縁側でちょっと一杯 in 別府

東京から別府に移住してきました。
のんびり温泉に浸かり、美味しい魚で一杯。
夢に見た生活を楽しんでいます。

兵どもが夢のあと ~ ヤオハン、中国の夢

2007-01-27 01:13:47 | もう一度行きたい
 マカオのフェリー・ターミナルの側に“新八佰半”デパートがある。元はあのスーパー、ヤオハンの店であったが、今は“新”ヤオハンということで、現地資本の店になっているようだ。ブランド品から生活雑貨、それにフード・コートまであり、なかなか便利な店である。僕達はよくポルトガル・ワインを買うのでお世話になった。
 またマカオの話かというと、今日は違う。今日は上海の話である。

 上海に初めて行ったのは1993年の夏、もう13年半前のことだ。上海を中心とした中国沿岸部の発展が盛んに喧伝され、日本企業がこぞって中国進出を始めた頃だった。浦東へはまだ橋が1本しか架かっておらず、まもなく2本目が繋がると聞いた。高層ビルが立ち並ぶ今の浦東からは想像できないが、当時の浦東はだだっ広く、何もない所だった。そして、その先にある長江の河口も、これまた広く、とても川とは思えなかった。

 現地の駐在員から、ちょうど上海初の地下鉄が一部区間で運転を始めたから是非乗るようにと言われた。試しに乗って見た。すると目の前に一風変わった風景が。なんと、乗客が皆、窓から外を見ている。もう一度言うが、これは地下鉄の話である。当然、窓からはトンネルの暗い壁しか見えない。が、皆、大人も子供も、真剣にその壁を見ている。不思議というか、ひどく違和感を覚えた。
 僕が初めて地下鉄に乗ったのは小学校低学年のとき、オリンピック開催に向け、札幌に地下鉄が開通したときだ。さすがに窓からじっと外を見ることはしなかったが、初めての経験、物珍しさからウキウキしていた、はしゃいでいた気がする。そう思うと、当時上海の地下鉄が観光名所になっていたこと、遊園地のアトラクションのようだったことも、ある程度は納得できる。それに、乗客はその窓を通じ、技術の進歩や経済の発展、豊かさの実現を見ていたのかもしれない。
 10年一昔と言うが、今の上海には地下鉄が何本も走り、勿論、乗客がじっと真っ暗な壁を見つめていることはない。

 さて、その地下鉄に乗ってどこに行ったかというと、ヤオハンに行ったのである。中国の消費ブームの視察には、日本のスーパーを見るのが良いと思ったのである。商品の豊富さか、それとも日本流の陳列が垢抜けていたのか、店は随分混雑していた。
 が、今となっては、そのとき行ったヤオハンが何処にあったのか思い出せない。それどころか、今もあるのかすら定かではない。97年にヤオハンは倒産したが、その前後で海外の店はほとんど閉めたと記憶している。マカオは例外であり、おそらく上海の店は閉店した可能性が高いだろう。仮にもしあったとしても、全体にオシャレになった今の上海ではまったく目立たないに違いない。どこかでひっそり営業しているかもしれない。
 そんなヤオハンのことを思うと、諸行無常というか、かつて華々しく海外に展開したヤオハンの“夢のあと”を感じずにはいられない。