25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

政治家の定年

2017年10月08日 | 社会・経済・政治

 政治家に定年は必要かというアンケートで、若い十代、二十代、三十代は寛容にも必要がない、老人の経験や知恵も必要だと答えている。一方、五十代、六十代、七十代になるにつれて、必要だとなってくる。テレビの司会者は判断力がないためか、おもしろいアンケート結果ですね、若い人の方が寛容なんですね、とかバカバカしいことを言っている。若者は実際の老いを経験していないのだから、要するにわからないのだ。それに比べて、忘れることも多くなり、体力にも覚束ないこと経験しつつある五十代以上は自分も脳や身体の変異をよく知っているのである。

 したがって、こんなアンケートは意味がないのである。 

 個人のレベルで言えば、定年は自由である。自営業者は自分で決めればいいし、会社勤めの人でも、自分の経済環境さえ整えば自由に仕事辞めればよい。

 それはさておき、昨日電話で世論調査のアンケートがあった。このアンケートでは、番号を選ぶだけである。そのなかでは北朝鮮への対応や憲法改正についてのものはなく、三重県四区の候補者について、その関連についてのあんけーとであった。候補者や記者には参考にはなるかもしれないが、ややもすると誘導質問になっている質問もあった。用心、用心。

 経済政策がうまくいかず、国民に消費生活に向上の実感や安心感がないと政権が変わるというのは、もう二十年もみてきたことだ。それは消費者も掌にあるということで、国民が無意識の実権をすでに持ってしまっているという時代にいるということである。