年末、第九を聴きに行った。ミーハーと言われればそうだが、読売日響のシーズン・プログラムに含まれているので、もう何年も行っている。だいたいクリスマス前後に行くことが多い。良くも悪くも1年が終わったなと、その年を回顧しつつ、物思いに浸りながら第九を聴いている。
ところで、なぜ年末に第九なのか?読売日響では12月だけで6回も第九を演奏している。他のオーケストラ、それこそ地方の素人合唱団の公演まで合わせると、いったい日本全国で年末に何件の第九が演奏されているだろう。おそらく100は下らないと思う。
実は年末に第九というのは日本だけの風習である。海外で年末やクリスマスに第九がこぞって演奏されることはない。『歓喜に寄す』ということから祝典などで演奏されることが多いようだ。そうそう、先日話題にしたEUの歌(国歌?)は第九である。
日本で第九が年末に演奏される確かな理由はわからないが、おそらく次の二つが大きいと思う。一つは日本人特有の年末や新年の意識、もう一つは経済的理由である。
日本人にとって年末や新年は特別な意味がある。会社も学校も休みとなり、故郷へ、あるいは海外へと民族の大移動が起きる。年越には蕎麦を食べ、正月にはおぞうにやおせち料理を食べる。最近は多様化しているが、少し前までは、大晦日には「レコード大賞」、「紅白歌合戦」、そして「ゆく年くる年」を見、正月には演芸などの正月特番と駅伝を見る、気が向いたら初詣に行く。ただ食べて飲んで寝てを繰り返しても文句を言われない唯一の日々、それが日本の正月である。
この1年、苦しかったかもしれないが、新しい1年が来る、目出度い正月だ、期待に満ちた、喜びに満ちた1年が始まる、こんな日本人の意識に『歓喜に寄す』という第九がマッチしたのである。
更に、第九の構成もこうした日本人の意識にぴったりだとの説もある。第九といえば合唱だが、ご存知の方も多いように、合唱は第4楽章、つまり曲の最後にしかない。第3楽章までは合唱=喜びをただひたすら耐えて待ち、第4楽章で一気に喜びを爆発させる。これが、正に、苦しい1年だったものの新年は良い年にと願う日本人の意識と同じだというのである。なるほど、確かに最初から最後まで合唱があるのと、最後にしかないのでは、そのインパクトが違う気がする。
もう一つの経済的理由というのはオーケストラ側の事情である。第九の演奏会は客が入る、多少価格を高くしてもチケットが売れる、第九一曲をマスターするだけで数回の公演ができる、要はコスト・パフォーマンスが高く、儲かるからである。概して日本のオーケストラの経営は苦しい。それは今も昔も変わらない。バレンタインを考えたチョコレート屋さん(モロゾフ?)と同じく、年末に第九を定着させた、目端が聴く、賢い人がオーケストラにいたのである。
さて、なぜこの時期に第九の話なのかというと、年末に書き損なったということも多分にあるが、実はもうすぐ私の誕生日だからである。もう誕生日が嬉しい年でもないが、予定のない日曜の昼下がり、ワインでも飲みながら第九を聴き、一足早い誕生日を祝おうと思っている。
蛇足ながら、意外に第九はスピードにも合う。ノリの良い第2楽章など、高速や田舎の道を車で飛ばしながら聴くのに最高だ。皆さん、是非一度お試しあれ。
ところで、なぜ年末に第九なのか?読売日響では12月だけで6回も第九を演奏している。他のオーケストラ、それこそ地方の素人合唱団の公演まで合わせると、いったい日本全国で年末に何件の第九が演奏されているだろう。おそらく100は下らないと思う。
実は年末に第九というのは日本だけの風習である。海外で年末やクリスマスに第九がこぞって演奏されることはない。『歓喜に寄す』ということから祝典などで演奏されることが多いようだ。そうそう、先日話題にしたEUの歌(国歌?)は第九である。
日本で第九が年末に演奏される確かな理由はわからないが、おそらく次の二つが大きいと思う。一つは日本人特有の年末や新年の意識、もう一つは経済的理由である。
日本人にとって年末や新年は特別な意味がある。会社も学校も休みとなり、故郷へ、あるいは海外へと民族の大移動が起きる。年越には蕎麦を食べ、正月にはおぞうにやおせち料理を食べる。最近は多様化しているが、少し前までは、大晦日には「レコード大賞」、「紅白歌合戦」、そして「ゆく年くる年」を見、正月には演芸などの正月特番と駅伝を見る、気が向いたら初詣に行く。ただ食べて飲んで寝てを繰り返しても文句を言われない唯一の日々、それが日本の正月である。
この1年、苦しかったかもしれないが、新しい1年が来る、目出度い正月だ、期待に満ちた、喜びに満ちた1年が始まる、こんな日本人の意識に『歓喜に寄す』という第九がマッチしたのである。
更に、第九の構成もこうした日本人の意識にぴったりだとの説もある。第九といえば合唱だが、ご存知の方も多いように、合唱は第4楽章、つまり曲の最後にしかない。第3楽章までは合唱=喜びをただひたすら耐えて待ち、第4楽章で一気に喜びを爆発させる。これが、正に、苦しい1年だったものの新年は良い年にと願う日本人の意識と同じだというのである。なるほど、確かに最初から最後まで合唱があるのと、最後にしかないのでは、そのインパクトが違う気がする。
もう一つの経済的理由というのはオーケストラ側の事情である。第九の演奏会は客が入る、多少価格を高くしてもチケットが売れる、第九一曲をマスターするだけで数回の公演ができる、要はコスト・パフォーマンスが高く、儲かるからである。概して日本のオーケストラの経営は苦しい。それは今も昔も変わらない。バレンタインを考えたチョコレート屋さん(モロゾフ?)と同じく、年末に第九を定着させた、目端が聴く、賢い人がオーケストラにいたのである。
さて、なぜこの時期に第九の話なのかというと、年末に書き損なったということも多分にあるが、実はもうすぐ私の誕生日だからである。もう誕生日が嬉しい年でもないが、予定のない日曜の昼下がり、ワインでも飲みながら第九を聴き、一足早い誕生日を祝おうと思っている。
蛇足ながら、意外に第九はスピードにも合う。ノリの良い第2楽章など、高速や田舎の道を車で飛ばしながら聴くのに最高だ。皆さん、是非一度お試しあれ。