25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

年をかさねる鬱陶しさ

2015年08月19日 | 日記
ウチのヤタ(犬)はすでに17歳でいよいよ行動がおかしくなっている。右の後ろ足が使えなくなって、ゴロリと倒れてしまうので、必死こいて壁を支えにして歩く。そして、穴に入りたがるのである。何度かバックできない家具の裏に入ってしまい、鳴いて騒ぐ。時に起き上がれなくてもがき、どうしようもないと鳴く。死に場所を探しているのかもしれないが、家には死に場所はない。同じところをなんどもなんども歩いては穴のところで止まり、じっとしている。好きだったヨーグルトやミルクに自ら反応せず、指でもってコーヒー用のミルクをヤタの口に持っていくと、上手く舌でつかめないのかガブリと僕の指まで噛む。耳も聞こえないようだし、目も見えないようである。時々、死んでしまったのかと肺のあたりをみるとかすかに息をしていて、今日も無事かと安堵する。猫を可愛いと思ったことがないのは、猫を飼ったことがないからなのだろう。
僕が2歳ぐらいの写真があって犬と一緒に写っているのだから、犬との歴史はながい。しかし、この黒芝犬のヤタでおしまいだろうと思う。

この前岡田さんとスーパーの前であったら、自転車で「魚跳」まで泳ぎに行ったという。ずっと坂道で、道は舗装もされていないところもある。距離もある。歳が5つ違うだけのことではない。彼は体を常に鍛えているのだ。僕なんかは常に座っているのだ。だから、もう川の冷たい水に入るのはおそろしいことだ。心臓マヒが起こったり急性の低体温症で気を失うかもしれない。
僕は岡田さんのアグレッシブな行動にすっかり感動してしまって、運動でもするか、と思っていたら歯が痛くなって、食べることも容易ではない。歯肉がかたまってから歯科医にいこうと思っているが、なんとも、年を重ねるというのは鬱陶しくてしかたがない。

我々が失ったものはいろいろある

2015年08月19日 | 文学 思想
渡辺京三の「逝きし日の面影」という労作がある。それは江戸時代の末期、日本が開国してから、外国人たちがやって来て、日記や手紙などの残っているものを集めたものである。ほとんどの外国人がおとぎの国にのような農村風景、日本人の清潔感、人なつっこさと好奇心、それと笑顔に感銘をうけていて、この国を西洋のようにするべきではない、と書いている。
もちろん、その頃は見苦しい電信柱も電線もなかった。僕の嫌いなテトラポットなどはあるはずがなかった。
渡辺京三は江戸期までの日本をひとつの文明だととらえていた。その文明の終わりを残念がっている。
昨日は岡田さんと食事をして、もっぱら、明治の近代化によって、日本人は何を得たか、というより、何を失ったかのほうに力点をおいて、話し合った。彼は、剣道7段の男で、最高位まで、あと少しというところにいる。20日から「骨ストレッチ」の最終上級講習にいくという。
明治の初期の写真で、60kgの米俵を5つ、ーつまり300kgの米俵を背負う女性たちの写真を見たことがある。現代のような便利な機器があるわけではない。日本人の身体操作はなるべく力をださなくても、むしろ力を節約することを身につけていた。
こういう研究は甲野善紀などがやっている。
日本人は西洋人と比べて、カンナに使い方が逆のように、力を出しきる発想と力を節約する発想が逆なのと同じである。
日本が近代化していくにつれて、オリンピックにも参加するようになり、真逆の発想をやめ、とにかく筋力を鍛える、という方向に走った。柔道がよい例である。今や柔道は体躯に大きさと筋肉の勝負になっていて、テレビをみていても、おもしろくない。現実的にみて、体の小さな柔道家と体の筋骨たくましい柔道家が日常の場面で勝負をするようなことはない。
インドはそんな西洋文化を拒否し、独自の文化を深化させ、精神性を保っている。ヨガを極めたり、音楽は徹底してインド音楽にプライドをもっている。僕はバリ島でもそうだと思う。不浄の海は外国人観光客に譲り、自分たちは内陸部の村で暮らす。聖地の山、アグン山を崇める。そういうバリ人(この人々は南インドから移住してきたにだが)たちもオリンピックへの参加など考えていないように思える。バリ舞踊を通じて姿勢は村人から伝授される。歩き方が悪いと、供物を頭に乗せて歩けない。

明治の近代化、富国強兵策によって、便利な世にはなったが、身体能力という面ではほび退化してしまっている。
そんな話を2時間以上も話したのだった。力で押し通していくアメリカ。正義を振りかざすアメリカ。日本はその金魚にフンみたいにくっついていることはない。アメリカのよいところもいっぱいある。アメリカを馬鹿にしているのではない。関係の持ち方を言っているのだ。

そこで、オリンピックなど、必要?とも言いたくなってくる。1050兆もの借金があってするような情勢ではないだろう、と言いたくなってくる。責任者ぐらい決めておいてほしいとも思う。

食事は、酒も肴も美味しかったが。それでも店は周到に無駄を省く努力をしているように思えた。