松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

ブロガー交流会

2009-01-28 23:34:05 | その他
今日はロヂウラ屋でブロガー交流会がありました。
知っている人はほんのわずか。後は初めて会う方ばかりですが、久留米市や市近郊の方ばかり50人近く集まっていました。ブロガー交流会という名の通り、ウェブ関係の仕事をしていたり、それぞれが何らかのブログを書いていて、それが一堂に集まってるから非常に興味深い集まりでした。

中でも基山の方で、接遇の社会人教育をされているTさんとお話したら面白かったです。私はいわゆるマナー教育だから、おじぎの仕方とか、箸の持ち方とか、テーブルマナーを想像していたら、どうもそればかりではないんだって。会社の新人研修などの講師をする場合、組織の中で働く心構えから教えるのだそうです。接遇というのも突き詰めると、組織の理念を具体的に体現していくという意味で奥が深い仕事のようでした。

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幸若舞

2009-01-28 00:32:33 | 復活奮闘日記
今日は筑後市で第三回筑後広域公園文化講演会が開催され、和ろうそくの灯りのみで幸若舞を舞うという催しが行われました。

幸若舞は700年の伝統を持つ中世芸能です。後に発展していく歌舞伎をはじめ、全ての芸能や文学に大きな影響を与えた舞楽として、全国の研究者たちからの注目を浴びています。室町初期の頃、武士道鼓舞の舞曲として始まり、信長、秀吉から徳川時代の初期まで多くの武将に愛好され、現在ではみやま市瀬高町大江にのみ伝わる舞曲となっています。

会場では井口さんの灯芯草の隋によって行灯が周囲に置かれて、ほのかな灯りを灯していました。講演が始まる前、井口さんの灯芯草の引き出しの実演も行われていました。


私は幸若舞を観たことはありませんでしたが、講師の松尾正幸先生のお話を聞くことで随分勉強になりました。


松尾先生によると、中世の戦乱時代は常に死と隣り合わせ。人々の観念も現代とはまったく違うので、幸若舞には当時の人々の緊張と宗教性が伝えられているのだそうです。時折返閇(へんぱい)と呼ばれる足をドンと踏みしめる動作は、邪を払う儀式でもあるとのことでした。

観る前に知識を得るのは大いに参考になります。幸若舞は何も知らずに観てしまうと、動きが少なくて単調な舞でつまらないという人が多いのだそうですが、松尾先生から聞いた話によって、非常に興味深く観ることができました。



下部に光っているのが櫨ろうそくです。18本灯していました。
この両手を広げるしぐさが何を示しているか?これは戦いのポーズなんです。まるで鳥が羽を広げて相手を威嚇するかのような動作です。上体を少しかがめている姿を見て、私はなんとなく戦国時代の弓を引く動作を思い出しました。このまま弓を構えて引けるような感じです。それにこないだ見た「天地人」もこういうの、舞ってなかったかな。

今日の演目は「高館(たかだち)」のわずか1シーン。30分ぐらいでした。本当はもっともっと長いのだそうです。
いつもは昼間に神社で舞われますが、今回は夜。和ろうそくの灯りのみで、とても雰囲気のある舞でした。

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