安倍内閣の戦後70年談話をテレビで見て、翌日は朝日新聞で読んだ。
僕には、安保法制で内閣支持率がさがったことで、このような文言にしたとしか思えなかった。阿倍首相は意外だったのかもしれない。彼は集団的自衛権こそ、戦争の抑止力になると信じこんでいる。一方、学者、インテリ、普通の人々は、アメリカへの後方支援が戦争に加担し、巻き込まれるだろうし、テロに標的になるかもしれないと思っている。その数が圧倒的に多い。
息子達家族が7月31日から8月4日まで尾鷲の実家にきた。すると、息子は安保法制反対の抗議に行くという。自分たちのやり方で抗議するのだという。
やってみたら反応がなく、人は通り過ぎるだけだった、という報告を僕は妻からまた聞きしたのだった。
テレビや新聞は戦争のことだらけである。息子たちはこんどは方法を変えて、シールズのデモに参加したようだった。
小さな子をもつ主婦達のデモ、高校生達のデモ。僕は中学生も小学生も「反対」をいいはじめたらよいのに、とか、自分はいつに時点で抗議にいけばよいかを思いながら、今日の15日を迎えたのだった。
天皇陛下が追悼式で、初めて「反省」という言葉を使ったとテレビが報じた。それが大きな意味をなすものならば、政治家は天皇陛下の中国や韓国へのお詫び訪問をなぜセットしないのか解せない。子々孫々まで謝罪の宿命を背負わさないためには、天皇が行く。それがなんとしても難しいことであれば、総理大臣が出かけて行って徹底して謝り、そこで両国民に、友好へのリセットを宣言したほうがよいと思う。
おそらく、15日が過ぎればテレビは先の14年戦争と植民地支配の報道をストップさせるだろう。そして国会ではいよいよ参議院での論争が再開される。すでに、自衛隊は、集団的自衛権が決議されることを見込んで、準備を始めている、というところから始まる。
アメリカへの後方支援が始まれば、自衛隊に入隊するものも減少するだろう。そして、自衛隊に入れば、大学にいけるように計らうとか、アメリカが今しているような方法で、貧困家庭の子供たちを勧誘するだろう、というところまでは見えている。可能性として、今後あり得ることは目に見えている。
中国もちっともよくはないけど、アメリカもよくはない。アメリカのよくない点は、みずからの戦争を「正義」とするところだ。「同盟」などという古い概念で、国々は縛りをつけるものではない。
こんなことをここ数日思っているのだが、今日市会議員である方と偶然喫茶店出会った。「尾鷲も消滅都市の候補に挙げられている。何か手立てはないか」と問われた。
あるはずもない。「それではダメだ」と叱られた。彼は真摯に尾鷲を思う人なのである。
僕は今やもう、尾鷲も紀北町も、熊野も松坂もという風に、それぞれの地域が、という発想がない。ヨーロッパでは国境を取り払ったように、尾鷲や紀北町という境界線はないと思っている。もうそんな地域主義の時代ではない。多くの人はもう知っているように思う。ここで生きられなかったら、生きられる場所に行こうとおもっているように。
僕には、安保法制で内閣支持率がさがったことで、このような文言にしたとしか思えなかった。阿倍首相は意外だったのかもしれない。彼は集団的自衛権こそ、戦争の抑止力になると信じこんでいる。一方、学者、インテリ、普通の人々は、アメリカへの後方支援が戦争に加担し、巻き込まれるだろうし、テロに標的になるかもしれないと思っている。その数が圧倒的に多い。
息子達家族が7月31日から8月4日まで尾鷲の実家にきた。すると、息子は安保法制反対の抗議に行くという。自分たちのやり方で抗議するのだという。
やってみたら反応がなく、人は通り過ぎるだけだった、という報告を僕は妻からまた聞きしたのだった。
テレビや新聞は戦争のことだらけである。息子たちはこんどは方法を変えて、シールズのデモに参加したようだった。
小さな子をもつ主婦達のデモ、高校生達のデモ。僕は中学生も小学生も「反対」をいいはじめたらよいのに、とか、自分はいつに時点で抗議にいけばよいかを思いながら、今日の15日を迎えたのだった。
天皇陛下が追悼式で、初めて「反省」という言葉を使ったとテレビが報じた。それが大きな意味をなすものならば、政治家は天皇陛下の中国や韓国へのお詫び訪問をなぜセットしないのか解せない。子々孫々まで謝罪の宿命を背負わさないためには、天皇が行く。それがなんとしても難しいことであれば、総理大臣が出かけて行って徹底して謝り、そこで両国民に、友好へのリセットを宣言したほうがよいと思う。
おそらく、15日が過ぎればテレビは先の14年戦争と植民地支配の報道をストップさせるだろう。そして国会ではいよいよ参議院での論争が再開される。すでに、自衛隊は、集団的自衛権が決議されることを見込んで、準備を始めている、というところから始まる。
アメリカへの後方支援が始まれば、自衛隊に入隊するものも減少するだろう。そして、自衛隊に入れば、大学にいけるように計らうとか、アメリカが今しているような方法で、貧困家庭の子供たちを勧誘するだろう、というところまでは見えている。可能性として、今後あり得ることは目に見えている。
中国もちっともよくはないけど、アメリカもよくはない。アメリカのよくない点は、みずからの戦争を「正義」とするところだ。「同盟」などという古い概念で、国々は縛りをつけるものではない。
こんなことをここ数日思っているのだが、今日市会議員である方と偶然喫茶店出会った。「尾鷲も消滅都市の候補に挙げられている。何か手立てはないか」と問われた。
あるはずもない。「それではダメだ」と叱られた。彼は真摯に尾鷲を思う人なのである。
僕は今やもう、尾鷲も紀北町も、熊野も松坂もという風に、それぞれの地域が、という発想がない。ヨーロッパでは国境を取り払ったように、尾鷲や紀北町という境界線はないと思っている。もうそんな地域主義の時代ではない。多くの人はもう知っているように思う。ここで生きられなかったら、生きられる場所に行こうとおもっているように。