgegeben)ものである。理念は、現象に関する悟性の認識をできる限り大きな範囲に継続拡張し、これにできるかぎりの体系的統一を与えるための「理性の統制的原理(das regulative Prinzip der Vernunft)」であるが、現象を越えて範疇を使用するための原理、すなわち「理性の構成的原理(das constitutive Prinzip der Vernunft)」ではない。

しかしながら、統制的原理である理念を構成的原理へとすり替えることによって、超越論的な仮象が生まれる。

このような仮象を生み出す辯證的理性推理は、理念の三種に応じて三種ある。

(1) 霊魂:超越論的誤謬推理(transzendentaler Paralogismus)
霊魂を実体化し、その被物質性・単純性・不滅性・人格性を論証することはできない。

(2) 宇宙:純粋理性の二律背反(Antinomie der reinen Vernunft)

(i)  定立 「世界は時間上始まりを有し、空間上も限界を持つ。」
   反定立 「世界は時間上始まりを持たず、空間上、限界を持たない。」

(ii) 定立 「世界における複合実体は、いずれも単純な部分からなる(一般に単純なもの、また単純なものから合成されうるもののみが存在する)」
  反定立「世界における複合せられたものは、決して単純な部分から成立せず、また一般に世界には決して単純なものは存在しない。」

(iii) 定立 「自然の法則に従う因果性は、世界の諸現象が、ことごとくそこから導出される唯一のものではない。現象の説明には、なお、自由による因果性(eine Kausalität durch Freiheit)が必要である。
  反定立「自由なるものはない。世界における一切は、もっぱら自然の法則に従って生起する。」

(iv) 定立 「世界には、その部分としてか、あるいは全体としてか、絶対に必然的な存在たる或る物が属する」
  反定立「世界のうちにも、また世界の外にも、絶対に必然的なる存在はどこにもない。」


(3)神:純粋理性の理想(das Ideal der reinen Vernunft)
     
理想とは個物としての理念(die Idee in individuo)である。理性による神の現存在の証明として次の三種をあげそれを批判する。

(1)「存在論的証明」(der ontologische Beweis)
あらゆる経験に先だって、ア・プリオリに単なる概念から神の現存在を推論する。

(2)宇宙論的証明(der cosmologische Beweis)
世界の偶然性から(a contingentia mundi)から神の現存在を推論する。

(4)自然神学的証明(der physiko-theologische Beweis)
人間の技術との類推に基づいて、世界の秩序・合目的性・美しさから、悟性並びに意志を持った自由なる叡智者が自然の根柢にあると推論する。


(補足説明)

 悟性認識の体系的統一即ち理性統一が求めらるべきであるというのが理性の要求である。この統一は、与えられているのでなく、課せられているのである。イデーは、かかる理性統一を探究するための形式(=形相)的原理にほかならぬ。しかるに、この形式(=形相)的原理が「先験的すりかえ」(transzendentale Subreption)によって「構成的原理」と考えられ、この統一が「実体化して」(hypostatisch)(=「基体的に」)表象せられることも、また避けがたい。かくて極めて自然にも、「統制的原理」であるものが「構成的原理」に転化せられて、そこに「先験的仮象」(「弁証的仮象」)が生ずるに至る所以がある。これは極めて自然な、避けがたいものであるが、厳にしりぞけられねばならぬものであるとカントは考えるのである。先験的仮象を生み出す弁証的理性推理は、イデーの三種に応じて三種ある。第一の弁証的理性推理は「先験的誤謬推理」(transzendentaler Paralogismus)とよばれ、第二の弁証的推理における理性の状態は「純粋理性の二律背反」(Antinomie der reinen Vernunft)とよばれ、第三の弁証的理性推理の対象は「純粋理性のイデアール(理想体)」(das Ideal der reinen Vernunft)とよばれる。
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