25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

尾鷲市はどうであるか

2017年05月20日 | 社会・経済・政治

 道ですれちがった知り合いに、挨拶がてら、「尾鷲も死んでっきょるなあ」と言ったら、「何言いよん。もう死んどるわい」

 彼はビールケースを小型トラックから降ろしながら、そう言った。「おれも歳でこの業界最年少やで。あと継ぐものはおらん。みんなそうやがな」

 そこまで言う、と思いながら、歩いていくといつもの八百屋さんの金魚をみる。金魚ケースの掃除をしている。ここに集まる人もご老人ばかりである。

 30代、40代の人口が少ないのがこの市の致命的なところである。

 けれど、尾鷲市の市長選挙の候補者主張を読んでも、相変わらず、「地場産業の振興」を訴える。どの市長候補も訴え続けてもう30年齢や40年になるが、衰退するばかりで、上向く気配もない。20代、30代、40代に焦点をあてた政策がない。

 公共投資をするには土木工事のようなももでなく、三次産業に行うのが筋論であり、もっと未来を見つめれば四次産業への政策が必要になる。尾鷲という地方衰退都市であれ、三次産業従事者は60%は越えているはずだ。

 四次産業というものを定義しておくと、無形のものと無形のものによりものが活性化する産業振興センターだと言ってよい。たとえば地域医療において、遠隔でgazouとデータベースを送り、高度な判断ができることがそうだろう。衛星やネットを使った方教育もそうかもしれない。特許権など知的財産権の使用権などもどうだろう。

 三次産業が主役となった消費資本主義の社会が始まってから、もう30年以上くらいになるのではないか。水が販売されたころだ。水が売れるとはそれまで考えたことがなかった。しかし、自民党政権も、民主党政権も、産業構造に目を向けず、三次産業の意味がわからなかった。民間業者にまかせるまま、時は過ぎて行った。

 そして、昨日、名古屋の東急ハンズで物を見てまわった。そこにあるのは、絶対必要物もあるが、ほとんどが要らないんじゃないかと思うものばかりだった。

 これ以上物は要らない、とほとんどの人が思い、買わなくなった時が資本主義の終わりを意味することだろう。

 尾鷲の話に戻るが、これぞ、という有効な政策が打ち出せない感がある。議員の方からの独創的な案もなさそうである。このまま衰退し続けるシミュレーションが要るのかもしれない。四次産業を産み出す、若手グループシンクタンクの誕生を期待する。マンガ、イラスト

デザイン、写真、IT技術、プログラマーなどの集団である。